Part1の続きです。
2日目の朝は5時に目が覚めました。二度寝もできず、帰りの運転が猛烈に眠かったです。
まずは朝食をいただき、出発の準備をしてチェックアウト。
ちなみに、今回も
たかた旅トクと言う陸前高田市の独自支援を利用したのですが、年度末で予算が余ったのか通常2000円分の配布クーポンが4000円分に割増されてました。
宿泊費も4000円引きなので都合8000円の補助です。今回の宿は実質200円で泊まったような感じでした。
そんなわけでホクホクしながら出発。
まずは震災遺構である
旧陸前高田市立気仙中学校に立ち寄り。
朝イチだったこともあり誰もいませんでした。
津波の高さは学校の屋上を超えたそうで、14.5mの津波ってのがいかに巨大なものか思い知らされます。(直前に高台に避難したことで犠牲者は出なかったそうです。)
河口部分に水門もできてました。川を遡上する津波を防げそうです。
もうすでに学校としての機能は失っていますが、震災遺構として永く残って欲しいものです。
続いて
発酵パークCAMOCYと言う商業施設へ。「醸し」がテーマの飲食店や売店が入っています。ここでは調味料とクラフトビールを買いました。ここでは飲食施設もあるほかビールを飲むこともできるのですが、車じゃないと来られないだけに一人旅ではハードルが高いです。
で、GoogleMapを見ていたら
奇跡の一本桜※ってのがあったので行ってみましたが、ただの桜の木でした。砂利の一本道で駐車場もなく、改めて見ると一本松と勘違いしたコメントも。せめて咲いてる時に見たかった。
※あとで見たらスポットが消えてました。
次に向かったのは
気仙大工左官伝承館。
この界隈はあまり産業がなかったため大工の技能を持った人が多かったそうで、地元のみならず他地方に出向いて建築物を作ったそうです。仙台だと定義山西方寺(古い方の門)や塩釜神社、有名どころでは明治神宮も手がけたそうで。
なおこの建物は歴史的建造物ではなく、気仙大工の技術と地元の資材を使って約30年前に作ったのだそう。それでも結構年季を感じるものです。
中も色々な思い・こだわりがあり大工の手仕事に感心するとともに、案内もしていただけて存外に楽しめました。
やや不便な場所にありますが、ぜひ足を運んで欲しい施設です。
敷地内には
3.11希望の灯りってのがありました。震災の起きた2011年の12月に、神戸の
1.17希望の灯りから分灯されたのだそうです。
この後は全然お腹空いてなかったけど、クーポンを使うために道の駅で昼食。
悩んだ結果カキフライ定食にしました。熱々で舌をやけどしました。
と言ったところで帰路に着くことにしました。
当初は国道340号を西に向かい内陸から帰るつもりでしたが、
どうにも疲れたので取りやめ。県道を経由して国道45号に戻ることにしました。
しかしこの県道、最初は良かったのですが途中から妙に狭くなり、路肩には雪まで。
でも、県境の峠を越えたところで下り坂になり、雪の不安も杞憂に終わりました。
この後は国道45号に合流。
下道をひたすら進んだところで最後の寄り道をしました。登米市津山町にある
横山不動尊です。
前々から気になっていたのですが、最近みん友さんが立ち寄った投稿をされていたのを見て自分も行ってみた次第です。
割と近くに
観光地化された寺院がありますが、そこに比べると静かで人も少なく、とても落ち着く場所でした。
ただ天気の良さと車の暖かさに感覚が鈍り、上着を着ないで参拝したため寒い寒い。不本意に短時間の滞在となりました。いずれ再訪したいと思います。
でも奥の院到達はさすがに苦しそうです。
なぜか存在する出羽三山が気になりますが、奥之院の奥なのでまず無理でしょう。
と言うことで、16:30頃に自宅に到着。
2日間の走行距離は約320km。1日あたり160kmってところです。数年前は日帰りバイクツーリングで300km走ってましたが、その頃より疲れた気がします。車なのに・・・。
2日目のルートはこんな感じでした。
https://goo.gl/maps/3AgSv3cpDCCnQGeX9
今回の旅は震災遺構のうちこれまで見られなかった場所を巡りました。
ただこの理由は後付けで、事実上は現実逃避の思いつき旅行だったのが本当のところ。でもそう言いながらも今回回ったところは立ち寄って良かったと思います。
一方で、老化による体力低下が深刻だとつくづく感じた旅でもありました。
エスロクを保有し続ける上で一番の問題は、環境でも費用でもなく自身の体力なのかもしれません。
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車:旅・お出かけ | 日記
Posted at
2023/03/10 17:43:31