• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

So!のブログ一覧

2021年02月28日 イイね!

湯の山は 苦い思ひが 黄泉がへる

湯の山は 苦い思ひが 黄泉がへる湯の山温泉のスタンプラリーが既に始まっていました。
残り期間は一月を切っています。

前回の温泉スタンプラリーは、苦い思い出です。
新型コロナの影響で、仕方ないとはいえ、営業休止となる温泉が現れ、あと1か所でフルコンプリートだったのに、未達成で終わってしまいました。

時間的に完全制覇は無理だし、今年は5か所回って抽選応募に期待です。

今回も600円(タオル付)の割引チケットが販売されています。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/03/20 00:50:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 温泉 | 旅行/地域
2021年02月27日 イイね!

熊野古道 最難関なる 八鬼山越え

熊野古道 最難関なる 八鬼山越え山歩きの日記です。
興味が薄い方は、引き返してください。長いです。


熊野古道踏破「八鬼山越え」
熊野街道で最難関の峠と言われており、その昔 何人もの行き倒れが出たこともあります。
峠の標高が高いこと、距離が長いことが、その要因です。

登り口の位置も分かりづらく、目印とするために地元の「尾鷲節」を刻んだ歌碑が設置されています。
昭和の時代の設置なので、割と新しいです。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.060153/136.207552/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


登り口まで、車で行けます。
駐車場もあります。


振り返れば、登り口。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.056277/136.205192/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


登り口から、石畳道が続きます。
ヤマバトが歩いていました。



熊野古道が世界遺産指定され、目安となる道標が
一定距離(約100m)ごとに表示が設置されています。
八鬼山越えは63も設置しているようです。

なお、他の峠道では10くらい。


しばらくは周りが開けた道でしたが、そろそろ木々が茂ってきています。
前の馬越峠も石畳が立派でしたが、
八鬼山越えも負けず劣らず、石畳の長さは熊野古道一だと思います。



みかんが自生しています。
耕作放棄された木が野生化したものと思われます。



八鬼山越えで行き倒れとなった旅人は、地元の負担で供養されました。
これは茨城県の武兵衛さんの供養碑だそうです。

八鬼山に供養碑は4つあるそうです。
熊野道一の難所にしては少ない印象。(不謹慎)


道幅はやや狭いですが、とてもきれいな石畳道です。



ここの大きな敷石は「ゴットン石」と呼ばれています。
踏むとゴトゴト鳴るからです。



日が向かいから差し込んできました。

石畳には、流れてきた水を脇へ逃がす洗い越しが作られています。


登り道も半ばまで差し掛かりました。
林道と交わっていますので、峠まで少しでも楽したいのであれば、
ここまで車で来ることもできます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.043992/136.212916/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


八鬼山の矢浜側(伊勢側)の坂では、お地蔵様をみかけます。
これは「町石」というもので、1町(約109m)ごとに峠まで置かれています。
峠までの道のりから、50体が設置されたと考えられていますが、現存は33体。
江戸時代に、伊勢商人から寄進されたものです。



八鬼山でも難所と言われる、七曲がりの坂。
つづら折りになった急坂で、かなりきつい。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.041485/136.215062/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


七曲がりを登り切ったところには長椅子が置かれており、
一休みできるようになっています。
木立の隙間から尾鷲の町が見えます。
だいぶん登ってきたことを実感します。



七曲がりを超えると、しばらくは平坦な土の道になっています。
八鬼山越えは、坂道と平らな道を交互にすることで、
適度に疲れをいやせるように工夫されているとのこと。

登っても登ってもまだ峠ではないということで、
過酷イメージを助長させていたのではないかとも思うのですが。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.039992/136.217058/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


桜茶屋一里塚
江戸幕府が街道沿いに整備させた一里塚。
町石地蔵もあります。
紀伊藩では一里塚に松と桜を植えたそうですが、
現在それらの木は残っておらず、ヒノキが生えています。
茶屋があったそうですが、建物があったような場所も分からず、
言われなければここが何なのかわからないですね。



