• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ノイマイヤーのブログ一覧

2024年05月28日 イイね!

2016年式アストンマーティンV8ヴァンテージN430感想文

2016年式アストンマーティンV8ヴァンテージN430感想文●普段使い出来るレーシングカー

遠方に住んでいる友人のカーガイからLINEがあった。気になっていた車を見てきた、と。

彼の「俺にはまだ早いかなぁ」というある種の自制心を受けて私は「体力ある内にV8後輪駆動マニュアル車を知っておいた方が良いんじゃ無いですか?」「歳取った後の方がサマになるけどその能力を引き出す体力が無かったりタマが無いかも知れないですよ!」「まぁでも判断難しいよね・・・」と私見を述べたのだが、彼の契約駐車場には高貴でありながら男臭いクーペがついに納車されたのである。

今回の主役アストンマーティンV8ヴァンテージN430を解説する前に、簡単にアストンマーティンとは何なのかWikipediaで調べておいた。

アストンマーティンは1913年に英国で設立された高級スポーツカーブランドである。創設者は、「ロバート・バムフォード」と「ライオネル・マーティン」でレーサーだった「ルイス・ズボロフスキー伯爵」の援助で「バムフォード・アンド・マーティン」を設立した。

二人は(富士モータースポーツミュージアムに展示されている)イソッタ・フラスキーニをベースにしたチューニングカーを製作したという。

1915年に制作したレースカーが「アストン・クリントン」という村で行われたレースでマーティンが成功を収めたので「アストン・マーティン」というブランド名となった。(バムフォードは・・・?)

1925年にはズボロフスキー伯爵がレース中に事故死してしまった。結果、アストン・マーティン社は倒産の憂き目に遭いマーティンは会社を去ることになった。

その後複数の経営者によってブランドが維持されてきたが、今のブランドイメージに影響を影響を与えたのは1947年に実業家「デイヴィッド・ブラウン」傘下となり、モータースポーツで活躍し、1960年代のDB5が007シリーズのボンドカーに採用されて広くアストンマーティンブランドが拡がった時代だ。有名なモデル名「DB」とはデイビッド・ブラウンのイニシャルである。

ところが、1967年のDBSを最後に1970年代にデイビッド・ブラウンは経営権を手放し、「DB」は「V8」に改名された。1977年に発売されたV8の高性能版はヴァンテージと命名され英国初のスーパーカーとなっている。

以後、1990年以降はフォード傘下となり2007年には投資家グループに売却され、2023年には中国資本も入って現在に至っている。元々が高級スポーツカーブランドゆえに、投機対象としても人気が高く出荷された台数の9割が実動車として現存しているいう。




今回試乗したのは板東英二・・・ではなくヴァンテージである。正式名称V8ヴァンテージは2005年、フォード時代に開発されて世に出たブランドの中では小型の2人乗りスポーツクーペだ。その中でもN430は「西部警察」で活躍したパトカーとは関係なく、V8ヴァンテージの高性能モデルでNは「ニュル」、430は英国馬力430HPに由来する。

つまり、V8ヴァンテージの中でも高性能なE/Gを積み、そのままでもサーキットを走れるファインチューンを施したのがN430というわけだ。

更に言及すると2016年には自社製E/GではなくメルセデスAMG製E/Gの供給を受けると決まったため、2016年式の試乗車は最後の純アストンマーティン製E/Gのマニュアル車となる。最後のナントカと言うのは不思議と魅力的な響きがある。私の周囲のマニアなら「最後のペリメターフレームの・・・」とか「荻窪で開発された最後の・・・」とかそういうものを魅力的に感じる人は多いはずだ。



V8ヴァンテージは今までのアストンマーティンよりもやや低い価格帯(と言っても1500万円クラス)ながら、廉価モデル扱いではなく充分に本格的な2座クーペである。

ボディサイズは全長とホイールベースだけならCT200hと同等。車幅は現行型NX350hと簡単にイメージし易いだろうか。



同時代のV8を積んだスポーツカー達と較べると少々ヘビーなのが特徴的である。


デザイン的にも伝統的なアストンマーティンのアイコンを残しつつも、プロポーションの良さを活かした彫刻的に美しいフォルムを身に纏う。

走らせてみると発進時のクラッチミートに気を遣う以外は、近所のAEONにも行けそうな扱いやすさを持っている。決して気難しさをもウリにしているのではなくフレンドリーだが、本領を発揮するのは無論サーキットやハイウェイである。乾いたV8のサウンドを楽しみながら何処までも加速していく。

V8ヴァンテージN430に乗ってみると、何か特別に奇を衒っている訳ではないのにあらゆるシーンで自信が漲る感覚を覚えた。デザイン的なトリックに頼らないエクステリア。丁寧にしつらえられた内装トリム。そして乾いた咆吼と共にどこからでもトルクが湧き上がる大排気量のV8E/G。



過酷な走りに応えるための機能を持ちながら、大切な人を助手席に乗せてゆったりと都市を流してもサマになる。この多彩な才能をひけらかさないのに余すところなく発揮するところがアストンマーティンらしい高級スポーツカーの姿なのだろう。

ハンサムで頭脳明晰、さらに少々荒っぽいこともこなせるセクシーな銀幕の007の様な車、というのが薄っぺらい私の感想だ。どことなくマスキュリンな薫りが漂うのも特徴で妖艶なラテン系スーパーカーとここが最も違う。

なんともそのまんまの感想で気恥ずかしいのだが、推敲を重ねても結局これが分かり易いのでそのまま書いた。

一生のうちでまさかアストンマーティンに思い切り乗せて貰える機会が車とは思わなんだが、長生きしてみるものだ。

私が満足いくまでとことん乗せてくれたオーナーのカーガイに感謝。

Posted at 2024/05/28 23:37:11 | コメント(2) | クルマレビュー
2024年05月02日 イイね!

