
トヨタ博物館では企画展連動で走行披露見学会が催された。
トヨタ博物館のポリシーは動態保存であり、どんな旧い車も定期的にメンテナンスを行い走れるように調整されている。ただ、これも突き詰めていけば部品交換や修復が必要となり将来に亘ってこのポリシーが維持されるかどうかまでは分からない。しかし、1989年の開館から現在までは一貫して動態保存を続け、近年では走行披露見学会と称してファン達に走る姿を見せることで、その展示品の生きている姿を知ってもらおうと努めている姿を私は賞賛したい。そしてこうした機会を見られるのは、旧車ファンにとっては貴重な機会だ。
今回の走行車両は
①1966年式ダットサンサニー1000
②1966年式カローラ1100
③1972年式シビック
④1973年式スプリンタートレノ
である。④は元々カローラレビンだったのだが当日になって不調になり、急遽エントランスに飾られていたスプリンタートレノに白羽の矢が立てられた。この様に走行披露では前日まで調子が良かったのに当日になって走れなくなるという憂き目に遭った車が他にもあるらしい。毎日走っている車は故障しにくいと言われるが、トヨタ博物館の展示車のように数ヶ月、数年単位で展示されたままの車は、確かに気を遣うだろう。
●土曜に時間ができるという奇跡
さて、当日は土曜日である。我が家は共働きのため平日にやれなかった子供達の習い事やら買い出しやらに忙殺されているのが日常であるが、「初代カローラが走るから」という私たっての願いが叶えられ、午後からお暇を頂いてきた。(前日、早めに帰宅して外食に誘い、夕食作りから解放してポイントを稼いだことが功を奏したか?)
せっかくだからカローラをガレージから出し、10月最初の走行と相成った。何となくカローラは春にデビューするイメージだったが初代カローラは1966年10月に発表されている。そう、10/3はカローラ日和なのである。
ガレージから出したカローラに乗って用事を済ませたあと、自宅を出発した。天気が良くまだA/Cが必要な暑さだったが、真夏と違って充分冷気が出ているのは有り難い。
下道でもたどり着けたが、高速道路を使って時短と交通事故リスク減少を狙った。
いつも駐車する第一Pは封鎖されており、第二Pへ駐車した。既にマニアックな車が多数停められている。30分前には会場前でスタンバっていたので、間を持たせるため前説をしてくれた学芸員の方には少々申し訳ないことをしてしまった。
以降はあんまり車の解説を長々と書かず、写真ベースで当日観察した「これ、誰が気にするねん?」みたいな詳細報告を残すことにする。
14:30になると、遠くから軽やかなE/G音が聞こえてきた。サニーが元気に入場してきた。
※本記事は実車観察に基づく考察です。設計意図や製造上の理由については筆者の推測を含みます。
●ダットサン サニー1000
ダットサンサニー1000は、日産による初の大衆向けセダンである。モータリゼーションの進展を感じた日産はPV計画という名前の計画を立ち上げ、当時人気のあったブルーバードよりも小型のセダンを計画した。PVとはパッセンジャー・バンという意味で貨客兼用のバン・トラックを作りコンポーネントを共有するセダンを作ったのである。これは当時の日産社内でも小型大衆車に対する理解が十分とは言えず、「新車のブルーバードが買えない人は中古を買えば良い」と当時のトップが発言していたほどである。そこでPV(パッセンジャー・バン)計画と称して大衆向け商用車を企画し、そのバリエーションの一つとしてセダンを用意するということにした。ブルーバードに配慮し4人乗りとして企画されていたが、内装の厚みを調整すればいつでも簡単に5人乗り分のシート幅が確保できる設計にしてあった。
当時いち早く大衆車市場に先鞭をつけながらも苦戦したトヨタパブリカを仮想敵としてパブリカを強く意識した大衆車を開発した。
質実剛健だが質素すぎてマイカーを持つ歓びに乏しかったパブリカの課題に対して、大衆車らしいクリーンさを持ちながら豊かさが感じられるように開発を進めていた。具体的にはパブリカよりも大きめのボディサイズとし、シャープなエッジを強調したスタイリングはそれまでの曲面的なテイストから脱却した新しいテイストを持っていた。空冷パブリカに対しては暖房が効かないという不満が出ており新開発の水冷4気筒E/Gで対応する計画だった。
