磐越24時間耐久ツーリング、後編です。
タイトル「水の郷」というのは自分が走ってきて感じた印象で、心に染み渡るような情景の連続でした。
8月下旬、某日。
夏はまだ終わらない。どんよりした空模様の下、続く炎暑にあえぎながら軽く山を越え、阿賀町へやってきました。ここから先はいよいよタイトルの「水の郷」といったイメージの地域になります。
三川村立綱木小中学校跡。統廃合前の村立。日没後に来たら怖いかもしれない。
長閑な景色の中、快走します。
楊川ダム。ここはぜひとも見ておきたかった。ローラーゲートが15門、けっこうデカくて迫力あります。
堤体から見た下流側と上流側。日本のライン川なんて言われる阿賀野川です。上流側は堰き止められているので水面が近くにありました。
川幅が広く平素は悠久の流れのごとく穏やかな景観だけど、洪水による被害が多発しています。また少し上流側に行くとかつての鹿瀬(かのせ)町があり、水銀流出による新潟水俣病(第二水俣病)の係争が続いています。いまだもって救済と解決の見えない非業の地です。
堤体脇にあった謎の構造物。いったいなんだこれは。とりあえず撮っておくか。
麒麟橋。
旧国道49号線。ここは国道だけどこの先の数キロ区間が災害多発ゆえに通行止めとなっていて、頑丈なゲートで厳重に塞がれています。おそらくこのまま廃道になると思われます。その区間には日本一危険なトンネルとも呼ばれる本尊岩隧道があり、初代・旧・新と二度改変されているがずいぶん荒っぽい手法で作られているようです。行ってみたかったよ。
昭和橋の跡。1929年完成、しかし1980年前後の洪水で流され主塔のみ残ったそうです。国道通行止めのゲート付近にあり、すっかり景色に同化していました。
川と言っても先述の楊川ダムで堰き止められているので流れは非常に緩やかです。しかしだいぶ濁ってますね、数日前に豪雨があったのでその影響かも。
先ほど渡ってきた麒麟橋が見えます。そのあたりは津川河港といって日本三大河港のひとつだったそうですが、ダムができたことで水運が断たれてしまいました。
また麒麟橋を渡って戻ってきました。遠くに昭和橋の主塔が見えます。
夏の忘れ物。
人やクルマの姿はなく、川の流れは実に緩く、静かな空間です。もうしばらくここで寛いでいたい・・・けど暑くてヤバイので移動します。
阿賀町の中心部の津川。狐の嫁入りがなんとやら。町並みには宿場町の名残がありました。河港があった当時はたいへん賑わったそうです。
津川を離れ、次は旧・鹿瀬橋へ。新しい橋が架けられたので旧橋は歩道橋として再利用されています。
老朽化してるので軽量化が施され、路面は金網になってます。川面が見えちゃってちょっと怖いかも(笑) クルマのキーを落としたらジ・エンドなのでカバンに仕舞ってから渡ります。
橋の上から。先ほどから薄々感じてたけど川の水はたぶん生暖かい。
暑いので日陰に停めたかったけど日陰がNeeee! 8月下旬とはいえまだまだ猛暑です。ちょっと散歩しただけで人間が茹ってしまった。冷たいコーラがこの上なく美味しい。「キンキンに冷えてやがる~」と藤原竜也芸をやってみました。
阿賀野川に沿ってどんどん進みます。鹿瀬ダムが見えたけど近寄る道がなさそうなので通過。ローラーゲート20門なのでデカいんですけどね。この河川にはダムがたくさんあるので一つ一つ立ち寄ってるわけにもいかないですし。
この阿賀野川に並走する国道459号線にトンネル・橋・シェッドが連続する区間があり、あとで知ったのですが(しかもつい数日前、笑)それらに和風月名が冠されています。
すべて羅列しますね。
睦月橋、如月隧道、弥生隧道、卯月隧道、皐月橋、水無月隧道、文月隧道、葉月隧道、長月橋、神無月隧道、霜月隧道、師走隧道。
それらの合間合間からは阿賀野川が見え美しい区間なのですが、停車できるスペースもなくあっという間に通過してしまい勿体なく感じました。
睦月橋~如月隧道。トンネルとシェッドが組み合わされている葉月隧道。たまたま撮ってありました。
長閑です。どんより・・・いや雨雲か・・・。これは一雨来るかもね。
インスタ映えスポット、磐越西線の当麻橋梁(2代目)。完成は1929年・・・古い! 手前に初代の橋脚が1本だけ遺ってます。初代の橋本体(鉄骨の部分)はなんと埼玉の秩父鉄道で再利用さているそうです。こんな結びつきがあったなんて。
なお初代の橋脚はもう一本残ってたそうですがH23年豪雨で流されました。この路線も自然災害との戦いの連続です。
阿賀野川と磐越西線に沿って走ります。鉄道橋は景色にすっかり溶け込んでます。
古い消火栓。なんとなく撮っておいた。
川幅は広く流れも緩やかなんだけど河岸は切り立った場所が多いです。
さて、このスノーシェッドの先から福島県に入ります。川の名前は阿賀野川から阿賀川へ変わります(似てて紛らわしい)。
快走♪ 新潟クオリティの幹線道路、最高です。(いや福島だったけど)
この辺りは廃業した大型ドライブインらしき跡が目につきました。かつて大型バスに乗り合っての観光がブームだった時代があり、観光客同士で見栄を張りあうから土産がよく売れたんだそうです。現代はマイカー時代ですからね、ドライブイン文化は廃れました。これも時代の変遷です。
西会津にて。快走を楽しんでたらワイパーが追い付かないほどの大雨に遭遇しました。知らない土地・知らない道で大雨に遭遇するとひどく不安になります。ジモティーは道も路面も知り尽くしてるだろうけど、余所者には辛い。失速しヨタヨタ走ります。というか福島民、かっとばしすぎじゃね?