ヤマザキマザック工作機械博物館

ヤマザキマザック工作機械博物館先日、ヤマザキマザックが運営する「工作機械博物館」へ行ってきました。

実は一度、子連れで見に行ったのですが余りのクオリティの高さに感銘を受け、
会社を休んで妻と見てきました。(妻もじっくり見たかったらしい)

デミオで行ったのですが、普段の運転だと4人乗車する事が多く、珍しく2名乗車で身軽なデミオの走りを堪能しました。1名乗車だとあのハイギアードで充分事足りますね。

ヤマザキマザックについて私は余り詳しくなかったものの、工作機械メーカーとしては有名らしく、創業はあのワイマール憲法と同じ1919年。名古屋で畳の製造機械を作る会社としてスタートし、1928年には旋盤を商品化(1号機)し工作機械メーカーとなったのだそうです。

現在では「オークマ、DMG森精機、ジェイテクトと共に日系四大工作機械メーカーの一角を占める。」(Wikipediaより)
と言うことですが、同社製品を余り見かけたことはありませんでした。


↑商品化1号機(旋盤)

知人のベアリング部品メーカーの同級生に聞いてみたところ、社内には何台かMAZAK製の設備が稼働しているとのことでした。私の会社では精密な部品を扱っておらず、そもそも職場にも精密加工機はありません。せいぜいボール盤くらいのもので見かけないのも無理は無いですね。

しかしながら、あらゆる製品は工作機械によって産まれており、マザーマシーン(母なる機械)という呼び方も納得が行きます。私が最終製品の機械を学ぶ上では工作機械を知る事も必要なのです。「私は専門家ではありません」が、と言い訳しつつも機械加工を分類を試みました。

鉄を加工して何かの形状(例えば歯車など)を生み出す方法は大まかに3つあります。

①溶けた鉄を砂型に流し込んで固めて形状を作る→鋳造

②柔らかくなるまで熱した鉄を叩いて形状を作る→鍛造

③常温の鉄を刃物で削って形状を作る→機械加工

番外 粉末の鉄を型に入れて焼き固める→焼結

現代では色んな方法があるのですが、最も精度が高い方法は③の機械工であり、①や②で作った部品も最終的には精度を要する箇所は③を経て完成する例が非常に多いです。

工作機械博物館では③を行う工作機械の歴史を紹介してくれる博物館です。しかも展示されているコレクションはレストアされて実働なのです。

そして特徴的なのは各時代の代表的な機械と、それらを製造するために活躍したであろう工作機械が近くに展示している事です。工作機械だけを展示したとしても硬派すぎて一般の人にはついて行けなくなるところを、蒸気機関車を始めとする各時代の乗り物を一緒に展示することで工作機械の寄与をイメージしやすくした点は素晴らしい工夫だと思いました。

これまでは名古屋市のトヨタ産業技術記念館にしかこう言った展示はありませんでしたが、もっと工作機械にフォーカスした歴史を紹介するという意味では工作機械博物館こそが真打ちであるとも言えます。

機械系の学生は是非訪れて欲しいですし、カーマニア達も意外とこういうものには興味がそそられるのではないかと思われます。

例によって全ての写真はフォトアルバムに残し、ここでは幾つかに厳選して紹介します。

原始時代は石を割って歯を形作ったり、削って作られた打製石器や磨製石器の時代がありましたが、加工しやすい銅を使った時代や隕石に含まれていた純鉄を使った道具などが知られていました。古代から金属の加工というのは行われてきました。

ただ、人々の加工の中心は木材が多く、初期の加工機は人力で動く木材用として発展したようです。刃具を手などで固定し、工作物に紐を結びつけてを回転させて加工する旋盤は古代エジプトでは既に存在し、それが2000年以上も使われていたようですが、中世ヨーロッパになると木の枝の反力を回転力に換えたポール旋盤が発明されました。このポール旋盤は昔の教科書で学んだことはありましたが、実物が見られるのはさすがと言わざるを得ません。



人力による往復運動を回転運動に変換するクランク機構を考案したのはレオナルド・ダ・ビンチだと言われています。

この発明が実用化されたのは更に時間を要したようですが、それにより連続的に回転させる工作機械が発展しました。



もう一つ、蒸気機関の効率を飛躍的に向上させたのがウィルキンソンが産みだしたシリンダの加工法です。



彼は従来片持ちで加工していたために精度が悪かったものを、両持ち支持にして送りも自動化したことで蒸気の圧縮漏れを減らし、産業革命を後押ししました。

そんな蒸気機関を象徴する機械が蒸気機関車です。



この蒸気機関車は、比較的しっかりとレストアされている様に見受けられます。
なんと運転操作の簡単なレクチャーと汽笛を鳴らす体験も出来て私などは写真には映せませんが満面の笑みを見せてしまいました。



(D51型よりも昔ですが)蒸気機関車が出始めた時代には水力や蒸気が使われていましたが、大量の水が必要な水力では川の近くにしか工場が作れないなどの問題もありましたが、それらを解決したのは電気モーターでした。

蒸気機関などを用いて発電機を回し、天井の梁に取付けられたモーターを使って天井のシャフトからベルトで動力を取り出す工作機械が産まれました。確かにトヨタグループの祖業の織機でもベルト駆動で運転される様子を見たことがありましたが、工作機械もそうなんですね。





下に示すターレット旋盤は、ハンドル操作で回転する刃物台を使って異なる加工を段替えせずに連続的に行えました。



拳銃の部品などに威力を発揮したと言いますが徐々に高精度な大量生産によって機械部品の互換性を持たせてあらゆる機械が低価格化や信頼性が向上していく時代に入ります。

そして忘れてはならないのが、20世紀初頭のアメリカで自動車が大衆化されました。象徴的な機械としてT型フォードが展示されています。




修理も容易で扱いやすいシンプルな構造と、大量生産による低価格化。ヘンリーフォードは食肉加工場をヒントにT型の生産ラインを考案したとされていますが、マザーマシーンの進化もそこには貢献しているようです。

ここに紹介されているのはグリーソンの歯切盤です。文字通り歯車を加工するための加工機ですが、当時としては驚異的な速さでギアの加工が行えたそうです。



そのため、グリーソン社製歯切盤の保有台数が自動車の生産能力を示すと言わしめるほどの圧倒的な力を持った時代があったようです。同型の設備はトヨタ産業技術記念館でも展示されています。

このころ、工作機械は次のフェーズに移行します。ベルト掛けでは工場内のレイアウトが一度決めたら変更しにくく、フレキシビリティが足りなくなりました。

効果だったモーター一機で複数の機械を駆動するのではなく、工作機械にモーターが直接取り付けられる「直結式工作機械」が産まれました。私が高専生時代に工作実習で慣れ親しんだ工作機械は、まさにこの時代の技術なのだとこの時気づきました。





昭和初期にはこれら工作機械が国産化され始め、瓦斯電の工作機械が展示されていました。



この時代の象徴的な機械は航空機です。これがまた、私の高専時代に学校に飾られていたテキサン練習機なので胸が熱くなりました。



なんと操縦桿を触らせてもらいました。私自身にとっては機械加工=高専時代の実習なのでここでも懐かしい気持ちに浸ることができましたが、当時は触れなかった実機の操縦桿も触ることができるとは長生きしてみるものですね。

次のエリアに向かう途中、昔の機械も紹介されていました。大がかりな機械以外の生活に即した機会という事で機械式時計、鉛筆削りから電子レンジ、ビデオデッキ、テレビゲーム、PCが展示されていました。







展示の後半戦となってきましたが、ライセンス生産による国産(三菱エリコン)旋盤が展示されています。



そして、ここから徐々にMAZAKの製品が並び始めます。



ちなみにMAZAKというブランド名は「YAMAZAKI」が英語圏で発音しにくいので、現地代理店が「MAZAK(メイザック)」と呼称したことが発端とされています。

ここにはMAZAKの製品を作るためのマザーマシーンのマザーマシーンも展示されています。



このフランスのリネー社の平削り盤は旋盤のヘッドを6台一気に加工できるほど大きな設備で実際に稼働していたといいます。

MAZAKの製品は対米輸出も行われ、実績を積んでいきますが1960年代になるとNC(数値制御)が出現します。それまでオペレーターのスキル差、個人差によって製品の出来栄えが左右されてきましたが、数値制御を使えば早く・均一に量産ができるようになります。MAZAKはこのNC技術を早期に織り込んで有名になったようです。

このプログラムはGコードと呼ばれていますが、テレビ番組を録画するためのアレとは異なり、切削する際の座標位置を指示したり早送りさせる、工具交換させる、などのコマンドを手入力で入れていくためのコードです。これらも学校で習いましたが、それさえ間違えなければ誰でも同じものを作ることができる点でオートマチック車の様に敷居が下がります。

これらのプログラムをどうやって記憶させるか?という疑問湧きますが昔ながらの紙テープに穴を開けて覚えさせる方法が紹介されていました。



写真のfriden社は米国のメーカーで初期のコンピューターを作っていたが1970年代には消滅したようです。

その後のMAZAK製品では市場で入手しやすいカセットテープを使ったNC工作機械を開発していました。(私が高専生だった25年くらい前は、まだフロッピーディスクが主流でした)



その後、数値制御に加え、複数の工具を工作機械自身で交換し複雑な形状を切削できるMC(マシニングセンタ)が出現しました。



この様な加工機によって生み出されていたのは三次元的な形状が必要なヘリコプターです。ネット調べだとヒューズ社からライセンス提供を受けた川崎重工製とのこと。



1950~60年代から宇宙開発時代が到来し、複雑な加工が可能なNCフライスやCNC旋盤、MCは一気に発展しています。一般的な企業でもこの時代の機種が今でも稼働しているのを見たことがあります。



そして展示は遂に現代に至ります。

MAZAK製の最新機種が展示され、しかも稼働しています。
外観はケン・オクヤマによるエクステリアデザインがなされ、
のぞき窓から中を見ると、驚くべき速さで金属板をレーザーカットしていました。



