σ(*´Д`)
ケンちゃんに親しんでいった経緯を紐解くと、
確か、恐らくごく世間一般様と同様、
フツ〜に"Lemon"から入って行ったように思う。
正しくは、ふと"Lemon"の歌詞を改めて読んだ時と思う。
あ、このアーティストは他のアーティストと少し違う詞を書くなと。
で、
息子に半ばつられるカタチで、とはいえそこまで積極的でもなく
ポロポロと過去作に触れた。
ただ、ケンちゃんのはいずれも簡明な作品ではないのと、
ボカロ曲に抵抗も有った為、
そう容易く耳心地よく浸透するモンでもなかった。
モンでもなかったがそんな中、唖然としたのが
この曲、"リビングデッド・ユース"であった。
描かれていたのは、
どうも人と同じ様に行かない自らに違和感が拭えず、
それは自意識過剰と自らを諌めてがんじがらめ。
窮屈で苦しいが助けを求める方法が分からず
不安に苛まれ、独りヨガり続けたあの頃の自分だった。
σ(*´Д`)帰りの会で吊るし上げられたりなどしなかったし、
むしろ至って平和な中学高校時代なのを自覚していたが、
平和な筈なのに何故こんなにも苦しいのだろう、
何故こんなにも気持ちが陰鬱とするのだろう、
明確な原因も無いのに辛いというのは
普通ではないのじゃあないか…。
そしてそれは学生時代を過ぎても続いた。
成人式に参加してみたが不穏な違和感は拭えず、
同級生と何を話してよいか分からず、
式典が済んだらさっさと帰宅した。笑
普通は近況とか、社会に出るにあたっての情報交換とかするのでしょうケド、
そういった概念すら無く、「用事が済んだので帰っ」た記憶が有る。笑
情報を持たず、得る手段も知らず、
就職先では独り、立ち振舞い方が分からず、
無言で藻掻きそして疲れ、職を幾つか転々とした。
嗚呼、俺は駄目なのかもしれない、
普通に働いて社会で生活することすら出来ないのかもしれない。
ただ生きていたいだけなのに。
「生きていこうとしたいんだ」
…あッ、ココにもかつてのオレみたいなの居た!笑
リビングデッド・ユースを聴いた時に思ったのを覚えている。
半世紀生きて思うのは
「ま、焦んなよ。」ってコトである。( ´,_ゝ`)
靴ばかり見ていたって構わないさ。
何かを成さねば人に非ず、みたいなハイコントラスト知覚特性なヤングメンよ、
慌てる事は無い。
政治家の先生方をご覧なさい。
国家存亡の危機を居眠りで乗り越えるのだ。
真面目に行きちゃ馬鹿を見る、とまでは言わないが、
自分は駄目な人間かもしれないと内省するような誠実な人を
少なくとも置いておく許容くらい、
この世には在りますから。
いつの日か誰かしらの役にでも立てたらいいねと、
祈るくらいの自由はありますから。
( ´,_ゝ`)
Posted at 2025/11/03 23:11:03 | |
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