
この記事は、
エンジンとデザインと・・・について書いています。
さて、例の
CX-8の試乗記で書かれていたことがどうだったかを
ボク自身が確認した時点で、その記事、ひいてはそのライターの問題点を記しておきたい。
先ず最初に断っておきますが、書かれている内容がボクの印象と違うから問題だと言うつもりはありません。なぜなら試乗記とは所詮は書く人の主観であるため、彼がそう思ったことをボクが違うと云うことは出来ないからです。(^_^)b
実際に彼が主張する「揺れ」に該当すると思われる挙動はありましたし、1.9tの車重相応の重厚感もありませんから、書かれていること全てが虚偽wではありません。
じゃぁ
何が問題だとボクが考えているのか?
先ずはご参考ですが、かつて
ガッツリ書いた、ボクがジャーナリストと称する人たちに期待する
事実を伝え、真実に迫ることというのを念頭に述べると、以下の通り。
試乗記とはその目的にも拠りますが、良し悪しを判断する前提として商品の狙いなど、背景の正しい理解が必要です。その上で、その意図通りに出来ているか?期待値と現実のギャップの有りや無しやを語るというのがひとつ。
或いはメーカーの意図はそれとして、具体的に市場で競合するであろう他車と横並び比較をして、設定した評価項目で〇や×を付ける、という方法もあります。
今回の記事は競合比較ではないため、造り手の意図と完成度に対する評価か、或いはライター個人の期待値と実車のギャップか、のどちらかになるワケですが、読めば後者であったことは明らかです。
彼の中のベンチマークがなんであったかは判りませんが、それに照らして〇か×かを述べるだけなら、単に自分の好みに対して好きか嫌いかのみ言及すれば良い話です。それじゃぁ我々シロートが愛車を基準に良し悪しを語るのと何が違うの?という話は、まぁ横に置きましょう(苦笑)。
但しこのスタイルを採るのであれば、該当商品の向こう側にある
造り手の哲学うんぬんに言及するのは分不相応という話になります。
逆に、
造り手の哲学まで含めた評価を最新の商品を通じて行う意図であるならば、
先ずその造り手の意図が何なのかを丁寧に紹介した上で、評価結果を述べるべきでしょう。
例えばCX-8ではなくアテンザの昨年の商品改良に関する記事ですが、
アテンザの課題と進化 (ITmedia 池田直渡「週刊モータージャーナル」)
Webページで実に3頁に渡って商品改良に至る背景の説明があり、次の1頁で具体的な商品改良の中身が紹介されています。そして著者が実際に試乗した感想と続きます。
このような構成の記事であれば、仮に著者が指摘した課題が商品の完成度の問題なのか、その背後にある哲学自体の問題なのか、自ずと明らかになる上に一定の説得力を持ち得ます。
以上の観点から問題の記事を読むと、書かれている内容の是非以前に
記事の文章構成の基本が出来ていません。(問題点①)
マツダの目指している
人馬一体の乗り味は難解で(苦笑)、マツダ自身が上手に説明が出来ているとも言い難いのが実情です。故にボクは
一連のブログの冒頭で丸々一本のブログを使って関連情報を紹介したのです。
マツダに物申すつもりであれば、当然これらの背景は全部頭に入っていて然りですが、記事を読む限りではとてもそうは思えません。知っていれば「独特さなんて要らないし、フツーでいい。ナンならどこかのイイののマネでもOK。」なんて失礼なことは、普通の神経では書けないハズです。逆に知らないからこそ無邪気に書けてしまう。つまり
勉強不足。(問題点②)
また、乗り心地と乗り味(操縦性や安定性、他)は基本的にトレードオフの関係にあります。故に高いレベルで両立したクルマが高く評価されるわけですが、もし乗り心地に問題アリとなった場合、トレードオフとなる乗り味に、乗り心地の悪さに目を瞑っても良いと思えるような大きな価値がもしあれば、評価が×とならないケースもあります。もちろん逆のケースも有り得ますが、この二つを天秤に掛けた上での評価はほとんど行われていません。乗り味に関しては本当にサラッと「悪くない。むしろ良いくらい」と書くに留めていますが、背が高くホイールベースも長く重たいCX-8が良好なハンドリングである点と、乗り心地の悪さに関する考察は、ほぼ無いといっていいでしょう。
考察不足は否めません。(問題点③)
彼はこの記事で一体何を成し遂げようとしたのでしょう?上記の物言いもそうですが、記事の中にはCX-8の開発に携わったであろう人たちが憤慨するような、侮蔑と言っても良い表現が頻繁に出てきます。もし彼が商品をより良くして欲しいと願ってマツダに意見する意図があったとしたら、こんな記事の書きっぷりで、マツダ社員が聞く耳を持つと思いますか?
