
今回のブログは鉄の部屋になりますが、
通称 国鉄、
正式には「日本国有鉄道」という名の国の公社であった国鉄が1987年に分割民営化してから、今年2012年ではや25年にもなりました。
旅客会社は地域分割の形で民営化され、本州は三会社に分割、北海道・四国・九州の三島はそのまま三島会社となり、現在までそのまま引き継がれています。
それに対し貨物列車は物が移動するので長距離輸送も多く、全国規模の運用でないと難しい面もあって全国一律の形で民営化されました。
国鉄が民営化してからは地域密着ということで車両基地などでのイベントが増えたり、家族が楽しめるような鉄道博物館ができたりしましたが(博物館に来るのに鉄道利用が必要ということもあるでしょう)、JR各社の中でも貨物会社というのは一般の人から見ればあまりなじみがない会社ですが、意外とあちこちでイベントを開催したりしています。
ところで今回訪れたJR貨物の広島車両所、
歴史は古く太平洋戦争の最中の、1943年(昭和18年)の3月に鉄道省広島工機部として開所しました。世界初の海底鉄道トンネルであった関門トンネルが開通(当初は単線)し本州と九州が線路で結ばれた8ヵ月後、列車の往来が増えたせいなのかわかりませんがここが発足したようです。
そして長らく国鉄の車両工場として勤めてきましたが、国鉄の分割民営化によりここはJR貨物会社所属となって今日に至っています。

(JR貨物 広島車両所の正面入口)
さて前置きはここまでとしまして、貨物会社の整備工場ということなのでメインは機関車主体でのご紹介となりますが、もう19回=19年もここで毎年秋口にイベントが開催されてきたせいか、すっかり地元にに知られているようで、とにかく朝から家族連れの来客のすごいこと。
広島が大都会になるのか、あるいは地方都市の部類にはいるのかは分かりかねますが、東京や大阪のような大都会ではないのに来場者はかなり多かったですよ。

(今年2012年度の第19回目となる貨物フェスティバルのチラシ)
ちなみにここのJR西日本の場合は、新幹線を除いて旧国鉄時代の115系や105系電車ばかりで、新車も気動車のごく一部を除いて全く入っていないことから、いろいろな機関車が見学できる貨物会社のイベントのほうが面白味があるかもしれません。
それではこのイベントで展示されていた車両と、工場内に静態保存されている機関車等をこれからご紹介していきます。
なおすべての撮影写真はここには載せきれないので、細かくは車種ごとに分類し当ページ内の「その他 その他」のフォトギャラリー内に掲載し、ここからリンクを貼ることにしました。
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では順に、構内を1周する形でご案内していきたいと思います。
おおよそ登場年代順に並べてみました。
まずトップバッターはいわずもがな、蒸気機関車です。

といいましても、旅客用の代表格であるC62とか、貨物用のD51とかでなしに、
あまりなじみのないD52形式です。
旧国鉄・JRの機関車の形式表示は、
動く軸、つまり動軸が2軸の場合は「B」、3軸=C、4軸=D、5軸=E、6軸=F、8軸=H、とアルファベット順に表記されます。
そして動力源により区別もされていて、蒸気機関車は無表記、電気機関車はエレクトリックの「E」、ディーゼル機関車はディーゼルの「D」となっています。
そして表記の順番は、「動力源+駆動軸数+形式番号+号数」という形になります。
C62なら蒸気機関車で動軸数が3つ、D51なら蒸気機関車で動軸数が4つ、
DD51ならディーゼル機関車で動軸数が4つ、DE10ならディーゼル機関車で動軸数が5つ、
EF66なら電気機関車で動軸数が6つ、EH500なら電気機関車で動軸数が8つ、
といった具合です。形式番号の付け方も直流用、交直流用、交流用とかに分類されていますが、ここでは説明を割愛したいと思います。ご興味のある方は調べてみてくださいね。
で、D52形式ですが国鉄最後の蒸気機関車の形式となった貨物用の機関車で出力も最大の1660馬力だったものの、戦時中に造られたため製造品質が悪かったようで、ボイラー爆発事故も3度起こしたようです。
ここ広島車両所では第1号機であるD52 1を静態保存しています。詳しくは→
こちら
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次にご紹介するのが旧式電気機関車の代表格といえるEF58形式です。
当時主流だった客車の暖房用の熱源を供給するために重油ボイラー(SG)が、機関車に積まれた関係で、独特な優美な細長い車体となりました。

