ブログタイトルのフレーズは前編に引き続きグリムスパンキーの『吹きぬく風のように』の歌詞から引用してます。このブログを書いてるときも聴きながらツーリングの余韻に浸っております。
では後編スタートです。
10月末、某日。13:30頃です。
しらびそ高原で高所の澄んだ空気と南アルプスの迫力ある眺望を楽しんだあとは再び南下を続けます。
中央構造線である谷間にすぐには戻らず、しばらくは山上のルートを進みます。名称は「南アルプスエコーライン」。山の稜線を行く林道です。
このすぐ先に本ツーリングで一番楽しみにしていた目的地があります。
「御池山隕石クレーター」(御池山=おいけやま)です。ここは日本国内で唯一確認されている隕石孔で、科学的な裏付けを得て公表されたのが2003年です。それ以前の地図にはもちろん載ってません。クレーターの直径は約900m、直径約45mの小惑星が衝突したと推測されています。推定2~3万年前のことで日本がまだアジア大陸につながっていたころです。ただ日本唯一といってもまだ証明されていないものが他に存在する可能性もありますよね。
山の急斜面に出来たために風化が早く、現存している輪郭は約40%です。その輪郭が山の尾根線になっていて、予てから登山者の間では円弧状の不自然な地形からしてクレーターではないかという話が出ていたそうです。この画像だと伝わらないかもしれないですが、窪みと円弧状の稜線を見て取れます。稜線の標高は1,900mくらいです。
南アルプスエコーラインはここが隕石クレーターだと知らずに作ったのでしょうね。クレーター内を通っています。おかげでクレーターの中を走ることができますが、地形の風化だけでなく森で覆われているのであまり実感が湧きません。ここはイマジネーションをフル投入します。
実は学生時代に隕石孔を一度は見ておきたくてバックパッカー旅で海外を回ってるときにわざわざ見に行ってるんです。当時は日本にもあるとは知る由もないわけで。今回のツーリングコースを練るために地図を見ていてクレーターがあると知ったときの衝撃は大きかったです。それこそ心にアルマゲドンな瞬間でした。俺だったら先ほどの高原ロッジで「アルマゲ丼」という不謹慎なネーミングの食事を提供するでしょう。
ところどころに説明書きがあります。この黒い岩もその痕跡なんだそうです。
これも。
爆心からの放射状の衝撃で岩盤に縦筋が入ってます。割れは爆心に向いています。ものすごい圧力です。
フレデフォートのレベルだと大きすぎて地上からでは円弧形状を把握できないし、ツングースカみたいなのだとクレーターができない。御池山クレーターはほどほどでいいじゃないの(笑)
隕石クレーターが偶然にも中央構造線や南アルプスのすぐそばに存在するというのがたいへんな奇跡であり、神秘性を感じます。
宇宙絡みの話題になるとテンション爆上がりで話が脱線して暴走してしまいやすいので、ここは自制してツーリングの話題に戻ります。
南アルプスエコーラインはかつては大展望ルートだったようですが道路わきの草木の背が高くて展望は少なめでした。
また後半区間は通行量が少ないようで路面に小石や枝葉が目立ちました。ほとんどの人はショートカット路に進むのでしょう。
この辺りは「遠山郷」です。「日本の秘境100選」「信州三大秘境」に選ばれている地域です。
日本のチロルと言われる「下栗の里」に着きました。南アルプスエコーラインのすぐ近くにあり、標高950m前後、平均傾斜30度、最大38度という急峻な土地にある集落です。60戸くらいあるそうです。その中でももっとも美しい景観がここ、ヘアピンが連続する九十九折り区間。