ところが、日産はトヨタが「水冷パブリカ計画」を進めている事をキャッチすると、豊かさを感じさせるため排気量アップを決断し税制ギリギリの1000ccとした。もし競合も排気量アップを企てていたとしても、税金が排気量で決まり、格上のブルーバード・コロナ級の税金になることを忌避すれば同じ排気量になるだろうと考えたのではないか。
大衆車は車名を公募して注目を集め、最終的にはサニーに決定し1966年4月に発売された。日産で最も手に入れやすい価格帯の乗用車である。セダンとバンが同時発売され、当初の狙い通り、空冷のパブリカより少し高いが余裕があって豪華な大衆車としてベストセラーになったのである。
実際のサニーを見ると清々しいクリーンさがあり、全長の短さの中でロングノーズショートデッキなプロポーションととることでセダンらしい端正さと若々しさを併せ持っている。
A型と名付けられた1000ccE/Gは56馬力で最高速度135km/hと当時としては充分な性能を持っていた。フロントサスペンションはスペース効率に優れた横置きリーフ式ダブルウィッシュボーン式による独立懸架を持ち、リアはコンベンショナルなリーフリジッド式とした。
丸目4灯のブルーバードに対して丸目2灯ながら、本格的なE/Gを持ち、乗用車的な3速コラムシフトや四角いスピードメーターなど当時のファミリーカーに求められる要素を抑えながら軽量に作られていた。運転のしやすさにも配慮されて最小回転半径は4.1mとかなり小さくしているが、敢えてアッカーマン率を減らしてタイヤがよく切れるように設定してある。
セルが軽快に回り、高めの回転数でミートしてサニーが走り出した。日光の下のサニーは天井やトランク、フードなど上を向いた面とフェンダーの面のコントラストが強くフェンダーの稜線にはモールがつけられていた。このシンプルな面構成が大衆車らしくもあり、ブルーバードとの明確な違いを感じさせた。平面的なので走行中の面のびびりやワックス掛け時の手応えなどが心配になるが、当時は板厚もそれなりにあったであろうからこの平面的な面構成でも耐えられたのだと考えた。博物館の駐車場を3周走るサニーは様々な角度で日光が反射して宝石のカット面のごとくキラキラ反射させながら元気に走るのを駐車場の端から見届けた。
●カローラ1100
次に走行したのはカローラ1100である。カローラもまたパブリカの反省を活かして開発された大衆車である。理想主義だったパブリカは基本性能を維持したまま安価で販売するために装飾的な装備を排し、ストイックな美しさがあったがマイカーに夢を求める当時の一部のユーザー層にとって「所有する歓びに乏しい」と映っていた。そこで東京の販売店がパブリカに豪華装備をつけて売ったことをヒントに「パブリカ・デラックス」を発売すると販売が伸びたことから手応えを掴んだ。
そのパブリカの開発責任者だった長谷川氏が次に企画した車がパブリカとコロナの間に位置するモータリゼーションを起こす夢のある大衆車、カローラである。カローラは「80点主義」を掲げた。これは、経済性は90点取れるが快適性は60点であるような我慢を強いるような大衆車ではなく、あらゆる面で「優」が取れる80点以上で無くてはならない、というものである。カローラは格上のコロナと並べても見劣りしないように有機的なフォルムを身に纏った。セダンらしいノッチバックでありながらラゲージドアを傾斜させたセミファストバックのスタイルやスッキリしたバンパー、豪華なクロームメッキのグリルは逆スラントに傾斜させることでバンパーの反射を受けてキラキラと光るように工夫されていた。インテリアもシックな黒と、目を引く赤も選べるようにするなど、見て楽しむという要素も大切に開発されていた。勿論、地道な耐久性向上に繋がる投資も行われている。例えば防錆のための電着塗装を採用し、長期間愛用できる車作りへの挑戦も行われている。
そして80点主義の次には「+αの思想」というコンセプトが追加されている。これは後年、カローラネス(らしさ)として大切にされるコンセプトになるものだ。