阿賀川はその先で只見川と分岐します。いよいよ来ました、只見川。今回のツーリング後半の見所です。楽しみで心が高鳴ってきました。
圓蔵寺。ここの景観をとても楽しみにしてました。切り立った崖岩の上に立っていて、その下には只見川。ちなみにここが「赤べこ」の発祥の地なんだそうです。
こちらの画像は柳津町役場のHPから拝借。上の画像と見比べてください。圓蔵寺の下にデッキのような構造の駐車場が写っていますが、平成23年新潟福島豪雨の際にはその直下スレスレまで水位が上がっています。右側の集落は冠水してます。この際、阿賀野川・只見川の流域で車道も鉄道も損壊が多発しました。それから11年を経ても只見線はまだ復旧していません(この日の時点で)。
川霧です。さっきの圓蔵寺の撮影中から気づいていたけど只見川名物の川霧が出ています。自分も見ることができたらいいなとは思っていたけど叶うとは。めっちゃ嬉しい。阿賀野川と違い、こちらは水が奇麗でした。
柳津ダム。H23年豪雨で持ち堪えることができず発電所が浸水し機能停止。現在はすでに修復されて再稼働しています。
このダムから先ほどの圓蔵寺までたったの2kmしか離れてないんですよ。それなのにそんなに水位が上がるなんてもう絶望的な状況だったでしょう。
ここからは只見川と只見線に沿って進んでいきます。
インスタ映えスポット、第二只見川橋梁です。逆光気味になってしまってうまく撮れなかったです。雪降る時期の光景は大変素晴らしいです、ぜひググってみてください。
宮下アーチ三兄(橋)弟。鉄道・国道・県道それぞれのアーチ橋が3つ並んでいます。自分がいる場所もアーチ橋です。
祭りの後の静けさ。
ここは霧幻峡にある早戸駅。秘境駅です。どこがホームなのかと思ったらここでした。ホームまでクルマで入れちゃったじゃないの・・・。川霧が立ち込める中、列車がやってきて乗客がホームに降り立つシーンを想像したらワクワクしました。
「霧幻峡(むげんきょう)」って名前、すごくないですか?(笑) ぜひ画像をググってください。川霧の中をゆっくり進む渡し舟・・・なんという幻想的な光景・・・もう日本じゃないでしょ。
只見線の細越拱橋(眼鏡橋)。ガードレールの影を見るとわかるけど、だいぶ陽が傾いてきています。
雪国スペックの古い小さな集落。この一帯は赤い屋根が多い。
河童くらいいるよな。BGMは井上陽水の『少年時代』でお願いします。
沼沢湖。5,400年前の噴火でできたカルデラ湖です。直径2km、水深は96m。
ここは前からどうしても来たかったのです。とくに何があるってわけじゃないけどずっと気になってました。いいとこだ。日没が近いということもあってか静けさと寂しい雰囲気に包まれていました。通行止め区間があり1時間近くも遠回りすることになったけど来てよかったです。できればもっとゆっくり過ごしたかったよ。
湖畔近くでたまたま見つけた社が印象的だった。鳥居から社に続く苔の生えた参道。ここだけ漂う清涼感がハンパない。それはもとから清涼感のある場所に建ててるからなのか、それとも社を建てたから清涼感が生まれるのか。
尖がってるのは会津のマッターホルン、蒲生岳。この辺りの雰囲気、スイスの山村みたい。
水色の橋は第八只見川橋梁。H23年豪雨で冠水し損傷しましたが修復されました。11年間に渡って運休を強いられていた只見線ですが、運転再開まであともう少し。(このあと、10月から全線運転再開となりました。おかえり只見線。)
この辺りもずっと川霧が出ていました。
もう街路灯が点ってます。この先に本ツーリングの最終目的地である湖とダムと峠の3点セットがあるのだけど、もう明るいうちには到着できないと確信。先ほどの1時間のタイムロスのせいです。
