♪のぉんびり行こぉ~よ、俺ぇたちはぁ~~、焦ってみたぁ~って、同じこと♪……。ガス欠したルノー4をふたりで押しながら行く光景に、マイク真木の明るく軽い歌声がかぶる。今はなきモップスの鈴木ヒロミツが出演した、モービル石油(現在のエクソンモービル)のCMの伝説のキャッチコピー『クルマはガソリンで走るのです……』。オイルショックを2年後に控えた1971年のオンエアだから、これをリアルに観て記憶する人は人間50年……信長の時代の寿命を越えた世代となるだろうか。
まるで直後の第4次中東戦争を予期し、狂乱の石油高騰による世界経済の混乱を見通していたかのようなメッセージを、なんとも爽やかな雰囲気でまとめあげていた。いまさら陰謀説に鼻孔を膨らませるほどウブではないけれど、当時圧倒的なパワーを有したオイルメジャー・セブンシスターズなら不可能ではなかったのかもしれない。
オイルショック当時、僕はガソリンスタンドでアルバイトしながら明日のF1パイロットを夢見ていたのだが、元売りからの供給が頻繁に断水した幼少の頃の水道のように絞られ、売り惜しみとともに猛烈な勢いでガソリン価格が高騰してゆく様を為す術もなく眺める他なかった。「なに、10ℓしか売れねぇ? バカヤロー!それっぽっちじゃ仕事にならねェだろッ!!」お客にどやされながらオロオロとひたすら頭を下げる毎日。あの時のお先真っ暗な感じは、今の若い世代にも多分共通する。
ピークを過ぎた高度経済成長は、公害問題という負の遺産をクローズアップさせ、クルマには厳しい排ガス規制が突きつけられた。それまでバルブシートの耐磨耗性を得るために配合されていた4エチル鉛が規制の対象となり、いわゆるガソリンの無鉛化が始まった。対応できないクルマには赤い有鉛シール、有鉛無鉛が3分の1の混合は緑、高速道路を走る時に有鉛ハイオクを混ぜる高速有鉛がオレンジ。無鉛ガソリンに対応する青シールのクルマだけの完全無鉛化にはかなりの年月を要したと記憶している。
その後も燃料の改良は休むことなく進められ、クルマのエネルギー(燃費)効率を高める高圧縮比化は、電子制御による精密噴射技術と歩調を合せた燃料の改良によって、現在もなお進行形の状態にあるという。現在、ドイツのレギュラーガソリンは95RONであるという。RONとは(Research Octane Number=リサーチ法によるオクタン価)のこと。一般的に言うオクタン価のことだが、日本のレギュラーガスは概ね91RON(JIS規格ではレギュラーは89RON以上、ハイオクは96RON以上となっている)というところにある。
よくドイツ車には、なんでこれがハイオク仕様なの? 疑問を抱かせるクルマが存在するが、それは欧米には存在するミッドグレードのレギュラーガソリン(95RON)仕様であるため。オクタン価は、高圧縮比に対応することでエネルギー(燃費)効率を高めることに関与します。日本のレギュラーガソリンでは所期の性能が得られないということから、100RONという世界的に見ても高いオクタン価のプレミアム(ハイオク)ガソリンを入れることになってしまうわけ。
これは将来的にはけっこう重要なポイントとなります。たとえば、画期的なNAエンジンとして注目されているマツダのSKY-G。2ℓで210Nmを捻り出し、130g/kmという優秀なCO2排出量レベルを誇ります。レギュラー仕様のNAガソリンエンジンで現在のディーゼルエンジン並の燃費と2.5ℓMZRガソリンエンジンに迫るパフォーマンスを発揮する。
それは14:1という量産NAエンジンばかりかF1でも未踏の高圧縮比によってもたらされるのですが、現時点の日本ではその数値をレギュラーガスで得ることはできません。圧縮比14は、95RONのレギュラーガスを前提としているためで、91RONの日本のレギュラーでは圧縮比は13に止まってしまう。『どうか皆さんの力で日本のレギュラーガソリンも95RONなるように政府に働きかけて下さい……』開発陣の本気とも冗談ともつかない要請に、そういう根源的な問題があるわけだ……あらためてエネルギーのあり方の複雑さを思い知った。
同じような話はディーゼルにもあるわけです。11年前の石原東京都知事のパフォーマンスに始まった東京都の『ディーゼルNO作戦』当時、黒煙やパティキュレート(PM)の原因となる軽油に含まれる硫黄分は98年で500ppm(Parts Per Million:百万分率=0.05%)、翌99年には350ppmとなり、その後コモンレールディーゼルに不可欠と言われる10ppmレベルに低減されている。これはもちろん世界のトップレベルです。
もともと2%と硫黄分の多い中東産原油を精製する日本の軽油は、北海や北アフリカ産の1%未満の原油をベースにする欧州勢に比べて脱硫にかかるコストが高かった。1989年の中央公害審議会の答申を受けて、それまでの5000ppmを92年2000ppm、97年500ppmと段階的に下げられ、99年の350ppmに至った。92年からの5年間で石油業界が脱硫化に払ったコストは約2000億円に上った。その後の10ppmに至るまでにも相当の投資がなされているとみていい。その優れた燃料を使わない手はないだろう。
この辺の話は、石原都知事が行ったパフォーマンスに疑問を抱き、2000年のdriver5-5号で関係官庁、石油連盟、ディーゼル専業のいすゞやトップメーカーのトヨタ、さらには東京都環境局と隈なく取材した結果に基づいている。今手元にそのコピーがあるわけですが、今読み返しても我ながら良く書いている。いまこういうタフな取材ができるかどうか。編集部に掛け合って、OKが出たら「やりましょう」スキャンしてここに貼ります。
なにが言いたいかというとですね、クルマは燃料がないと走れない。さらにいうと、現在求められている環境性能を満たすためには高度な石油精製技術を必要とする。これから工業化を進め、経済力を高めながら近代的なモビリティを求める国々にとって、先進国並の燃料の生産と供給のシステムを構築するのは容易なことではありません。日本が40~50年前に経験し、現在の中国が直面している石油を前提とした経済成長の負の遺産としての環境悪化を、新興国や発展途上国に負わせて無事に済むでしょうか。
クルマはガソリンで走るのです……クルマがあたりまえの先進国に暮らす者は、それが当然のことであり、何の苦労もなくガソリンが手に入るように考えてしまいがちですが、ここに来るまでの困難を、石油資源の奪い合いが始まろうとするタイミングで半ば押しつけるように望むことはいかがなものでしょう。
有線電話の普及の前に、一気に携帯電話の世界最大保有国に成長した中国に見られるように、何も先進国が辿った歴史をトレースするばかりが未来ではない。いま10億のICE(内燃機関)車が大勢を締めているからと言って、それが増える見込みも、維持できる保障もありません。資源と環境の両面から違う道を探すほうが未来がある。20世紀初頭に当時主流だからという理由で蒸気機関を捨てずに、内燃機関への転換を図らなかったらどうなっていたでしょう。
現在は、石炭から石油以上のエネルギーの大転換が求められている時代。そう腹を括って次を考えたほうが、問題が多いけれど非常に豊かな気持ちを与えてくれるICEのクルマのより健全なあり方が見えてきます。くれぐれも付け焼き刃の、10年前には環境のカの字も口にしていなかった人の緩い話に惑わされないように。今ある情報をかき集めただけでは、長い歴史の中にある変化には対応できません。
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2010/09/23 23:14:22