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2021年09月11日 イイね!

熊野古道 道失ひし 横垣峠

熊野古道 道失ひし 横垣峠熊野古道踏破、横垣峠。

三重県御浜町の神木(こうのぎ)集落から阪本集落までを結ぶ峠道です。
西ノ峯山という山を越えるのですが、並走する国道311号がこの山地を大きく迂回しているのに対し、横垣峠はほぼまっすぐに道が通っています。

R311沿いにある神木公民館のそばに、登り口があります。
現在は熊野古道横垣峠道と並行して林道が作られており、この林道を走れば車でも峠越えできます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.869249/136.027898/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


登り口からは、みかん畑の中を抜ける道を登ってくるのですが、
林道との合流地点まで車で行きます。
車が数台くらいは駐車できそうな空き地があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.869088/136.017576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


”地すべり発生で一部通行できない”ことが案内されています。



熊野古道の道標の数字は22。
約100mごとに設置してあるはずなので、
だいたい2kmちょっとくらいの道のりでしょうか。



最初に少し上った後は、緩やかな登りが続きます。



峠までの沢のそばに、お地蔵さまのほこらがあります。

「横垣地蔵」あるいは「水壺地蔵」と呼ばれています。
職を求めて熊野へ来た大阪の大工が、お地蔵さまのそばで眠った時、
ふもとの集落に仕事がある、とお地蔵さまのお告げを受け、
果たしてその通りになったという。
お地蔵さまの隣の石灯篭は、その大工が献納したものと伝えられています。


木立が途切れて明るくなったかと思うと、
新しくてしっかりした手すり付きの迂回路が作られています。
地滑りで道が崩れてしまった部分です。


地すべりが起きたのは平成23(2011)年と10年前なので、
崩れたところはシダなど植物に覆われています。
残った部分には、石畳道があるので、江戸時代に施工された道が
失われてしまったのは残念です。



少し進むと、更に迂回路が現れました。
先ほどは下側に迂回していましたが、今度は上側に上ります。

階段こそしっかり造られていますが、その先が整備不十分。
この迂回路が、横垣峠道でもっとも険しい道でした。

少し戻って、地すべり部確認。


下を通る林道から確認。

完全にえぐれていて、復旧は無理っぽいですね。


横垣峠です。
石碑は平成13(2001)年設置の、割と新しいものです。
ここから西ノ峯山への登山道が分岐しています。


木立が切れている部分があり、熊野灘の海が見えます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.864046/136.010495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山側に、岩がごろごろしています。

横垣峠道の石畳は、この辺りで見られる神木流紋岩という
マグマが冷えて固まったという火成岩が使われています。
この岩が、それなのかもしれません。


坂ノ峠。
ここが神木と阪本の境だったそうです。

ふつうは最も標高が高い峠(横垣峠)が境界になりそうなものですが、
横垣峠の前後は傾斜が緩やかであり、移動時間区切るとここが中間なのかも。
ここからの下りは、ちょっと急になっています。


坂ノ峠からは、幅がきれいにそろった石畳道が続いています。
横垣峠道は、坂ノ峠から先が見どころがあると言えるでしょう。

石畳の道幅は広く、敷石の隙間も小さい、非常に良好な状態。
江戸時代の普請とは思えないほどです。


少し歩くと、通行止めになっています。

石畳が柵の向こうまで続いているのが分かるでしょうか。
平成23(2011)年9月の台風12号による大雨により、
古道は崩落してしまいました。

自己責任で柵を乗り越えて、確認してみました。

矢印のところが、石畳の最後の石。

下をのぞけば、かなりの急斜面です。
これは復旧するとかのレベルを超えています。


並行している林道までの迂回路が作られているので、そちらへ。


崩落現場を眺める。
山肌がごっそり滑り落ちてしまったようですね。
矢印の辺りが、先ほどの石畳道の最後のところです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.863601/136.006236/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


林道をしばらく歩くと、熊野古道への案内が現われます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.863957/136.004412/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


また石畳の道になりました。



洗い越しがありました。

石畳の間に水を流す洗い越しは、これまでも何か所もありましたが、
しっかり水が流れていて機能しているのを見たのは初めてです。


お地蔵様のほこらがありました。
"折山地蔵"と言うそうです。


お地蔵様の前の道が、すごい折り返しの道になっています。
これは当時としては大工事だったのではないでしょうか。



熊野古道の世界遺産石碑まで着きました。

石碑が他のところより、薄汚れているのが気になる。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.864153/136.002824/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


折山神社の前まで来て、今回の踏破は終了です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.865810/136.001945/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ここからの戻りは、車道(林道)を歩きました。
距離は多少長くなりますが、傾斜が緩いので楽でした。


横垣峠道の感想
・それほどキツイ道はなく、初心者向け。すぐに車が通れる林道へ出られるのも安心感があります。
・坂ノ峠より熊野側に見どころが集中していると感じました。
 阪本側から登って、坂ノ峠で引き返すのもアリかと。
・自然の力の脅威を感じられます。熊野古道本来の楽しみ方と違いますが。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2022/04/06 21:20:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年08月01日 イイね!

