モータースポーツが本格的に好きになって見に行くようになったきっかけはテレビでル・マンを見てから。
なので基本、Gr.Cカーが好きというのはもうすでに何度も何度もくどいほど言ってますからお分かりかと思いますが、そのポルシェ以外にも思い入れの深いのが日産のGr.Cカー。
Gr.Cカー全盛から末期にかけての日産のCカーは国内では、もはや敵無しの強さになってしまってました。
その最後の年のマシン。
R92CP
JSPCでも80年後半まではまだまだポルシェが強かった時代。
でもなぜか国内のポルシェには今ひとつ興味がわかなかったのは、隠れ日産ファンであったからでしょうか(笑)
それもあるけど、やっぱりポルシェはワークスの印象が強過ぎるからでしょう。
なので、やっぱり国内のGr.Cレースを見に行ってたときは日産を撮ってる率が高かった。
でも、正直なところ'88までの頃は信頼性はイマイチで走っては壊れの繰り返し。
序盤で撮らないと撮れなくなっちゃうということしばしば。
ほんとよく壊れたというマイナスイメージしかなかった。
しかも、お世辞にもカッコいいというスタイルで無かったし。
特に'88までのマーチ製のシャシーの時代は。
写真はR87Eでマーチのシャシー。
へなちょこの好きなスタイリングは、フロントのオーバーハングが短く、リアが伸びやかなもの。
つまり、ポルシェ962C(956)のル・マン仕様のロングテールが一番カッコいいと思ってるわけで、当時のライバル車であったシルクカットジャガーはもう全然真逆で凄くカッコワリぃと思って見てたものでした。
こういう前長でリアが尻切れのように短くなったマシンね。
ただ、今見れば全然違和感ないけど。
むしろカッコいいじゃん(笑)
まぁそのぐらい当時はポルシェのスタイリングに惚れ込んでたので、他車はまるでアウト・オブ・眼中だったという事でしょう。
今見てカッコいいと思うけどミニカー買うほど思い入れは無いマシンなので手は出しません(笑)
ザウバーメルセデスC9もまたしかり。
マツダのマシンもそう。
757の方がリアが長くてウィング一体型のスタイルで今でも好き。
767からジャガーのようなスタイルになって、787Bも同じくフロント長くリアが短いスタイルに。
フロントのダウンフォース増やして、リアのドラッグを減らすというのが目的なのでこのスタイルになるのは当然の流れでしょう。
ポルシェも末期はこれに近いテール形状になってリアカウルとウィングが別体になってしまいました。
その後、NA3.5Lに変わってからはほとんどがそのスタイルになった。
しかもどんどん削ぎ落とされたボディに。で、でかいリアウィングが付くようになった。
この頃のプジョーやジャガーはカウルかぶせたF1とかって言われてたぐらいで、ドアなくて窓外して乗り込んでたもんね。
しかし、いいんだか悪いんだか、あれほど人気のあったGr.Cカーがどんどん破局に向かって行くことになったのはこの頃から。
結局3、4年で終っちゃったんじゃなかろうか。
もう'94頃からGTカーに移行してたから。
JSPCも'92に終わり、WSPC(SWC)もうF1のように3.5L縛りになったGr.Cになんの興味も無くなったのでした。
口の悪い言い方したら「だってF1にカウルかぶせただけでしょ?」って話。
富士のGCといっしょでF3000にカウルかぶせたのと同じにしか思えなかったわけ。
やっぱり各メーカーいろんなエンジンとシャシーが入り交じって走ってるのが魅力だったから。
Gr.Cの魅力ってなに?って聞かれたら、ターボカーと大排気量のハイパワー車の超高速でしかも燃費競争のハイレベルな戦いでしょ。
それが全部一緒の排気量でしかもNAだけなんて、F1と大して変わんないじゃんって思っちゃって、一気に冷めちゃった。
世界選手権は'90が最後だったなぁ、自分の中では。
