
昨日は夜勤でした。
申し送りを終えて、ご利用者の方に挨拶してたら、「歌丸さんが亡くなったよ」と。
直後テレビでは「笑点」のテーマに載せて訃報を聞くことになりました。
桂歌丸師匠が昨日逝去されました。
たぶん、自分の知るテレビで見る古くからの身近な人物の一人でありました。
「笑点」は生まれたときにはもう既に始まってました。
幼稚園入るか入らないの頃、水色、黄色い、紫色、ピンク色、オレンジ、そして緑の着物を着た人達が座布団の取り合いをする番組を初めて見ました。
それが「笑点」との出会いでした。
その緑色(黄緑)の着物を着た、髪の薄いおじさんが、いちばん端に座っている水色の着物を着たこれまた短髪のおじさんと言い争いをしてました。
歌丸師匠と小円遊師匠(1980年に急死)との出会いでした。
やがて、司会の大柄なおじさん(故・三波伸介さん)が亡くなり、馬面なおじさんになりました。
先代の圓楽師匠です。
その頃には歌丸師匠も真ん中の席になり、隣の木久蔵師匠(当時)や楽太郎師匠(当時)とのやりとりが面白くなってきました。
先代圓楽師匠時代は大規模な入れ替えは無く、現在に至るメンバーになってきました。
先代圓楽師匠が病に倒れ、歌丸師匠が「笑点」の司会になって、今度は軽妙な司会で10年間、楽しませていただきました。
そして、おととし、番組満50周年を契機に降板され、「笑点」の前に「もう笑点」という5分(実質2分)番組に出ておられました。
司会の頃からたびたび入院を繰り返され、いつしか在宅酸素の酸素ボンベが手放されない状態となりました。
鼻にカニューレを入れた姿でテレビ、高座に上がられておりました。
かつて、亡き私の祖母がこんな状態(亡くなるまでの2年ぐらいは)でしたので・・・。
そして、昨日、旅立たれました。
落語家で高座を見にいった数少ない方の一人でした。
地元に(朝日新聞の主催の)木久蔵師匠との二人会があって、大学生の頃父と一緒に見にいきました。
笑点とは違い、なかなか筋の入った一席でした。
最後に宝物を。
このメンバーでもう一度大喜利見たかった。(某2代目さんは抜きで)
ご冥福をお祈りいたします。
あの世で先代圓楽師匠や小円遊師匠と楽しくやってください。
Posted at 2018/07/03 16:15:24 | |
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