道のわきに2つの大岩があります。
立っている方が烏帽子石、平たい方が蓮華石と名付けられており、
昔から目印になっていました。



この峠道が「八鬼峠道」ではなく「八鬼山越え」と言われる理由のひとつは、
複数の峠を含んでいるからと考えられます。
ここ九鬼峠で分かれる道を下りていくと、九鬼水軍の本拠地であった
九鬼の集落へと至ります。
「右、みきさとみち 左、くきみち」と刻まれた小さな石碑は、
大正15年に当時の九鬼村役場により設置された道標です。
この道は近代まで地元集落にとって大切なものだったのです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.034141/136.219504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠までもう少しのところに、荒神堂(日輪寺)があります。
令和元(2019)年に尾鷲の有志により再建されたそうで、新しくなっていました。
ここにはかつて茶屋があったそうで、建物の跡と考えられる平地があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.032523/136.217165/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


荒神堂の先には、また急坂がありますが、それを上り切れば八鬼山峠です。
現在は東屋が建ち休憩所になっていますが、昔は茶屋があったそうです。

町石地蔵も、ここにあるものが最後です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030514/136.216092/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠から道を少し外れて上るとすぐ、八鬼山山頂に着きます。
大岩の上が頂上です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030211/136.216414/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


峠から少し歩くと、さくら広場があります。
眺望が開けており、九鬼の集落と海が見えます。

広場を整備したときに桜を植えたそうですが、鹿に食べられ全滅した模様。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.028238/136.218281/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


十五郎茶屋跡の休憩所。
かつて茶屋があったと言われる場所です。
いつ開業していつまであったのかは分かっていませんが、
江戸時代の西国三十三所名所図絵に往時の様子が描かれています。
今は木が生い茂っていますが、その絵からすると、
当時は眺望が開けていたのかもしれません。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.020501/136.220169/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


大名行列の槍持ちが、この坂だけは槍を肩にかついでもよいと
されていたと伝わるほどの急坂、槍かたげの坂。
三木里側(熊野側)の登りで一番の難所。
下りるのも慎重になります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.020010/136.218860/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


江戸道と明治道の分岐。
ここから先は緩やかに下っていきます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.018047/136.216156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


世界遺産指定部分はここまで。
この後は、川沿いに海まで、集落を抜けていく道です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.014116/136.216350/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


名柄一里塚跡なのですが、塚は八鬼山に向かって右側の塚のみ
残存していますが、正直わかりにくいです。
植えられたと言われている桜と松は既にありません。
熊野古道の峠道で一里塚が2つも含まれるのは八鬼山だけです。
道のりが長いというだけでも、踏破の大変さがわかろうというものです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.009848/136.215985/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


耕作放棄された畑の間の道を歩きます。
農道でもアスファルト舗装されていることがほとんどなのに、
現在も石畳舗装が残っているのは珍しいです。
たぶん、明治~大正時代に施されたのではないでしょうか。
あと何十年か経ったら、この道も何かの史跡に指定されそう。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.014116/136.216350/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


梅の花が咲いていました。



三木里の海岸まで到着しました。
八鬼山を振り返る。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.001950/136.214590/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


紀伊半島東岸はリアス式海岸になっています。
三木里集落も賀田湾の奥に位置しており、海岸の波はとても穏やかです。



こんな貼り紙が。
イルカは加減してくれないので危ないらしいですよ。



復路です。
再び江戸道と明治道の分岐まで戻ってきました。

「整備されてなくて荒れている」為、世界遺産登録されている江戸道の通行が推奨されています。
自己責任で、帰りは明治道を歩いてみます。
槍かたげの坂なんて、登りたくない。


落葉が積もっていますが、幅の広い石畳道が続いています。
明治道では、きっちり1.5mくらいの道幅で石畳が敷かれています。
峠に近くなると1m幅くらいに狭まりますが、江戸道よりも敷設状態は良好です。
世界遺産登録前の2000年くらいまでは、明治道の方が使われていたそうです。
傾斜は割合に緩やかで、急坂は少ないです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.019257/136.216328/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