(画像:遠山郷観光協会HPから)
ここは現地に行くのではなく少し離れた場所から眺めるのがいいわけです。これは車道から徒歩20分の展望台から撮ったものだと思われますが、車道からも見える場所があるはずでそちらを狙っていました。しかしMy86のカーナビではそこまで詳細なMAPが表示されず、携帯の電波も届かないのでネットで調べることもできず、さらには道脇の草木が伸びていたからか見逃してしまいました。下調べ不足・・・非常に残念です(笑)
せっかく来たので九十九折り区間を通り抜けてみました。激坂でここだけで高低差100mあります。しかも道幅が狭く対向車が来たら詰んでしまいそうです。やはりここは来るのではなく遠くから眺めるのがいいでしょう(笑)
この案内図の本村という部分にあたります。集落からは南アルプスも見えます。
俺が嫌いな柿がいっぱい実ってやがる。ひとこと言わせてください、柿は食べ物とは認めません。でも高所の山村の雰囲気溢れる光景です。
麓へ降りてきてR152に出ました。エコーラインもだし下栗の里からここまでも長く感じました。やっと走り終えました。さきほどの下栗の里は「にほんの里 百選」のひとつですって。時間に余裕があればもう少し周辺を探索して回りたかったです。
遠山森林鉄道、梨本ていしゃば(←ひらがなです)。この地にはかつて山岳鉄道があり、戦時中から33年間走ってました。廃線後の軌道は車道に転用され現存していますがガチ険道です。ここでは始発駅があった場所に800mほど線路を復元し、レストアした当時の車両を展示・走行させています。
旧木沢小学校。この校舎は1932年完成、2000年廃校。程度良く保存され資料館として利用されています。
埋没林。埋没林とは大規模な土砂崩れなどで森林が埋没・水没したものです。ここのは土砂崩れで堰き止められた川に水没したと推測されるもので約1,300年前のヒノキだそうです。そんな古いにも関わらず腐敗しなかったのは水質の良さゆえだそうです。そんな貴重なものを雨ざらしのまま放置しておいてよいのかと疑問に思いましたが、状態の良い樹木はすでに回収され周辺の施設で展示されています。
熊野大橋です。次の目的地へ向かいます。
次の峠に近づくと国道がまた酷道になります。
ここで車道としてのR152はふたたび途切れます。この先に「青崩峠(あおくずれとうげ)」があるのですが石畳が敷かれた秋葉古道があるだけでまだ車道は通じておらず、点線国道・不通国道となっています。現在トンネルを貫通させるべく工事が進んでいます(のちほど言及します)。青崩峠を迂回するルートが傍にあり兵越峠へ向かいます。
県道でやや険道です。
兵越峠(ひょうごし・ひょうごえとうげ)、標高1,165m、展望なし。ここから先は静岡県になります。
ここでは「峠の国盗り綱引き合戦」という郷土イベントが毎年行われています。遠州軍(静岡県天竜区)vs信州軍(長野県飯田市)の各代表チームがここで綱引き合戦を行い、勝つと国境(県境)を1mだけ相手側へ移動させることができるというトンデモなルールです。
いまのところ信州軍が17勝15敗と勝ち越していて、国境を2m移動させています。もちろんこれで行政上の県境が変わるわけではないです。ちなみに遠州軍は9万連勝すれば諏訪湖を奪取できます。信州軍は6万5千連勝すれば太平洋に到達でき、念願の塩の採りたい放題が叶います。
「そこには負けられない戦いがある」 ← 好きなだけやり合え。さぁ、レッツファイッ!
