
最近、セブン160にお乗りの皆さんで二輪車の記事を目にするようになりました。
元々二輪車がお好きでセブンにも乗るようになった方、セブンにお乗りで二輪車にも興味を持たれるようになった方、人それぞれだと思いますが、車輪の数こそ違えども近似した乗り物であるため、両方に興味を持たれるのはもっともなことです。
私は前者の”二輪車好きのセブン乗り”です。
今日は誠に勝手ながら、私の二輪車遍歴を公開させて頂きます。
(長くなりますので、お暇な時にお読みください。)
思い起こせば、中坊の頃から母親のホンダ・スーパーカブC70や姉のホンダ・シャリー50を田んぼ道で乗り回していました。もちろん無免許ですがそこは片田舎なので...。(爆!!)
16歳の冬に小型自動二輪(~125cc)の免許を取りました。
当時、なぜかうちにはスーパーカブC50もあったので(今でも謎)、スーパーカブC70の方が私の愛車となり、晴れて公道デビューを果たしました。
無許可通学に活躍するスーパーカブでしたが、スポーツバイクに乗る友人に対しスーパーカブに乗る私は、女子生徒に見られるのが恥ずかしくてコソコソ乗っていました。
それがトラウマとなり、近年のスーパーカブブームの中でもブームに乗り切れない私です。orz
一時はバイトで貯めたお金で買った中古のヤマハDT125(初期型のボロボロ車)を乗り回していた時期もありましたが、焼き付きを起こしあえなく廃車に...。(涙;)
結局スーパーカブに戻る高校生活を送りました。
18歳の冬に自動車免許取得と同時に中型限定(~400cc)に昇格。
そして初めて新車で買った二輪車がホンダ・CBX400Fインテグラです。
【これ以降の写真は実際に私が所有していたものと同モデル、同色です。】
当時の最新メカ満載のCBX400Fに国内で初めてカウルが認可されたその一台です。このころから国内では怒涛のレーサーレプリカブームが始まります。
鈴鹿4時間耐久レースが大盛り上がりを見せたその頃です。
このCBXでは、北は青森県、西は山口県まで色々な所に行きました。
旧車ブームの今、CBXは程度が良ければ400~500万円(!)で取引されていたりします。
そんなCBXに6・7年乗った後、次はヤマハFZR400に買い替えました。レーサーレプリカブームの真っただ中です。
前傾姿勢がキツかったけど、400ccとは思えないほどパワフルで、俊敏な足回り。セブンと同じく峠が楽しいバイクでした。
そんなふうに二輪車にどっぷりハマった20代を過ごしていましたが、自分には乗れない大型二輪車の存在に悶々としていたある日、同じ県内のある自動車学校で大型二輪の教習を行なっていて、そこで限定解除して来たという人の話を聞き、居ても立ってもいられず突撃しちゃいました。
同世代の方はご存じのことと思いますが、それまでの大型二輪免許は「教習」などはなく、限られた試験場で一発検定を受けるしかなく、それはもう合格させないための試験制度と言えるものでした。(合格率数%とも・・・。)
しかしその頃(1990年頃)からお上(警察?公安委員会?国交省?)の方針が変わり、きちんと教習をし運転技術のある者には免許を与える方針になったのでした。
しかし、これはお上の自発的な取り組みではなく、当時拡大していた欧米との貿易摩擦の中で「国内で免許を取らせず、自国の市場を育てないでおいて、高性能大型二輪車を海外にジャンジャン輸出するとは何事だ!」と怒られた日本政府が外圧に負けたのと、当時バブルが崩壊していた日本は経済を立て直すために「国内で大型二輪車を売らしてくれ。」という二輪車メーカーの強い方要望を聞いた結果だったと記憶しています。(違っていたらゴメンナサイ)
で、その教習とやらは今の教習所の教習などと違い「特訓」とも呼べる代物でした。1泊2日×3回、6日目には検定というカリキュラムで、その自動車学校にはホンダVF750Fの教習仕様車が20台くらいあり、まずはラジオ体操をした後、自分に割り当てられた車両を磨くところから始まります。次は押して引いて起こしての取扱い訓練、やっとまたがってエンジンかけて外周コースを何周か回りエンジンと自分の体を温めた後、今度は教官の先導に続いてコース内全力疾走。交通ルール一切無視で信号も一時停止も踏切も止まることなく、狭い教習コースをガンガン走ります。これはもうまさしくジムカーナ。コントロールしきれず振り切られたり、中にはS字を曲がり切れず転倒する者も。ここまでが準備運動で、そのあとは一本橋、スラローム、急制動などの種目別トレーニング、午後は何種類かある検定コースを走って教官の指導を受ける、みたいなカリキュラムでした。もう一日の教習が終わるとヘトヘト。