'90のル・マンでニスモ、NME、NPTIから5台ものマシンをエントリーさせた日産。
予選では圧倒的な速さで上位を独占。
結果は#23が5位完走。
しかし、優勝を本気で狙ってたという日産陣営的には事実上、敗戦だったらしい。
でも、日本のメーカーもとうとうここまできたかと思う反面、ポルシェの時代が終わりを告げるような気がして寂しさを感じた。
ただ、この年2位を走行してて最後の最後でストップしてリタイアしたブルンポルシェを見て残念だけどさすがポルシェだなと思い、自分のなかでは印象深いマシンです。
だからミニカーを手に入れたいと(笑)
やっぱポルシェはかっこいい。
分厚いロングテールならこのショートの方が好きだな。
日産はレギュレーションが変更となった翌年'91もル・マン参戦は考えられていたようだが、SWC全戦エントリーがル・マン参加の条件だったのと(実は鈴鹿戦にでればOKだったらしい)日産本社から「また勝てなかったらメーカーのイメージダウンになる」ということに懸念を感じ結局不参加なってしまったそうです。
こういう保守的なところがいかにもね。
でも出てたら「勝てたかも」というタラレバの話が出てるのですが、ターボカーに不利なレギュレーションで果たしてほんとに勝てたのかな?と思ってしまいます。
でも、勝てなくても出て欲しかった。
まだテレビ放送してた時代だから走ってる姿見れるだけで満足してたから。
この'90は、NMEとNPTIはR90CKというシャシーを使用。
ローラのシャシーです。
やっぱりリアが短いスタイル。
ニスモはR90CPという半自社製シャシー。
中身はローラのシャシーだったという。
カウルやその他70%は日産追浜で開発されたものなのでCKと異なる形状。
で、翌年からオール日本製のシャシー(R91CP)になった。
でも、外見ほとんど変わらないのよね。
水野さんがローラのシャシーじゃとても無理と判断して上層部に直談判してオール自社製シャシーを作ったとのことです。
そしてエンジンも全く壊れる事がないほどの丈夫なエンジン(VRH35Z)になったのも強さの要因でしょう。
その上、燃費もいいんだから。
どこかのレースで全車ラップしちゃったことあったと思う。
これは92CPですが、リアはこのように長い。
CKと大きく違う点です。
へなちょこ的に大歓迎なスタイルで(笑)
一瞬見た感じリアカウルと一体型にみえるけど、実は別構造になってる。
ウィングの翼端板がリアカウルと合わさってるから一体型でロングテールに見える。
中心部分にリアウィングのステーがあってそれで支えてる。
しかも2枚羽。
コースによって角度を換えてダウンフォースを付けたり減らしたりしてたようです。
これはハイダウフォース仕様。
リウィングの立ち加減も凄いけど、フロントのカナードも2枚になって、さらにフェンダーも抵抗増すように立ててある。
これ。
対して富士の高速低ダウンフォース仕様。
リアウィングも寝ててフロントのカナードも1枚。
最終的に1000PSオーバー、1200PSとか予選で出てたらしい。
富士の直線でブレーキングポイントが来ても頭落ちせずにまだ加速状態にあったというから驚きです。
そんなバケモノマシンだからポルシェは太刀打ち出来ず、最後の年はトヨタと日産の戦いになっちゃってた。
あのノバもフロームAポルシェから日産R91CKに換えちゃったんだからねぇ。
WSPCは'91にレギュレーションが変更され、ターボカーは不利な条件を課せられるようになり、結局日産もトヨタも撤退。ル・マンもSWC全戦参戦が条件というのが条件だったこともありル・マンも不参加に。
後に3.5Lへと変わってトヨタは参戦(TS010)したが日産はマシンの開発(NP35)はしたものの結局、日産自体の台所事情やJSPCの消滅、SWCの衰退(後に消滅)というこもあり陽の目を見ないままお蔵入りしたマシンでした。