引き続き南下し、麓のR152へ向かいます。この区間もまったくクルマが来ません。対向車・後続車なし。
俺もついに来たぞ、草木ランプ橋・草木高架橋です。ここはかつて高速道路として工事を進めていて、当初は兵越峠の下にトンネルをぶち抜いて高速道路を通そうとしていたのです。ところがここは中央構造線です。地盤が非常に脆く、難工事が続いたことで国土交通省は途中で断念。そして建設途中で放り出された部分がここです。左側の広いスペースが高速道路になるはずだった部分です。高架橋になってます。
この先に草木トンネルが見えます。ここも中央構造線なんですよね・・・ってもう造っちまったのか。しかし不要になったので高速道路になることないまま一般道に降格されました。
草木トンネルを通ってきました。
右のトンネルが不遇な草木トンネル、左が新規工事中の池島トンネルです。兵越峠の下は断念し青崩峠の近くへ計画変更してトンネルをぶち抜こうとしています。工事はどんどん進んでいます。でも・・・そっちも中央構造線ですよね。まじかよ国土交通省。
高速道路建設途中で放棄された橋脚が残されていたはずですが見当たらなかったです。撤去されたのかも。
この秘境の地に高速ができたら雰囲気がガラッと変わってしまうかもしれないですね。景観も交通量も、そして風土も。なので完成前にどうしても来ておきたかったのです。
水窪の町の中心地に来ました。水窪は「みさくぼ」と読みます。
ここでようやく鉄道がありました、飯田線です。水窪駅は町の高台にあります。
駅から見降ろせます。町とは川で隔たっていますが吊り橋でつながってます。
電車来た。2両編成でした。
鉄橋が風景に溶け込んでます。
今朝からずっと走ってきた中央構造線ですが、ここ水窪から南西へと向きが変わり愛知県へ続いていきます。中央構造線とはここでお別れです。ということでようやく陸の割れ目から抜け出ることができるのか・・・とはいきません。ここから先は「赤石構造線(赤石裂線)」が太平洋まで続きます。まだもうしばらく割れ目の中を進んでいきます(笑)
◆マメ知識◆
この「赤石構造線」について。赤石裂線とも言います。今現在ある伊豆半島はかつては本州とは離れていましたが、地殻変動で移動してきて本州に衝突しめり込みました。そして接合部が隆起、それが南アルプスです。現在も毎年4mmずつ標高が成長し続けています。その衝突時に本州の陸地に横ズレも起こりました、それが赤石構造線です。元からあった中央構造線に赤石構造線がつながりました。

(画像:大鹿村中央構造線博物館HPから)
城西大橋から。
第六水窪川橋梁。川の上でカーブするなんて実にエモいじゃないの。
16時過ぎです・・・太陽は山の向こうに隠れ冷え込んできました。明るいうちに全行程をこなすのはもう無理だとわかってしまいましたが、ここからラストスパートかけて一か所でも多く見ていこうと思います。
水窪川に沿って快適な道が続き、適度なワインディングが心地よい区間です。だいぶ暗くなってきました、肉眼だともっと暗い印象です。光量不足でブレやすくなってきました。
大井橋と大井橋側道橋(歩道橋)です。R152とR473の交差点、水窪川と天竜川の合流点にあります。周囲には旧道や何かの遺構や古い集落があり、マニア的には穴場の予感がします。
川沿いに見えるのは放水施設。佐久間第二発電所から地下水路があると推測しましたが実際はどうでしょう。水が合流して泡立って白く見えてます。
大輪橋。沿道に古い商店や食堂があったのが印象に残ってます。営業してるかどうか不明。この辺りはただ通過してしまうのが勿体なく感じました。何もないのではなく「何もない」があります(笑)
天竜川に沿って進みます、快走路です。川幅は広く流れは穏やかに見えます。
瀬尻橋とそこからの眺め。
ドラゴンママ。どういうネーミングだよと。地図に出てくるので気になってしゃーない(笑) 軽食堂でした。この付近では貴重な食事処でツーリング中に立ち寄る人が多いようです。
龍山村立龍山北小学校跡。1970年開校、2004年廃校。
瀬尻の段々茶畑。ものすごい急斜面に強引に作られた感じがします。旧龍山小学校跡のすぐ隣にあります。
この辺りは直線的な区間が多いです。
峰之澤橋。天竜川に架かる吊り橋です。日没前の最後の目的地です。ここまでは明るいうちに来たかったのでギリギリ間に合って嬉しかったです。隣には青谷ポケットパークという数台分の駐車スペースがあります。