これはバランスが取れているだけではダメで、欲しいと思ってられる何かがなくては!というものだ。初代となるカローラにはスポーティという個性が与えられた。当時は小型セダンはフォーマルなコンセプトが主流だったが、個性化の時代を先取りして、若々しくスポーティな性格が求められると考えたのだ。
例えば丸型メーター、4速フロアシフトなど当時は珍しかったスポーティな仕様を選んだ。スポーティにするといえどタコメーターやディスクブレーキが備わるわけでは無かった(後に追加設定あり)が、やり過ぎないバランス感覚は大衆車ゆえなのであろう。フロントサスペンションはコイルとリーフを併用したまだ珍しいマクファーソンストラットで、なんと内製で作り上げていた。
カローラの開発と並行して日産は新型大衆車を開発し1000cc E/Gを搭載すると知り、急遽排気量をアップさせる経営判断を下す。これは、日産よりも上等な車であるという分かりやすさのための変更で、自動車税で不利になることを承知の上で排気量アップだ。当時開発が進んでいた1000cc仕様から変更できるのはボア径くらいでストロークを変えるだとか吸排気バルブを大きくするような大規模な変更は行えなかったが、この様な変更を大胆に行えるところがトヨタの凄いところであった。
さらにカローラを生産するために上郷(E/G)と高岡(組立)という二つの工場を建てるという大規模な設備投資を行ったが、
その甲斐があって国内外で大ヒットし、国内ではサニーと共にマイカー元年の中心的役割を果たしていく。
カローラのセルが回る。ガラガラという1100ccハイカムシャフトのK型が目を覚まし、こちらも高めの半クラで発進した。早めにセカンドに入り、ぐーっと加速していく。サニーと較べると色んな面が複雑で、動物的有機的に見える。モールが多用され、のっぺりした退屈な面が無いのがカローラの特徴である事がよく分かる。2速と3速が使えためか、ドライバーの方の完璧な等速シフトに感動しつつ、あっという間に3周走りきってしまった。E/G音は、サニーと較べるとガラガラした音色が強いが、高回転に対応したハイカムシャフト駆動のチェーンなのか、タペット音だろうか。昔、整備をしていた方から初代カローラのK型はタペット調整が難しい車だったという証言を聞いたことがある。(締め上げると調子がイマイチで、緩い方が元気に走るという)
当時運転された方の記事などを読むと、カローラとサニーは乗ると性格が違い、サニーの方が軽快に走ったと言われているがこれは似たコンセプトながら、車重が違いカローラの710kgに対してサニーは645kgと軽かったためかも知れない。実は1000ccでもパワーウェイトレシオはサニーの11.5kg/psとカローラの11.8kg/psと、サニーの方が優れていたのである。一方、カローラはクロスレシオの4速フロアシフトを持っていたので、0-400m加速ではサニーの20.6秒に対してカローラは19.6秒、最高速度もサニーの135km/hに対してカローラは140km/hと少しずつ秀でていた。いわゆるカタログ値なので多分に競合性のある数字が書かれている可能性はあるが、「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーはカローラの良さを端的に言い表していた。
●シビック
日本にとっての昭和41年(1966年)はマイカー元年と呼ばれ、モータリゼーションによって一家に一台のマイカーが夢では無くなってきた時代である。内閣府の消費動向調査によれば、昭和36年(1961年)には2.8%に過ぎなかったマイカー普及率は上述のカローラ・サニーが発売された1966年には10%を超えた。そしてシビックが発売された1972年(昭和47年)には34.6%にまで上昇している。
前置きが長くなったがシビックは大衆車普及の次の時代を示す意味で貴重な一台だ。つまり、マイカーがある程度普及した中で、小さな乗用車のボディスタイルがセダンから2BOXに変わる動きの先鞭をつけているからだ。欧州では1959年のミニで横置きFFが発明され、1961年のルノー4が世界初の実用的なFF2BOXと言われている。