原理が分かり易かった過去の工作機械と較べると、細心のMCは動作中の姿がブラックボックス化しているから若干ワクワク感が減ってしまっているなぁ、なんてと言うのは昭和生まれの老害の考え方なんでしょうね。

ただ、これらマザーマシンによって生活に寄り添った便利な機械が作られ、私達を幸せにしてくれているという事実は数百年前から変わっていません。

ここをご存じない方には産業技術記念館の工作機械版と考えていただければイメージしやすいかと思います。MAZAKのエキスパート思われる博識なおじいちゃんが色々と寄り添って教えて下さります。私は2時間以上一緒にアテンドしていただき、解説をして頂きました。その後1時間ほど最初からおさらい見学をして、飲まず食わずで3時間一気に見学してしまいました。こういうところで興味の湧くままに展示に夢中になれるのは有意義な有休の使い方と言えます。

こう言ったマザーマシンの展示は、過去には熊本大学の構内?や明治村で見たことがありますが、東海地方でこれほどまでの規模は貴重な存在です。

高速道路からも近いので県外からでも訪問しやすい場所だなと思いますが、工業高校や高専の学生が遠足や自己研鑽のために行くことも良いと思います。機械加工関係の研究室の大学生が行くとテンションが上がります。

案外、文系の妻も喜んでみていたので博物館好きな大人なら充分楽しめるかなと思います。一度訪れてみて頂きたいお薦めスポットです。

お土産は鉛筆削りです。



鉛筆をMC型の鉛筆削りに入れると削られて(切削されて)出てくるという、それだけのことですがここにはピッタリですね。
Posted at 2024/05/02 22:26:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一般ブログ | クルマ
2024年04月12日 イイね!

富士モータースポーツミュージアム見学

富士モータースポーツミュージアム見学かねてから行きたかった富士モータースポーツミュージアムへ行ってきた。


概要や設立の経緯はWikipediaをご参照いただくとして、トヨタ博物館で展示されてきたモータースポーツに関連する車両や国内外のメーカーの協力を得て富士スピードウェイそばのホテルの1-3Fが博物館になっているのが富士モータースポーツミュージアム(以下FMMとする)である。

前々から気になっていたものの、諸々の条件が整ってきたので、オープンからおよそ1年4ヶ月遅れでやっと見学にこぎ着けた。

朝、子供達を起こし着替えさせ、デミオに突っ込み出発。化粧は車内で行ってもらい、後席の子供達には朝食の菓子パンを渡して高速道路に流入した。

道路は意外と空いていたのでデミオのGT性能を遺憾なく発揮し、快調そのもので新東名を降りる前に早めの昼食をとり、新御殿場ICで降りると驚いた。路側には雪が降った後があったのだ。完全夏タイヤで来てしまったので失敗したなぁと思いながら慎重に現地へ向かった。

車を降りると気が引き締まる様な気温。駐車場にはロードスターやスイスポ、スープラなどそれっぽい車が並んでいた。

自動車部品のオブジェやトヨタ7を目の当たりにして感動に包まれたが、QRコードで入場すると、昔のトヨタ博物館を知る人には懐かしい車両達がお出迎えしてくれた。




全部を紹介することはできないので、私が撮ってきたスポーツカー・レーシングカーたちはフォトアルバムを見ていただくとして、軽く抜粋した車を紹介する。

まず目に入るのは「パナール・エ・ルバッソール」である。フロントエンジンリア駆動という自動車の基本的要素を備えレースで活躍したという偉大なモデルである。



そのあと、からはトヨタ博物館で昔飾られていた私にとっては懐かしい車たちと再会した。







カーグラTVのオープニングでおなじみの1926年式ブガッティはトヨタ博物館でも
お馴染みだったのだが、今回の展示でパワーアップしており、なんとブガッティ純正?万力が展示されていたのは笑った。どこから見つけてきたのか・・・・。



ちょっと面白いのは、量産車で有名な4人の自動車メーカー創業者が携わったレース車が取り上げられている事だ。

●ヘンリーフォード


ヘンリーフォードは資金集めのために「フォード999」を作り、自らもレースカーを駆って参戦し、出資者を集めたという。

その資金でフォードT型につながるフォードモーターカンパニーを設立したというから、レースへの参戦は人々への絶好のアピールの機会だったと言える。



FMMに展示されているのは1966年に作られたレプリカである。



速く走らせるために排気量を18000ccとし、デフさえも与えられない粗暴さは自動車を大衆化するという目的の為に、高度な材料を使って強度を持たせつつ軽量化し、流れ作業を導入し、黒一色に絞って種類を減らしてまで低廉な自動車を普及させようとしたヘンリーフォードの一途さにも通じていると思う。






●フェルディナントポルシェ
フォルクスワーゲンやポルシェを産んだポルシェ博士は高級スポーツカーやグランプリカーを手がけてきたが、ここで取上げられているのはローナーポルシェの模型である。



ローナーポルシェは1900年に作られた前輪ハブリダクションモーターのBEVで
世界初の変速機や差動装置を持たない自動車となった。更に後には航続距離を稼ぐためにガソリンE/Gで発電してモーターで走らせるシリーズハイブリッドを実用化してたというから、その先見性には畏敬の念を感じる。

