
昨日は、アウディのクワトロ(Quattro)は、イタリア語の"4"を表す、クワットロ(クゥァットロ)が語源で、4WD(= 4輪駆動、厳密に言えば、Audiの採用するそれは、フルタイム4輪駆動で、パートタイムではありません)を意味するところまで、書きました。
今回は、アウディ車(社)のクワトロの歴史について振り返ってみたいと思います。
以前のブログで、WWⅡ中までのAudiの誕生からの変遷について書きましたが、以降の歴史も結構、合併やら連携やらイロイロあって、今回はあまり触れません。(アウトウニオン時代を経て、VWグループの一社となる経緯は、また別の機会にでも。)
ただ大戦後の、Audiのブランドを付けた乗用車(FFのミドルクラスセダン)の生産再開は、1965年(小生、まだ2歳です)で、
その4年後の1969年当時の社名は、アウディNSUアウトウニオンです。
これ以降、VWグループの一員として、ミドル~アッパークラスセダンを担当し、
今の"Audi AG"という、社名に正式改名したのは、1985年(小生、新入社員1年目の年)です。
*いつものようにチョと脱線して、豆知識です。
ドイツには、大きく分類して二つの会社形態があります。
まず、AG。Aktiengesellschaft、アクツィエン ゲゼルシャフト、略してアーゲー。
日本の株式会社に相当。
ゲゼルシャフトって、聞いたことありませんか。
たしか、中学の「公民」かなんかの授業で習ったハズです。
「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」。
あの、ゲゼルシャフトです。日本語で、この場合"組合"(会社を含む)といった意味です。
因みに、ゲマインシャフトの方は、"共同体"で、1983年に中曽根総理がレーガン米大統領に言った有名な発言、「日米運命共同体」、
このコトバ、実は元来、ドイツ語の概念で、ドイツ語では、"Schicksalsgemeinschaft"(シックザーレ ゲマインシャフト)となります。(「運命」は、"Schicksals")
この"Schicksalsgemeinschaft"、運命共同体なんて難しく言わなくても、「一蓮托生」ということで理解されてますので、
この中曽根発言は、欧州で大きく取り上げられてた記憶があります。
次に、GmbH。Gesellschaft mit beschränkter Haftung、ゲゼルシャフト・ミット・ベシュレァェンクター・ハフトゥング(とにかく、独語の母音の上に”がついたヤツ( = ウムラウト)は発音がムズかしく、カタカナにしにくい)、略してゲーエムベーハー。
日本の有限会社に相当です。
mit beschränkter Haftung は「有限責任の」を意味します。
と、余談はここまで。
本題に戻ります。
ファーベー(VWの独語読み)の、フツーの中/高級セダン担当だった、Audiにウルトラ一大事が起こります。
あのポルシェのピエヒ博士が、なんとAudi開発部門Topとして乗り込んで(移籍して)来るというではないですか。(1972年のコト)
この博士、908や917の生みの親です。Audiで黙ってるワキャーありません。
乗用車のフルタイム4WD開発に、ガンガン取り組み、邁進します。
【Porsche 908】
【Porsche 917】
当時、4WDは悪路専門、かつパートタイムが主流。
一般に、都市内、都市間移動の乗用車にフルタイム4駆はムカンと考えられてましたが、とにかく、フェルディナント・ピエヒ博士、止りません。
アト、同時にオリジナルな、SOHC5気筒エンジン開発も始めてました。
そしてついに、1980年、"アウディ クワトロ"を世に送り出します。
スペックは、2.2L 直5SOHCインタークーラーターボ、センターデファレンシャル内蔵のフルタイム4駆で、200ps発揮です。
ようやく運転免許取得可能な年齢に差掛っていた小生には、ホントーに衝撃でした。
この頃、クルマの業界はまさに、黄金期だったと思います。(国産でも多くの名車がでましたが、今回は触れません)
今のAudiからは想像しずらい、このカクカクしたデザイン、今みても、何ともカッコイイではありませんか。ホレボレします。
Audiは、量産市販車の"アウディ クワトロ"を誕生させた、その一方で、
レース部門として、"Audi Sport(アウディ スポーツ)"を立ち上げ、
1981年から、このフルタイム4駆の"アウディ クワトロ"をひっさげて、WRC(ワールド ラリー チャンピオンシップ)にチャレンジ、参戦し、まもなく、当時のラリー界で独り勝ち状態になります。
みんなをアッと言わせました。(まぁ、ラリードライバーも超一流だったんですが)
なんせ、フルタイム4駆でラリーに勝てるなんて、みーんな思ってなかったんだから。
ただWRCで、ほぼ無敵だったとは言え、名ラリードライバーの、ハンヌ・ミッコラ(フィンランドのスーパー運転上手い、超絶技巧の女性ラリードライバー)をしても、センターデフ付とはいえフルタイム4駆は曲がりにくそう(常時四輪駆動は、構造上、センターデフで前後の回転差を吸収させないと、タイヤロックして曲がれない)で、クルマも頭を振ってフェイントかけてたのが印象に残ってます。
小生が、学生時代に、ランサーEX1800インタークーラーターボ(アウディ クワトロとおんなじエンジンスタイル、ただランサーは4気筒、FR)を買ったのも、まさに、このアウディ クワトロの影響、ありまくりです。
【Rally Lancer EX 2000 Inter cooler Turbo】
"アウディ クワトロ"、早いだけでなく、スタイリッシュなデザイン、もちろん高かったので、乗ってるヤツ(買える人は金持ち家庭の子)は、当時の女子大生にはモテモテです。
小生の親も、自身もリッチではありませんでした。
ので、必死こいてバイトして貯めたカネと、親からの借金で、早さを追求する(かつカクカクデザインが大好きな)方へ、小生はますます傾倒していきました。
【Lancer EX 2000 Inter cooler Turbo、欧州向け2L、日本向けは1.8Lのみ】
(そーいや、今一息、金持ちに届いていない、中途半端なびんぼー金持ちの、アルピナやハルトゲのステッカーチューンなんかも流行ってたなー)
いつものクセでまた脱線しました。
レース部門として誕生した"Audi Sport(アウディ スポーツ)"でしたが、早くも1983年には、
スペシャルなモデルの開発と生産(Audiのスペシャルなスポーツモデル専用の製造ラインでの生産です)、
そしてレースのサポートを行う、
"quattro GmbH(クワトロ社)"という会社形態に、発展的解消をします。
(ここで出ましたね。GmbH)
ここからが、結論です。
これを言うためだけに、長々と駄文を綴ってきました。
"quattro GmbH"は、"Audi AG"の子会社です。(でした)
"quattro GmbH"は、Audiのスペシャルなクルマ(R8やRSモデル)、及びフルタイム4輪駆動システムを作って、Audiに供給します。(してました)
だから、Audi車の、4WDモデルには、"quattro"の名が冠せられ、車体にはバッジが付けられているのです。(親、子、の関係とは言え、会社間ですので、Audi AGは、quattro GmbHから、同社で作った、4駆部分の製品を買ってる)
ただ、アタマがこんがらかりそうになることが一つあります。
この"quattro GmbH"、今を遡ること、ほんの3年前の2016年に、"Audi Sport GmbH"に、名称変更してるのです。
まずレース部隊の部門名:"Audi Sport"として生まれ、1983年には、"quattro GmbH"として、会社組織として独立、
そして、2016年に、"Audi Sport GmbH"へと会社の社名変更、
しかしでも、ブランドとしての、"Audi Sport"や、"quattro"は、ずーと、使い続けてるという。
でも、これで、すっかりアタマの整理できました、
よネ。