オートバイメーカーから本格4輪車メーカーへの転換を図っていたホンダは1972年、セダンが主流だった当時の日本では珍しいFFの2BOXスタイルをまとったシビックを世に問うた。シビックは単なる大衆車では無く世界市場で通用する国際商品を意識し、現代的なベーシックカーを目指していた。それまでのホンダ車が持つ尖ったイメージではなく社会情勢の中で求められるサイズと走行性能をバランスを取って成立させている点でホンダにとっては新しいコンセプトの商品だった。
シビックは都市の交通環境で便利なコンパクトサイズでありながら、横置きFF採用による広々としたキャビンを持ち、トランクスペースはセダンほどで無いがセダンのようにキャビンとラゲージが隔てられた2ドアと、後席を倒せば広大なラゲージが確保できる3ドアハッチバックもラインナップされていた。2ドアと3ドアの車重が10kg異なるのは大開口ハッチの影響(マッチ箱変形が大)なのかも知れない。
パッケージングだけでなく、走りもよく考えられていた。安定感を感じる台形フォルムにフラットなトルク特性の1200cc E/G(試乗車は高出力69ps仕様)を積みながらも、軽量な620kgという車重によってパワーウェイトレシオ8.98kg/psという優れた値をもち、0-400m加速は18秒台後半とされた。
初代シビックはすでに定番だったサニーやカローラより500mmも小さいのに室内の広さ、動力性能も同等以上のパフォーマンスを持っていた。内装も豪華絢爛というよりも開放感の良さが感じられ、車体の大きさにとらわれないクラスレスな大衆車だった。
このシビックにまつわる最大のトピックは1973年に追加されたCVCCであろう。アメリカの世界一厳しい排ガス規制(マスキー法)を世界で初めてクリアしたという日本自動車史の中でも最大級のニュースをもたらしたのがシビックにに積まれていたCVCC E/Gなのである。
CVCCは二つの吸気ポートを持ち一つから濃い混合気、もう一つから薄い混合気を燃焼室に入れる。薄い混合気は燃費や排ガス性能には有利だが、着火性が悪いので運転が難しい。そこで前述の濃い混合気で容易に着火しつつ、その火炎で燃焼室内をかき混ぜて薄い混合気も燃やし、トータルでは希薄燃焼を可能とする燃焼方法である。当時研究されていた後処理装置が不要である時点で、コストを安く、そしてドライバビリティを損なわずにクリーンな排ガス性能が得られるという意味で大衆車にこそ向いているシステムであった。欧米から技術を学ぶ立場だった日本の自動車産業が、世界に先駆けて困難な課題を解決した点でもCVCCの意義は大きい。シビックは優れた大衆車であると同時に、日本の技術力を世界へ示した象徴的な存在でもあった。
シビックも走り出した。まず感じるのは先程までのマイカー元年車からたった6年でE/G音が変わったということだ。電動ファン、タイミングベルト採用のOHC、ゆえ先程までの雑味のあるE/G音が随分低減されたなと感じた。
今回走行披露するシビックはGLグレードのホンダマチック車である。ホンダマチックは私も
アクティで堪能したことがあるが、ホンダ独自の(半)自動変速機である。簡単に言えばMTの様な平行軸歯車とトルコンを組み合わせ、トルコンのストール比を大きく採って緩発進から最高速まで無段階変速を行うものである。実際には40km/h程度まではLで走ることを推奨されていたが、確かに☆(スターレンジ)に入れておけばイージードライブが楽しめた。
駐車場内を走るシビックは小さいながら安定感がある様に見える。FFゆえにトレッドが広く、そして駄肉を削ぎ落としたFF・2BOXスタイルは今でこそ当たり前に見えるが、当時は異質に見えただろう。その中でも安定感のある台形フォルムは視覚的安心感を与えていたはずだ。
展示車はGLという最上級グレードだが。思ったほど加飾は少ない。砲弾型ミラーは外からでも分かるが、マイカーに夢を求めていた時代とは違って落ち着いた国際派ベーシックカーというコンセプト通り、質実剛健としている。しかしデザイン的に何の配慮もされていないわけでは無い。
モスグリーンの外板色とタンの内装色はまるで英国車のようなお洒落な色使いで時代が替わったことを視覚的に感じさせた。
●スプリンター1600トレノ
