
…↑行ってきた。展示された昭和っぽい懐かしいミニチュア世界に中年オジサンは感涙。帰りにTSUTAYAに寄りいくつかレンタル。
観ていくうちにコドモにリセットされたトロけた脳でロードスター各モデルをゴジラ映画に無理繰り例えてみた。
□NA型 「ゴジラ」

初代はやっぱり初代だろう。ニッポンでそれまで怪獣映画なんて無かった。なのでその取り組み方の新鮮さ斬新さがそのまま映画になっている。果敢に挑んで問題解決したという意味で初代はやっぱり初代だと思う。
□NB「ゴジラの逆襲」

NBは二作目だろう。ヒット作の続編は筋運びの内容が今一つ。一作目の厚みが既に希薄。でも撮り方は変わらない。NAとNBはこれを読んでいる我々からすると同じクルマなのでその関係が同じだと思う。
筋運びの内容もリズムも単調なこの映画、でも怪獣同士の対決は個人的には大好き。NBが個人的に大好きなことも似ているような…
□NC「ゴジラ」(1984)

無理繰り例えるならNCは1984年版かな。当時考えられた第1作の最高のリメイク。与えられた環境、技術、条件で第1作を甦らそうとした姿勢はあるべき理想を目指して必死に小さく軽く作り込んだNCっぽい気がする。1984年版は第1作ほど人気があるといえないけれどそうした支持の薄さもNCっぽいと思う。
□ND …もはや書くまでもない
画像も要らない。初代を徹底的にリスペクトして従来のやり口を全て破壊して再構築したあの作品はNDと全く同じだと思う。
自分が今、NDに乗っていてどこかしら引っ掛かる、馴染めないのはクルマの考え方がそれまでと全く違うからということに気付いた。
映画やクルマ作りとしてあの作品やNDは極めて正しいというかそれしかないとは思うものの、受け手であるこっちが好きな世界は昭和なミニチュア世界なのだ。
NC型までのロードスターはクルマと対話しながら走らせることが出来るがND型は対話する必要がない(!)対話出来るのは運転するヒトとクルマの関係が別だから。一体ではない他者(他物?)だからあれこれ考えたり感じたりしないとコミュニケーションが成り立たない。人馬一体はそれぞれ別のものが同じところを目指すというところで生まれたコトバなのだ。我々にとって恐ろしいことを書いてしまうとNDの走りは人馬一体ではない。上手いコトバが見つからないが別々だったヒトとクルマの関係を一体化させたものなのだ。
NDを運転していて常々思うのは
以外にツマらない。クルマとしてどこも主張がしないこと。この味は我々が忌み嫌うあのビッグメーカーと同じではないかという不満だ。
ここは結構、深刻なポイントかもしれない。
なぜなら
人馬一体を究めてヒトとクルマの関係性から垣根を取っ払い一つにするアプローチは正しいから。(あのビッグメーカーはクルマそのものの存在感だけを希薄することにあるのでアフラ・マツダとは似て非なるもの)
結果、それまでのロードスターにあった運転するクルマ感が無くなるのは当然だから。
これは、結構、ヤバいかも。
映画の出来としては褒められたものではないけれどゴジラ映画で私が好きなのはミニチュアのカットがミニチュアのカットとしてわかるチープな方。そのほうが作り物として安心して楽しめる。誰もが認め知っているあの大作のほうはそのクオリティと緊張感から見ていて疲れてしまう。人が入った着ぐるみが街を壊すのは明らかに絵空事だから安心して楽しめるのだ。
ロードスターの人馬一体という考え方はNDで終わった。
我々はその事実からクルマとしての新しい楽しさを導き出さねばならない。
これは結構、ヤバいかもよ。
Posted at 2017/07/30 18:07:10 | |
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