自壊

　フランス系の国際通信社・AFP通信の日本語版配信記事から『バンクシー代表作、1.5億円で落札直後に自壊 仕掛けシュレッダーで』に注目。

　報道に触れた当初は、作品や事件の背景が読み取れずに、芸術に対する冒涜かとも思ったが、作家の意図が強く反映されているのだとしたら、既にこの顛末そのものがアートである。



　例えばルーヴルに収蔵されている「ミロのヴィーナス」に腕が無く、「サモトラケのニケ」に美貌の頭部が欠けていたからといって、芸術的・歴史的価値が滅失しているわけではない。

　アテネ市内中心部に聳えるアクロポリスの丘を占拠していたオスマントルコは、パルテノン神殿を弾薬庫として利用していたが、そこへ敵軍の砲弾が飛び込み誘爆。屋根は堕ち、屹立する柱は数多く倒れて、創建以来最大の被害を受けてしまった。
　しかし、破壊と劣化のプロセスを経てなお、パルテノン神殿の優美かつ壮大な様は、古代ギリシャにおける文化・文明の水準が如何に高かったかを、我々に雄弁に語る。


　ステンシルとスプレー塗料を用いて、街角の壁面に描かれたバンクシーのアートは、特別に保護されない限り、風雨に曝されて日々薄れ、他の落書きと共に高圧洗浄機もしくはブラストショットで消し去られ、はたまた建物ごと壁面自体が解体されて、いずれ滅失する。

　今回の事件は、そのプロセスに作家自身が直接的に手を下した……と考えれば理解し易い。
　観る者の心に、破壊される様子も含めてインパクトを残すこと、それ自体がアートであり、バンクシー作品の核心なのではないか。


　アートを冷徹な金銭的価値に置き換え、作家の意図など端から無視して取引を遂行し、利益を吸い上げる美術品業界、そして自らの感性を磨くことなく、世間的な評価に迎合して作品を鑑賞する大衆に向けた、大いなる皮肉も込められていたなら、これ以上痛快なことは無い。

　他者の所有物を毀損した罪に問われる可能性はあるが、そもそもが違法行為である街角の落書きに混じって描かれた作品群である。
　バンクシー作品をアートとして認めるのであれば、今回の事件もまた、アートとして認めざるを得ない＝罪には問えないだろう。



　その上で、作家およびオークション関係者に尋ねてみたい疑問がある。

　オークショニアは、組み込まれたギミックに全く気付いていなかったのだろうか。
　真贋判定の有力ツールである、X線検査に掛ければ一目瞭然、仕掛けが分かりそうなものだ。

　そうでなくとも、カッターや送り込み装置・駆動用バッテリーが組み込まれてやたらと重く、かつストリート系のアートには不釣り合いな額装を、訝しく感じたプロがいてもおかしくない。

　これが英国外でのオークションであれば、国外へ持ち出す過程で官憲のチェックを受け、怪しげな機械やバッテリーが組み込まれていることが分かり、仕掛けが無力化されたかもしれない。　　
　今回はバンクシーの本拠である英国々内でのオークションで、取引する美術商が気付かない限り、破壊を防ぎようがなかったものと想像する。


　
　もう一つ、自壊は完遂できなかったのではないか。
　かなりの面積が切り刻まれてしまったが、全てではない。
　作家としては完全に切り刻まれて、ハラハラと散るところまでを意図してはいなかったか。

　当該出品作品は、2006(平成18)年に額装された壁面アートのコピーで、ギミックも含め制作から10年以上が経過している。
　美術館および美術商の倉庫で厳重かつ丁寧に保管されていたとは言え、長期間作動させなければバッテリーの劣化や、送り込み装置の故障が想定される。


　私の疑問がその通りであれば、バンクシーの意志は十分に表明できたが、アートとしては完成を見ていないと町場の芸術マニアは考える