熊野古道 歩みは至る 速玉へ

熊野古道 歩みは至る 速玉へ熊野古道歩きにて、前回浜街道を歩いた際に、本来の予定では熊野速玉大社まで行くつもりでした。
熊野古道という観点では、歴史的なところはほぼ踏破できているのですが、自分の中のけじめの為に、前回の到達点であるJR鵜殿駅からの再開です。
無人駅で乗降客も少ないので、駅前駐車場でも無料で利用できます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.736912/136.016074/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


鵜殿(うどの)」は、現在は紀宝町の一部ですが、平成の大合併以前は「村」であり、その時は日本で最小面積の村であり、最大の人口密度の村でした。

昔は「烏止野」と表記していたこともあったようです。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.733967/136.004337/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


熊野川の河口に橋を架ける工事が進んでいました。


現在はもう少し上流側に熊野大橋が架かっていますが、
橋の両側に交差点があり、交通の流れがあまりよろしくなく、
時間帯によっては渋滞が発生しています。
この辺りの住民にしてみれば、川を渡った新宮市に買い物などの
生活環境を頼っている状況ですから、橋は欲しいですよね。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.732736/136.003758/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


こちらが現在熊野側河口で三重県と和歌山県をつなぐ熊野大橋。
ここ成川の辺りにかつては渡し場があったそうで、
過去から現在に至るまで交通の要衝となっています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.735145/135.989488/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

手前側に架かるのが、昭和10(1935)年竣工の熊野大橋。
現在は車両一方通行+歩道になっています。


現在はこちらが主役の新熊野大橋。昭和59(1979)年竣工。


写真奥側の薄緑色のアーチが旧道の熊野大橋で、
新しい熊野大橋の方が少し高い位置に架かっています。
そのため、ループ橋で登って橋を渡るという
交通のボトルネックになるような構造になっていたのですが、
現在はバイパス道に直線的につながっています。
バイパス全通は平成25(2013)年、30年越しで完成形に至ったわけです。

橋の真ん中に県境があり、これより和歌山県に入ります。



橋を渡ってすぐの交差点で、熊野速玉大社へと曲がります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.730737/135.986806/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


熊野速玉大社の入口は、コンパクトな印象。










神主さま達が、朝のお祈りに、各社殿を回っておられました。


さざれ石として、境内に展示されていた石。
割と最近に熊野灘で見つけられたもののようで、歴史的な価値はなさげ。



少し足を延ばして、阿須賀神社へ。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.728685/135.997642/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

阿須賀神社はかつての阿須賀王子で、王子社としては
熊野速玉大社にもっとも近い、最後の王子社です。
これだけ近いと、もうここに寄らずに、すぐ速玉まで
行ってしまえばいいのではとか思ってしまうのですが。
神社の規模の割に手入れが行き届いており、
大切にされていることが感じられます。



熊野速玉大社の感想
・熊野古道を歩き続け、目的地の一つに到達できたと思うと感慨深いものがある。
・速玉大社は思ったよりも小さかった。比較対象が伊勢神宮なのが間違いなのでしょうが。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2022/02/12 06:20:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年07月22日 イイね!

熊野古道 果てなく続く 浜街道

熊野古道 果てなく続く 浜街道熊野古道踏破チャレンジ「浜街道」
伊勢路で最も長い道で、20km以上あります。
案内でも北と南の2分割でコース紹介しているものもあるのですが、一気に踏破を狙います。

車は道の駅 花の(いわや)に置かせてもらいました。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.878548/136.091895/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


花の窟は日本最古の神社とも言われていますが、
本殿はなく大岩がご神体とされています。


神道ができあがる前からの自然崇拝が、
神道と結びついたのだと考えています。

大岩は鬼ヶ城の奇岩と同様に自然浸食で削られたものです。


花の窟から少し戻って、有名な獅子岩を見てきました。

獅子の横顔に見えるのは、この角度からだけです。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.883928/136.097710/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