大衆車の本流であるサニーやカローラは初めてのマイカーという需要を満たしながら、初めて自動車を買う人のためのエントリーカーとして販売台数をどんどん伸ばしていった。
2016年にトヨタがまとめた国内販売台数から各年の販売台数を調べると、
1966年:1万台
1967年:14万台
1968年:20万台
1969年:28万台
と初代カローラはモデル末期に向かって行くに連れて売れ行きが伸びるという
今では考えられない動きを見せていた。
1970年の2代目も販売状況も見てみよう。
1970年:32万台
1971年:34万台
1972年:39万台
1973年:40万台
1974年:37万台
オイルショックがあった1974年に初めて販売台数が下がったが、そこまでは一貫して右肩上がりの成長をしているところがモータリゼーションの凄いところである。年間40万台となれば月に3.3万台のカローラが売れていたことになる。これはざっくり言うと今のN-BOXとスペーシア/フレアワゴンとタント/シフォン全てを足した程度の規模感だと言えばその凄さが分かるだろうか。サニーもカローラを超えていないとしても近しい規模で売れていたとすれば普及期のマイカー需要の旺盛さを感じてもらえるだろう。
こうして売れれば売れるほど、街にありふれた存在となり、人と同じものに乗りたくないと言う需要が出てくる。この規模で売れていればお隣さんが、お向かいさんが、職場の同僚が同じ車種を買ってしまう?ということも全国で起こっていただろう。
昭和40年代後半からは幅広いニーズに応えるためにワイドバリエーション戦略を採ることとなる。車種数を簡単に増やせないので、まず行われたのはグレード構成を増やすことだった。
実用的なグレードに加えてカローラで言えばSLの様なスポーティグレードや更なるラグジュアリーグレードハイデラックスなどを増やしたが、次に基本コンポーネントを流用した応用モデルである。2ドアセダンに対する4ドアセダン、或いはバンワゴンのようなもの以外に全高を低め、独自の流麗なリアビューを持ったカローラスプリンターのようなモデルである。
2000年以降の現代になると、プラットフォーム共通ながら見た目は全く違う応用車種が増えた(例:ヴィッツに対するbBやシエンタなど)ので物足りないと思うかも知れないが、その分当時のグレードバリエーション数は痒いところに手が届く仕様の細かさがあった。
1970年にデビューした2代目カローラはカローラにも2ドアセダンベースのスペシャルティなクーペが設定され、スプリンターにも後に4ドアセダンが追加されたことで同機種化が図られた。
そして1972年に発売したのが当時、限られたスポーツモデルにしか搭載されていなかったDOHC E/Gを搭載したレビン/トレノである。型式2T-Gと呼ばれる1.6L DOHC E/Gは1970年発売のセリカのフラッグシップE/Gでありベースとなった1.6L OHVの2T型のヘッドをヤマハ製のDOHCに取り替えて成立した量産型DOHCである。ベースの2Tで充分DOHC化を見越した設計にしておき、安価に高級メカニズムだったDOHCが楽しめるように工夫されていた。セリカのフラッグシップだったが当然兄弟車のカリーナにもGTが設定され、次に考えたのは格下のカローラにこのE/Gをぶち込んだら楽しそうだと言うことだったのか。
カローラ/スプリンタークーペの中でも走りに徹したスポーツグレードSR(スポーツ&ラリー、ちょいと腕がいる)をベースにDOHCを積み、シャシーをハードに仕立て上げたスパルタンなスペシャルグレードである。
稲妻と雷鳴を語源に持つレビンとトレノが命名候補だったが、最初はカローラ・トレノだったと言う逸話がある。物理現象として雷は光が見えたとに音が聞こえることから、先に生まれたカローラがレビン(稲妻)、スプリンターにトレノ(雷鳴)という名前がつけられた。
軽量なカローラクーペに強力な格上E/Gを積むのは昔から大衆スポーツカー作りのレシピとしては定番だったが、わずか865kgの車体に115ps/6400rpmの高回転型スポーツE/Gは刺激充分だ。パワーウェイトレシオは7.52kg/psであり、当時のフェアレディZに匹敵する程の値である。0-400m加速は16.3秒を誇り当時の若者やスポーツカーに憧れを持つ層に対して魅力的な選択肢になった。
