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2020年01月26日 イイね!

マツダ100周年記念ブログ マツダのブランドストーリー後編

マツダ100周年記念ブログ マツダのブランドストーリー後編前回の続きです。

1980年代末期、バブル期の好景気の流れと勢いに乗り、5チャンネル販売体制(マツダアンフィニユーノスオートザムオートラマ)を敷いて販売体制の強化を図ったマツダではありましたが、 バブル崩壊とともにまたも苦難が襲います。

では、マツダのブランドストーリー後編上映開始です。


第6章 1990年代 バブル崩壊と業績悪化
~ブランド再構築に向けた戦い~


1992年にバブルが崩壊すると、日本経済は急激に冷え込み、国内5チャンネル体制の維持は困難になり、国内は販売不振に陥りました。1979年から資本提携のあったフォードは、1996年に経営状況が悪化していたマツダの持ち株比率を25%から33.4%に引き上げ、再建に乗り出しました。「Change or die (変革か死か) 」というスローガンの下、社内の意識改革とブランドの再構築に着手しました。すでに多くのブランドを抱えるフォードグループにおいて、マツダは自社のブランドイメージを明確にすることを求められました。
この時、マツダ社員とフォードからの出向社員は、「だれもがしあわせになる」という想いが込められたロードスターに象徴される「人馬一体」こそがマツダのクルマづくりの思想であると再認識するに至りました。
1997年には、新ブランドシンボルを制定しました。このブランドシンボルには、「自らたゆまず革新し続けることによって、力強く、とどまることなく発展していく」というマツダの決意が込められました。

この時制定されたブランドシンボルは現在の通称カモメマークとも呼ばれるマツダの新コーポレートマークのフライングMです。

さて、次の頁からは、ブランド再構築により変革を遂げたマツダの快進撃のスタートです。


第7章 2000年代 「Zoom-Zoom」の誕生
~ブランドDNAを体現した商品群~

2002年、全世界におけるマツダブランドの強化の一環としてブランドメッセージ「Zoom-Zoom」を制定し、その展開を開始しました。「Zoom-Zoomとは、ブーブーというクルマの走行音を表す英語の子供言葉で、おもちゃのクルマなどに夢中になった、子供の頃の動くことに対する憧れを表現しています。私たちは、この『子供の時に感じた動くことへの感動』を忘れない人間の集団でありたいと願っています。そしてこれまで培ってきた創造性と革新性により、お客様に『心ときめくドライビング体験』を提供していきます。」と宣言しました。

同年、「Zoom-Zoom」を象徴する商品の第一弾として、プラットホームからエンジンまで新開発したミッドサイズカー「マツダアテンザ」を販売しました。マツダは、この商品の開発に向けて、ブランドDNAを構成する3つの人格として「センスの良い」「創意に富む」「はつらつとした」をまた商品として「際立つデザイン」「抜群の機能性」「反応の優れたハンドリングと性能」を定めました。ブランドDNAを100%体現するという、今までとは全く異なる新しいコンセプトで開発した「アテンザ」は2003 RJCカー・オブ・ザ・イヤーを始め、世界中で評論家やオーナーから高い評価を得ました。

2003年、新世代ロータリーエンジンを搭載した4ドア・4シーターのスポーツカー「マツダRX-8」「マツダアクセラ」、2004年、3代目「マツダロードスター」と、次々にZoom-Zoomを体現した商品を発表しました。

2007年には、持続可能な未来の実現に向けた技術開発の長期ビジョン「サスティナブルZoom-Zoom宣言」を発表しました。マツダは、すべてのお客様に「走る歓び」「優れた環境・安全性能」をお届けし続けるため、「世界のベンチマークになるような革新的なベース技術を搭載したクルマを開発・販売する」ことへの挑戦を始めました。

同年、この宣言に基づいて「進化したZoom-Zoom」を体現した商品の第一弾として「マツダデミオ」を発売しました。走りの楽しさに加えて、クラストップレベルの燃費性能、安全性・快適性を実現しました。

マツダが今後さらに、「走る歓び」「優れた環境・安全性能」高めていくためには、すべてのパワートレインやプラットホームを一新するだけでなく、研究開発から生産に至るクルマづくりのすべてのプロセスの一新「モノ造り革新」が必要でした。従来の常識であった相反する課題の妥協点を探す方法ではなく、技術革新によってそれらの課題を同時に解決するという「ブレークスルー」に全領域で挑戦することで、これまでは考えられなかった大きな進歩を目指しました。

ロードスターとRX-7の間から登場する、黄色いアテンザのCMに衝撃Σ(゚ω゚)を受けた時代からもはや18年なんですね。
この時代アテンザを皮切りにRX-8、アクセラ、ロードスターと次々デビューしてましたね~。RX-8のテレビCMも凄い憧れたな~。DEデミオは一度しか借りる機会はなかったものの良いクルマでしたね。この世代のマツダ車はCMも「Zoom-Zoom-Zoom♪走る歓び~Zoom-Zoom-Zoom♪道は遥かに~♪
Zoom-Zoom-Zoom♪退屈なんか~♪Zoom-Zoom-Zoom♪捨ててしまおう~♪」
←最後だけうろ覚えです( ̄▽ ̄;)



さて、次の頁はいよいよ第6世代商品群 魂動デザイン登場の最終章です。



最終章 2010年代 「SKYACTIV TECHNOLOGY」
「魂動デザイン」全面採用 ~ありたい姿の追求~


2010年、次世代技術の総称である「SKYACTIVTECHNOLOGY」と、その中核となる、エンジン、トランスミッション、ボディ、シャシー技術の概要を発表しました。これらの技術は、2007年に発表した「サスティナブルZoom-Zoom宣言」の考え方に基づき、「モノ造り革新」よって成し遂げた革新的な次世代技術でした。
「モノ造り革新」の結果として、部門の壁やお互いの立場を超え、同じ価値観で協議し、具体的な活動プランを立案できるようになったことで、マツダにしか実現できない技術や商品を手に入れました。


マツダは、ドライバーとクルマの関係を、まるで愛馬と心を通わせるかのように、エモーショナルなものにすることを目指しています。そのための造形を追い求めつづけるのが、2010年の発表以来、継承されてきたデザインテーマ「魂動-Soul of Motion」です。
クルマは単なる鉄の塊ではありません。それは「命あるもの」だとマツダは考えています。生物が目標に向かって動き出す一瞬の強さや美しさ、それがマツダの考える究極のMotion formです。
デザイナー、生産部門、設計部門など全社が想いを共有し、初期段階から議論を重ね、想いの実現に向けた提案を行うことで、成し遂げられたものなのです。

初めて「SKYACTIV TECHNOLOGY」「魂動デザイン」の両方を全面採用した車種は、クロスオーバーSUV「マツダCX-5」です。2012年の発表に際し、「エコが当たり前の時代にマツダは『優れた環境・安全性能』『走る歓び』の両方を、今後発売するすべての商品において実現し、すべてのお客様に提供し続けます」と力強く宣言しました。「CX-5」以降、マツダは「SKYACTIV TECHNOLOGY」搭載した商品を続々とラインナップしています。これらの商品は、世界各国でカー・オブ・ザ・イヤー等数多く受賞し、世界中のオーナーからも高く評価され、現在でもさらなる進化を遂げています。

この頁で、遂に初めて「魂動デザイン」「SKYACTIV TECHNOLOGY」が全面採用されたマツダCX-5が登場し、現在のマツダ車を象徴するソウルレッド魂動デザインを纏ったアクセラデミオCX-3ロードスターアテンザCX-5が並んでおります。