ポルシェ博士は後にレーシングカーに改造して90km/hまで発揮できる様にしたという。

展示されているのは模型であるが、事実としてEVから発展し、自宅で充電出来るPHEV車を最初に作ったという事実は素晴らしい偉業である。

●豊田喜一郎
トヨタ自動車が運営する博物館ゆえに意外な人物が登場する。我が国で純国産自動車を生産し、自動車をみんなのものにしようと情熱を傾けた豊田喜一郎だが、公営ギャンブルの一つとして4輪オートレースに対し、販売店のサービス部門によって製作されたレースカーを送り出した。自動車技術の発展を願いつつ、会社の経営状態を考えたとき、莫大な開発費をかけられずレースの賞金を開発費に充てられるからだった。



展示されているのは愛知トヨタが手がけた2号車で当時タクシーとしてよく使われたSD型セダンをベースにしている。前後重量配分を最適化するためにE/Gが後に置かれ、変速機は4速仕様でありながら、悪路走行や過積載発進に配慮したローギアードな1速、2速は使用せず、3速と4速だけで走らせたとのこと。

実物は現存していないので展示されているのはトヨタ社内で復元されたレプリカであるが、当時モノのS型E/Gをレストア、ボデーは手たたき板金で製作した。決して素晴らしい戦績を残したり高度なメカニズムで見る人から羨望を集めたモデルでもない。

それでも、何とかして日本国内のモータースポーツを通じて国産自動車のために
なることをしようとした喜一郎氏が唯一関与したレースカーである。



●本田宗一郎
日本でモータースポーツに力を入れたメーカー創業者と言えば、真っ先に名前が挙がりそうなのが本田宗一郎である。

ホンダは2輪も4輪も世界一になった経験がある貴重なメーカーである。FMMに展示されているのは1961年に250ccクラスでライダーズ&マニュファクチャラーズタイトルを獲得したRC162と1967年F1グランプリ4位入賞のRA273である。



RA273は空力付加物がなく、すっきりしたアルミ合金製の車体はリベットで止められ、V型12気筒エンジンからは生き物の様に有機的なMg製エキパイが後方に伸びている。




ゴツいドライブシャフトやクロームメッキされたサスリンク(強度が上がると信じられていたらしい)、スタビライザーバーなど見ればうっとりする様な妖艶さがある。




実際はパワーはあれども。内製シャシーは車重が重く、レギュレーション変更で混乱した状況ゆえに優勝こそ実現しなかったが善戦した。

その経験は、ローラ製のシャシーを使った次期作RA300にて活かされた。


1Fの残りのフロアは戦後の日本メーカーによるモータースポーツへの挑戦が紹介されていく。日本グランプリ、鈴鹿サーキット、富士スピードウェイを走ったマシンが展示されている。







エレベーターで2Fへ上がる。

レースで鍛えられた技術が市販車に活かされる時代を紹介する。

地元連携モータースポーツのパイオニアであるタルガ・フローリオ、
ミッレミリアを走ったスポーツカー達。

アルファロメオは、トヨタ博物館に展示されていた時代に「ブランド」を強く感じさせられた思い出のあるモデルである。

若い頃、どんなクラシックカーを見ても同じように見えてのだが、このアルファロメオをみて、「速く走れる様に背が低い」「横から見たプロポーションが美しい」「この赤は、現行型アルファと同じ赤だ」1930年代でも2000年代でもアルファロメオなんだなと気づかされた思い出のある車だ。






世界最高峰レースであるラリーカーでは複数の日本メーカーの車が行き危機と展示されている。

速すぎて無くなったグループB車両、国産ラリー車の改造箇所やオリジナル箇所を確認しながら、痛車文化が強くなる前は、ラリー仕様風のスポーツモデルをよく見かけたなぁと懐かしかった。











そして24時間耐久レースが取上げられていくが、マツダ787BとトヨタTS020GT-oneは一等地に並んでいる。ルマン24時間レースは地上波で中継で放映されたいた子供時代はリビングで夜更かしできるワクワクイベントだった。











トヨタはその後欧州でのプレゼンス拡大を狙ってF1にも参戦していた。優勝は叶わず、ホンダの様な伝説的なニュースは無かったがこの時期はF1参戦以外にも欧州をメインに挑戦したアヴェンシスや初代ヤリス・ファンカーゴなど自動車発祥の地に対して真摯なアプローチを行っていた。



ここから先は富士スピードウェイの象徴的なマシンが並ぶ。





展示されているフットワーク・ムーンクラフトスペシャル・7はヤマハ製5バルブE/G(2LのV6で330ps)が560kgの車体を引っ張る。特筆したいのはこのE/Gには吸気量の確保、高回転化の追求のために5バルブが採用されていることだ。



ヤマハはこのレース用E/Gを1984年に発表し、1985年にモーターサイクル用に5バルブE/Gを実用化した。1989年には三菱がミニカのために5バルブE/Gを量産車で初めて搭載し、1991年にはトヨタが4A-GEにVVTと一緒に目玉技術として5バルブを盛り込んだ。その後もVW/AUDIがスポーツモデル用に5バルブを採用していたが、それっきり5バルブの採用は途切れてしまったが、レースの技術が量産車にも展開されていった実例の一つだと言えるだろう。

これ以降も、富士を彩ったマシンが続く。





後にフォーミュラニッポン、スーパーフォーミュラに続く、F1に次ぐカテゴリーF3000、そして市販車ベースで改造範囲の少ないグループAになると車種が一気に身近になる。

壁には富士スピードウェイのレースシーンの写真が飾られている。めざとい私はふと小さな車が気になった。





AE92やん!と嬉しくなった。

レビンなので私のセダンとは全然違う見た目なのだがそれでも嬉しく感じる。宿敵EFシビックとの死闘の末にクラス優勝を果たした事もあった。いつか実車が展示されるときには再び訪れたいと思う。

そして展示のクライマックスに近づくと、世界記録に挑戦した車として
トヨタ2000GTのタイムトライアル車(レプリカ)とNSXタイプRが展示されている。

どちらも世界記録を持っているスポーツカーでいわゆる羨望の的である。





NSXを考える上で最も素晴らしいのは、長く乗りたいオーナーのためのリフレッシュプログラムが存在したことだ。

調べてみると休止している様だが、地道な活動がNSXの価値を高いまま残し続けているはずで、今後クラシックカーとして残るためにもこのプログラムの再開は強く希望したい。



マツダが近年、NA型ロードスターのレストア事業を開始したが、その脳裏にはNSXの存在が必ずや存在したはずだ。

例えば隣に並ぶトヨタ2000GTは、内外装の美しさやクラフトマンシップ、世界記録に挑んだ高性能に加えて希少性も相まって長きに亘り国際級のプレミアを維持し続けてきたが、近年は補給部品の供給がほぼ途絶えたために、クラシックカーとしての市場価値が損なわれてきているという。投機目的のオーナーも存在するが、サービス体制が一定量維持されていることもクラシックカーの価値を左右している。
そんなこともあり、ドライブトレーン部品の再生産が2020年に始まった。こうした動きは今後の自動車文化の発展の為には必要であろう。

第二次世界大戦後に自動車産業が急速に発展した日本だが、その日本が生んだモータースポーツ文化を象徴するドリフト仕様のGRスープラが飾られていた。確かに速さよりもドリフト時の並びや芸術性を競う競技は今まであまりなかったのでは無いだろうか。遂に日本から一つの競技のカテゴリーが産まれたのかと思うと、自分はドリフトをしないが、喜ばしいものだ。



最後は自動車大国の北米のモータースポーツに対して挑戦したレースカー達が並ぶ。

一番最初に目を引くのはNASCAR仕様のカムリだ。古き良きアメリカのV8後輪駆動を、北米でFF直4でスタートしたカムリを名乗る面白いレースカーだ。V8、OHVであることがレギュレーションのため、カムリと言えども初代センチュリーの様にOHVなのである。カムリの長い歴史ではFRカリーナベースの初代は12T-Uや13T-Uを積んでいたが。







ここに展示されているものの全てを語ることは、
モータースポーツに殆ど親しんでこなかった私には難しく、
同じものを見てもモータースポーツファン程の気づきが得られたのかは自信がない。
とはいえ、実物は見る人に対して雄弁に語りかけてくるもので
モータースポーツに挑んだ車両達の繊細さ、逞しさ、楽しさが伝わってきた。

他メーカーからの借用車両だったりすることもあり、展示車両が入れ替わることは鮮度保持の面では有効だと思われるが、
各ゾーンのテーマ性を維持するための努力も相当なものがあるのだろうと推測している。

何だかんだで一般向け量産車を好む私でも楽しめる2時間だった。
展示を見すぎて子供達からブーブー怒られたのと雪が心配だったので
早々に退散。

その後は三島市立公園でケープハイラックス(かわいい)を見たり、
子供機関車に乗ったりしながら、富士宮やきそばに舌鼓を打った。








静岡市のスーパー銭湯で風呂に入り、子供を寝かせながら新東名をひた走り、
日付が変わった後に帰宅した。(子供達は布団にそのまま差し込んで終了)

燃費が良く、高速で力のあるデミオはありがたい。

そう言えばFMMにはバイオ燃料を使ってレースに参戦するマツダ2の勇姿が写真で紹介されていた。



少しだけ、妻の車に対して誇らしい気持ちになった。
まだ訪れていない方は是非尋ねてみてほしい。

Posted at 2024/04/12 22:23:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | イベント | クルマ
2024年04月01日 イイね!

愛車と出会って18年!

愛車と出会って18年!4月1日で愛車と出会って18年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

本当に早いもので17年落ちで購入して18年。妻より付き合いが長いです。横須賀の関東自動車をラインオフしてからはちょうど35年になります。クラシックカー感出てきましたね。

調べてみましたが、2598km走った2023年度の年間経費は13万501円でした。(保険税金高速代など込み)
ガレージ代は入れてません。

2006年の購入からは10万6588km走りました。(かけたお金は計算してません)

ガレージ建てたので自宅にカローラが置けるようになり、持ち主としては幸せです。乗れなくても見に行ってみたりして。

ストック部品も少しずつ移動させて保管体制を構築中です。

■この1年でこんなパーツを付けました!
なんも付けてませんが、今の状態が気に入ってます。

オリジナルの味をどこまで維持できるか、が勝負どころ。企業レストアみたいに何でもかんでも金にモノを言わせてワンオフ製作!は難しいので市井の家庭持ちサラリーマンがやれる範囲でやっていきたいと思います。

■この1年でこんな整備をしました!
バッテリー上がりましたので交換しました。
あとはワイヤレスドアロックの金具交換と電池交換しました。たまたまストック品をスギレンさんからいただき助かりました。気持ちよく走ってくれるのはカローラ待ち前の信頼性と主治医のおかげです。下手したら10年前より調子いいかも。

■愛車のイイね!数(2024年03月27日時点)
1140イイね!

■これから維持りたいところは・・・
ヘッドライトのイエローバルブが既に生産中止で手に入らないけど、光量が落ちてきているような。どこまで維持できるか!この見た目が好きなんですよねぇ。

頑張ってくれてるけど、純正ラジエーターがそろそろやばいかも。オーバーヒートは怖い。

アイドル回転数は調整しても上手く決まらないですけど、直すの大変そうだし走れるので維持。燃費には影響してそう。

ルーフやフードの細かいデントリペアしてみたい。キズだらけのアルミホイールなんとかしたい。マフラー吊りゴム交換出来てない。

■愛車に一言
乗れば必ずT-VISは作動させるので、毎回お疲れ様です。買ってから18年経っても未だに走りが軽やかなので楽しいです。車から降りると外観が穏健なのも気に入ってます。

老人にかけるような言葉ですが、これからも末永く、細く長く楽しんでいきましょう。私のやれる範囲でやれる事をやります。もうすぐ車検なので無事通過できますように。

壮大な計画よりも、スモールステップでまずはあと2年頑張って20周年を目指しましょう。

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2024/04/01 00:12:52 | コメント(2) | トラックバック(0)
2024年03月19日 イイね!

2023年式MX-30 Rotary-EV感想文

2023年式MX-30 Rotary-EV感想文●令和を走るマツダの精神的生命線
2023年11月、新型ロータリーE/G(以下RE)を搭載したMX-30 Rotary-EVの情報が自動車メディアを賑わし始めた。日常生活では家庭充電でBEVとして利用し、長距離の際にはコンパクトなREを発電機として利用しシリーズ式HEVとして走行する独自のPHEVシステムを開発した。

REを発電機に利用する技術は後述するが元々他社が先行し、マツダでも研究を続けていた。最終的には駆動用電池は107kmに留めつつ、新開発のREに50Lタンクと組み合わせることで航続距離を確保。普段の生活は電動走行が楽しめるよう家庭充電機能も付いた実用的なPHEVとなった。

●REを発電用エンジンとして再出発させる
2010年代に遡るとレンジエクステンダーEV(REEV)という概念が存在した。当時からEVは航続距離に課題があったが、下記条件を満たせばREEVと呼ばれてBEV同等のZEVと見なされた。

外部充電による走行距離が75mile(120.7km)以上であること。
補助動力装置(APU:Auxiliary Power Unit)による走行距離が外部充電による走行距離以下であること。
補助動力装置はバッテリーの電力が低下するまで作動してはならない。
極超低公害車(SULEV)とエバポ排出ゼロ基準に適合していること。


上記を満たさない場合はPHEVとして扱われる。BEVの航続距離が全く実用に値しないことを自白するかの様なREEVという概念だが、考えてみればZEVを名乗るためにわざわざPHEVよりも不便にするという妙なカテゴリーだ。補助動力に頼り過ぎるようだとZEVと呼べないということらしい。

REEVは2014年にはBMWがi3を発売し、中国でも国内向けに数モデルが世に出現した。i3は21.8kWhの電池を積みEVレンジは196km走行可能だ。BMW i3はレシプロE/G(647cc2気筒)を積み、9Lタンクで150km程度は走行できた。確かにBEVが持つ燃料切れの不安から解消されるメリットは大きかった。

ここにREの可能性を見い出したのが、かつてのNSUを吸収したAUDIだった。2011年にAUDIが試作車ながらレンジエクステンダーEVを発表しており、ジャーナリスト向け試乗会も実施されている。



A1 e-tronは254cc×1ローターで18KWを発揮し、5000rpm定常運転で発電機を回してバッテリに電力を供給することで、EVレンジ50kmをREによって250kmまで拡張するという。シングルローターというところもNSUチックで、AUDI自らNSUの技術を葬った割にイメージ戦略には利用する点がクレバーだ。

マツダはこれを見て「居ても立っても居られなくなった?」のか2013年にはデミオDEベースでRrフロアにREを置いた試作車を発表した。

幻のシャンテ用3A型を彷彿とさせる330cc×1ローターで22kWを発揮。元々JC08モードで200kmEV走行可能な実力を180km延長した。この時の燃料タンクは9Lとされていたので20km/Lという燃費性能だった事になる。

REEVの補助動力源としてRE新時代が来るのか・・・・と期待したがそこから10年待たされて
REEVではなく、PHEV「e-SKYAKTIV R-EV」としてようやく実用化の日を迎えた。

●REを残すために身を隠した11年間
マツダが決死の覚悟で1967年に実用化したREは、バブル崩壊による経営危機やフォード傘下時代を乗り越えた。REはマツダのDNAであり魂でありご神体でマツダの個性・技術開発の象徴の一つと言えた。2012年にRX-8が生産中止になってもレネシス以降の次世代REの研究は行われており「16X」なるREの存在が知られていたが、世に出ること無くお蔵入りになった。

NSUがAUDIに吸収され、トヨタや日産、スズキやヤンマーがREを諦め、REを進化させることが出来るのは世界でマツダだけだったのに、その進歩が止まってしまったのだ。



ここ10年ほどのマツダは皆が知るとおり、E/Gと車体を含めて一括企画することで存在感を示してきた。ロードスターを残し続けてスポーツカーへの愛も失わなかったが、REに対しては冷淡と言える程の態度を対外的に示し続けてきたのだ。2012年にRX-8を生産中止とした後、挙げ句の果てには2018年にはRE開発部隊を解散させたと報道されるに至った。これはRX-9?への過度な期待をかわして実質的なREの存続を図るために地下に潜っていた期間だったのだと私は思う。

仮に2015年頃にスカイアクティブR!800cc×2ローターターボで350psだ!燃費はRX-8同等の9.5km/L!的な「ぼくのかんがえた最強のREスポーツ」が仮に発売されたとしたら一体どうなっていただろうか。

台数を稼ぐには北米への輸出が必要だが企業間平均燃費の縛りや世界的な原油高など、厳しい環境の中で規制値は右肩上がりに厳しくなる。発売した瞬間だけギリギリ適合しているような「その場限りのREスポーツ」では些細な規制強化につまずいてしまい、再びそそくさと市場から退散することになりかねない。多少の環境変化に負けずにREが継続的に存続できる技術が得られるまで身を隠す方が得策だ。

●まとめ~上手にREを復活させてくれた~
MX-30 ROTARY-EVの魅力と人々の興味は新しいPHEVシステム、その中のREが大部分を占めていることはほぼ断定しても問題ないだろう。そしてそのREの中身は経営効率や業界内勢力の拡大などのそろばん勘定による合理的判断では無い。



この技術はオワコンと化した自動車業界の中で車に興味の無い層へのアピールよりも、自動車にロマンを抱いている希少なファン層に向けたアピールが強い。更に、マツダ社内の従業員の士気を上げる為のちょっとした投資でもある。いや、福利厚生とでも言うべきかも知れない。MX-30 ROTARY-EVに触れ、乗ってみてこの車の主成分は相変わらずロマンだと思った。ドラマチックかつエモーショナルなRE復活劇のアウトプットが意外なほどチルなMX-30の追加バリエーションに結実したのが面白い。

MX-30は2020年にマツダ初の電動車として発売されたが、主流とは敢えて外れた道を行く「分かりにくい」モデルだった。MX-30の全体的にチルなキャラクターに濃厚なエモーショナルE/GであるREを内包した「e-SKYAKTIV R-EV」が加わることで全体のバランスがとれ、MX-30という車種が完成したように私は感じた。

RE復活に対して負の影響を及ぼしかねない偏狭なマニア層を遠ざけるのには最適のアッパーボデーともいえる。強すぎるマニアの期待の声というのはブランド的メリットの反面、商品を殺してしまう劇薬でもあるからだ。

そんなMX-30を見ているとフロントマスクやルーフにルーチェロータリークーペの面影を感じた。考えてみればスペシャルティな横置きFFのREという部分でも共通している。



MX-30 ROTARY-EVは2024年現在は納得できるEVレンジ(107km)と決して燃費が優れているとは言えないREを使って800kmを超える航続距離を手に入れ、パーソナルカーとしては不満の出ない使い勝手も持っているから、買った人が実用上困らないようになっている点は評価できる。このモデルで徐々に経験を積んで今後の展開にも期待したい。

パーソナルカーとしては意外なほど脱エモーショナルで、BEVらしいお約束演出が無いものの違和感が無く、燃費が悪すぎて致命的な拒絶反応を受ける事は無いSUVライクスペシャルティとしてはそれなりの説得力がある。しかし、純粋な道具としての機能は粗削りに感じられる面もあり、3★である。

マツダにはREの炎を再び消さないように「安全運転」で育ててほしい。REスポーツ待望論者も、この変化球を毛嫌いせずに「マツダへのふるさと納税」の様な気持ちで選択肢に入れることは、ひいてはREスポーツ復活の応援をしていると言うことに繋がるだろう。



コアなRE愛好家以外は、BEVの航続距離に満足出来ないシングルorカップルのファーストカー、或いは非常時給電に便利な発電機能付きセカンドカー需要では選択肢に入ればいいのだが。
Posted at 2024/03/20 00:37:28 | コメント(1) | クルマレビュー

プロフィール

「@キャニオンゴールド さん 恐ろしい。北斗の拳のザコキャラが⚫︎ぬ前みたいな💦」
何シテル?   06/15 14:19
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
89101112 1314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

けいほう・・・ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/10 00:10:05
合衆国のVW文化、その4 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/30 17:44:50
ゴールデンスランバー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/26 09:45:46

愛車一覧

トヨタ カローラ トヨタ カローラ
1989年式(マイナーチェンジ直前) カローラGT。 ヤフオクで発見し、 不人気車ゆえに ...
トヨタ RAV4 L トヨタ RAV4 L
1996年式 標準グレード。 私が小学生だった1994年、RAV4が颯爽と登場した。私 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
2000年式 NC250。 長年、趣味の先輩達と車談義を重ねる中で定期的に「プログレは ...
シトロエン DS3 シトロエン DS3
2011年式 スポーツシック・エディションノアールII。 ラテン系ホットハッチ(プレミア ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation