この歳になると様々な別れを経験します。身近なところでいうとやはり父と母に死なれたこと。父は直腸ガンが転移して母は悪性リンパ腫でした。どちらも昭和一桁生まれでしたから特に早死にということでもないのですがやはりしばらくは心にポッカリ穴の開いたような気分――俺のことを一番知っている人が亡くなった――続きました。親戚づきあいがほとんどなかったので次が元も含めて同僚の死です。自殺したS教諭、膵臓ガンのH教諭、肝臓ガンのN教諭、脳内出血のT先生その他大勢...多くは自分が右も左も分からない新米時代に様々なことを教えてもらった恩人でした。これは葬儀に出席した人だけですが式に出席しているうちに「次は自分かな」などと覚悟も決まってくるものなんですかね。それとペットとして飼っていた鳥――オカメインコとかさざなみインコなど――に死なれるとやはりその喪失感には深いものがあります。嫁などはオイオイ泣いてしまい自分もつられて...それから一年経っても夢に出てきます。「その歳でオカメインコ(15年は生きます)をお迎えして最後まで見てやれるのか?」と思い控えていたのですがあるショップでは「万が一の場合は引き取ってくれる」と聞いて心は揺れます。