整備されていないところ。
道をふさぐ崩れてきたであろう大岩。
残っている道幅10cm。
道の外側に間伐材で橋が架けられていたようですが、朽ちて落ちてます。



こんなのが落ちていました。
1980年代に販売されていた、アルミパウチの果実飲料。
西ドイツ・ヴィルド社のライセンス商品ですが、
西ドイツというのが時代を感じさせます。
30年以上ここに放置されていたと考えられますが、ほとんど劣化していない。



整備されていないとはいえ、たまに案内看板も立てられています。
道が落ち葉や土でおおわれているところでは、
正しい道をたどっているのか不安になります。
その時に探すのが、曲点の表示。道が曲がるところには必ず設置されています。
電電公社のマークがついています。
山越えの電線やアンテナの管理の為に、通信会社や電気会社によって
整備されている山道もあります。



八鬼山の峠で、明治道は江戸道と合流します。
江戸道が尾根沿いの道となっており、明治道は沢に沿って通っています。
全体的に明治道の方がなだらかでしたが、峠近くは急坂でした。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.030514/136.216092/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0



八鬼山越えの感想
・距離が長く、傾斜がきついところも多いので、間違いなく熊野古道伊勢路で一番の難所。中級者~上級者向け。
・長い道のりの大部分に石畳が施されており、伊勢路一の「馬越峠」に次ぐくらいには見どころも多いので、歩き甲斐はあります。
・三木里側(熊野側)は江戸道・明治道の2ルートあるが、登りは明治道の方が、圧倒的に楽。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/21 05:45:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年02月26日 イイね!

熊野古道 石畳踏む 馬越峠

熊野古道 石畳踏む 馬越峠熊野古道踏破「馬越(まごせ)峠」
三重県紀北町と尾鷲市の境にあります。

熊野古道 伊勢路の代表的な道であり、紹介写真に使われる景色は、大部分がここのものであるほどです。
その理由は、江戸時代までに整備された石畳が、峠道の八割ほども残されているという、抜群の保存状態の良さの為です。

車は近くの道の駅に駐車。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.102672/136.215212/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

登り口に向かう前に、発掘石畳を見に行きます。

熊野古道が世界遺産登録されると盛り上がっていた平成16(2004)年に、
地元の人によって再発見された200m程の石畳道です。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.104272/136.206629/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

現在はJR線路と国道で分断されていますが、
かつては馬越峠道へつながっていたと考えられる道です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.103463/136.206082/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


馬越峠の登り口。
この辺りはとてもきれいな石畳ですが、これは近年に整備されたもの。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.102362/136.208775/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ここから旧来の石畳道です。

いつごろ石畳の整備が行われたか明確な記録はありませんが、
江戸時代前期に紀伊藩が街道整備を行ったのではないかと言われています。
ツヅラト峠でも、峠(伊勢国との国境)より熊野側にしか石畳が無いことからも、
紀伊藩が街道整備に積極的だったのは間違いないと思えます。
道が使えなくなると一番困るのは紀州藩だし。

峠道のほとんどに石畳が残っていることから、
ほぼすべての場所が撮影ポイントになりえます。



夜泣き地蔵尊
旅の安全を祈願するお地蔵さまが、石組みのほこらの中にまつられています。

明治の頃からか、子どもの夜泣き防止にご利益があると言われ始め、
哺乳瓶やよだれかけがお供えされるようになったそうです。


石畳道には、雨水を逃がす排水溝、
それを跨いで超える洗い越しが何か所もあります。



石畳道は見ごたえありますが、傾斜もそこそこ急、
踏破には体力が要ります。



峠の少し手前には切り通しになっているところがあり、
この辺りのみがこの峠道で唯一石畳がない道です。



馬越峠につきました。
平らなところは、かつては茶屋が営業していたそうです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.091842/136.201801/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