他人から頭ごなしに侮辱を受け、しかし彼の言うことを聞かざるを得ない関係というのは主従関係です。ライターとメーカーに主従関係はありません。良くて対等。同じ業界人として、です。対等な人間が相手に言うことを聞かせるためには、説得力のある意見は当然として、先ず相手に対する敬意(リスペクト)が必要不可欠です。この著者の言い回しは、明らかに
メーカーに対する敬意を欠いています。(問題点④)
自分の上司でも、親会社の人間でもないただのライターからこんな言われようをして、意見を真摯に受け止めて改善に励む人間が果たして世の中にどれだけ居るでしょうか?もうこれはライターというより、
大人、社会人としての彼の常識が疑われます。(問題点⑤)
百歩譲って(苦笑)、メーカーがどう受け止めようがお構いなしに、読者が面白おかしく読んでくれれば良い、と思っていたとします。
個人的にはそれってどうかと思いますけど(^_^;)
先ずCX-8のオーナー、そして現在のマツダ車に乗っているオーナーは絶対に面白くないですよね?何しろCX-8のみに留まらず、マツダのクルマ造りにダメ出ししているワケですから、ボクのアテンザも、アクセラもデミオもCX-5も、CX-3ももしかしたらロードスターも、全部乗り心地は×。そんなクルマで満足しているオーナーはクルマ音痴だ!と言わんばかりですから(苦笑)。
じゃぁ一体、この記事を読んで誰が喜ぶのか?何のために書かれたのか?
勿論、真相をボクは知りませんが、思い当たる節としては、
CX-8の販売好調の報を受けてどうやら企画がされたようですね。最近のマツダ車は欧州車と競合するケースが増えていると聞きます。とすれば、マツダが叩かれて喜ぶのは、欧州メーカーの日本法人でしょうか(爆)。
これは半分以上冗談ですが(^_^;)、
以上の通りで、著者がCX-8とマツダに対してボロカス書いたのに負けず劣らず(笑)、掘り下げれば問題点は色々と指摘出来ます。
加えて書かれていることと、ボク自身が実際に乗って確認した事実とが大きく乖離しているとなったら・・・もう皆まで言わなくてもボクの結論は明らかですよね(^_^;)。
大体、試乗の当日まで試乗車のグレードを勘違いしていたと堂々と書くあたり、仕事に対する姿勢が雑過ぎます。彼は
「
マツダ車はクルマの一番肝心なところ、すなわち乗り心地の快適さの仕上げがどうも雑。「真っすぐ走る」関係のもふくめてザツい。ガサツ。そういうのが多い。」
と書いていますが、
オマエの試乗記の方がよほどザツい。ガサツだろう!って思われるとか、考えないんですかね?A^_^;)
彼は一体
自分を何様だと思っているんでしょう?(苦笑)
実はこのブログを途中まで書いていて気付いたんですが、この森慶太氏というライターは、ボクがブログ中で良い記事の例と紹介した、池田直渡氏と一緒に活動しているようですね(苦笑)。
池田氏は少しジャーナリズム・・・以前に記事の執筆のイロハから指導してあげれば良いのに、、、とマジに思いましたょA^_^;)。
まぁお二人がどういう関係かは解らないのでもしかしたら難しいのかもしれませんが、、、
もし彼の周りに、かなりアカラサマな不出来をちゃんと指摘して直させることのできる人材すらいないとなると、自動車ジャーナリズムの未来はあんまり明るくないですね(苦笑)
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Posted at
2019/02/05 03:13:28