この辺りは夜になれば満天の星に包まれることでしょう。俺もいくらか星景撮影の経験を積んだのでどんな星景写真が撮れるかだいたい想像がつく。タイトルは「銀河鉄道の夜」で決まりだな。撮ってないのに仕上がりを想像してニンマリ(笑)
沼沢湖での痛いタイムロスがあったけど道路がガラ空きだったので快走して少し挽回できた。夕闇ではあるけど湖にはなんとか撮影可能な時刻内に到着できた。撮影を楽しむのはここまで。
長い時間をかけて長い距離を走ってきました。たくさんの景色を楽しんでたくさんの写真を撮りました。充実感や達成感もあります。しかし今現在の疲労が深刻でそれどころじゃない。ボロクタすぎて感慨にふける余裕はないです・・・。
只見湖、向こうに見えるのは田子倉ダム。ダムの下に見えるのは万代橋。先ほどから人もクルマもまったく見当たらない。
しばらく営業してる様子のない土産屋。ここにはかつて来た、4人4台で。そのときも真夏だった。暑いーとか眠いーとかみんな言ってた。たしかここの駐車場でソフトクリーム食べて仮眠したんだった。でも日陰がなくてこんな暑い中で眠れるわけねーだろ!と思ったのは内緒。
万代橋です。ここもH23年豪雨で崩壊したけど復旧されました。
橋から見た田子倉ダム。もうとっくに陽が沈み、空がうっすら明るいだけです。
これからあの山を越えていく。雲がだいぶ低い。たぶん雨だね。疲れ切った状態で気が重くてしかたないけど他にルートがないから行くしかない。
田子倉湖。観光地のはずだけどすっかり静まり返っています。誰もいない。
ツーリングのラストの峠越えです。真っ暗なうえに工事中の区間が多くてとても走りにくかったです。
田子倉駅跡。ここはマニア歓喜の秘境駅だったけど2013年に廃駅になり、いまは扉が閉ざされています。
「六十里越峠よ、私は帰ってきた」。ここは感動的な絶景ポイントで眼下には田子倉湖があるのですが肉眼ではもう何も見えません。暗くて空と地面の境界もわかりません。(ISO上げたら辛うじて写ったけど。)
山の向こうとこちら側で大きな気圧差があるのか、トンネル内を吹き抜けてくる湿気った風に力強さを感じます。物の怪の断末魔のような不気味な音が鳴り響いています。
さっきからずっと誰もいない、誰も来ない。なにもない。電波も入らない。そして俺はひどく疲れきっている。いつもなら闇に居心地の良さを感じる俺なのにこのときばかりは重圧を感じました。激しく拒絶されてる感じです。大粒の雨がフロントガラスを激しく叩きだし、ハイビームも吸い込まれてしまう、そんな暗闇です。
ふたたび新潟県へ入りました。只見線が並走しているはずですが雨と暗闇で見えません。
スノーシェッドの区間だけは雨を回避できてありがたかったです。
峠越えは悪条件ばかりでとても長い時間と距離に感じました。麓へ降りてきて民家の灯りがぽつりぽつりと見えてたときの安堵感はとても大きかったです。
駄菓子菓子、安心するのはまだ早い。
先ほどから貧乏ランプが点いているんです。西会津の付近で給油予定だったけど激しい大雨だったので逃してしまいました。主要道に出て高速のインターへ向かうも開いてる給油所が見つからない・・・。
関越トンネルを抜けた先に赤城高原SAがあり、そこまで行けば給油所があります。ガソリンの残量(推測値)からしてぎりぎり辿り着けると思うので向かうことにします。
しかし、関越トンネルまでは長い登坂区間なんだよね・・・。土砂降りの雨の中、E表示に向かってじりじりと降下していく針の動きに冷や冷やしながら旅を締めくくるのでした(笑)
この感動的な長い一日の想いを若山牧水の有名な短歌を借りて表したいと思います。
「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
磐越24時間耐久ツーリング ~完~
ではまた。