書店徘徊。小難しい本との出会いを強制的にするのが私の趣味。
街の大型専門書店は私にとってはゲーセンだ。
TSUTAYAだと昭和ゴジラのDVDしか借りないしTipoやカーグラしか買わないだろう。それはそれでいいけれど、親しみ馴染んだものは思考に手垢を残してこれはこれでつまらない。刺激が欲しくなってくる…
取り上げたこの本は内容はシンプル。小難しいこともなくサクサク読める。面白いかどうかは…人による。
時間がない大人の読書は見出しを読むだけで充分で目次と締めを押さえて置くだけでも意味はある。
ざっくり言えば現代ネット上で展開するありとあらゆる主張はタコツボ化を推し進めることすれ多様な主張を受け入れ寛容としてまとめることに繋がらないので主義主張の先鋭化過激化は止まることはないだろう。
なので問題はそうした受け入れ難い主義主張をどこまで我々が許容出来るかということになる。
歴史を俯瞰すると我々が今、当然正しいと考えている民主主義は危険思想な過激なものと捉えられていた時代(←今の香港や中国など)から発展したものでありこの意味において自由とは危険を内包しているものなのだ。
どこの国でも今、この自由は危険視されつつあり様々な問題となって我々の前に現れている。判断や対処を誤れば独善的な全体主義が生まれやすい時代に我々は生きていることを忘れてはならないだろう…
ここまで書いて思うのだが出来の悪いゴジラ映画は能天気だしロードスターは走らせているだけでバカになれる。ワクワクする楽しい気分を世界でシェア出来れば俺の領土とかお前の主張とかどうでもよくなる気がする。敵対的に世界に向き合うのはリアルかもしれないがどこの誰でも何も考えない囚われないコドモ時代があっただろう。
我々大人はそうしたコドモ達に応え得る責任がありそれが今、生きている意味の全部ではないにしろ大半だと考えるべきかもしれないね…
Posted at 2019/11/10 18:11:05 | |
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