荷物届かなくてイライラ・・・ ニュル夫です。
字ばっかで長いからダルかったらスルーしてね。
最近、アウディの元デザイナー和田智氏の記事が盛り上がってるのはご存知でしょうか?
ミニバンに乗るの、やめませんか?
詳しくはリンクしてあるのでチェックしてください。
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こっちはJ-CASTの記事
和田氏の言う事ももっともです。
ニュル夫が小さい時、親父はBBS・レカロ等のニュル夫家流のチューンをしたZ32と実家のプレジと同じ仕様のY32シーマを乗っていて、それはそれはカッコ良かったんです!
当時はレーシングカラーのブレンボを使ってる車なんて皆無だったので、量販店に停めれば人が集まるレベルでしたw
そんな幼少期を過ごすとニュル夫のような人間が出来上がりますwww
さて、和田氏の記事は「お父さんが子どもたちの運転手に成り下がったように見えた」、「ミニバンが流行る社会は幼稚」などなかなか刺激的な内容になっています。
スポーツカーやセダン好きからすれば「完全同意!!」なワケですが社会ってそんなに簡単じゃないですよね^^;
だからミニバンが流行っている訳で・・・
では何故ミニバンが流行ったのか?
今回はデザインや使い勝手と言った表層的な理由ではなく、日本の社会全体からミニバンを考えてみます。
【ミニバン】は80年代のプレーリーやシャリオなんかが発売されていました。
ミニバンが国産車の代表になるのは90年代のエスティマ・オデッセイまで待たなければいけません。
そう90年代です。
ニュル夫はこう考えます。
【ミニバンの台頭はユーザーやメーカーの責任だけではなく日本の時代背景に問題がある】と。
90年代にバブルは崩壊し、今まで好景気を維持してきた日本は一気に不景気に。
当然賃金は下がり今現在でも完全回復には至らない状況。
社会全体が萎縮し無駄の無い合理化を良しとする時代になる。
その余波はメーカーに及び、各メーカーは台数の売れない趣味性の高い車の生産をやめる。
欲しかった車は買えない。複数所有も難しい。
更に不景気から共働きが増え両親との二世帯家族が増えて行く。
その中で1台で多人数乗車でき、荷物も乗り、商用バンの臭いを感じさせないミニバンが生まれる。
90年代は3ナンバーサイズの高額車が多かったが、90年代末になると商用ベースだった5ナンバーミニバンは、専用ボディに進化しお仕事車から完全に脱却。
近年はチャイルドシートの義務化やナビ、モニターの普及により安定した人気を得るに至る。
おまけにエコカー減税にも対応し維持費も有利に。(燃費自体はソコソコだが・・・)
これではミニバンを選ぶなと言うほうが難しい。。。
だからミニバンユーザーの気持ちは良く分かります。
じゃあミニバンは絶対正義の存在か? 否。
高速で事故れば車外へ投げ出され、回避行動をとれば横転、側突でも横転。
これって家族の為の乗り物ですか?
快適性と人命を比べたら当然人命が優先されるでしょう。
その点においてはクーペやセダンの価値は高いでしょう。
あと、子供はミニバンを見てときめくでしょうか?
以前Zを洗車していたら、隣の子供がず~~っとZを見ていてシートに乗っけてあげた事があります。
きっと彼の中に何か感じるものがあったんだと思います。 喜んでましたから(笑)
感受性の高い幼少期は美しい物・音・味などを体験させ、その素晴らしさを教えて行く事も親の責務です。
善し悪しの判断は知識だけではなく経験が重要なのです。
個人的にミニバンを否定したい大きな理由は【合理化】なんです。
ミニバン・SUVしかり、合理化は本質と相反するものです。
合理化が進めば本質からどんどん遠ざかる。
本質とは物事においてピュアなものだから。
合理化って【お子様ランチ】なんですよ。
一流レストランへ行くと前菜から始まりデザートまで1皿ずつ出てきますよね。
対してお子様ランチは新幹線のプレートに全て盛りつけられている。
1品ずつに意味を持ち綺麗に盛り付けられた料理と、子供が喜びそうな絵の描いた皿の料理。 ハッキリ言って比較対象じゃないですよね。
つまりはそういう事なんですよ。
いい大人がお子様ランチ食べてカッコいいのか?と。
お子様ランチは安いし、皿を洗うのもラクでしょう。
でもそれじゃ社会は成長しないんですよ。
お子様ランチを食べなきゃいけない言い訳を考えるなら、お子様ランチを食べないで生活出来る努力をしろ、と。
和田氏の記事に対して反発している人は言い訳しか言わない。
下を見て話をしている。
人は上を目指すのが大変だからついつい下を見てしまう。
でもそれじゃ成長しない!!
ダサいミニバンしか売ってないと言うなら自分がメーカーに入ってカッコいいミニバンをデザインしてみろ!
セダンが欲しいのにミニバンしか乗れないのなら稼ぎを増やせ!!
好きで乗ってるなら構わないが、妥協してミニバンに乗るくらいなら乗らないで済むような努力をして欲しい。
嫁さんに強要されるならプレゼンをする。
セダンの乗り降りが大変ならエスコートすればいい。
理想を叶えるのは努力が根源なんだと。
以上のように、社会・メーカー・ユーザー、全てが重なってミニバンの存在があるのだと思います。
90年代から車に関する文化は衰退し続けたのです。
親がミニバンに乗っていれば子供は車に興味など持たないでしょう。
車に興味が無い人が車を作ればつまらない車が生まれるでしょう。
そして町全体につまらない車が溢れかえるのです。
良い物を所有するのは大変です。 コストや犠牲も大きい。
それでもカッコいい、美しい物に憧れる。
だったら素直に生きましょう!!
良い物を所有する事は自分を磨き他人を刺激し社会を成長させます。
みなさん、ミニバン乗るのやめませんか?(笑)