七味御浜海岸沿いを歩く浜街道には、4つの道があります。

最も内陸側の、国道42号の端を歩くルート。

歩道が車道と分離されていない部分が多く、
すぐ横を車が通過していくので、やや危険性が高いです。
コンビニや自動販売機がすぐに見つかり補給が容易なのが利点です。

海と国道の間の、防風林の中のルート。

直射日光が遮られていて、歩きやすいです。
見晴らしが悪いのが難点。
いちおう、ここがガイドブックなどで推奨されているルートです。

海と防風林の間の防波堤上のルート。

路面は安定していて歩きやすいです。
直射日光と、路面からの照り返しで暑いです。

海岸のルート。

砂に足を取られ、他の道の倍は疲れます。
海が見えるので、景色は良く感じます。


東南海地震の発生が予想されている当地域では、
津波非難タワーが建っています。

かっこいい建物です。

普段は入口が閉ざされています。

いざというときは蹴破るようですが、
子供や高齢者は開けれるのでしょうかね~。
治安との兼ね合いもあるのでしょうが。





志原川河口の志原橋。(昭和7年竣工)

防潮水門の上が橋になっています。
少し前まで、小型車は通れるくらいの間が
開いていたような気がするのですが、
現在は老朽化で通行止め。
旧国道だったのですが、現国道は並行して架かっている新志原橋です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.843304/136.065438/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ここの河口の渡しはかつての難所であり、
ここで行き倒れた巡礼者もあったそうです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.841129/136.064000/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


NSXだ!



市木の一里塚

一里塚は道の両側に土を盛り上げたものですが、
ここは片側の一つしか残っていません。
残っている一里塚は少ないので、一つでも貴重です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.820506/136.052713/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


道の駅 パーク七里御浜まで到達しました。
ここまでで、だいたい半分くらい。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.804122/136.043487/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

道の駅前は南国っぽい。



道の駅 ウミガメ公園まで来ました。


ウミガメたちに癒される。
早く出発しなければいけないのに、ついつい長居してしまう。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.769685/136.028552/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0





加持鼻王子社跡。
王子社は、熊野古道の和歌山県側に多数分布するのですが、
伊勢路ではほとんど見られません。
その数少ないものの一つが、熊野速玉大社にほど近い場所にあります。

津波で2度も流されたため、現在は内陸に移されています。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.741997/136.021492/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

現在の梶鼻王子権現。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.745780/136.019368/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


ここまで歩いてきた時点で夕方になってしまいましたので、
この先はあきらめて引き返すことにしました。
とはいえ、歩いて帰ることはできません。時間的にも体力的にも。

JR鵜殿駅から列車で戻ることにしました。



道の駅花の窟に最寄りのJR有井駅まで乗車。



浜街道の感想
・とにかく長い。浜辺を歩くとかなり体力を消耗するので避けた方が良い。
 アップダウンは無いが体力勝負なところあり、時間を考えてスタートすべし。
 中級者向け。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2022/01/04 00:06:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年06月06日 イイね!

熊野古道 見えているのに 馬鹿曲がり

熊野古道 見えているのに 馬鹿曲がり熊野古道歩きのこれまでの進み具合からは位置的に戻ってしまうのですが、変わった名の場所があります。
「馬鹿曲がり」
峠道ではないです。
これまで歩いてきた古道との位置関係で言えば、女鬼峠と三瀬谷峠の間に位置します。

変電所の近くの空き地に駐車しています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.439381/136.501222/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0



県道の脇から、沢へと降りていきます。





https://maps.gsi.go.jp/#16/34.439699/136.499398/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


県道とJRの線路をくぐる暗渠を通り抜けます。

熊野古道が街道だったころは、この沢沿いに道があったものが、
今はJRの線路と県道(旧R42)が通っているため、
仕方なくこんなルートになっているようです。
でも、面白くはあります。

道とは思えない沢の中を歩き、沢沿いの道に上がります。



平坦な道です。
というか、山や谷を避けて平らな道にしてあります。
そのために、まっすぐ行ければすぐそこなのに、
ぐねぐねと曲がって遠回りしている道なので、
バカみたいな「馬鹿曲がり」と言われるようになったようです。

鉄板が敷いてあるところは、道が崩れた為に補修されています。


昼間だけ営業していた茶屋があったという場所。
建物があったような平らな土地ではあるのですが、
ここが茶屋跡だとよく判断できたなと思います。



少し前まで馬鹿曲がり橋があったのですが、
老朽化で落ちてしまったとのこと。

2010年に復元され、10年で崩壊はどうかと思いますが。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.436797/136.496716/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


現在は谷に降りて通行するようになっています。
谷の両側に土台の石組は残っており、橋再建の計画もあるそうです。

向こう側には現在の国道42号の橋脚が見えています。


赤いサワガニがいました。



国道42号の下をくぐります。



舗装路に合流しました。
古道への道は、獣害除けの為に金網で仕切られています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.435700/136.497080/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


国道42号に合流。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.434585/136.495128/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


国道42号の不動谷橋。
馬鹿曲がり橋跡から見えていた橋です。
橋の高さは20mくらいあり、谷幅も考えれば、
江戸時代の土木技術では架橋は難しかったでしょう。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.436213/136.497402/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


written by So!@BlackInsight
Posted at 2022/01/01 23:22:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年06月05日 イイね!