上側の写真は広島車両所内にあったカットモデルですが、
かわいそうに塗装がはがれてボロボロになりかけです。
下側の写真は大宮工場のイベント時に撮影されたようですが(ウィキペディアより)、
車体が綺麗なので合わせて掲載です。
詳しくは→
こちら 。
電気機関車なのにボイラーをわざわざ積むのは矛盾していますが、当時は電化区間が終わると途中で蒸気機関車に付け替えたりしていたし、蒸気機関車から暖房用の蒸気を分けてもらうのは当たり前であったので、客車の設計上いたしかたのないところです。
現在は確認していませんが、恐らく今でもシベリア鉄道の客車は蒸気暖房を使っていると思います。
といいますのは-50℃とかの外気温で、もし電気暖房が故障したり停電したりすればすぐさま死に直結するので、構造が簡単で燃料があればまず大丈夫な蒸気暖房を使っているそうです。
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次はEF59形式です。
型番が先ほどのEF58より後なのに車体はデッキ付きの旧来の形状です。

広島地区の山陽本線上り瀬野→八本松間に存在する急勾配の後押し機関車として、
EF56から改造されました。そのためデッキ付きの旧式となっています。
こちらの写真はフォトギャラに未掲載の写真で、
別の場所に展示されていた車両を撮影したものです。EF59 21号機です。

きれいに塗装されていますね。動態保存なのかは不明ですが。
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次は、ようやく先台車がなくなった現代と同じような動軸配置の機関車、
EF61形式になります。動軸配置が2+2+2の形式=Bo-Bo-Boの台車構造でした。

EF59&EF61の写真と説明は→
こちら
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そしてこれらの静態保存の車両を見学後、
正面入口の方へ行くと“EB66”なる子供向けの乗り物が。

外見はEF66風ですが、
赤色の超小型ディーゼル機関車がけん引して短い線路を往復しています。
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その隣には昔懐かしの2軸貨車のワム・トラが展示されています。
標準色のとび色2号でなしに、広島車両所特有の緑色に塗られていました。

詳細は→
こちら にて。
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このワム・トラ貨車の裏にはミニ鉄道博物館がありまして、
毎年同じ展示物ですが今年はDP1xを持参したので写真を撮りました。
中の様子は
こちら です。

先ほどご紹介したEF58形式のマスコン(マスターコントローラーの略語)です。
マスコンはゲームの“電車でGO”とかでおなじみですが、
こちらは旧式機関車なので、
モーター電流計を見ながら人間カンピューターで運転していたようです。
自動進段装置などはこの頃にはまだ無くて、職人技が生きた時代ですね。
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次にご紹介するのはごく一般的なDD51形ディーゼル機関車です。
今回は一番正面入口に近く、メインの位置に停車していました。
横向きの写真は撮れなかったので、
十何年か前に買ってしまいこんでいたカトーのプラ製HOゲージの模型を撮影。

DD51形式の機関車の詳細は→
こちら です。
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次に小型のディーゼル機関車DE10形式です→詳細は
こちら 。

この機関車は許容軸重の低い軌道が貧弱なローカル線向けです。
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ここのイベントに展示されている動態機関車には
いろいろなヘッドマーク(レプリカらしい)が取り付けられていますが、そのヘッドマーク各種です。

ここのとなりには制帽も置いてあって、
親子連れのお子さんがそれをかぶって記念撮影を盛んにされていましたよ。
こちらの反対側にはここ広島車両所へ出入りする線路が。当然電化されています。
右手にはたくさんの自転車と、交換用らしき車輪が並んでいました。
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次にご紹介するのは私の最も好きな機関車EF66形です。詳細は
こちら にて。

トップバッターの1号機が綺麗に塗装し直されて、ここ広島車両所にて保存されています。
もう老朽化で戦線離脱しているけれど、時たま研修用に動かすこともあるそうなので、
とりあえずは動態保存機というところでしょうか。

正面から撮影。この2枚の撮影のため人が途切れるまでかなり粘りました。
ちなみにEF66の初期車は運転席上のひさしは当初ありませんでしたが、
後日取り付けられました。ひさしがあるほうがかっこよく見えますね。
なお右奥に見えているのが、今回撮影し損ねたEF210-301号機です。
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次は広島車両所の公開されていた研修庫内を簡単にご紹介していきます。
まずは研修庫内の全景です。
まずはコキ51449の車体、そして下写真はその台車部分を近撮です。

「コキ」とは、“コ”は「コンテナ車」の略、“キ”は「25トン以上の積載能力」を表します。
奥へ入っていくと整備中やら交換用車輪がゴロゴロといっぱい。

どうやら電気機関車用の車輪みたいで、電車とかと比べ車輪も大きいです。
まさに鉄の塊といった感じですが、いったいどれぐらいの重さなのでしょう?
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次に展示されていたのは試作車として登場したEF200-901号機です。
900番台はたいてい試作車を表していますが、
JR貨物になってから初の独自設計の直流用電気機関車です。詳しくは→
こちら 。
お次は現在の主力機関車EF210形式の桃太郎です。
岡山機関区に配属されたことからこの名が付きました。詳しくは→
こちら です。

ここでは検修中の写真1枚のみ掲載です。詳しくは案内先のフォトギャラにて。
ちなみにこちらの写真1枚は、撮り忘れたEF210-301号機です。
最初見たときはただのEF210だと思い込んでしまい撮影し損ないました。
よってここでの掲載写真はすでにアップされていたウィキペディアからの借り物です。
どうやら同じ日のこのイベントにて撮影された写真のようですよ。
この新登場のEF210は301号機と300番台を名乗っており、後で調べるとどうやら通常のEF210の機能にプラスして、セノハチ(山陽本線の上り線 瀬野→八本松間)の登り勾配区間の後ろに、後押し機関車として連結する補機の機能を搭載した機関車のようです。
広島の東側に位置する山陽本線の瀬野~八本松間には、幹線の本線上では異例の22.6‰の登り急勾配(カーブ走行による抵抗分も含めた、等価査定勾配では25.3‰となる)の区間があり、重量のある貨物列車は昔から補機をつないでこの区間を克服していました。
下の写真では、コンテナ車の後ろにつながっている赤い機関車がEF67形の補機機関車です。

(いまだに貨物列車にとっての難所、セノハチ : 2009.3.31撮影 ウィキペディアより)
JR貨物が作った6000kwの大出力機関車EF200形の単機で、1100トンの貨物列車の引き出しにも試験では成功しているものの、結局従来からの安定性と輸送力をとれる補機連結でいくみたい?ですね。
さらにこの区間ですが、悪いことに勾配だけでなしにR300(半径300m)のカーブも連なっているのでこれにより速度も制限されていて(貨物なら本則の時速65キロか)、旧国鉄時代に線路自体の付け替えも計画されたが、資金がなくて残念なことにこれは実現しませんでした。
前にご案内したEF59を、これがほどなく老朽化するとEF65等から改造したEF67を補機に使用。このEF67も老朽化してきたため、汎用のEF210に補機としての装備を追加した機関車を登場させたようです。
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余談ですが、
ここの文面を作成中に「221系は瀬野八では使えない」などとあまりにも検索で引っかかったのでひとこと、
221系は過去には勾配区間が続く伯備線経由で米子まで遠征したこともあり、別に115系の2M2T車が普通に走るセノハチ区間を下写真の車両、抑速ブレーキも装備しているJR西日本の221系も普通に走れるはずです。
ちなみに低性能で有名な103系の2M2T車でも、抑速ブレーキが無いだけで登坂性能的には問題ないはずですが、モーター容量自体が無くて設計上登坂能力はかなり劣っているので、運転時分=所要時間がかなり延びることもありセノハチでは使われないようですね。割合平坦な呉線経由でなら三原・糸崎まで顔を出しています。
が、しかし221系の動力機構は、
旧国鉄が設計した211・213系の界磁添加励磁制御(かいじ てんか れいじ せいぎょ)なるものをほぼそのまま採用していまして、これの制御システムに対応したモーター容量は120kwと中央快速線や京阪神緩行線の旧来の201系の150kw/軸よりも残念ながらかなり小さいのです。

(JR西日本 221系電車 : 2006.11.4撮影 ウィキペディアより)
近郊型の211系(性能的には205系も同様)が作られた頃は、まだ幹線の駅間距離も長い区間が多かったが、現在は幹線といえども多数駅が作られたところもあり、駅間距離がかなり短くなった区間がありますね。特にJR広島駅より西側にあたるJR宮島口駅あたりまでの区間は、駅の数が国鉄時代時の2倍くらいになったような感じです。
221系はこのモーター容量が小ぶりなのが災いして、本当は瀬野八よりも停車駅が増えて停止からの起動回数が増えた、広島西口近郊での起動加速2.5km/h/sでの各停用の運行に難があるのかもしれません……これはあくまで私の推測ですが。
自然風冷を採用する在来線電車では、起動時にはモーター軸直結の冷却ファンはほとんど回っていないのに、出発抵抗は大きくてモーターへの負荷は高くなりがちで、モーターに大電流が流れるため発熱も大きくなりがちです。
また以前1M2Tを採用した681系が富山地方鉄道の宇奈月温泉や直江津から信越線経由で長野まで顔を出していましたが、この2路線ですが勾配がきつくしかもカーブもきつくて速度も出せないため、モーターの冷却が出来ずにモーターが損傷したらしく、この2路線への乗り入れはほどなく中止されたようです。
特に長野までの路線図はサンダーバード車内の点灯式の案内表示板にも表示されていたので、
モーター損傷は全くの設計外の想定外だったのでしょう。

(681系はくたか 北陸本線 水橋〜東富山 : 2009.5.18 ウィキペディア)

(JR西日本485系スーパー雷鳥 山崎〜長岡京 : 2000.6.1 ウィキペディア)
古い485系の2M1Tや4M2T車両が普通に問題なく走れていたのに、総出力的には変わらなくても動力集中のやりすぎでM車比率の低い車両は、勾配に弱いということが実証された事例ですね。
特急走行路線の勾配路線を持つJR東のスーパーあずさや、JR東海の383系しなのは逆に中容量のモーターを採用してM車比率を高く取っているのはその表れでしょう。

(JR東海383系ワイドビューしなの : 2007.5.12 ウィキペディア)

(八ヶ岳をバックに走行するJR東日本E351系 : 2010.5.2 ウィキペディア)
221系が新快速から完全撤退後、東海道・山陽線筋では現在は主に途中から普通になる快速に使用されていますが、どうやらあくまでうわさによりますと、普通列車として運転すると、起動回数が増えたためモーターの発熱が大きくなって、加速性能は落ちるが限流値(げんりゅうち:モーターに流す電流値)を若干下げたらしいです。
やはり駅間距離が短いところや混雑の激しい路線では、
1067mmの狭軌の線路でもモーター容量が大きく取れるVVVF車が欲しいところですね。

(115系の2倍以上のモーター容量を誇るJR西日本227系電車 : 2015.5.3 ウィキペディア)
同じような理由なのかは不明ですが、混雑の激しい阪和線の223系-0番台車は、モーター自体を登場時の180kwから、223系-1000番台車以降の容量220kwのモーターに全車交換されました。しかも最もモーターに負荷がかかる2M4T編成はなくなり、すべて2M2T編成に組み直されました。
運転本数の多い混雑路線でモーター容量をアップしさらにM車比率も高くしますと、ブレーキ時に回生ブレーキの負担割合が多く取れ、また摩擦係数が絡む空気ブレーキよりもブレーキ特性が安定しているし、変電所の弱い阪和線では変電所の負担を少しでも減らすことができるからかもしれません。
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次にはDD51とかに積載する大型のディーゼルエンジンです。
詳細は→
こちら です。

とにかくでかいです。
左側に人影が写っていますが対比すると大きさが分かると思います。
しかも軽自動車などでお馴染みのターボエンジンでした。
まあトラックとかのディーゼル車でのターボエンジンは普通にあるのですが、
保守的な国鉄が作ったエンジンがターボ採用だったとはチョット意外な気がしますね。
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後は、試作機のみで終わってしまったEF500-901とかの珍しい機関車も。

この機関車の説明と交流電化については、
こちら当フォトギャラリーにて詳しく説明しています→
こちら です。
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最後のご紹介となりますが、今回はEF510の運転席が公開されていました。
その模様は→
こちら です。
EF510形式は直流1500V専用機のEF210を交直流版にして
電化区間でかつ軸重が許せば、全国どこへでも行けるようにした電気機関車です。

こちらの写真は非公開の検修庫の外から撮影した写真です。
非公開なのでロープの外からしか撮影できなかったですね。5号機です。
運転室が公開されていたEF510-6号機を真横から撮影。ちょっと遠すぎですが。
運転室の中です。
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次回のブログの予定は、
今まで使っていた我が愛機、シグマのコンデジDP1xが壊れてしまったので、
このカメラは修理に出して予備機とするべく、
新たにフルモデルチェンジして発売されて間もないDP1メリルを購入したお話。
さらにその次のブログは、
その購入したてのDP1メリルを引っさげて、
会社の同僚と行った、古都京都のライトアップと夜景写真をアップする予定です。