なにがネコニャンパリだ…。怒
CAT CITY / THE YELLOW MONKEY
内心、忌々しかった。
私は極度に硬派なイエモンファンかもしれない。
(「イエモン」と呼ぶのに慣れたのも最近だ。(どんだけ。))
いや、本当の本当に正直を述べれば、
再結成以降は別物だと考えている。
いやいや、再結成自体は素直に嬉しかった。
自分の中で最もよく聴いたバンド、当に青春そのものが
帰ってきてくれたのだから。
ただ、『青春』と呼ぶには
彼等も、そして私自身も歳を取り過ぎていた。
新曲はまあ、新鮮味を持って聴けるものの、
再結成後の彼等が過去の楽曲を演っても
「何か違う」感が拭えなかった。
頻繁に上がる最近のライブ映像も
あまり観てはいないのだ。
失望という訳では無いのだが、
「あの頃とは違う…」感を認識するのが嫌だった。
ゆえに再結成後も、依然として再結成前の音源を
変わらず聴いていた。
一体、何が違うのか。
彼等の何が変わってしまったのだろう。
それは『切実さ』ではないかと思う。
若い、ってのは必死である。
いや、オッサンも必死だが、それとは質が違う。
一体、自分が何者か、
何者たり得るのか、
どこまで行けるのか、
世の中に対しどこまで効力を発揮出来るのか。
分からないから藻掻く。
限界が見えないから不安になる。
有り余るエネルギーを持て余す。
答えが欲しいと苦しむ。
オッサンはというと、
それらはもう何となく解っている。
解ってしまっている、という表現が正しいかもしれない。

この頃の彼等のほうがよっぽど迷える子猫ちゃん達である。
当時の映像を観れば、
今尚、ヒリヒリする程の切実さが伝わってくる。
一体、自分達のしている事がどれほど世に受容されるのか。
表現者としての自分達の行為が、如何ばかりのものなのだろうか…!
教えてくれと迫ってくるかの様に、
答えてくれと突きつけるかの様に、
畳み掛けてくるのだ。
再結成後の彼等には、残念ながらそれは無い。
それは至極当然な事なのである。
彼等は求めていた場所へ到達したのだ。
もう、自分達が何者かって、
世に問う必要性そのものが消滅したのだ。
だからもう、
新曲がリリースされたとて、
あまり以前の様な胸に迫る想いで、イエモンの新曲を聴く事は長らく無かったのだが。
そこへ来て今回の CAT CITYである。
なにがネコニャンパリだ…。怒
スマホで聴いた初見の感想がまずソレだ。
フンッ、なんて思いながら距離を置いていたが、
あるときふと、車内で聴く機会が訪れる。
ヲヲッ…!?ヘヴィだな…。
アレ?なかなか良い音じゃないか…。
スマホは情報端末というが、
…盲点だった…。
スマホのスピーカーの表現力とはごくごく限られたもので
特に低音域というのは絶望的である。
とどのつまり、CAT CITY、ちゃんと聴けてなかったのだ。
アレ?格好良いデナイノ。
そこから、やっと興味を持ち、
歌詞を改めて辿った。
嗚呼、コレ、イエモンだ。
ちゃんとイエモンやってる…。
そして彼等が過去持ち合わせていた、其処は彼と無い切実さ、
よくよく聴けばシッカリと携えていてくれたのだ。
「人間だりぃ」
自分が何者かは解ったが、
解ったが上でもやはり生きるってのはラクじゃない。
もうあの頃の赤色巨星の段階ではないが、
それでも静かに燃える表現者の炎を、
限界をそこら中に感じるオッサンも
体感出来た次第である。(*´Д`;)
Posted at 2025/08/07 05:31:37 | |
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