2009年07月29日

「いつものやつで。」

Posted at 2009/07/29 18:07:27 | |
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2009年07月29日

「そんなにアピールせんでも渡りますがなぁ。」

Posted at 2009/07/29 12:12:26 | |
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2009年07月29日
こちらはファンカーゴなんですが、張り合いたくなりますが…全然見向きもしてくれませんね(爆)
赤色の雨宮仕様!カッコイイ!
あっ、いなくなった…(^^;)

Posted at 2009/07/29 09:58:10 | |
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2009年07月29日

朝電車に乗るためにダッシュしました…(^^;)
たかが数百メートルなのに、息が…ハァハァ(;´Д`)
運動不足も甚だしいですね(^^;)
久しぶりに電車もいいもんです(´∀`)

Posted at 2009/07/29 07:10:42 | |
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2009年07月28日
会社からの帰り道、オカンから携帯に電話がかかってきた。
「誕生日おめでとう。なんかいるもんある?」
ボクはこの言葉に、目頭が熱くなった。
ボクはオカンに何かしてあげているだろうか。嬉しさより、罪悪感が先に立ってしまい、素直に喜ぶ事が出来なかった。誕生日かぁ…。
オカンは明るく、気さくで色んな意味でよく笑わせてくれた。変な顔したり、馬鹿げた事を言ったり、タイミングよくオナラをこいたり…。
でも、そんなオカンは最近あまり笑わない。笑えないと言った方が正確だろうか。
かつての笑いのデパートは成りを潜め、一気に老け込んできている。目立つ白髪、覇気のない目尻。
それは中学3年生の夏だった。高校受験を控えたボクは、志望校に向け…対して勉強はしていなかった。ボクの成績は中の下、もしくは下の上くらいなもんで、地元高校への進学を薦められていて、特に受験勉強らしい勉強はしていなかった。
この頃の思春期真っ只中のボクらは、受験勉強と言っては放課後学校に残り遊びほうけていた。今思えば1番楽しかった時期かもしれない。
対したルックスも知能も持ち合わせていないボクは、ただ目立つだけでその存在感を成していた。
そんな僕も歯の浮くような話があった。
学校内成績1・2番を争う女の子から告白されたのだ。アンバランスだ。
しかし、そのタイミングは最悪だった…。
彼女がボクに好意を抱いている事はずいぶん前から知っていた。
登下校がやけに重なったり、図書室で逢う回数が不自然に増えたり…。
決してボクは彼女の事が嫌いだったわけでなく、むしろ幼なじみだったので気楽に付き合いが出来るだろうと思っていた。でも当時ボクは熱中していた女の子がいて、彼女に対して真剣に向き合う事が出来なかった。
ある日の下校、彼女は家の近くの保育園の階段でボクを待ち伏せしていた。
彼女は「これ読んで!」と、頬を赤らめて逃げるように走って行った。
ボクは直感で「ラブレター」だなと、思った。家まで3分くらいの距離。ボクはてくてく歩きながら、封を開けた。
けれど、ボクはその中の内容をよく覚えていない。生まれて初めてのラブレターだったのに。散々、ドラマや漫画のようなシチュエーションでラブレターをもらいたいと思っていたのに…。
「付き合って下さい」「ずっと好きでした」くらいしか記憶にない。
それは3分後に迎える悲劇がその記憶を吹っ飛ばしてしまったからだ。
オカンが目を開けてる姿は翌日になって確認できた。
オカンは腕に点滴を注し、見慣れない患者衣を着ていた。
「大丈夫?」
ボクは意識が虚ろなオカンに問い掛けた。
「ごめんね…」
オカンはそう一言言って、虚ろな顔が強張った。
「もう死にたくなってね…」
何となくいつかこんな日が来てしまうのではないかと、心のどこかで準備していたボクは妙に冷静に、病室から見える自分の町並みを観ていた。まるで、今自分に起きている事を客観視するかのように…。