セルが回るが一発ではかからず、再びのセルの後ソレックス式ツインキャブから燃料が送られて2T-Gが始動した。少し低めの音でザーンザーンという感じのE/G音は1600ccよりももっと排気量がある様に感じられてくる。運転手さんは2T-Gの魅力を伝えようとしてくれたのか、明らかに他の三台よりもペースが速い。我々の目の前で1速で強めの加速を疲労してくれた。好きな人にはたまらないあの甘い?匂いがたまらない。我々から見て奥側のストレートでは2速でも加速してくれた。遠い場所から見ているだけでもトレノの実力が伝わってくる。
私にも、かつてTE71のレビンを所有していた経験がわずかにある。最終型に近いマイルドになったEFI仕様の2T-GEUとは言え、この重たいE/G音は似ており、それが本当に好きだったので胸が熱くなった。トンネルで音を聞くためにわざわざ窓を開けてからフル加速させていたことを思い出したのである。私が免許を取った頃は4A-GEから2ZZ-GEに切り替わる時期だったが、新しい高回転型スポーツE/Gに対して「よく回るが回るだけ」みたいなネガティブな意見をよく耳にしていたが、それは4A-GEUが出た時も2T-GEUと較べられて言われたこととよく似ていた。ヘビーな感じは、実際のE/Gの重さによるものだが、例えばシリンダブロックの肉厚が薄くなればそれによって発するノイズレベルも変わり、当然肉厚が薄く軽い方が高くて軽く感じる音が出てしまうことは自然の摂理である。当時はそれが本物感を感じさせていたり、実際の速さ以上に速さを演出する効果もあった。
マイカーそのものが憧れだった時代に生まれたカローラが、わずか数年で「人とは違うカローラ」を求める時代を迎える。その一つの象徴がレビン/トレノだったのではないだろうか。
●Aピラー根元
1966年の2台を見ていると、両車とも三角窓が着いている。日本の夏がまだ今よりも涼しかった時代、真夏であっても35度程度になるのが数日、というレベルで夜間は20度台前半まで下がっていた。だから、カーエアコンも贅沢品という扱いで現代のように40度に迫る暑さ、何週間も続く熱帯夜など無かったのである。
それゆえ、空調と言えば真冬のヒーターがあれば充分で、夏は三角窓を開けて風を室内に取り入れていた。使い方は室内にあるレバー操作でロックを解除すると、手で押して三角窓を回転させることで風を取り入れていた。車体側面から室内に三角窓をガイドにしてスポット風が車内に吹き込むことで外気を導入できる。その際にAピラー根元に近い鋭角の尖った部分が室内に突き出すと危害感があるため、ガラスに丸みをつけて対応している。万が一の際に実際に先端が突き刺さるかどうかは別として「怖い」と思わせてしまう時点で商品性をスポイルしていると考えられる。
そこでサニーは三角窓先端に大きなRをかけてガラスの危害感に対応して、ドアフレームとドアとガラスに挟まれた隙間を金属製スペーサーで塞いでいる。
単にくさび形のスペーサーでいいところを、鋭角のL字型のエンボス加工を施して
三角窓先端がそこにあるかのようにみせておかしく見えないようにバランスを取っている。
一方、競合するカローラは三角窓のRを許される範囲で小さなRでカットし、隙間を小さくし、三角窓の縁を黒いウェザーストリップで多いブラックアウトしてスッキリ見せているのだ。サニーにもウェザーストリップはあり、一定断面を押し出して作ったウェザーをガラスに沿って組み付けているが、カローラは先端を一体成型して極力隙間が目立たない様に配慮しているのでAピラー根元がスッキリと見え、運転席からの死角低減にも寄与している。
実はカローラは他にも黒色を効果的に使って見栄えに配慮を見せた痕跡がある。
例えばラジエーターグリル裏やホイールハウスもブラックアウト塗装することで中見えを防止し、輪郭がぼやけぬよう、引き締め効果が期待できる。
サニーも決して見栄えを無視していたわけでは無い。例えばドアフレームとクオーターウィンドゥは金属製の枠で覆われて遠目に見ると窓としての統一感が感じられるが、カローラは車体色のドアフレームの後方にあるクオーターウィンドゥはモールが着かないガラス単体である。現代なら黒色セラミック塗装を入れるなどしそうな部位だが、不思議と窓周りはスッキリしているのがカローラなのだ。