渡ってみます。自分の感覚的に長さは150mくらいかなってところでした。川の流れは感じないですが、たまに流れてくる漂流物を見るとやはり流れています。ものすごいゆっくりですけど。
橋から両側の眺め。電線の上にいるのはトンビかミサゴかも。じっとしている姿は優雅でもあり不気味でもあり。
橋の真ん中くらいまで来たらけっこう揺れていることに気づきました。ゆらすなよ~ゆらすなよ~。天竜川に来れたことがとても嬉しいです。
My86が見えます。比べると川の広さがわかります。下流のダムで堰き止められているからでしょう。
昔、GWに天竜スーパー林道をMTBで走ろうと誘いを受けたのですが、自分で計画した八ヶ岳の雪上ダウンヒルのほうに行ったんですよね。そのときはそれでよかったのだけど天竜スーパー林道を未走破のままにしたのは大きな心残りです。クルマでいいので走りたいです(今後への布石か)。
対岸の山の中腹には山村集落と峰之澤鉱山跡があります。1907~1969年にあった銅山で社宅や診療所なども備わり、いまも遺構が多く遺っているそうです。
もう街路灯が点っています。もう日没です。ヒンヤリした夕闇の中、自分ひとりしかいない物静かな吊り橋の上は異世界のようでした。
ここで完全に日没となり、もう真っ暗です。残りの行程を再確認しながら長めに休憩しました。しかし気力も体力もあまり回復しませんでした。もうクタクタです(笑)
秋葉ダム。暗くて堤体しか見えませんが記念に来ましたよっと。
R152のトンネルの中に交差点があり、ここを曲がると秋葉ダムです。警告灯や信号はなく、案内板も小さいので通過してしまいやすそうです。撮影してすぐR152に戻ります。トンネル内の交差点は中州みたいな形状になっていて(意味わかってくれます?)、ミラーがあったけど見通し悪くてちょっと難しい。
途中の道の駅に「夢のかけはし」という長い歩道橋がありますがもう真っ暗なのでスルーしました。全長473m、天竜川に架かっています。鉄道を通すために架けられた橋ですが鉄道計画が消滅してしまい、歩道橋として再整備されました。ライトアップされてたらよかったのに。
「月まで3km」。真っ暗闇の中、浮かび上がる案内板がクール。オモシロスポットです。
船明ダム。船明は「ふなぎら」と読みます。初見じゃ読めないですよねー。
この先のR152はひどく渋滞していました。この周辺も見て回りたい場所がいくつがありましたがすべてパス。時間もないけど体力的に無理。俺はもう疲れ果てている。
天竜浜名湖鉄道の天竜川橋梁。明るい時刻なら撮影スポットとして狙えたはずですがもう暗くて肉眼ではよく見えません。そんなとき不意に車両がやってきました。鉄橋を前部標識灯で浮かび上がらせながら天竜川を渡っていく光景はなんとも幻想的に見えました。えっ、あっ、ちょっと待って、カメラの準備も構図合わせもすべて間に合わない・・・ガタンゴトン・・・車両の音が無情に遠ざかっていく。かろうじて撮れた一枚、ぐぬぬ。
現在18:40。宿には17時到着予定、どんなに遅くても19時には到着しますって伝えてあったのに・・・。でも時速300kmくらいで走れば間に合うかも。
とりあえず宿に電話して大幅に遅れる旨を報告。20時には着けそうだったけど余裕見て20:30到着予定と修正。
駄菓子菓子、宿に着いたの22時・・・いったいどうなってんだ! 俺は絶望的に疲れ衰弱しています。
宿では暖かく迎えてくれました、終始神対応していただいて感謝感激です。おかげさまで心地よい旅の印象となり充足感のある初日となりました。
今日の未明から佐久南から白樺湖を経て、R152で中央構造線と赤石構造線という陸の割れ目を主に走ってきました。しらびそ高原からの迫力ある眺め、こだわった隕石クレーター、他にもたくさんの見所がありました。古道ゆえに史跡も多いのですが本ツーリングでは景観と走破を優先しました。長年気になっていたコースをついに決行できて感無量といったところです。
寝る仕度をしてる間にとっくに日付が変わってます。絶望的にボロクタになってますが今日も早朝出発の予定ですので数時間だけでも寝ておきたいです。宿には起きれたら早朝チェックアウト、起きれなかったらのんびり朝食食べていくと伝えてあります。
もう30時間くらい起き続けています。ベッドの硬さも枕も非常に納得いかなかったけど激しく体力消耗していたので泥のように眠ったのでした。
さぁ、早朝に起きることができるのでしょうか(笑)
DAY2に続く。