6日目の検定は、10人くらい受けて私を含む3人が合格となりました。
晴れて夢の限定解除を果たした私ですが、そうそう大型二輪車なんて買える代物ではなく、悶々としながらしばらくはFZR400に乗っていました。
そんなある日、近くのバイク屋に中古だけど大型二輪車が入ったという噂を聞いて見に行ったところ、鎮座していたのがヤマハFZR1000。(1989年モデル)
もう一目惚れ。店主は「乗ってみていいよ。」なんておっしゃる。
緊張とコーフンに包まれながら巨大な車体にまたがって走らせてみると、「なんだ、これはっ!」低速から分厚いトルクがあり、アクセルを開ければ開けるほどいくらでもパワーが出てくる感じ、そして圧倒的な安定感。確か「並列四気筒20バルブ、145ps、11.0kgf・m、230kg」くらいのスペックでした。
こんなの乗せられてしまったら、もう買うしかありません。
ついに念願かなって大型二輪ライダーになることが出来ました。
このFZR1000は、6、7年所有しいろんな所にも行きましたが、30代に入り家庭を持ったころから乗る機会がめっきり少なくなり、やがて車検切れに...。
そして仕事で海外赴任することになったのを機会に手放してしまいました。
デカくて重くてパワフルでカッコいい、所有欲を満たしてくれる本当にいいマシンでした。今思い出しても胸が熱くなります。(売らなきゃよかった...。)
そして2003年、4年の任期を終えて帰国してすぐに購入したのが、ホンダApe100です。
【ここからは現在所有の車両となります。】
さすがに家庭を持つ身、大型二輪車は諦めました。
すでに空前のバイクブームも過ぎ去り、各メーカーモデル展開の縮小が進んでおり、「125ccクラス、オンロード、マニュアルミッション」というと、このバイクくらいしかなかったような気がします。
このバイクは現在も所有中で、しかもドノーマル。
カスタムベースとなることが多いApeのドノーマル車はきっと少ないはず。
すでに21年所有していますが、走行距離は6,000km弱程です。
もう一台は2010年頃に中古で増車したスズキ ストリートマジック50Ⅱ(2000年モデル)です。
これは一見、立派なスポーツバイクに見えますが、実はスクーターベースという変わり種。つまりクラッチ操作はなく、左右のレバーが前後ブレーキで、エンジンとVベルト式トランスミッションを兼ねたリアスイングアームが一体で後輪と一緒にストロークする構造。まさにスクーターのパワートレインですが、股の間にはタンクがあるのです。
おまけに前輪にはディスクブレーキ&倒立"風"サスペンションが奢られ、フレームはスチールですが高剛性のツインスパーフレームにリアサスはガス室別体型、しかもセルフスターター付きという、いかにもスズキらしい「何でも集めた合体(変態)バイク」です。しかも今や絶滅状態の貴重な2stエンジンと来たもので、これが意外と面白くてApeよりも乗車機会が多いくらいです。こちらもドノーマルまま乗ってます。
走行距離は、6000kmくらいで買って今10000kmを越えたところです。
現在も所有しているApeとストリートマジックは、近場のカッ飛びと田畑の見回りに活躍しています。
今、これらに加え4輪のセブンに乗る私ですが、本当のところ大型バイクに対する未練や憧れが多分にあります。あの怒涛のパワーと安定感は他では味わうことは出来ません。しかし実際に所有し乗ることになったら、自分の性分としてきっと若い頃と同じように走らせないと気が済まないと思うし、それはいずれ身を亡ぼすことになり兼ねません。またそんなワガママは家庭的にも社会的にも通すことは許されず、「ではその代わりに」と考えて買ったのがケータハム・セブン160Sというわけです。(やっと現在につながりました。)
いや、全然言い訳になっていません。
バイクは大型であろうと原付・小型であろうと危険な乗り物であることに違いはありませんし、セブンだって普通の車に比べたら安全な乗り物ではありません。
でも私は決めたのです。道楽な乗り物として、セブンとApeとストリートマジックを末永く愛して行きます。
なので、セブン乗りで二輪車にも乗られる方の記事を見ると、心のザワメキを押さえることが出来ない私です。
今年の夏も霧ヶ峰高原・ビーナスライン・美ヶ原高原に何度も走りに行きました。いつもたくさんのライダーが走りに来ています。
霧の駅駐車場には数十台の二輪車が止まっていることも珍しくありません。
【9月23日ビーナスライン霧ヶ峰高原 霧の駅の様子】
羨ましい気持ちを押さえつつ、今日もセブンを走らせる私です。
ではまた。