熊野古道 歩きやすきは 松本峠

熊野古道 歩きやすきは 松本峠熊野古道踏破チャレンジ「松本峠道」

熊野古道伊勢路で最も歩きやすいのは松本峠だと思います。
ド田舎の、山の中の道が多い峠道にあって、地方都市の鉄道駅であるJR熊野市駅からそこそこ近く、国指定の景勝地である鬼ヶ城の近くであることから、駐車場にも困りません。
距離も短いので、時間も体力もそれほど必要なく、石畳道も残っているので、最初に来るならここ松本峠の敷居は低いと考えています。

鬼ヶ城駐車場は道路の反対側なので、松本峠登り口と同じ側の駐車場にとめました。
ここは広くないので、時には満車になっていることもあります。

登り口まで100mくらいです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.900003/136.115220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

登り口は公園のように整備されています。

説明板が設置されているのですが、
多分世界遺産登録されたときから更新されてないです。
文字はともかく、写真・図版が色あせて
真っ白になっているので、更新を望みます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.898970/136.115348/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

登り口から見上げる。

ここの石段は近年に整備されたものなので、
すごく平らで直角な石材が使われています。
石段を登りきると、90度曲がって峠へと道が続いています。
この石段は熊野古道に後からつなげられた道で、
本来の道はまっすぐ続いていたようです。
そちらは現在は廃道。
https://maps.gsi.go.jp/#16/33.898668/136.115198/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ここから、石畳道になっています。



熊野古道では、階段にしないで、
坂になるようにしているところが多いです。



大きな石で、沢に橋を渡してあります。



傾斜がないところは、道の端だけ石が並べられています。
昔は土がもっと盛られていて、路面が平らだったのかなと思います。



峠に近づくと、石畳の様子が変わります。
成形された石材が、一定幅で石畳になっています。

多分、明治時代に敷設された部分です。


松本峠に着きました。
大きなお地蔵様が立っています。
元禄の頃、夜中に通りかかった猟師が地蔵様の影に驚いて発砲してしまい、
地蔵様の足元を傷つけた、と伝わっています。(現在も傷跡は確認できます。)

今は長椅子が並んだ休憩所ですが、昔は茶屋や寺院(寺子屋)もあったそうです。


寺の名残か、お墓も数基残っています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.895907/136.112494/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠を越えてしばらくは、江戸の石畳道となっています。



少し歩くと、ある地点から石畳が変わります。

自然石を使った江戸の道から、切り出した石材の明治の道に。

この辺りは、喧嘩した漁師への罰として作業を言い渡されたそうですよ。
けんかと言っても、漁業権についての集落単位での騒動です。


ここまでで世界遺産の峠道は終了。
この先は舗装された生活道路です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.895159/136.110338/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠まで戻りました。
ここから分岐を折れると、鬼ヶ城跡へと行けます。



途中に東屋があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.894500/136.112419/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

七里御浜がいい感じで見えます。
帰りには、この東屋でお弁当を広げている家族がいらっしゃいました。



松本峠から鬼ヶ城跡への道は、
尾根から少し低い位置に道が作られています。

尾根道が切り取られて通れないようにしてあるためで、
山城の構造でよくある堀切りというものであり、
攻め込まれにくいようにしてあるのですね。

鬼ヶ城跡に到着。

https://maps.gsi.go.jp/#16/33.891668/136.113449/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

峠道を歩くより、城跡へ向かう方が時間がかかりました。


松本峠の感想
・行程は短く、それほど坂もきつくないです。
 駅からも遠くなく、アクセス性も良好。
 初心者向け。
・古道の雰囲気も良く残っており、まず古道を訪れるのならば最適かと思います。


written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/12/30 13:47:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域

プロフィール

「今日の富士山」
何シテル?   04/29 23:48
こんにちは 黒いインサイトに乗っています 普段は Club e-TEC というところで主に活動しています よろしかったら、たまにでものぞいて下さい
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