オカンは中学2年生くらいの時から「うつ病」だった。当時のボクには理由が全くわからず、また、理解も出来ず、ただただ日々の生活を送っていた。
オカンは精神科に通っていたが、長年の「心の疲れ」が貯まっていたらしく、簡単には治ってくれなかった。
その頃、弟10歳、妹6歳で、まともに家事が出来るのはボクかオトンだった。
学校から帰っては週末に買い貯めしておいた食材で晩御飯を作り、合間に洗濯をしていた。オトンはいつも18時過ぎには帰ってきていたのだが、オトンも疲れているのが目に見えてわかるボクは、とても「晩御飯なんか出来ない」「洗濯なんか嫌だ」と甘える事が出来なかった。弟や妹にみっともない姿を見せるわけにいかないと、意地を張っていたのもある。オトンはボクが抱えてる以上に大変なのがわかったから、葛藤と我慢の日々だった。
それでも学校に行けば、友達もいて、そんな日々を騙し騙し過ごさせてくれていた。思えば、学校さまさまだったのかもしれない。今の子は引きこもる事が多いらしいが。
でも、友達にも先生にもオカンの事は決して言うことは出来なかった。
日々具合の悪くなるオカンの事なんか…決して…。
オカンは「躁鬱病」という、厄介な方の「うつ病」を患ってしまった。
簡単に言えば、テンションの上下の波がとてつもなく激しいのだ。
なので、オカンの容態は日々変化していた。
安定剤という名の薬を服用していたが、どうしても日中は横になっている時間が長く、夜は眠れなくなってしまう。
そこで「睡眠薬」も追加で処方されるようになった。ボクはこの時から子供ながら嫌な予感がしていたのだ。
いつか自殺まがいの事をしでかすんじゃないかと。
その日、オカンは珍しく朝早くに起きて、ボクらのお弁当を作ってくれていた。いつものように、オトンとボクの分を作ろうと階段を降りると、そこには久しく見ていない光景があった。
エプロンを着たオカンが、玉子焼きを作っている。
「調子大丈夫なん?」
ボクが聞くと、オカンは「大丈夫」と玉子をひっくり返している。だが、残念なことに玉子焼きはグチャグチャだった。
「久しぶりに玉子焼きしたら、うまく出来んわ…」
震えるオカンの手元を見ていると、ボクの瞳は涙を溜める事が出来ず、大粒の涙を次から次へと頬に押し出していく。
「ありがとう、ありがとう」
ボクはそう言い続けた。
「何で泣いてるの?お母さんが弁当作るのは当たり前でしょ?」
ボクは、にわかに治ったんだという嬉しさに涙したが、実はとんでもない事の始まりだった。この発言すらおかしいと、気付かなかったのだ。
オカンの顔はその時、この上ない虚ろな顔だった事を、ボクは流した涙で気付かなかったのだ…。
ラブレターをもらったボクは残り3分の家路がとても長く感じた。幸せを一歩一歩踏み締め、ルンルンで家の玄関を開ける。
「ただいま!」
いつも以上に元気よく声を発しても、返事はない。
オカンはいつも通り2階の寝室で横になってるのだろう。
弟や妹はまだ学校から帰ってきていないらしい。
妙に家がシンとしている。
刹那。ボクのルンルン気分はどこかにぶっ飛び、2階の寝室に駆け上がる。
そこには、顔が真っ青になって寝ているオカンがいた。
ゾッとした。おかしい。何かおかしい。
階段を降りて、居間のごみ箱をあさる。見つからない!台所のごみ箱をあさる…。
あった!そこにあってほしくない物が…。
すぐさま階段を駆け上がり、オカンを起こす。
「母ちゃん!母ちゃん!」
揺すって、大声を出しても反応がない。
ボクは唇を噛み締めて、思い切りオカンの頬をひっぱたいた。
一度、
二度、
三度…
反応がない。呼吸はしているが、反応してくれない。
まるで、死んでいるかのように…
ボクは隣のおばちゃんに助けを求め、救急車を呼んだ。そうしているうちに弟と妹が帰宅し、救急車が家の前に到着した。
事態の読めない弟と妹。パニックのボク。サイレンの音に集まってきた、近所中の人だかり。
まさに、地獄絵図だった。
オトンはまだ帰っておらず、弟と妹を隣のおばちゃんに頼み、救急車に飛び乗った。
救急車に乗ったのは生涯2回目だった。1回目はボクが脚を骨折した時に搬送された時。
嫌なものだ、普段は外から聞いてるサイレン音が頭上から延々と響く。目的地に着くまで鳴り止まないサイレン音がボクの緊張と震えを助長させる。

Posted at 2009/07/28 22:46:12 | |
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