
あれから二カ月が経った。
ぽっかり穴が空いた、という表現が一致するか解らない。
空いた穴を認識するまでまだ暫く掛かりそうなのだ。
ともあれ、ブログに上げてみようという意識が定まった。
BUCK-TICKとの出逢いは中学一年生まで遡る。
生まれて初めて買ったCDはBUCK-TICKのスピードだ。
以降種々のジャンルを聞き、今も尚幅広く聴きたいと思っているが、
原点は紛う事なきそれである。
大型のラジカセから流れ出る楽曲に包まれ、
感動に打ち震える感触を今も覚えている。
それを初めて経験させてくれたアーティストだ。
死生観をよく表現するBUCK-TICKは、
父親を幼い頃に亡くしたσ(^^)にとり、常に何か引っ掛かる存在であった。
まだ青いうちに肉親の死に直面した影響か、
死というものがあまり縁遠いものと思えぬ儘、
思春期に入った。
自分の存在が希薄と捉える、妙な認知バイアスが掛かった様になり、
自らを愛せず鬱々とした青春時代。
今思えばそれを指摘してくれる父親が居て欲しかったが、
ま、後の祭りだ。
そんなσ(^^)に寄り添ってくれたのがBUCK-TICKの楽曲だ。
暗い思想は一概に悪い訳では無い。
独りが、暗い場所が、雨降りが落ち着くケースもある。
死を想う事で生を享受出来る事だってある。
勿論、容量、用法を守って正しくお使い下さい、であるが。
そんなとき、BUCK-TICKの楽曲達が許容してくれる気がしたのだ。
そんな考えを持ったっていいんだよ、と。
狂った太陽では一貫しつつも多彩な曲群に興奮し、
darker than darkness、Sixnineの混沌とした暗さに救われる思いすらした。
いつしか家庭を持ち、子が産まれ、
自らの存在の希薄さなど意識もしなくなった。
それでも、BUCK-TICKが奏でる耽美な世界を横目で見ながら、
時に懐かしむこともあった。
技巧的には昔から色々言われるバンドだが、
表現したい物の独自色は国内でも最も強いアーティストだと思う。
他が追随しない。真似が出来ないのだ。
また、「一貫」と先述したが、
笑える位、長らくブレない姿勢も今や凄まじい。
かつて、今井寿が「続ける事が格好良い。」と語った。
そのナリで何をマトモな事を言うのかとやはり笑えてしまったが、
でも本当にそう思う。
そして、
櫻井敦司が亡くなった。
早過ぎるが、事実である。
今井は続けると言ってくれているようだ。
櫻井敦司が紡ぐ詞に救われたというか、癒された者が一定数居るだろうし、今後も現れると思う。
だがもう、新たに詞が紡がれる事は無い。
それがとても残念で寂しい。
代わる者がない。
これを埋めるものが在るのだろうかと思うと、
空いた穴が見えてくるようで辛い。
だから暫くはまだ、彼の紡いだ世界で酔い痴れて居たい。
Posted at 2023/12/19 03:09:28 | |
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