ただ、エキゾーストノートはかなりいい音です。
まんまF1(笑)
そんなGr.Cカーのほんとに最後のときの最強マシンだったR92CPはポルシェ962C同様、思い出のあるレーシングカーです。
なので、ポルシェより先にミニカーも持っていたわけです。
で、先週これをポチって今朝届きました。
毎度のR'on
ここに出てるのは'92にアメリカのデイトナ24時間レースで優勝したR91CPの記事。当時テレビでドキュメント番組が制作され放映したので録画して、いまだに保管して持っています。
IMSAの規定に合わせて出力を抑えられ、燃料タンクの容量も小さくピットの回数も多くなるというハンデがありながら圧勝。
ル・マンに参戦出来なくなったかわりに舞台をデイトナに移しての勝利でしたが、ほんとはル・マンで勝ちたかったんだろなぁっていうのをつくづく感じたのでした。
'91にマツダが787Bで優勝してるだけに水野さんや林さんはそうとう悔しかったようです。
自分らが出てたらそのチャンスあったかもしれないって話(そのぐらい自信があったみたい)だからそりゃそうでしょう。
たとえ最低重量が1000kgでもまだできたてのプジョーや熟成の進んだジャガーやメルセデス、そしてマツダにも勝てる自信があったというのですが、タラレバの話では記録も記憶も残りませんからね。
とまぁ、そんな日産のCカーですが、こんなが当時出てたので買いました。
R91CPのRCカー
これ、せっかくのデイトナ優勝車なのに、何を血迷ったかカルソニックに張り替えちゃってた(笑)
今でもおそらくバッテリー繋げば動くと思いますが、カウルはぶつけまくってるのでボロボロです(笑)
まぁ、でもRCカーですからね、動くものは動かしてなんぼなのでいいのですが、当時はスペアボディ買おうかと思ってた。
結局買わずじまいでしたが。
今はもう完全にお蔵入りしちゃってます。
なので代わりに動かない眺めて楽しむミニカーを置いておくわけです。
で、またまた見てたらこのデイトナ優勝車のR91CPが出てるのを見つけちゃった。ヤバい(汗)
しかし、ちと高い。
なので今はまだ買えん状態。
しげぞー先輩にここのモデル(イグニッションモデル)ってどうですか?と訪ねたらhpiから派生したメーカーらしい。
なので物はいいとのこと。
だから値段もそこそこするのね。
ただ、しげぞー先輩このデイトナ仕様の91CP、エブロ製のをオクで¥4,000しないで手に入れて持ってるとの情報。
さすがしげぞー先輩、だいたいのものは持ってらっしゃる(笑)
だったらこれ探すか。
今持ってるR92CPもエブロ製だし。
て、これも人からみたらほとんど代わり映えしないっと言われそうだけど(笑)
いや、いやデイトナ優勝車ていうだけで自分だけにしかわからん価値あるぞ(笑)
結局は優勝車両、もしくは強烈に印象に残ってるものしか欲しくないだけで、決してミニカーコレクターというわけではありません。
ちなみにしげぞー先輩、このデイトナで走ってたNPTIの84号車を以前買い逃して後悔してからどこかで見たら教えてとつい先日言ってた。
なんでも、親しい仲のヒロ・松下さんが乗ってたマシンで欲しかったが、値段で躊躇してたら無くなっちゃったとのこと。
で、朝見てたら…。
あった。
さっそくご報告。
でもやっぱり高いなぁって言う返事。
また買い逃すのかな(笑)
しかし、この頃の日産のイメージカラーはこのトリコロールカラーでそれもまた強く印象に残ってるんですよねぇ。
いまじゃロゴもすっかり変わって、カラーも赤黒になっちゃったけど、今夜は布団でゆっくりNISMO本を見るとしよう。
そんな思い出のレーシングカーの話でした。
いつかデイトナR91CPも手に入れよう。