
上官殿の週末勤務シフトが、4週も続けて、オフとなることは滅多のことではない。
(小生は、一般企業勤務なので、完全 土・日 休)
で、
今週の 2021 WK6 も、
WK3、WK4、WK5に引き続き、
上官殿慰労専任官を拝命し、ショーファーとしてO-Lineを駆り、
やはり、
"the three(3) Cs(三密)" 警戒を厳にして、
本日、
2021年2月6日、早朝、
マルナナサンマル(07:30) 発進で、出撃してきた。
本攻撃は、
先週、WK5、古墳・藤原京の時代より、
一気に、
平安・室町・鎌倉時代の時空を、JUMP OVER!
(なんか、J-WAVEのRadio番組みたいだが、チガう。単に飛び越えた、というコト)
しかも、
”back to the ・・・” である。
つまり、
時は、戦国~安土桃山最晩期、
場所は、関ケ原、とその隣の大垣
(でも、よく考えると、WK3は“現代”= ダリ絵画、WK4は“江戸時代" = 東海道・七里の渡し、
先週のWK5は“古墳・藤原京時代”= 談山神社・キトラ/高松塚古墳を、巡っており、
数百年単位で、
時を行ったり来たりの史跡巡りをしてた!)
とする、
作戦名、
「Operation Decisive Battles(オペレーション・ディサァイシヴ・
バトルズ = 天下分け目戦闘ズ)」
と名付けた、作戦行動、
攻撃目標は、
1.関ケ原古戦場跡 - “岐阜関ケ原古戦場記念館”
2.墨俣一夜城址 - “墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)”
の
二拠点。
では早速、
第1攻撃目標:関ケ原古戦場跡 - “岐阜関ケ原古戦場記念館”
現着は、マルキュウサンマル(09:30)
この記念館、まだ出来たばっかりで、とてもキレイなことはもちろん、
先進的である。
グランドオープンは、昨年、2020年10月21日。
これは、まぁ、受験勉強したヒトなら(いや、そうでないヒトも)誰しも、
合戦年が1600年ということだけは知っている(だろう)、
“関ケ原の戦い”、
この開戦日が、9月21日だったので、それにちなみ、そしてついでに新暦に読み替えて、
“10月21日”とした、らしい。
(入場券)

※上官殿と本官小生は、別の図柄。なかなか手が込んでるゾ。
(館内では、
「麒麟がくる」オールスターズがお出迎えしてくれた)
(シアターでは、合戦を追体験できる)

※上映は10分足らずだが、スゴイぞ! これは!!
4DX、と言ってしまうにはまだ一歩届かないが、
席はモーションシートで、シーンに合わせて動くし、風も吹く。
で、小早川秀秋のコエの出演、なんか竈門炭治郎、だったよーな気がしたよーな。
で、シアター、並びに、展示制限エリアに入ってしまうと、
残念ながら、
「撮影はご遠慮ください」、となる。
(制限エリア入口の陣幕)
(ここから先は、一部のコスプレ撮影場所)

※なんか、ハシャいでるように見える、上官殿
と、
(5Fの展望室)
のみでの写真撮影が可能である。
(石田三成陣跡を、め一杯のズームで狙ってみた)
(コッチは、家康の最初陣跡の、桃配山)

※と、言っても、ドコの部分がそうだったのか、すっかり忘れた。ははは...
2時間ほど滞在したら、もう昼前。
第2攻撃目標攻略前に腹ごしらえが必要である。
さぁ、ランチへ向かおう。
ランチは、
またも出ました、Pranzo(プランツォ = イタリアンのランチ)、
そして今回も、ミシュラン ビブグルマン選出、他、あまたAward 獲得店。
その、攻略目標は、
墨俣にお店を構え、
なにより、小生、第3か、第4の故郷(もう、多すぎて順番付けられん)、
以前に暮らした
ピエモンテ州(居住したのは州都:Torino)の料理を愉しめる、本格派イタリアン、
(とーぜん、Caopocuoco Padrone = カポクォーコ・パドローネ(料理長・支配人、
すなわち、オーナーシェフ)は7年間の現地修行済みとのこと)、
3.“A due passi”- “ア・ドゥエ・パッシ”
(英語直訳すると、"two steps away"( = 2歩離れた)になるが、
モチ、想いはソコから馳せる。「すぐ近くの」の意が込められてる)
で、そのPranzo、
(Antipasto = アンティパスト2品)
(Primo piatto = プリモ・ピアットの、パスタ)
上官殿

と、
小生は、

別々のモノをチョイス。
(Secondi piatto = セコンディ・ピアットの、メイン)

Carne = カーネ、つまり、肉、
しかも、エクストラを支払って、ジビエ、それもエゾ鹿の赤ワインローストを、
上官殿と小生でシェア。
アトは、Dolce3種盛り、と、エスプレッソで〆。
お腹も満たされたので、
第2にして、本日最後の攻撃目標へと、
O-Lineを進める。
“墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)”

に、30分ほどで、到着。
ここも見ごたえタップリ!

※現、天皇陛下も皇太子時代にご訪問されてる、ようである。
ここは、写真撮影御免(ご自由に!)であるので、
ほんの、少しだけご紹介。
(墨俣一夜城、について描かれた、江戸時代の、まぁ、マンガ、かな)
(刀、刃)
も、
(火縄銃)

も、
そして、イロイロ一杯、
展示してあった。
ココも見ごたえあったゾ!
そうだ、一番大事なこと忘れてた!!
この、
“墨俣一夜城” を建てたのは、
織田信長公の家来、
草履トリの、最下層、

から、
駆け上がった出世頭、
木下藤吉郎(後の羽柴秀吉、そして、その後の、
太閤・豊臣秀吉)
そして、その木下氏が「一夜にして築いた」即製の木製の城のハナシは、
知ってるヒトも多かろう。
戦国時代以前からも、しょっちゅう、バトルが繰り広げられてた、
交通上・戦略上の要地、
長良川西岸の洲股(墨俣)
に建てられた。
(そして、現代では、“歴史資料館“ に姿、名を変え、今に伝えられている)
アトは、知らんヒトは、もし、興味を持ったら、ググってでも下され。
(景色や良し)

※雪を被った伊吹山

※金華山(1567年 = 永禄10年、信長公居城となって、稲葉山城から岐阜城へと改名)を
遥かに望める。
ここでも、小一時間ほど滞在して、見て回り、
本日作戦の、任務を完了した。
アトは、一路、長良川沿いを、
流れに沿って、河口、つまりは海の方へと、O-Lineを走らせ、
ヒトロクマルマル(16:00) 、無事帰還。
O-Lineを所定のロットに駐機して、
本日の作戦行動を終えた。
以上、
報告である。
Posted at 2021/02/06 22:21:37 | |
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