
新門司港を25日の深夜に出港し今26日の夜を迎えようとしている。
22日夜に自宅を出発し約2000kmのロングドライブのエンディングの真っ最中にブログを書き始めた。そろそろ陸が近付き電波も安定してきたので旅の思い出を整理することにする。
今回の白地図ロードはしまなみ海道から愛媛県を横断し国道フェリーで九州に上陸、そして阿蘇外輪山の絶景地を周回し私イチオシ絶景スポットの長崎の西北端の生月サンセットウェイで愛車を撮影しようという目論見。そして忘れてはならない友人経営のカフェに訪問すると言うのが最終目的と言っても良いだろう。
横須賀行きの復路のフェリーの中で絶景地との出会いや友人のオモテナシを思い出す度に九州ロスに襲われるので、このロングドライブについて全てを伝えられるか少々心配である。
先ずは22日自宅出発してからしまなみ海道経由で最初の宿泊地の大分別府温泉までの話しをしていこう。
自宅を17:00過ぎに出発し鈴鹿で仮眠、そして800km走破した尾道で朝を迎えた。
しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路だが敢えて渡し船やフェリーを使って裏しまなみとでも呼びたいかつて橋が無かった頃のルートを重ねながら愛媛に向かうことにした。
先ずは日本一短い船旅というフレーズの兼吉渡しで向島に渡ることにする。
135年にわたって尾道水道を運航し市民に親しまれていた渡船だが、乗客の減少や桟橋の老朽化によって今年の3月末で廃止されることになった。
JR尾道駅近くと向島の間の約250メートルを1日75往復ほどしている福本フェリーの渡船だ。
複数の会社が運航する向島とを結ぶ渡船は通勤や通学などで市民の足として親しまれ、尾道市出身の映画監督大林宣彦さんの作品にも登場し観光客にも利用されてきたが近代化の波には敵わなかったようだ。
今回の乗船が私にとって最後の兼吉渡しになると思われたので高速道路ではなく渡船を選んだ理由でもある。
尾道水道の景観に溶け込む渡船が消えてしまうのは残念でならない。
向島を舞台として撮影された大林宣彦監督の映画「あした」で使用されたロケセットが尾道渡船桟橋の近くに移築され、現在もそのまま残っている。
桟橋の前の道路を200mほど進むと朝7時より営業している住田製パン所がある。この日の朝食はここのパンとコンビニコーヒーと決めていたが店主の都合で開店が1時間遅れるとのことだった。店内には前日パンが見切り価格で売られていたので、焼き上がるのを待たずそちらをいただくことにした。前日の売れ残りに期待値などそもそも無かったが私の予想を砕く小麦粉の甘みを感じる素朴な美味しさを秘めた素晴らしいモノであった。
朝食後向島の南側にある因島大橋の見える立花海岸に向かう。
霧の中から太陽がのぞき始め、これから対面する絶景地との出会いへの心の高まりを掻き立てる。
因島大橋を渡り因島から一旦しまなみ海道を外れ今でも橋で結ばれていないゆめしま海道の島々を巡ることにする。
(↓因島と生口島を結ぶ生口橋。今回渡らないが美しい橋なので写真に残した。)
因島を一周し土生港から渡船を使い生名島に渡る。
生名島と弓削島、佐島、岩城島は3つの橋で結ばれており「ゆめしま海道」と名付けられている。「ミニしまなみ」ともいえる風光明媚なドライブルートだが、しまなみ海道と異なるのは、交通量の少ない一般道なので快適なドライブが楽しめる。そして比較的標高の低い場所を結んでいるため、海を間近に眺めることが出来るのが最大の魅力だ。
ゆめしま海道は高速道路を使うより遠回りではあるが、景色や撮影を楽しみながらのドライブは、また違った味わいがあると言うものだ。
今回は生名島から佐島、弓削島と渡って、Uターンして岩城島へと向かったが、因島から弓削島へと直接渡れる航路を利用すれば、ゆめしま海道を経由して、生口島から岩城島へと渡る一筆書きのルートを描くことができる。
生名島に渡り因島を振り返ると大型フェリーが停泊していた。因島と言えば造船の島として有名だが内海造船因島工場で先月25日に完工したフェリー「さんふらわあ・かむい」と入れ替わり「さんふらわあ・さつま」がドック入りしていた。
遠くにさんふらわあを眺めながらふと下を見ると海の透明度に驚かされる。
ゆめしま海道入口の生名橋を渡り弓削大橋と続き弓削港までは3kmほどの道のりだが進んでは止まりを繰り返し景色を堪能する。ゆめしま海道の折り返し地点に選んだ弓削港でUターンし岩城島の小漕から生口島の洲江まで渡し船で渡りしまなみ海道に戻っていこう。