尾根道と交わっており、天狗倉山(てんぐらやま)便石山(びんしやま)へ向かう登山道があります。

天狗倉山へ登ってみます。
便石山にも行ってみたいけど、距離がありますので今回はパス。

街道であった熊野古道に比べると、山へ向かう道はかなり急傾斜です。


天狗倉山の頂上の手前に、天狗岩と呼ばれる大岩があります。
修験道の修業の場でもあります。

岩を回り込むように、北ルートと南ルートがありますが、
北ルートはかなり険しいので、自信がない方は南ルートを。

天狗岩には、はしごが掛けられており、それを伝って登ります。


地面の部分では、もう少し先の尾根が標高高いのですが、
岩の分こちらが高いので、実質ここが天狗倉山の頂上?


景色は雄大。
足元に視線を向けないように。
怖いから。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.090421/136.206222/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


峠まで戻り、下ります。

海山側(伊勢側)の植生が針葉樹林だったのに対し、
尾鷲側(熊野側)は広葉樹が多くなっており、落ち葉が目立ちます。


土の部分が削られ、石だけが残った状態。
雨水で土が侵食され削られるのを防ぐために、石畳は必要であったのです。



桜地蔵と呼ばれる、れんが造りの地蔵堂。
名前の通り、かつてこの辺りは桜の名所だったそうですが、
現在は檜が植林されており、その面影はありません。

以前は石造りのほこらだったそうですが、
現在のれんが造りに改築された方にちなみ
安兵衛地蔵とも呼ばれています。


尾鷲側の登り口まで下りてきました。
この辺りまでが世界遺産指定です。
馬越公園として整備されており、あずま屋からの見晴らしは格別です。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.086884/136.200117/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

馬越公園の入り口近くには、役行者(えんのぎょうしゃ)をまつった行者堂があり、
その奥には不動滝があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.086565/136.198980/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


ふもとまでは、集落の中を抜けていきます。
見上げれば、梅の華。


足元には、たんぽぽが。



ふもとの県道に合流するまで歩き、今回は終了とします。
近くには尾鷲神社があります。

御神木にされている大楠は、周囲10mもある大木です。
紀州藩の寛永13(1636)年の改め帳でも、当時すでに周囲6mあったそうです。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.076808/136.196340/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

境内の河津桜が満開でした。





馬越峠の感想
・立派な石畳道が残っている部分が多く、熊野古道伊勢路で1か所選ぶなら、断然ここ。そこそこ距離と傾斜あるので、中級者向け。
・余裕があれば、峠で折れて、山登りしてもいいかもしれません。
・石畳道は、雨で道が流失しないためのものなので、あえて雨の日に歩くというのも風情があります。(そのような団体ツアーも企画されています。)

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/04 08:34:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年02月25日 イイね!

熊野古道 新旧の道 始神峠

熊野古道 新旧の道 始神峠山歩きの日記です。
長いので、ご興味がない方は、引き返し願います。

熊野古道踏破「始神(はじかみ)峠」
三重県紀北町にあります。

名まえの由来は、山椒魚(さんしょううお)からきており、椒峠と過去に記されていました。
地元の方によると、この辺りの池にはイモリはいるけどサンショウウオはいないらしい。
昔はいたのでしょうか?

始神さくら公園に駐車しました。
桜はまだ咲いていません。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.160247/136.277139/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


公園わきの入り口から、始神峠の登り口へ向かいます。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.159572/136.277139/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中部電力の水力発電所の放水路の横に歩道が整備されています。

始神峠の登り口へ向かいます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.159252/136.276152/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


登り口。ここから先が世界遺産指定されています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.158365/136.272118/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


橋には、江戸道〇号橋と番号が付けられています。

他のところではあまり見ないですが、管理されているようで好印象。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.158223/136.270831/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


石畳の道が残っています。



みかんの樹がありました。

かつてはこの辺りでも柑橘の栽培がされていたそうですが、
現在は廃業された農家も多く、野生化したみかんをみかけます。


「十二曲がり」と名付けられた登りの難所。
ここから急な登りになっています。

歩いていると、曲がりが何か所かわからないくらい多く感じますが、
地図で見てみると、12か所くらい曲がりがあるようです。
近年まで完全に廃道になっていて、平成になってから再発見・整備されました。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.157264/136.266882/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


峠に到着。

ここには茶屋があったそうで、建物の跡も発掘されているそうですが、
当方にはわかりませんでした。
デジタルスタンプラリーのバーコードもあります。

峠からの眺めは、紀伊の松島とも呼ばれていたそうです。
三浦の海岸と半島・小島が、複雑な景色を構成しています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.157157/136.264758/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


峠から少し歩くと、明治道の峠に合流します。
これまでの道は徒歩で通ることを前提とした江戸道で、
明治の道は、車(人力車とか馬車とか)の通行を目指し整備されました。



しばらくは、江戸道と明治道の重複区間ですが、すぐにまた分かれます。
江戸道は急坂を下る道になっています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.157317/136.264415/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


急坂なところもありますが、周りの木々が広葉樹に変わり、
落ち葉が足元を覆っているので、踏みしめた感触は柔らかいです。
滑ることもあるので、注意も必要ですが。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.156269/136.262827/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


路面の保護のため、道のわきに土嚢が積んであります。
それすらも苔むし始めています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.154778/136.261797/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


国道42号の旧道・未舗装路に合流して、江戸道は終了。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.154458/136.262183/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
この先にトンネルがあるので、見に行ってみます。


大正6年竣工、三浦隧道。
ここをはじめ、いくつものトンネルを貫通させたR42が開通したことで、
熊野古道の廃道化が一気に進んだとのこと。


当時の隧道のいくつかは、歩道トンネルとして現役ですが、
この三浦隧道は崩落の危険があるため通行不可。

戸で塞いでいないので、冷たい風が吹き抜けています。
夏は涼しくていいかも。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.155808/136.263063/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


R42を熊野方面へと歩き、明治道の熊野側登り口を目指します。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.152594/136.260037/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


R42の始神峠への案内看板がありましたので右折。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.148332/136.251948/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


桜はまだですが、梅が咲いていました。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.153908/136.252699/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


周りに民家がなくなり、アスファルト舗装が砂利道になり、
宮谷池のあたりからが、熊野古道になります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.155275/136.257269/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


明治道は車が通れるようにと整備された道です。
本来であれば、軽自動車くらいは通れるはず。

しかし、現在の始神峠明治道は、車は通れないです。
山から崩れてきた大岩や土砂を撤去していないからです。

大正時代にR42が開通し、放置期間が長すぎたせいでしょう。
道が不自然に盛り上がっているところが何か所もあります。
そこは土砂の上を乗り越えて道になってしまった部分です。



距離はありますが、急傾斜はありません。
歩き続け、江戸道と合流する峠につきました。



江戸道を戻るのではなく、明治道で始神さくら公園を目指します。
木立が切れ、海の方が見えました。



明治道は、石垣を組んで路面を守っているところもあります。
125年以上前の完全人力施工なのに、素晴らしい保持力。



歩いていると、林が切れて、山崩れの跡にさしかかりました。
多分、この下にもともとの明治道が埋まっているはず。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.160566/136.270831/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

崩れの下流側に砂防ダムがありましたが、もういっぱいいっぱいです。



峠に上る前に見た水力発電所の導水管を超える。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.160584/136.272483/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


道が90度に折れ、最後は階段を下るルートになっています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.161135/136.275916/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
多分、明治に道を造った時は、まっすぐ道が続いていたのだと思いますが、
山崩れの土砂で道が埋まっているのだと思います。


最後は閉店したホテルの横に出ました。

まだ営業しているころに、日帰り温泉に入浴しに来たことがあります。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.160868/136.276109/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1



始神峠の感想
・江戸道だけなら距離は短く、明治道だけなら傾斜緩く、どちらかだけ歩くなら初心者~中級者向け。
・どちらも同時に歩くなら、距離が長くなるので中級者向けかも。
・江戸道の方が、見どころ多くて興味深い。
・明治道の方は、距離が長いがやや単調。

written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/05/01 23:54:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域
2021年02月24日 イイね!

