※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
あのう・・・
旧い建物・・・近代化産業遺産に興味の無い方にとってはつまらないブログ記事かも知れませんが・・・
このブログ記事は中日新聞記事『神戸の廃墟ホテル 文化財登録へ 関係者「負の印象を変える契機に」』について書いてます。
※中日新聞記事引用
文化審議会が、神戸市灘区の山中に立つ旧摩耶観光ホテルを国の登録有形文化財にするよう答申した。一九三〇年完成のホテルは九〇年代に閉鎖された後、時を重ねたたたずまいがマニアらの間で人気になっている。廃虚が文化財になるのは異例で、「負のイメージを変える機会に」と期待する声が上がる。 (中沢佳子)
経年変化こそ価値
「廃虚状態の建物でも歴史的、景観的な価値を秘めていれば文化財に認められる。答申の意義は大きい」。ホテルが登録有形文化財になるのを目指して活動してきたNPO法人「ひょうごヘリテージ機構H2O神戸」の松原永季(えいき)理事は声を弾ませた。
ホテルは地上二階、地下二階の鉄筋コンクリート造りで、幾何学的なアールデコ調の意匠を施した内装が特徴。戦時下は営業停止に追い込まれ、空襲も受けた。六〇年代に改装して営業を再開するも台風被害を受けるなどし、九三年ごろ閉鎖された。その後は映画の撮影などに使われた一方、傷みが激しい上に不法侵入が目立ち、市民有志が保存に乗り出した。二〇一七年からは外観見学ツアーも開かれている。
建造物の登録有形文化財は、歴史的景観に資する建物などが対象。築五十年以上で、保存が必要とされる。国宝と比べて現状変更の規制が緩く、今回の答申を含めて計一万三千九十七件に上る。
ホテルは、夏ごろに正式に登録有形文化財になる見込み。文化審議会に申請するよう市に働きかけた松原さんは「経年変化の魅力を加えた建物の良さを訴えたかった」と振り返る。文化審議会が評価したのも廃虚だからではなく「山上リゾート施設のゆったりとした様相をとどめ、文化的価値がある。同時期のこうした建物も少ない。地元が熱意を持って保存している点も大きい」(文化庁文化財第二課)のが理由だった。
観光活用 モデルに
保存には同市のNPO法人「J−ヘリテージ」も携わった。調査費を賄おうと、前畑洋平総理事は松原さんらとインターネットで資金を募るクラウドファンディングを一七年に実施し、目標を上回る約七百三十万円を集めた。前畑さんは「劣化した建物が文化財に認められるか不安だった。廃虚活用の未来を見学ツアーという形で文化庁に示したのが、効果があったのかもしれない」と振り返る。
世界遺産の長崎市の端島炭坑(軍艦島)をはじめ、廃虚は人々の心をつかむ。愛好家の会「TEAM酷道」を主宰する鹿取茂雄さんは「かつてにぎわった場が廃れゆく光景は非日常感と迫力を帯びている。それが人々を引きつける」と見る。大ホールや食堂を備え、人々が集った旧摩耶観光ホテルもそんな場所の一つ。「訪れた人がどんな憩いの時間を過ごしたか想像するのも楽しい。朽ちた今の光景とのギャップも、さまざまな感情をかき立てる」
廃虚は落書きや放火、不法侵入が絶えない。鹿取さんは今回の答申を負のイメージを拭う機会にと期待し「文化的価値がありながら放置されている建物は各地にある。廃虚の魅力を損なわず保存し、観光資源として活用するモデルケースになってほしい」と語った。
引用終わり
摩耶観光ホテル
いつものことですが…
『引用という名の手抜き』で・・・(^_^;)
※Wikipediaより抜粋引用
摩耶観光ホテル
摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて神戸市灘区の摩耶山中腹に存在したホテル。
摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部、第二次大戦前から戦中にかけて摩耶ホテル・摩耶山温泉ホテル・摩耶山温泉、戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶国際観光ホテル、台風被害などで1967年にホテルの営業をやめ、1970年(昭和45年)頃から1994年(平成6年)頃まで摩耶学生センターなどと称された。摩耶観光ホテル・摩耶学生センターの頃から、マヤカンとも俗称される。設計者は今北乙吉。
現在は廃業してアールデコ風のユニークな建築は廃墟となっており、内部は経年劣化による損傷が激しく危険で立入禁止となっていたが、2017年に摩耶遺跡ガイドウォーク企画の中で外観のみ見学ができるようになった。2021年夏に登録有形文化財となる予定。
概要
摩耶鋼索鉄道が摩耶駅付近に1929年(昭和4年)5月から建設し、11月に営業を開始した。鉄筋コンクリート造で、軍艦を連想される外見から「軍艦ホテル」と呼ばれた。1944年(昭和19年)に第二次世界大戦が激化して、摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線 が不要不急線として運行が停止され、ホテルも1945年(昭和20年)に営業を休止した。
戦時中の空襲により大きな被害を受けたため復旧が遅れ、その後、民間業者へ売却されて、1961年(昭和36年)に全面改装の上で再オープン。内装は1959年(昭和34年)春に大阪で解体された豪華客船「ふらんす丸」より装飾品などを買収し改装された。台風などによる被害で、1967年(昭和42年)頃にホテルの営業を休止し、1974年(昭和49年)頃から学生のゼミ合宿やサークル合宿専用の「摩耶学生センター」として転用されたが、震災前の1993年(平成5年)に学生の合宿所としての使用も停止された。
阪神・淡路大震災で倒壊はしなかったが、建物が大きく損傷したため立入を禁止し、ホテル脇を通る登山道も通行止とされた。
摩耶観光ホテル跡(2009年8月)。2002年時点の画像で屋上にあった煙突は、2004年の台風で倒壊している。また、画像右側の屋上にあったタイヤのようなものも、内部に落ちたのか見受けられなくなっている。
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
摩耶観光ホテル内。
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
「開設当時の摩耶山温泉」とされる写真(1955年出版の文献より)
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
摩耶ロープウェーより(2017年5月撮影)
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
引用終わり
明治~昭和10年代の歴史的建造物が大好きな私にとって、
旧摩耶観光ホテルは『昭和モダン』な外観・・・アールデコ調の内装・・・と
ドストライクな建造物・・・
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
『軍艦ホテル』とも呼ばれたそうですが、私的には豪華客船の船室に似てると思います。
※画像はWikipediaクリエイティブコモンズのパブリックドメイン画像を引用
「ふらんす丸」=
イル・ド・フランス(S.S.Ile de France)より装飾品などを買収し改装されたそうですので、より一層、豪華客船っぽいですね♪
いや、それにしても廃虚であっても国の登録有形文化財へ登録されるのはうれしい限りですよ♪
武漢肺炎(COVID-19)が落ち着いたら訪ねてみたいモノですよ♪
Posted at 2021/04/07 03:25:55 | |
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