〜『NAVI CARS』3月号がとても光っている〜
RJC「若手組」の希望の星、飯嶋洋治さんと久しぶりにおしゃべりをしながら、1月24日の夜、「両国駅」から地下に降りて、新宿・都庁方面行き都営大江戸線の乗客となっていた。
午後6時30分からはじまった懇親会は、両国・隅田川のほとり、ちゃんこ鍋自慢の「吉葉」。ここは大相撲解説者に成り立ての頃の舞の海と、漫画家、釣りキチ三平の矢口高雄さんとの対談構成者として使ったこともあって、この日の催しを楽しみにしていた。欠点は専用の駐車場がないこと。それを知っていたので、この日のプログレには留守番を申しつけていた。
*割烹 吉葉は、座敷の代わりに土俵が。元は宮城野部屋で、往年の名横綱・吉葉山ゆかりの「両国名所」
「吉葉」は平日にもかかわらず、えらく流行っていた。ただし、楽しみにしていた午後7時過ぎからの催しとして評判の『相撲甚句』はお休みで、残念ながら若い姉妹による『津軽三味線』の日に当たっていた。
しかし、ここの「ちゃんこ鍋」は絶品。珍しくワインを赤と白もちょっといただくなど、はしゃいでしまった。そうか、この日は『プログレ抜き』だから、その気になったわけだ。そのせいで、いつもより口が軽くなっている。
幸い、一人分だけ空席があった。コーナーではかなり揺れる。
「このごろ、仕事のほうはどう?」
つり革に掴まりながら飯嶋さんが、嬉しそうに報告してくれる。
「今度、NAVI CARSの注文で“自動車雑誌、100年ものがたり”を書かせて貰いました。そこで正岡さんのことも、ちょっと触れさせていただいています。26日の発売です」
「おお、NAVICARSは切れ味があって注目している雑誌です。徳大寺さんが亡くなるちょっと前に出演したトークショーを、代官山蔦屋書店でやってからずっと……楽しみに読ませて貰います」
■ その時の模様は、こちらを参照されたし。
『徳大寺有恒、という生き方。』ドラマの共演者たち
飯嶋さんには3年前に上梓した『モータリゼーションと自動車雑誌の研究』(グランプリ出版)があり、その際に取材を受けてから、親睦が深まっている。26日が待ち遠しかった。
1日置いての26日は、朝から心臓冠動脈カテーテル施術でお世話になった大学病院で、メインテナンス検査を受ける。自転車を漕ぎながらペダルに負荷をかけ、その影響を心電図で計測したり、CTスキャン用のカプセルに閉じ込めたりと、結構時間がかかって、解放されたのは午後の2時過ぎだった。
改装オープンした駅前の書店で、早速、NAVICARS 3月号を購入。まず、表紙が印象的だ。COVER MODELの内田理央がベントレー・GTスピード・コンバーチブルのナビシートから『NAVICARS』を左手に抱いて、こちらを見つめる。
そして、赤抜きのタイトル『クルマ雑誌は、死なない。僕らが愛する「自動車雑誌」の現在・過去・未来』が好戦的で、よっしゃ、という気にさせる。
巻頭のページ。河西編集長の『VOICE from editor』に初っ端からハートを射抜かれた。いきなり“覚悟”を宣言している。
————雑誌編集者という仕事をするようになって四半世紀が経つ。だがこれまで一度だってそれに飽きたり、つまらないと思ったことはない。“天職”というのは不遜かも知れないが、僕はこの仕事に出会うことができて、本当によかった。そして気力と体力が続く限り、一冊でも多くの雑誌を作り続けていきたいと思う。
なんだか、自分の気持ちを代弁して貰ったようで、先を急いで読みたくなった。
河西編集長と逢ったのは、多分、先に触れた徳さんの「トークショー」の時だけだと思う。が、NAVICARSを通して何度もコンタクトしている気分でいた。
徳さんの特集40ページを組むにあたって、トコトン徳さんの書いたもの、しゃべったものに触れたところで「その人生において、時間も、お金も、すべてをクルマに注いだ稀代のカーガイは評論家である前に一人の“クルマ好き”でもあった。そしてその言葉は、いまも僕らの心に響く」と締めくくった彼に、あのときも連帯の熱きエールをおくってしまった記憶がある。そして今回は……いやいや、それは実際にNAVCARSを手にとって読み取ってほしい。
柱の大特集の『クルマ雑誌は、死なない。』は数えてみると、丁度50ページ。力が入っている。最初に登場するのが、河西編集長の育ての親、鈴木正文さんだ。いまは『GQ JAPAN』の編集長だが、海事関係の業界新聞から『NAVI』の創刊時にスタッフ入りし、1989年に編集長、そして一時フリーとなったあと、2000年に新潮社から『ENGINE』を創刊、軌道に乗ったところで転身して現在に至っている。間違いなく、飛び抜けて異才の人だ。河西編集長の聞き書きらしいが、途轍もなく面白い。クルマ雑誌の今もこれからも「もはや定形はない。」といいきっている。
鈴木編集長の発想の元をご本人の言葉で、こう探っていた。
————雑誌を作るとき、基本的には今のシステムでうまくいっている人たちのことはあまり考えない。そういう人たちは別に雑誌を読まなくてもハッピーなわけでしょ。だから、いろんな分野でなんか問題を感じている人、成功していようがいまいが、どこかでなにかをよくしたいという意志を持っている人たちですね。そういう人たちの問題意識と響き合うものだったら、なんでもいいと思っていました。
鈴木正文さんは最後に言い切っていた。
————自動車は多面体だから、どこに焦点を当ててもいいと思います。要は編集者なりジャーナリストの目の付け所ですよね。もはや「定型」も「正解」もない時代です。テーマは無限にあるはずです。(中略)どこかで時代につながり、クルマとつながるわけですから。「NAVI」もそうしていました。縛られることなく、最後に責任をとるのは自分だから、自分のやりたいことをやるのがいい。やりたくないことはやらないということです。雑誌は誰かに頼まれて作っているわけじゃないから。
鈴木編集長に続いて、創刊55周年を迎える老舗カーマガジン『CAR GRAPHIC』の四代目編集長を務めた加藤哲也さんも登場する。休刊の危機に追い込まれていたこの雑誌を、失くしてはいけない、と自らが会社を立ち上げて「事業」と「版権」の譲渡を受けて新生を目指した編集者の想いをきき出している。
フットワークも忘れていない。「業界の不夜城」の異名を取る、月2回刊の「ベストカー編集部」に潜入、その実態をレポートしてくれている。
さて飯嶋洋治さん執筆の『自動車雑誌、100年ものがたり』はどうなっているのだろう?
2見開きで、それぞれの時代に登場した自動車雑誌の消長を、年表風にビジュアルにまとめ、各ページの下一段で飯嶋さんが解説を展開していた。
明治生まれの自動車雑誌。つぎに「日本の経済成長とともに」の章で、以下のように触れてくれていた。
————この年(註:1977年)には「ベストカー・ガイド」(三推社・講談社)が創刊されたことも見逃せない。中心となったのは、講談社で「月刊現代」の編集長などを務めた……などと私の名前を挙げ、読者と膝つきあわせて話す一つのメディアとして「クルマ」 があるのではないか?という発想があったところ、クルマ好きの作家の五木寛之に後押しされたことが一因という。同誌はその後も自動車評論家の徳大寺有恒らを擁して、現在の「ベストカー」につながっていく。
一冊の雑誌が、こんなにも充実していて、刺激をもたらせてくれたのは久しぶりだった。満ち足りた想いで、その日(27日)の午前0時00分になるのを待った。
ぽらりすe-BOOKSクルマ仲間『名作図書館』にまた新しい「星」が加わることになっていたのだ。
CONTEN堂の味戸さんからのメッセージ。
Part8は、1/27(金)0:00より、
下記URLにて配信が開始となります。
https://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0058908008/
どうぞ、
そのURLをポチッとやっていただけると嬉しい。
今回の「PREMIUM版」は『ゴーストカーの秘密』の区切りとなる各章の最後に、五木さん、徳さんとの鼎談に私のレポートをジョイントさせた『欧州迷走3000キロ』を添えている。以下のように……。
1 疾れ! フレンチブルーの『ブガッティ』
2 旅の目玉都市・ナンシーの妖しげな夜
3 デュッセルドルフで面白ゾーン発見!
4 世紀末の『悪い予感』の正体
ちょうど、40年前に芽生えた五木さんの「後押し」が、こんなかたちでまた一つ、実を結んだわけである。
(この項、おわる)