1989年(平成元年) 5月22日
つまり、ちょうど30年前の今日
東京・新高輪プリンスホテル「飛天」に於いて
R32スカイラインが、お披露目されたと言う
ワタシは当時、中学生
既に頭の中身は、お読みの諸兄姉と同じく
everyday クルマ…クルマ…
当時、出るクルマ出るクルマ…
なぜあんなに神々しくてドキドキだったのか?
あの頃のワタシは……
Y31セド/グロやF31レパードに執心で
免許取ったら絶対乗る! と、周囲にホザいてた…
ご多分に漏れず、某テレビドラマあたりの影響も大きく受けてたのだろう。
だが、このR32型を見て、それ以上のものを感じ取ったのかも知れない
後に、開発主管・伊藤氏の情熱あふれる思いを見聞きして、更に惚れた………
《 このクルマしか、ない……………… 》
それからは、サンニーサンニーの日々が続いた
各自動車雑誌や媒体のベタ褒め記事を見る度、ニヤニヤしながら
故・徳大寺有恒氏の評価も、正座して拝読していたなぁ(笑)
高校時代は、授業中でも机の中に忍ばせた32のカタログを見ては、ため息の毎日
駐まっている他人様の32にかぶり付き、ナメる様に見回していた(笑)
そして、京都で大学生となっていた1994年(平成6年) 6月、
半ば強引に(苦笑)、現在のR32を手に入れたのだ。
稼ぎも無い学生の分際で…(大苦笑)
もう無茶苦茶だったし、考えが甘すぎた…
でも、無茶苦茶うれしかった……
……この時すでに一度、昇天している(笑)
その辺は、来月また記したく
徳大寺有恒氏の
『日本でつくられたスポーティカーは数あれど
8代目R32スカイラインほどスポーツセダンの名にふさわしいクルマは、無い』
との評価が、総てを表しているのではなかろうか?
確かに、2リッター6気筒のアッパーミドルクラス車種としては
車内は広くないし、豪華そうなルックス・内装でも無い………
………だが、そこなのである!
開発主管・伊藤氏の
『 切る所は切り、伸ばす所はトコトン伸ばす 』
ソコを理解出来た人にはドンピシャだったし、
理解出来ない人は………他車に流れた(笑)
そのあたりが、こうしてR32型が後世で語られる、他ならぬ所以だろう。
今でも、シートに座りステアリングに手を添えシフトを握ると、
不思議とシックリきてしまう………。
平成元年から令和元年へ………
この30年、そりゃ自動車技術は格段に進歩してるんだろうが、
たとえ、時速400㎞の市販車や、2.000馬力だの、ダイヤちりばめた内装だのと
そんなモンが次々に出て来ようとも…………
もう、あの頃に感じた 感動や感激 を
二度と味わう事など、出来まい…………
先日、某所にて『恥さらし』をしてきた…
「満身創痍」の我が32に、深く詫びつつ
改めて、己の不甲斐なさを嘆く次第………。
【 そんな、30年目の、朝がきた 】
Posted at 2019/05/22 08:32:34 | |
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R32 | 日記