生口島は国産レモン発祥の地であるがレモンだけでなく柑橘類の栽培が盛んでどこに行っても柑橘類が売店に並んでいる。私は間もなく最盛期を迎えるデコポン(不知火)を20kg買うことにした。
生口島の中心の瀬戸田に向かう。この島で30年前に食べたタコ飯を食べるためだ。
当時どこの店で食べたか記憶は無いが平山美術館に近い「ちどり」でタコ料理を味わった。
食後、人生で一番のレモネードを味わう予定だったが残念ながら休みであった。私が再訪するのがいつなのか分からないが、いやもしかするともう来訪は叶わないかも知れないので黄色い自由な旅人に私の思いをタスキで繋げたいと思う。
瀬戸フォルニアを経由して多々羅大橋を渡る。しまなみ海道に来たかった目的のひとつである大三島にある大山祇神社への御礼参りである。
大山祇神社については古事記・日本書紀に「山の神」とあり、伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名(またのな)を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされている。
神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である小千命(おちのみこと)がこの大三島に勧請鎮祭したと云われている。
天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の皇妃として迎えられた木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父に当たる大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されている、しまなみ海道随一のパワースポットである。
さて、しまなみ海道も佳境に入り日本三大潮流のひとつ来島海峡に近付いてきた。来島海峡大橋を渡ればそこはもう四国である。
来島海峡大橋を眺めるには標高301.1mの亀老山展望公園が最適だ。隈研吾氏による設計として知られるパノラマ展望台ブリッジからは、世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流を一望することが出来る。
Trip Advisor発表の「旅好きが選ぶ!日本の展望スポット ランキング 2017」にて第2位に輝いた絶景スポットである。
もちろん「亀老山山頂から望む来島海峡」は四国八十八景にも選定されている。
見よこの絶景を・・・とでも言っているかのような海霧に包まれた一期一会の絶景に出会うことが出来た。
興奮冷めやらぬところだが、この後は愛媛を横断し、20:30発のフェリーで九州は大分県に渡らなければならない。後ろ髪を引かれながら来島海峡大橋を渡った。
かなりトリッキーな行程になってしまったが、この距離をそう何度もこなすことは体力的にも経済的にも厳しいので次の目的地をねじ込んだ。その目的地は「下灘駅」である。
日本で一番海に近い駅としてカメラマンの間で知られている下灘駅であるが、映画の舞台となったり、夕焼けプラットホームコンサートによって、一躍メジャーデビューとなったことは知られるところだ。
駅の向かいにあるカフェでハンドドリップ珈琲を飲みながら夕陽を待つ。
写真では静かな無人駅のように感じるかもしれないが、オーバーツーリズムの波は公共交通機関の乏しい地方の絶景地にまで及んでおり恐らく200名以上の韓国、中国からの若い世代のゲストで溢れかえっていた。
(↓現実の様子)
サンセットタイムが近付くにつれてホームから落ちんばかりの都内ラッシュアワーのような状態になり自分の考えていたアングルでの撮影は諦め網膜に焼き付けることにした。
下灘駅近くの海岸線でM4を撮影し、別府到着時にはほとんどの飲食店が閉まっていると考えフェリー乗船前に夕食を済ませることにした。
下灘駅を数キロほど松山側に戻り三津浜焼きを食べることにした。
広島風と関西風の中間に位置するお好み焼でサバ節がかけられており出汁が濃厚でボリューム満点の逸品だった。
三津浜焼きを楽しんだ後は海路に国道のナンバリングされている国道九四フェリーを利用していよいよ九州に上陸する。伊予だけに(笑)なんて白地図ロードに似合わぬ駄洒落は1000km以上走ってきた疲れの影響なので勘弁して欲しい。
20:30発のフェリーに乗り大分の佐賀関到は21:40到着予定だ。今夜の宿泊地の別府の鉄輪温泉には23時近くになるのではないだろうか。
フェリーに乗船し客室ブリッジのカーペットエリアに陣取り手荷物を枕にして横になると直ぐに眠りについた。
(九州上陸編に続く)たぶん💦