↑ドライビングシーンがかなり笑えます。
昨日のF1を観ていて、今のF1に特に好きなドライバーがいないな〜、となんとなく思っていました。
取り敢えず3年連続でアロンソを応援していますが…。
ちょっと不可解なベッテルの終わり方はまたFIAの陰謀か?という疑惑がw
歴代のドライバーの中ではワタシが好きなのはなんと言ってもナイジェル・マンセルです。
ドライビングスタイルはもちろんキャラクターも最高です。
数々の逸話は聞いているだけで、マンセルの人となりを表しているようです。
以下Wikiより
1953年生まれだが、現役時代のプロフィールでは1年鯖を読んで「1954年生まれ」と言っていた。
>これは若い方がレーサーとしては良いから。
レーサーになるためエンジニアを辞めた後、マンセルはビルの窓拭きのアルバイト、妻ロザンヌはガス会社のパートをして生計を立てた。F3参戦のため自宅を売り8000ポンドを捻出したが、資金は6週間で底をついた。妻に内緒で売り払ったため、資金がなくなりレースができなくなった際に妻にボロクソに言われた。
>そりゃ言われるわな…
フォーミュラフォードでは首を2か所骨折したが、全治6か月の診断にも関わらず病院を抜け出し、首にギプスをはめてレースに復帰し、その年のシリーズチャンピオンを獲得した。F3で脊椎を傷めた時も、2日後に鎮痛剤を通常の人間の7倍(一説には6倍)打ちロータスのF1走行テストを受けた。ロータスのマネージャーに「事故でひどい怪我をしたそうだが」と聞かれると、「同姓同名の別人でしょう?」と答えた。
デビュー戦の1980年オーストリアGPで燃料漏れで大火傷をした際にハムストリング筋が縮んでしまい、それ以降、歩行に支障が出ている。
1985年シーズンのシート探しの際に、反射神経の良さを見せようと、高く掲げたコインを落とし、テーブルに落ちる前にキャッチする、ということを相手に見せて回っていた。
>それってF1のドライビングと関係あるのか?(爆
1986年メキシコGPは優勝すれば初チャンピオンを決められる状況だったが、パーティーで食べた肉に当たり、レースウィーク中ひどい腹痛に見舞われた。決勝は5位に終わり、悲劇の最終戦オーストラリアGPを迎えることになる。
1987年オーストリアGPはスタートで2度赤旗中断、再レースとなったが、2度目はマンセルの失速による多重クラッシュが原因だった。大迷惑をかけながら優勝したマンセルは、表彰台へ向かうオープンカーに乗っていた。観客に手を振ろうと立ち上がった際、ちょうど車が橋の下を通過しようとしていたため、橋桁に頭を思い切りぶつけてしまい、頭を抱えながら表彰台に上がるハメになってしまった。このレースは前日に親知らずを抜き、鎮痛剤を飲みながらの出場だった。
>レースの前日に親知らずを抜くか、普通w
1987年日本GPのクラッシュは宙に舞うほど激しいものであり、本人も背骨を損傷し呼吸困難な状態に陥った。翌朝集中治療室で目が覚めた際、部屋の隣人が一人、二人と亡くなっていくのを見て「旅は3人でするのが良いと言われているから、自分にもお呼びがかかると思った。後にも先にもこんなに恐ろしい思いをしたことはない」と後に語っている。
エンツォ・フェラーリから直々のオファーを受けた最後のドライバーと言われる。既に病床のエンツォはオファーを出す立場ではなかったとの説もあるが、マンセル自身はエンツォと数回に渡って会食をしており、直々のオファーを受けたとも言っている。
1989年ブラジルGPでは、この年フェラーリが投入したセミオートマチックギアボックスのトラブルなど、マシンの信頼性の低さから、5周程度でリタイアするものと考えていた。この為、マンセルはリタイヤ後すぐに帰国するつもりで、ブリティッシュ・エアウェイズのパイロットに、レーススタートから間もない時間でのロンドン行きのチケットを手配させた。レースは開始してすぐにチームメイトのベルガーが接触リタイア。「次は俺のマシンの番だ」と思い「潰れるなら早い方がいい」とプッシュしていったところ、先頭に立ちそのまま優勝。当然予定していた飛行機に乗れなかった。レース後、表彰台で優勝トロフィーを受け取ろうとしたマンセルは、トロフィーのとがった部分で指を切った。このレースでは、ステアリングホイールが外れそうになり、ピットストップで5本のホイールを交換することになった。
1991年スペインGPでは、チャンピオン争いの渦中にいながら記者とのサッカー大会で左足首を捻挫し、レース出場が危ぶまれた。セミオートマチックシフトのおかげで左足のクラッチ操作が不要になったのが幸いした。
趣味はゴルフで、下積み時代に事故で負傷した際、妻にリハビリとして勧められたのがきっかけ。腕前はハンディ2で、全豪オープンゴルフにアマチュア出場した経験もある。現役時代はバドックで「引退したらプロゴルファーになるのでは」という冗談も囁かれていた。プロゴルファーのグレッグ・ノーマンとは友人で、次男に「グレッグ」の名前をもらうほどの親交がある。
学生時代に習った空手をトレーニングに取り入れ、上地流沖縄空手道協会初段(黒帯)を取得。この試験を受けるためにわざわざ沖縄まで行った。
2003年、ジャージー島の自宅の庭に侵入した不審者8人と格闘し、頭を怪我した。
1992年シーズンの強さに関しては、FW14Bのライドハイトをマニュアル制御して直線速度を稼いでいたという説がある。
1987年のホンダエンジン搭載時の話として、アイドル回転数を1800~2000rpmに設定するセナに対し、マンセルは3500rpmと「ブレーキング時にも回転が落ちない」セッティングを好んだ。
トレードマークであった口髭であるが、最近では「無い方が10歳若くみえる」と言われ剃ってしまった。本人は未練はあったものの、妻にも好評とのこと。
Posted at 2011/11/14 14:37:54 | |
トラックバック(0) |
F-1 | 日記