2018年11月22日
1998年、その当時で2兆円の有利子負債を抱え「資金ショートは今日か明日か」とまで追い込まれた某自動車会社。
当時の経営者は「改革ガー」と言うダケで何ら有効な施策を出せない無能をさらけ出し、規模だけはデカいが故、何処も救済の検討すらできず。ただ最後の日を待つばかり。
そんな時、ルの付く国外自動車会社から資本と共に送り込まれた今回の容疑者、当時まだ45才の若さでも「経営のプロ、それも超一流」。
着任早々、社内全国駆け回り徹底的に会話を重ね企業とは何かを説く日々。そして同時に「日○リバイバルプラン」でコレをやるからついて来い。
まずやったのは、工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却、人員削減、子会社の統廃合、取引先や原材料仕入れの見直しなどの大リストラ。
こんなの日本人経営者だって矢面に立ち批判を受入れる覚悟を見せれば出来たハズ。やりたくない事でも必要な時にやらないなら連中に経営者の資格無し。
そして残った社員が下向かない様に「卓越した会社」の雰囲気出し、「コミットメント」で個人と会社の繋がりを絵にして見せた。
今は容疑者と呼ばれる事となった「経営のプロ」。彼があの時火中の栗拾いに来てくれたおかげで、十万を優に超える人の仕事が守れその家族も路頭に迷わずに済んだ。この大恩は忘れてはいけない事。
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今日まで全知全能の人がトップに居た会社、こういう組織だと下位の人はいつしかトップのロジック研究し、提案ではなく答え合わせに臨むようになりがち。それで育った人達は「全知全能の人」が去った後「ハテ、仕事ってどうやるんだっけ?」…みたいな事に成らなきゃヨイのですが。
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最初の5年は良かったんですが、その後を継げる人材が育たなかったと言うか「育つ気がなかった」んだろうなぁ。誰かにぶら下がってるのは楽だから。残念な事です。
でわ。(^^)/^
Posted at 2018/11/22 23:17:49 | |
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