さて、いよいよ次の頁で最後になります。最後のトリを飾るのは次世代ロータリーエンジンを搭載したマツダの夢が詰まったコンセプトカーです。では最後の頁へ


2015 マツダ RX-VISION

2015年、第44回東京モーターショーにおいて、マツダの「飽くなき挑戦」を象徴するロータリーエンジンを搭載したロータリースポーツコンセプト「マツダRX-VISION」を、世界初公開しました。デザインテーマ「Soul of Motion」に基づき、マツダが考える最も美しいFRスポーツカーの造形に挑戦するとともに、次世代ロータリーエンジンの「SKYACTIV-R」を搭載した、マツダがいつか実現したい夢を表現しています。
過去、幾度となく「飽くなき挑戦」で逆境を乗り越えてきたマツダは、これからも理想を掲げ、「ありたい姿、あるべき姿」を追い求めるとともに、お客様に「人とひとつになれるクルマ」を届け続けることをお約束します。


もっともっと、人とひとつになれるクルマを。

クルマは単なる道具ではありません。
その色彩に気持ちが高まり、その輝きに心踊る。
私の思いを汲み取ったかのように、いつも心地よく応えてくれる。
こんな風に心を通わすことができれば、いつまでも、ともに走っていたい存在になれるはず。
人とクルマのかけがえない関係を目指して、
マツダの新しい挑戦が続いています。



Be a driver.




マツダのブランドストーリー 完



番外編 魂動デザインは第2のステージへ

2019年に第2世代の魂動デザインのクルマが発表・発売されました。

この時はMAZDA3のデザインスタディモデルであったカイ(魁)コンセプト


MAZDA3ベースでCX-3CX-5の中間に位置するサイズのクロスオーバーSUVのCX-30




そして昨年末に市販が開始された次世代ガソリンエンジンSKYACTIV-X 時代はEVだ~自動運転だ~となって来ていますが、マツダにはまだまだ内燃機関と走る楽しみを追求して欲しいですね。


2020年の1月30日、いよいよマツダは創業100周年となりました。


今後登場して来ると言われるSKYACTIV-X次世代SKYACTIV-D直6エンジンを搭載した車の登場と


VISION COUPEのような美しいクルマや初代センティアを彷彿とさせる伸びやかで色気があるサルーンの登場に期待したいですね( ´∀`)


マツダの現在のキャッチコピー「美しく走る」を体現するクルマの登場を待ってます。


さすがにアテンザに買い替えたばかりだからしばらくは乗り換え不可ですが(^_^;) 貯金頑張るぞ~


最後に



マツダ100周年記念 おめでとうございます❗


マツダのお膝元である広島県と地元宮城県のみん友さんであり、センティアにお乗りの2人の先輩方の腕時計には負けますが、私の秘蔵のロータリーをイメージした腕時計を紹介します。



前編後編に渡った長いブログを最後まで読んで下さった方ありがとうございました。m(__)m






では(・ω・)ノまた
Posted at 2020/02/01 14:21:09 | コメント(3) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2020年01月25日 イイね!

マツダ100周年記念ブログ マツダのブランドストーリー前編

マツダ100周年記念ブログ マツダのブランドストーリー前編どうも(・ω・`=)ゞこんばんは


本日はマツダ100周年の創立記念日ですね。

というわけで、今日は2017年のマツダファン東北ミーティングで頂いた、冊子「マツダのブランドストーリー」の内容を元にブログを書いていきます。


※ブログ内容中、年代的に不快に感じる可能性がある内容も含みますので、読まれる方は覚悟してくださいm(__)m


また今回は長くなりそうなので、前編後編に分けた2部構成ブログとなります。



ではマツダのブランドストーリー前編上映開始です

マツダのブランドストーリー 目次

目次は1938年から2010年代の魂動デザイン登場あたりまでのマツダの年表を兼ねた内容です。


第1章 1938 Zoom-Zoomの原点
「グリーンパネル」


時は1938年、当時の日本は第二次世界大戦の真っ只中でありました。自由なものづくりが制約される中、東洋工業(現在のマツダ)はマツダGA型「グリーンパネル」という名前の新型三輪トラックを発表しました。ガソリンが希少になる中、排気量を従来の500㏄から670㏄に拡大しつつ、ガソリンは2割以上節約を謳い文句に様々な新技術と従来の3段変速から当時の国内では先端を行く4段変速のトランスミッションを搭載しました。

当時からマツダは先端の技術を市販車に投入して普及することを頑張っていたんですね~( ゜o゜)


また、グリーンパネルの名前の由来ですが、計器パネル全体が緑色だったことが名前の由来だそうですが、もうひとつこのような意味も込められていたそうです。「グリーンは青春幸福平和の代名詞」


確か現在グリーンパネルを社内レストアプロジェクトでレストア中でしたよね。違いましたっけ( ・◇・)?



第2章 1945 廃墟の中からの出発
~a pride of Hiroshima!~

1945年の8月6日、その日は東洋工業の社長松田重次郎社長の70歳の誕生日でした。

東洋工業本社は爆心地から5キロほど離れていた為、建物への被害は少なかったものの、従業員やその家族に多くの死傷者を出し、被爆の混乱の中で会社の操業は完全に停止しました。世界初の原子力爆弾の投下を受けた広島は、今後70年間は植物は育たないと言われるほど、まさに壊滅的な打撃を受けました。被爆中心地から東に向かって逃げてくると、最初にある大きな医療施設は東洋工業の付属病院でした。

当社は救護のために食堂、寄宿舎、その他施設を解放し、また医療品や油類、布類などの備蓄品すべて
提供して被災者の救護、炊き出しを行いました。広島市周辺で相当な規模を持ち、使用に耐えうる建物や設備が残っていたのは市の中心部から5キロほど離れた向洋地区の東洋工業のみでした。建物を完全に破壊された広島県庁の全機構をはじめ、裁判所、NHK広島放送局、中国新聞社などが一時間借りして業務を再開しました。まさに広島の復興は向洋からはじまりました。東洋工業は地元の復興を想い、復興に必要な物資を運ぶための三輪トラックの生産をいち早く再開しようと決意し、原材料の入手が難航する中、原爆投下からわずか4ヶ月後に「GA型三輪トラック」の生産を再開しました。



地元の復興のために、原材料が手に入りにくい中で奔走する(。´Д⊂) 不覚にも自分で本の内容をブログとして書いていて感動してました。現代人が忘れてしまった何かがあるそんな気が…。そして、東洋工業の附属病院って現在のマツダ病院のことですよね?


マツダのブランドストーリー正直ドラマ化して欲しいです。



第3章 1960年代 総合自動車メーカーへ
~業界再編の波とロータリーエンジンへの挑戦~



1950年代後半から1960年代にかけて、日本経済は本格的な高度成長期に入り、小型車を中心にマイカーブームが到来しつつありました。当時、三輪トラックメーカーであった東洋工業も総合自動車メーカーへと大きく飛躍するため、1960年に初の四輪乗用車「R360クーペ」を発表しました。
軽四輪自動車としては日本初の本格的トルクコンバーター式
ATが採用され、価格も競合車と比較して安価であり、日本のモータリゼーションのさきがけの1台となりました。当時社長の松田恒次は、この「R360クーペ」の開発にあたって、乗用車需要の底辺を開拓しよう、と唱え、この方針は「ピラミッドビジョン」と呼ばれました。当時国民の所得階層分布はピラミッド型になっており、安価で手の届く大衆車を開発することで、より多くの人に自動車を届けようとしました。

総合自動車メーカーを目指し、「ピラミッドビジョン」を掲げた頃、日本経済は大きな転換期を迎えていました。グローバルで経済が成長し、資本、貿易の自由化の流れが起き、日本の基幹産業の国際競争力を高める狙いで、国の指導の下に国内の自動車メーカーを再編する動きがありました。この再編論の中で、東洋工業は先行する大手自動車メーカーに吸収合併されるのでは、という噂が囁かれていました。
そこで、自主独立を図るべく、まだ誰も成功していない夢のエンジン「ロータリーエンジン」の実用化への挑戦を決意しました。これは同時に、後発メーカーが技術革新の先駆者としてブランドイメージを向上させる千載一遇のチャンスでした。

R360クーペから始まった4輪自動車の生産、1962年に今も続く伝統ネームの軽自動車キャロル、1964年のファミリア800、1966年のルーチェ1500、そして次頁にはついにロータリーエンジン登場です。


ロータリーエンジンへの挑戦したおいても、大いなる夢とロマンを感じた技術者たちが、不屈のチャレンジ精神を発揮していきました。チャターマーク(波状摩擦)の発生やオイルシール不良など開発の初期段階に致命的とも思える技術課題が次々に見つかり、何度も奈落の底に突き落とされましたが、全力で困難に立ち向かい、粘り強く問題を解決していきました。
コルク製造で培った化学の知見や材料研究、他社には真似のできない工作機部門による専用工作機械の自社開発、他社には当時日本の最先端を走っていた製造部門の鋳造技術、そして各サプライヤが重責を担った関連部品開発など、幅広い領域のメンバー全員が大きな夢を共有し、志をひとつに高い技術力を集結させたこと、これこそが東洋工業がロータリーエンジンの実用化に成功した最大の要因でした。

ドイツNSU社からの技術提携から6年後、ついに世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」が誕生。自動車史上に新たな1頁を刻むと同時に、マツダに高い理想を掲げて挑戦し続けることの大切さ、すなわち「マツダスピリット」を刻む1台となりました。



後に世界で唯一マツダのみが量産をし続けることに成功したロータリーエンジン搭載車第1号であるコスモスポーツが誕生しましたね( ´∀`)
しかし、喜びもつかの間…次の頁では時代の環境の変化がロータリーエンジンに思わぬ逆風をもたらします((゚□゚;)) では次の頁へ




第4章 1970年代 飽くなき挑戦の歴史
~Never stop challenging~

1970年代初頭、米国の厳しい排ガス規制であるマスキー法にいち早く合格するなど、低公害エンジンとしての期待も加わり、ロータリーエンジンは一躍注目の的となりました。しかし第一次オイルショック契機に社会的要求が省資源へシフトすると、燃費の問題が過剰なまでにクローズアップされて状況は暗転しました。性急なまでに拡大展開を図ったロータリーエンジン搭載車の販売は急落し、経営的な苦境に陥ったのです。

戦犯扱いされたロータリーエンジンは、社内でも撤退論まで含む激しい批判に晒されました。しかし長年にわたり数多の自動車メーカーが研究開発を続けてきたレシプロエンジンに対し、ロータリーエンジンの開発はまだ端緒に付いたばかりで、未知の可能性を多く秘めていました。
開発者たちは、今ここでロータリーエンジンを撤退することは、ユーザーやファンへの信義に背き、メーカーとしての社会的責任を放棄することに等しいと考え、撤退論に屈しませんでした。「技術で失ったものは技術で取り戻せ」と、40%の燃費改善を掲げた「フェニックス計画」をスタートさせ、技術開発に心血を注ぐとともに、コンパクトで高出力なロータリーエンジンの特長を最大限に生かした専用車種の企画に注力しました。

技術者は、走りが良く、小型で軽量なロータリーエンジンの性能をフルに発揮できる特徴的なモデルを造るべくプロジェクトに神経を注ぎ込みました。その結果、1978年にフロントミッドシップレイアウトのスポーツカー「サバンナRX-7」が誕生し、北米市場で大ヒットを記録しました。こうしてロータリーエンジンはまさに不死鳥の如く蘇ったのです。

そして1991年、第59回ルマン24時間レースでロータリーエンジンを搭載した「マツダ787B」が日本車として史上初の総合優勝。遡ること1974年から足かけ18年、13回目の挑戦での栄冠でした。

ロータリーエンジンの開発にあたっては先生もいなければ、教科書も、答えもなく、常識すらありませんでした。ロータリーエンジンの行方は、いつもすべてマツダ自身の手に委ねられていました。ロータリーエンジンがマツダにもたらしたものは、単に独自の商品だけでなく、未知のもの、可能性の見えにくいものに対してひたむきにチャレンジし続けることで道が開けるという考え方や「飽くなき挑戦」の歴史であり、そこから脈々と受け継がれた「マツダスピリット」だったのです。


オイルショックにより、一時は絶望の淵に追い込まれそうだったロータリーエンジンでしたが、技術者の方たちの諦めない気持ち、つまり「飽くなき挑戦」によって後に3世代にわたって続くロータリーエンジン専用スポーツカーRX-7が誕生しました。

次の頁では、社名をそれまでの東洋工業からいよいよマツダへと変わる年となる1980年代へと突入します。


第5章 1980年代 「マツダ」として新たな出発
~独自路線による商品ラインナップの拡充~


大ヒットを収めて復活した「サバンナRX-7」発表の他、他社とは異なる個性を持ったクルマづくりを進めていきました。1980年に第1回日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した「ファミリア」をはじめ、ワンボックス型商用車の代名詞ともいわれた「ボンゴ」などのレシプロエンジン車やさらにロータリーターボエンジン車の開発など、独自路線による商品ラインナップの拡充を進めました。
1984年には社名から商品をイメージしやすいように「東洋工業」から「マツダ」へ社名変更しました。

そして1989年には、後に世界でもっとも多く生産されることになる2人乗り小型オープンスポーツカー「ユーノスロードスター」を発表しました。
1980年代後半、急激な円高が進行し内需の拡大とともに、日本国内への注目が高まっていました。マツダも、国内における販売網強化の狙いとして、5チャンネル販売体制を構築しました。この強固な販売体制により、ラインナップの大幅な拡充と共に、急激に国内販売台数を伸ばしていきました。


不死鳥の如く蘇ったロータリー車RX-7の大ヒット、そして今のMAZDA3のご先祖様であり、これまた大ヒットした5代目ファミリア、今も販売中のボンゴに、後にギネス記録にも載ったロードスターの登場、バブル期の華やかな雰囲気から誕生し、今でもファンが多い5チャンネル体制化での様々な車種の誕生と明るい話題が続いた東洋工業改め、マツダでありましたが、この後の1990年代、更なる苦境がマツダを襲います(>_<)







盛り上がってきたところですが、ここで第1部完となります。




次回に続きますm(__)m



Posted at 2020/01/30 20:09:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2020年01月11日 イイね!

今日の1台 マツダ デミオ 13スカイアクティブ シューティングスタースポルト

今日の1台 マツダ デミオ 13スカイアクティブ シューティングスタースポルトどうも(・ω・`=)ゞこんばんは

年明けから今日で11日が過ぎましたね。皆さんもう初詣は行きましたよね?私は今日、家族と子供の頃からお詣りに行く塩竈市にある鹽竈神社と志波彦神社へとお詣りして詣りました。


三が日は避けて行きましたが、かなりの人手と駐車場が満車でびっくり、そして早くもどんと祭の準備も(゜m゜;)ウソー


さて、本題であります今日の1台はこちらです。

先代DE型デミオです

ミニカーは数年前にHEセンティアの1/43スケールモデルを出すと話題になったWITS(ウィッツ)というメーカー製です。

あっ、現行DJ型はデミオ改め、MAZDA2だから先々代モデルになるのか?型式はDJだけど…まぁとりあえず先代モデルということで( ̄▽ ̄;)よろしいですか?
ちなみにミニカーデミオのグレードですが、DE最終型あたりに設定された13スカイアクティブシューティングスタースポルトです。確か本物のデミオにはスポルトの他に13スカイアクティブシューティングスターグレイスっていうグレードもありましたよね。DEは初期のカタログしか持ってないので詳しくわからないですけど。

正面から

ボディカラーは私には懐かしのトゥルーレッドです🎵 いや~アクセラ×2台同じ色の乗りましたけど良い色でした。


左右から


ドアミラーとリアスポイラーはブラックアウト仕様です。


後ろ姿です

デミオは初代DWから現行型のDJまで全て代車でお世話になりましたね~。よく借りたのは初代DWと2代目DYでしたけど。


左側にmazdaエンブレム、右側にDemioSKYACTIVエンブレムが付いています。

スポルトの特徴

デミオのスポルトグレードのみグリルやヘッドライトの形状が異なり、ライトは丸目4灯タイプ、グリルもよりスポーティーな横桟タイプになります。
イメージ的にはアクセラのSグレードみたいなグリルですね↓


最近ミニカーと同じシューティングスタースポルトの本物(しかもトゥルーレッド!)を初めて見掛けたのですが、黒×赤の組み合わせがかっこ良かったですね( ´∀`) DEは一度借りただけで、その後モデルチェンジして代車も居なくなりました( ノД`)…


こちら過去に借りたDYの画像です

アクティブマチックに若干不具合ありでしたけど、スポルトは良かったですね。多分今まで借りたデミオでは唯一の1500㏄エンジン車でした。

アクセラで最後に受けた車検の代車のデミオ

きっとアテンザの車検や代車がいる点検の時はMAZDA2が来るんだろうな~ρ(・・、)


最後に全く関係ない話なのですが昨日の夜に


こちらの2台が近々発売するみたいですね。とりあえずFCのカブリオレは予約しました。正直コスモも欲しいのですが、同時発売だと予算が…。多分今年は他にペルソナやベリーサも発売する可能性ありますし。インターアライドさんのページ調べたところ。来月再来月の為に仕事頑張ろうっと♪


今日はDEデミオ 特別仕様車 13スカイアクティブシューティングスタースポルトを紹介しました。




では(・ω・)ノまた
Posted at 2020/01/11 16:46:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 趣味
2020年01月05日 イイね!

初売りには行きませんでしたが

初売りには行きませんでしたがどうも(・ω・`=)ゞ

2020年に入りまして今日で5日目ですね。

ブログの内容は昨日の話になります。
初売りにはもう何年も行っていない私ですが、年明けてから気になったイベント情報がありましてそれがこちら

地元デパート藤崎百貨店で昨日より7日まで開催されております。福よせフェアにございます。

催し物の名前から縁起が良い名前ですし、お正月の三が日過ぎに開催される催し物なので、初売りから一段落ついたであろうタイミングだった為、久しぶりにお正月の期間に仙台市中心部へと出掛けて来ました。


また同時開催でこちら

仙台市の各地で祀られております、七福神様が一同に集まられ出張開帳される催し物も行われておりました。

またとない(当然ながら来年まで)機会でしたので、七福神様全てをお詣りさせていただきました。

そして、七福神様へのお詣りが済んだ後、気になる行列があり、並んでみました。


行列の先で購入させていただいた品がこちら

2種類の開運と厄除けの御守りです。

一つは打出の小槌、もう一つは水晶を持った辰です(私が辰年なので)

また、これはお店の人が教えてくださった話ですが、人はその人の干支によって縁起の良い日(数字)があるそうです。

皆様の干支と護り本尊様はどなたですか?



また購入させていただきました厄除け御守りについても教えてくださった話があります。お店の方曰く「こちらの厄除け護りは一生物になります。悪い言い方をすれば墓場まで持って行っていただいても大丈夫です」




Σ ゚Д゚≡( /)/エェッ!



大切な厄除けの御守りなので常に持ち歩きします。




そして打出の小槌には

画像にあるように沢山の福を呼び込みます縁起物が詰まっております。大黒様と恵比寿様、無病息災を表す6つの瓢箪、勝負事に関わる賽子、大判小判でお馴染みの小判に、無事帰るとの願いが込められた蛙、画像には写ってないですが災い転じて福となすということで南天の実、そして魔を破る矢である破魔矢など多くの縁起物が入っております。




まだ神社へのお詣りが済んでおりませんが、今年も良い年でありますように(^人^)





皆様にも幸せが訪れますように








では(・ω・)ノまた
Posted at 2020/01/05 08:40:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日常 | 暮らし/家族
2020年01月01日 イイね!

2020年 元旦 ご挨拶

2020年 元旦 ご挨拶みんカラの皆様明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いいたしますm(__)m


昨年は、様々な出会いや出来事が多かった1年でした



今年は東京ではオリンピック開催されますし、みんカラ的な話題ではマツダとスズキの2つの自動車メーカーが共に100周年を迎える年でもありますね。


新しい1年もまた、宜しくお願いいたしますm(__)m
Posted at 2020/01/01 11:33:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日常 | 日記

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