2012年12月13日
「大胆な金融緩和」があなたの現預金を脅かす コモンズ投信会長 渋沢健氏
衆院選後の新政権発足に向けた「デフレ脱却のための大胆な金融緩和」という掛け声で、為替が円安に転じ株価が上昇した。しかし、「大胆な金融緩和」の意味とは何か。政府の都合によって中央銀行の独立性が弱められてしまったら、健全な金融政策へのガバナンスは果たして利くのだろうか。
12月初旬にワシントンで参加した国際会議で、先進国の財政問題のセッションのときに「過剰な金融緩和によって政府の財政規律が成り立たなくなる弊害があるのではないか」と会場から問いかけがあった。確かにそうだ。仮に、政府が発行する債務を中央銀行が無制限に引き受けることになれば、財政規律が働くわけがない。
この会議のディスカッションで浮かび上がってきた世界の先進国の共通点は、政府・民間のレバレッジ(借り入れ)が高水準のままでは、金融政策頼みの経済成長は期待できないという構造問題だった。お金の量を増やす「マネーゲーム」だけでは価値創造につながらず、価値創造がなければ需要は生じず、需要が生じなければ経済成長がないということになる。
そして、これから大胆な金融緩和へとカジを切ることは、経済社会におけるリスクを軽減するのではなく逆に高めることになる。こうした問題意識について、新政権と国民の双方が理解を深める必要があると痛感している。
リスクのことを「危険性」と訳す人が多いが、例えば2階の窓から飛び降りるのと30階の窓から飛び降りるリスクを比べた場合、どちらが大きいだろうか。おそらく「30階」との答えが一般的だろう。だが実は「2階」なのだ。なぜならリスクの正確な定義は「危険性」ではなく「不確実性」だからだ。
30階の窓から飛び降りれば、確実に死ぬ。一方、2階の窓から飛び降りた場合、当たりどころが悪ければ死ぬかもしれないが、骨を折ったり捻挫をしたり、無傷で済む場合もあるだろう。また、30階の窓から飛び降りる場合は、パラシュートという「ヘッジ」をつかえば無傷になる。ただ、2階からではパラシュートが開く時間がない。つまり30階より、2階から飛び降りた方が不確実性(リスク)が高いということだ。
リスクが「危険性」でなく「不確実性」であると考え直せば、私たち日本人は多くの一般常識を見直す必要がある。例えば、お金とリスク。将来が不安だからといって、日本人は多くの現預金を蓄え込む傾向がある。日本の一般家計は総額で820兆円近い現預金を保有し、日本人は(米国人以上に)世界一の「お金持ち」だ。
■日々忍び寄る「不確実性」
将来の不確実性というリスクに対応することは「ヘッジ」という合理的な行動ではあるが、現預金という不安のヘッジにもリスクが潜んでいる。もちろん「危険」という意味ではなく、現預金の「不確実性」だ。リスクが日々忍び寄ってきていることを、私たち国民は認識すべきだ。
これから、日本の現預金には「価値の保存」の持続性へのリスクが高まる。いままではデフレと円高により、円の現預金の価値は世界で最も成績が良い金融商品だった。過去から確実に一直線で未来が描ければ、円の現預金リスクは今後も問題ない。しかし、未来とは一直線で描けるような確実なものではなく、時代の波のような周期性がある。一般的に想定されていなかったことも起こり得る。特に、政府が「大胆な金融緩和」を実施するのであれば、日本の国民は円の現預金のリスクを直視しなければならない時代を迎えることになる。
価値とは需給によって決まる。古代から金に希少価値があるのは、供給が限られている一方で需要が高いからだ。したがって金は価値の保存には適当な対象となる。ただ、金が世界の地中から絶え間なく噴き出すことがあれば、実用性に優れているとしても価値が高くなることはない。
同じ需給の観点から、日本を含む先進国の現在の金融政策について考えてみよう。お金の本来の役目は経済社会で循環することであり、自由に循環できるからこそ価値がある。一方、「大胆な金融緩和」によりジャブジャブとお金が経済社会に供給されるだけで、そのお金が停滞し続ければ、需要が増えない一方で供給が増え、お金の価値が下がってしまう。もちろん額面は変わらないが、価値が下がるのだ。
お金を循環させる成長戦略なしに「大胆な金融緩和」を要求することは、国民が将来の不安の「ヘッジ」として抱えている現預金の価値を政策的に下げているという事態に政治家は気付くべきである。
■インフレで困るのはお金持ちではない
「お金の価値を下げるのは物価を上げるリフレ政策であり、デフレ脱却の手法として有効だ」との反論があるだろう。経済学的にはその通りである。しかし、社会学的な側面も大事だ。国民が自分たちの保有している現預金の価値を政府が政策的に下げようとしていることを十分に理解していない状況で、政府が「大胆な金融緩和」という介入に踏み切ることにはモラルハザードを感じる。
インフレ目標の政策を越え、ハイパーインフレ政策が必要だという極端な声も聞こえてくる。しかし、インフレに困るのはお金持ちではない。お金をたくさん持っていれば、インフレによってその分の価値が目減りするが、1人の人間だから食べる量には限りがある。また、日本の場合、お金持ちは現金の比率より不動産や自社株の比率の方が高い。一方、中~低所得層の資産のほとんどは現金になる。インフレが襲いかかってきたら、食べることにさえ困ってしまうのだ。
成長(つまり、新規雇用)なきハイパーインフレに陥ったら、いくら我慢強い日本人でも暴動が日常的になるのではないか。累進課税強化の主張が絶えない日本社会であるが、インフレ政策による逆累進性の方がはるかに深刻な問題のリスク(不確実性)を抱えている。
お金のリスクは量だけではなく、信用という極めて本質的な側面も考えるべきだ。現在の国の一般会計のうち、過去に発行した国債の利払い費用は10兆円弱。これは元本の返済部分ではなく、国家の年間の金利負担だ。将来を担う世代を育てる国の文教費予算の2倍超にあたる莫大な金額が、過去の負債の利払いのために毎年使われているのだ。
■問題が表面化しなかっただけ
現在の長期金利は1%未満だ。例えば、インフレ目標政策が成功して長期金利が3~4%ぐらいが常になる時代を迎えるとしよう。このシナリオの単純計算では、年30兆~40兆円の利払い費用が必要となってしまう。現在の一般会計約90兆円の最大項目である社会保障関係費予算(2012年度の概算で26兆円)をはるかに上回る利払い費用が必要となる。
そのとき、日本政府はどうするのか。日本がギリシャやスペインと同じとは言わないが、私たちは日本の重大な財政問題から目をそらしてはならない。
今まで日本政府は、債務の元本支払いと金利負担をまかなう資金を調達できていたから問題が表面化していなかったにすぎないことに日本国民は気付くべきだ。90%以上の国債が日本国内で消化されているという現状に甘んじてはならない。日本政府が債務調達できないというシグナルを世界に送るだけで、衝撃のリスクが急激に高まるということを想定すべきだ。
払い切れないほど莫大な債務が積み重なった場合、最後に泣かされるのは借りた債務者ではなく貸した債権者――。こうした前例は、人類の歴史の中で繰り返されている。国が破綻した場合、企業と違って領土という存在が失われるわけではない。政府がなくなるわけでもない。国民と国民の生活も残る。失われるのは、国の信用(紙幣や債券)と国民の富(現預金の価値)だ。
■「想定外」と片付けるのはやめよう
このような最悪なシナリオが現実となる可能性は低いかもしれない。しかし、起こったら衝撃的な「ロングテールの分布になる。「想定外」と片付けて思考停止に陥ることは止めよう。
財産が現預金に偏っているのであれば、日本国民は海外資産や持続的に成長できる優良企業の株式など、他の資産に投資リスクを分散すべき――こう考えるのは当たり前のことではないだろうか。
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2012/12/13 17:21:08
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