30周年を失念。不覚の至り…
愛され憧れ記憶されるクルマはどこのメーカーにもあるけれどそれをずっと作り続けたところはそうそうないもんね。
ホンダのS600やトヨタパブリカスポーツが同じコンセプトのままで続いていたらマツダの出番は無かったけれど…まぁなんというか…
ロードスター登場以前の時代、そういう小さいスポーツカーはいいね、60年代の丸いデザインはいいね、(S600は丸くはないけれどカッコいい外車は丸かったのさ)という趣味的文化はクルマ好きの常識としてずっとあった。二玄社のカーグラやNAVIをどこのメーカーも読んでいるのかいないのかそれを取り零したのは間違いない。マツダが拾ったのは偶然だけれど支持されるのは必然だったのだ。(クルマ趣味の総本山なアルファロメオやフィアットがやればそれは大絶賛されただろうね。)
ロードスター登場以前のバブル前時代、飽和した情報と現物に我々若い消費者はゲンナリしていた。モデルチェンジされる新しい汗臭いダサいクルマ達は二玄社に時折掲載される旧いクルマの魅力とは無縁だ。メーカーは本当に何もわかっていない…
そういう我々が求める対抗文化としてロードスターは飽和し急速に消費劣化する物とは違う憧れや想いというものを少なからず反映していたのだった。マツダや我々が意識していたわけではないけれど。
対抗文化としてM2も生まれたりしたが失敗した。でも今マツダがやっている企業活動はM2とどこか似ているのが面白い。似ている(お客さんに媚びない)のでマツダ3やブランド戦略は失敗するかもしれないけれど。
ロードスターの文学的存在意義をそれほど意識していたわけではないので
マツダのデザイン研究、クルマ魅力研究は後れに遅れた。ロードスター投入後30余年を得て漸く目覚めた。NB、NCはNAをテンプレートにしてそれをどうリスペクトするかに捕らわれ自情自縛に陥った。911と同じく。NDデザインや今のマツダの企業活動は30余年の成果だといえるだろう。
まぁそうした諸々はともかく取り敢えずロードスターとロードスターを産んだマツダと愛した輩に先ずは感謝だ。
ただ単にコンビニでプリンを買いに走りに行く…
それだけで笑顔になれるクルマはロードスターだけだろう。
30年も本当に本当にありがとう!そしてこれからよろしく!
Posted at 2019/10/20 10:40:54 | |
トラックバック(0)