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マルチェロ XXのブログ一覧

2008年11月04日 イイね!

寒い中....

寒い中....
風がピュゥ~ピュ~と

凄く強いので

体感温度はメチャクチャ寒いです...(ノД`)

そんな中...

試したい事と確認したい事があったので

練習場で100球ばかり、打って来ました♪

寒かったけど打ってると丁度良かったかな?

明日...今年最後?になると思われるラウンドなのです...☆

慣れてるコースなので...最後くらいは良い感じで終りたい(*´Д`)

課題は...この時期、難しいグリーン周りかな?

早かったり遅かったり極端なので...

せめて露が落ちてたり、雨が降らないと◎なのだが...

風は強いだろうけど...どうせ曲がるからノープロブレム!(爆)
Posted at 2008/11/04 22:50:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | ゴルフ | 日記
2008年11月04日 イイね!

お口直しに....♪

お口直しに....♪
↓ あまりに

前のブログが固くて難しいので

ウンザリ...した方も多いでしょう♪

お口直しに ...(*´Д`)ハァハァを...♪

このほうが...私のブログっぽい?( ̄m ̄*)
Posted at 2008/11/04 17:18:43 | コメント(6) | トラックバック(0) | (*´Д`)ハァハァ | 日記
2008年11月04日 イイね!

まさに漢!!

まさに漢!!小室さんと並んで...
何かと話題になってる
田母神俊雄航空幕僚長の論文問題と処分
私は内容を読んで...この人は”漢だな”!と思いました!
大筋は...
この方が書いた論文の中で
過去の日本は侵略国家では無かった!...との内容が
政府が今まで示してきた見解と違う!との事で
更迭~早期退職扱いになってる問題です!


田母神俊雄

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留し
ている。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意 された条約に基づいているからである。
我が国は戦前中国大陸や朝鮮 半島を侵略したと言われるが、
実は日本軍のこれらの国に対する駐留 も条約に基づいたものであることは
意外に知られていない。日本は19 世紀の後半以降、
朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが
相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府 から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、
我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に
中国大陸に権益を得て、これを守るために
条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから
条約そのものが無効だという人もいるが、
昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。
邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに
自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、
惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、
その都度蒋介石に裏切られるのである。
実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である
毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、
最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって
1937 年 8月15 日、日本の近衛文麿内閣は
「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようょうし以って南京政府の反省を促す為、
今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると
長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、
少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、
「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄ワック出版)」及び
「日本よ「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、
最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、
これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が
西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、
現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている
「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、
当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、
日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932年1月には3 千万人の人口であったが、
毎年100 万人以上も人口が増え続け1945年の終戦時には
5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、
わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が
2千5 百万人と 約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、
日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、
現地の人々はそれまでの圧政から解放され、
また生活水準も格段に向上したのである。

我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。
日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、
京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。
その後8番目が1931年の大阪帝国大学、
9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった
朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校26期生で、
硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。
日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し
新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。

李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も
陸軍士官学校の29期の卒業生である。
李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で
10歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、
殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりなら
このような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった
溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、
日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると
日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、
列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、
大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって
仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1 次大戦後のパリ講和会議において、
日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、
イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば 当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ
1901年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し
当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、
中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、
この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、
それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、
パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで
対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである
「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党 との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、
36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない
「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数 十万の国民党軍が展開しており、
形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、
それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本
は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今
では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕
掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテ
ルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書
がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。

膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に
青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
ヴェノナファイルとは、
コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたため
アメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。
そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って
解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト
政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の
財務次官ハリー・ホワイトであった。

ハリー・ホワイトは日本に対する
最後通牒ハル・ノート
を書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じて
ルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、
戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、
日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸において
アメリカは日本に対し隠密に航空攻撃を開始していたのである。

ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、
日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上
日本に第1撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば
一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、
当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば
アメリカから第2第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは
白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは
放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で
支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、
多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、
現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年2百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、
そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。
そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、
だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、
武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
このマインドコントロールから解放されない限り
我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば
日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法も
アメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。
日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う
良好な親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は
改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、
我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに
外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが
我が国においては国民に理解が行き届かない。
今なお大東亜戦争で我が国の侵略が
アジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が
大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、
インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、
日本軍を直接見ていない人たちが
日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは
自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけで
この国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。


素晴しい!!今まで思ってた私の持論と一致する!!

後手後手で処分して、もみ消そうとする政府...

選挙の為に揚げ足取って内容には触れない民主党...

臭いモノには...で済んだ事?みたいな自民党...

暴言!と決め付けるだけのマスコミ...

ここでチャンと検証し、襟を正さないと、

国の為に犠牲になった先人達の汚名は消えないまま...の気がします!
Posted at 2008/11/04 14:48:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 世間話 | 日記
2008年11月04日 イイね!

車屋の話

車屋の話
車屋って皆さんは
どんなイメージを持ってるのかしら?

中古車屋から某ディラー、大手販売店...etc
と、車屋業界(ショップも含め)で
もぅ軽く10年以上メシを喰ってるワシなのですが...
嫌でも車関係の話とか、相談が仕事抜きでも来ちゃいます!

先日...知り合いから相談が来ました!
なんでも買取り店にあった車をAさんが買う!事になり
よくよく調べたら...同じ会社のBさんが売却した車だったとか...
50万位で買取りだしたのが、売値が70万とか...そんな感じ!
で...売買契約を済ませてたのも係らず、元値を知ってるAさんは
高い!とか負けろ!とかで揉めてるみたいでした!
まぁ70は相場の値段で高くも無いのですが
元値を知ると人間、スケベ根性が出て高い!と感じるのでしょう♪
今度はキャンセル...キャンセル代...とかまで揉めてました!

う~ん車屋の味方する訳では無いですが
売買契約をしちゃうと手続きされても文句無いので
キャンセル料が発生してもクレーム付けようは無いですし
元値知ってるからって値切るのも気持ちは分かるが...
例えば...
ラーメン食べてみてマズかった!...らば、料金払いませんか?

他に良く、私はお客さんに言いますが、
例えば缶コーヒーや食料品!
スーパーで¥98で売っていても
コンビニでは定価の¥120ですよね?
そこでコンビニで負けろ!とか高い!と文句言いますか?
しかも缶コーヒーはドコで買っても銘柄同じなら同じモノです!
しかしながら缶コーヒーとは違い、
値が張る!車なので慎重になるのも分かるし
車、特に中古車は同じ車は世界に一台しか無いのです!
厳密に言えば...新車だって、全く同じ車種でも一台一台違います!
さらに缶コーヒーと違うのは
見えない経費が車は掛かってる!事。
仕入れた車は一度、自社に名義変更してますし(車検あり!時)
宣伝広告費用やガソリン代、遠方仕入れなら陸送代やら...
他にクリーニングや磨きを掛ける業者も居ます!
なので一概に相場っても装備や中身でも違いますから!
逆に半ブローカー業?の私が成り立ってるのは
こうした諸経費を取り分意外は貰ってない!のと融通が利くからでしょうか?
まぁ駆け引きしたくないし、本音でヤリ取りしたいので
一見さんや営業は、なるべくしないで
知り合いやお客さんとしか商売はしませんが...

乗ってから壊れて揉める話も良く聞きますね!
これは売る方も買う方も半々だと思います!
もちろん!説明不足や騙して売るのは論外ですが
売る側も、壊れない車を売りたい!に決まってます!
しかし電化製品でもあるように機械は必ず壊れます!
洗濯機だって掃除機だって...しかも車は雨でも雪でも使います!
走る機能・音楽機能・冷暖房機能・照明...etc
色んな機能が車には付いてます!壊れない方が不思議です!
新車でも壊れます!壊れるのが遅いだけです!
新車点検時に、お客さんに内緒で部品取り替えたりしてた
T社が昔は問題になった事もありましたし...

さらに新車でも仕入れ値だって同じディラーでも違います!
良くカー雑誌で、この車は値引きがいくらを目指せ!とか
値引き購入を煽ったりしてますが、販売店によって
メーカー直系とか、販売契約台数とかで卸値が違うのです!

だから!一概に安く買う!...のはどうか?とも思います!
もちろん安いに越した事はありませんけど
コレだけ情報社会で安い車は何かしら理由があります!
安い理由と高い理由を説明して貰い、
明確で納得して買えば◎なんでしょう!
あとは人と人の付き合いになるでしょうね?

でも車好き!に車の仕事は嫌になる事が多いです!
弄ったり乗る!のは◎なんですが...
嫌な部分も多く見ちゃいますし醒めても来ます!
案外、車屋で働いてる人ってテキトーな車に乗ってる人多いです!
若い子や弄る人なら拘りますけど...
相場や人目で乗り換える人や動けば何でも良い!が多い!!

なのに...アレコレと話が来るので、
未だにそんな関係の仕事してるワシ...

そろそろ違う商売したい!のですが...( ̄m ̄*)







Posted at 2008/11/04 14:01:33 | コメント(8) | トラックバック(0) | クルマ・ネタ | 日記
2008年11月04日 イイね!

おはよ~!

おはよ~!
おはよ~ございます!

朝イチ...で!

予定してた車が買えなかったので...

今日は予定が無くなりです!(笑)

しかし...小室...落ちたなぁ~!

2回も3回も結婚したりすっからか...?(笑)

当時は総資産100億とか言われてたのになぁ~!

人間、落ちる時は早いモンですわ!

駄目になったら前より騒がれるなんて皮肉だな...

ワシなんて元から駄目!なんで気楽なモンですが...(爆)

さて...何をしようか?

晴れてはいますが

昨日から突風が吹いていて...体感温度は寒い( ;゜Д゜)
Posted at 2008/11/04 11:25:32 | コメント(4) | トラックバック(0) | 色々... | 日記

プロフィール

「コッチ時間で朝8:00~ ビール飲みながら
サッカー観戦!旨い酒になって良かった♪ 」
何シテル?   06/19 23:41
ブログは... なんでもあり!です! 基本、車に関するネタ以外は…他で更新してます! 旧車・単車・外車…ジャンル広く好きです! ...
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