熊野古道 緩急混じる 熊ヶ谷道

熊野古道 緩急混じる 熊ヶ谷道山歩きの日記です。
けっこう長いので、ご興味がない方は、引き返し下さい。

熊野古道踏破「三浦峠(熊ヶ谷道)」
三重県紀北町にあります。

一石峠平方峠を超えた後、しばらくは海沿いの道になりますが、ここからまた山道になります。

国道42号から曲がって少しのところに、入り口があります。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.171168/136.293313/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


林道を少々入ると、熊野古道の登り口があります。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.171168/136.293313/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


更に少し上ると、案内看板が立てられていて、ここから世界遺産指定。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.170476/136.291693/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


峠まではやや急な登りが続きます。



三浦峠です。
切り通しになっています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.169868/136.288163/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


峠を過ぎると、あとは緩やかな坂が続きます。
とはいえ、大岩が道の真ん中に居座っていることも。

大雨の時に、山の上から崩れてきたのでしょうか。

地図で見ると、大きく迂回する道になっていますが、
熊谷という谷を避けた為であり、「熊ヶ谷道」とも呼ばれています。


橋が架けられているところまでが、世界遺産指定されています。

この橋は平成になって造られたものです。
先代の橋は、戦時中の昭和19(1944)年に壊れてしまい、
長らく橋がない状態だったそうです。
その時は、下まで降りて渡っていたとか。
川というより沢のような小さなものですので。

橋の土台となっている石積みは古い時代のもので、
現在の橋でも引き続き使われています。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.173463/136.283695/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


道端にピックアップトラックの廃車が埋もれていました。

サニトラ?


県道に合流。この道も、国道42号の旧道のようです。

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.168776/136.282761/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
もう少し、切りが良いところまで行ってみます。


JR東海の三野瀬駅。
駅名は、近隣の地名である三浦(みうら)海野(かいの)道瀬(どうぜ)の合成。


紀勢線の駅で、単線区間なのに離合できるように線路が2線に分かれ、
ホームも対面2面あります。

更に引き込み線も1本存在し、無人駅なのに充実した線路が用意されています。
この駅ですれ違いをするダイヤが、かつてはあったのかも?
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.167788/136.282085/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=10&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


三浦峠の感想
・道瀬側(伊勢側)登りのみ、やや急傾斜。三浦側(熊野側)からは楽。初心者向け。
・古道としての見どころはあまりない。


梅満開。




written by So!@BlackInsight
Posted at 2021/03/01 14:29:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊野古道 | 旅行/地域

プロフィール

「今日の富士山」
何シテル?   04/29 23:48
こんにちは 黒いインサイトに乗っています 普段は Club e-TEC というところで主に活動しています よろしかったら、たまにでものぞいて下さい
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/2 >>

 12345 6
78910 11 12 13
14 1516171819 20
21 2223 24 25 26 27
28      

愛車一覧

ホンダ インサイト 黒太子 (ホンダ インサイト)
俺の名は三代目インサイト。 かの誇り高き世界最高燃費車の後継車だ。 世界中の車好きが俺を ...
ホンダ インサイト クロサリス2 (ホンダ インサイト)
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナアルミボデーヲ持チ 慾ハナク ...
ホンダ インサイト SchwarzBruder (ホンダ インサイト)
諸君 私はインサイトが好きだ 諸君 私はインサイトが好きだ 諸君 私はエクスクルーシブも ...
ホンダ インサイト 黒燕 (ホンダ インサイト)
インサイトってあんだろインサイト。 実はこれが2代目だって知ってる?? 初代の燃費35k ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation