リハビリメニューの一環として選んだのがモータースポーツでした。本質的には町内会の運動会のようなポジションの娯楽イベントです。そこにはスピード・興奮・刺激・高揚感といったものが一切ありません。ごく普通の平凡でありふれた人たちによる退屈で眠くなるようなホビー。しかし大幅なステップダウンが恥ずかしいとかみっともないとか言ってられない状況だったし、過去を絶って新生活を築くには止むを得ない選択でした。何もしないよりは絶対いいでしょ、ってことで。
俺の場合は人車ともに特殊なので世間一般の模倣スタイルは使えません。理解者ゼロの中でドラテクをゼロから自分一人だけで構築していかねばならず、もう完全な一人旅でした。初期のころはトルコンATにもかかわらずMT車のように走らせようとしていて、ちっともうまくいかなかったです。簡単にミッションブローもしちゃったし...。
しかし壊れにくいように強化ATを製作してくれたエンジニアの方から貰ったアドバイスが大きく響きました。構造も特性も目的も大きく異なる装置なんだからMTと同じように走れるわけがない。そこをしっかり理解して装置の特性にあった走らせ方をすれば現状より速く走れるだろうし、周囲のMTとの差もいくらかは縮まるでしょう、と。これがきっかけで好転しだしたのでした。
理解者はいないままでも俺の存在を受け入れてくれる人もいたし、友人知人も増え、またモータースポーツ以外での交流に発展したりと、良いこともたくさんありました。いまになるとこの部分が一番大きな収穫なのかもしれません。
【サーキット】
当初Myシルビアは筑波TC2000・富士スピードウェイ・エビスをターゲットにしたマシンメイクから始めました。でもガソリンとタイヤを激しく消費するだけで、何も楽しくないという感想でした。
しばらくしたころ、通っていた店が申し込み店になったので、アタックシリーズにもよく参加させてもらいました。関東のミニサーキットと群馬サイクルスポーツセンターの2本立てです。腕を磨いたり楽しんだりするだけならパワーに依存しなくて済むコースです。このおかげで幅広く効率よく経験を積むことができたと思います。イベントも活気があってとても盛り上がっていて明るい場でした。
このころの俺は月に2~3回のペースでサーキット通いしていました。タイヤとオイルの消費ペースの早いこと早いこと。
【峠アタック ( in 群馬サイクルスポーツセンター )】
これに参戦するにあたり当初はかなり否定的な反応が相次ぎました。
絶対に無理だ・絶対に有り得ない、順位を上げようと努力してるのを見て痛々しいとか、どんなに頑張っても最下位が妥当だとまで言われてましたね。面識のない人からも言われたりで、いったい何人に言われたことか。
でもいいんですよ、平凡か平凡以下の人間の発想なんだろうし、その人の場合の自己紹介でしょうから。俺にはまったく無縁です。
徐々に走り慣れ順位が上がりだした頃、その2年間くらいは物理的な攻撃も受けました。出走直前にタイヤの空気を抜かれてペコペコにされたり、車の前に荷物を置かれて出庫できないようにされたり、持参しておいた昼食を隠されたりとか、いろいろありました。走ったらもう俺には敵わないからって走り以外で工作をするというね。しかし、それだけ俺は確実に伸びてきているという自信になりました。その後俺にきつくお仕置きされてその工作員たち(※このブログには写ってない連中です)は二度と俺の前に現れなくなりましたが。
その後の俺は新たな環境に身を移し、よい友人や仲間にも恵まれ、夜な夜な走って鍛え、存分に走りに取り組むことができました。好調に順位を上げ、Myシルビアでも峠アタックでクラス優勝だけでなく総合でも3位までいけました。
実は密かに総合優勝を狙ってましたが、それは叶いませんでしたね。とくに4WDには上手くて速い人もいましたのでそこへ割り入る余地はなかったです。
しかし、一番難解でスリリングな内容をやっていたのは間違いなく俺です。そこだけは果てしなくぶっちぎりです。なんか文句あるっていうような人がもしもいるなら俺と同じこと同じ環境でやってみてくれればいいです。そこら辺のモタスポ民の度胸ではまず無理でしょうけど。
【HCD日本一決定戦】
これは娯楽イベントではありません。そしてこれは過去一番テンションが昂ぶりました。応援してくれたり協力してくれる人も多かったです。それなりの成績が出たことで俺は安堵できたし、本人以上に周囲が喜んでくれたのがとても印象的でした。大会終了後には結果報告を待ちきれない人たちからメールや電話が相次いだのを覚えています。
この日は全員を外様の俺が一網打尽にしてやりたいと思っていて、しかし車両の駆動方式や基礎性能などはなかなか覆せるものではないから、少なくとも2駆では一番にならないとなりませんでした。5年10年15年とやりこんできた著名な先人・猛者が何人も揃っていて、それを外様の俺が5年内に必ず討ち取るっていうのを予てから目標にし公言していたので。
しかし肝心な日にもかかわらず朝から熱が出始めて、不慣れなことも続きストレスまみれでした。午後の決勝のときには心身ともにかなり消耗していたと記憶しています。もうこの日は早々に諦めて手の内は見せずに次年に出直そうかなと思ったりもしました。しかし、この日は優秀な参謀&メカとして友人が随伴してくれていたのが好影響でした。みっともない姿は見せたくないなというのと、かつてはガチファイターであった俺の片鱗を少しだけでも見てもらいたいというのがあって、それで最後まで頑張り切れたのでした。
総合3位。2駆では1位でした。
でも俺に敗れた人数名がその後数年に渡り俺の周辺を執拗に嗅ぎまわったり、中には陥れようとくだらない策を講じてくる人もいて、俺には却って大きな自信になりました。俺がかつて憧れ目標にしていた人が俺に敗れた瞬間にカスに豹変したのにはがっかりしましたが。俺は追う立場から追われる立場になったと確信しました。雌雄は決したのです。そしてもうここは通過点であり振り返らない場所になったのです。
しかし去年今年になって当時のことが大きく再評価されることがあり、俺の今後の活動に大きなアドバンテージをもたしてくれました。その辺のことはまた後日掲載します(たぶんね)。
こんな総集編でさーせん。
ではまた。
Posted at 2020/06/30 22:39:25 | |
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