この当時の二台の大衆車はほぼ同じコンセプトであるがゆえに切磋琢磨し、お互いがそれぞれの正解を持つという面白い時代だった。
1972年式のシビックのAピラー根元に着目すると、三角窓が廃止されていることが従来と大きく違う。
デザイン上、大きな進歩と言えそうだが、三角窓が無くても充分なほど車両の換気性能が向上したこと、室内(外)にガラスが飛び出す構造、そして死角の発生を考えると三角窓がない方がメリットが大きい。またデザイン上、Aピラーが寝てきたことで開口面積が取りにくくなったことも考えられる。
空調という意味ではシビックには専用のカーエアコンが注文装備で取り付けられるようになっている点が新しかった。当時のカーエアコンは吊り下げ式といって助手席の下の空いたスペースに一式を取り付ける方式が主流だった。エアコンがある事自体が贅沢で喜ばれたものの、助手席の足元スペースが大きく損なわれる事実は残った。シビックの場合グローブボックスを失うものの、内装デザインと調和しており、足元スペースが広い点が売りだった。同クラスの車種はまだ吊り下げ式だった中で内装デザインを邪魔しないエアコンの存在にもシビックの先進性が垣間見られた。
Aピラー根元はドアフレームとドアに挟まれた三角パッチがほとんど気にならないレベルまで小型化されている。1966年のサニーやカローラでは三角窓をどう見せるか?が課題だったのにわずか6年後のシビックでは三角窓そのものが無くなってしまう進化の速さには驚かされる。さらに、シビックでは内装に統合されたエアコンが設定されるなど現代車に繋がるエッセンスがすでに出現していたことも興味深い。
●E/Gフード裏面
ボンネットと呼ばれることが多いE/Gフード。表面はまさにカーデザインの一等地という感じで意匠優先の板金製パネルが主流であり、プレス成型技術の粋が集められる場所だといっても過言では無い。しかし、美しい意匠面だけでフードが形作られているのではない。我々が普段見ているフード表面だけでは、薄板で構成されているのでグニャグニャとして剛性が無く、ヘタをすると変形が大きすぎて塑性変形(変形が元に戻らない)してしまう。
薄板板金製のフードが自らの形状を固める意味では、タマゴのように曲面のみで構成すれば裏支えはほとんど必要なくなることは、
スバル360のFrフードを見れば明らかである。意匠という観点で全て曲面というわけにはいかず、フラットに見せたい事もある。
そこで平面的なパネルの裏に、裏支えとなる骨格構造を通すことで意匠と剛性(感性品質)を担保している。さらにフード先端にはロックに引っかかるロックストライカーが、フード根元にはヒンジやヒンジを補強するプレートが取り付くなどしてフードS/A(サブASSY)が構成されているのだ。
フードそのものは意匠が優先される部品なので構成部品はスポット溶接痕が見える場所にはスポット溶接ができない。そこでマスチックシーラーと呼ばれるスポンジ状の高分子材料を用いてデコレーションケーキのホイップクリームの様に機械で絞り出して塗布され、塗装乾燥炉で焼かれることで柔軟性を維持したまま硬化する。フード表面の裏面から骨格を通し、接触面に塗布されたマスチックシーラーを介して裏支えしているのである。
フードは意匠だけでなく、機能や剛性を満たすために様々な工夫が織り込まれている。こんな簡単な予備知識を持った上で、さっそく1966年式サニーから見ていこう。
普通はタペットカバーが青く塗られたA10型E/Gや袋状のウォッシャータンクに目が行くのが普通だろう。しかし敢えて上を向いてフード裏面を観察する。平面視ではV字型に折れてスピード感があるフードだが、正面視では平板なスタイルだ。
サニーは大衆車らしく過度にデラックスな方向性を狙わずにシンプルでありながら、貧乏くさい、寂しいなどと思わせない絶妙なバランス感覚こそがサニーの良さなのである。
随分長いことサニーを褒めたが、要はシンプルゆえフードも平べったいのである。裏側にはX字に補強が入っている。フード意匠パネルは寄せ曲げ(プレス方向に対して負角方向に曲げる)を入れて単品の剛性を確保しているが、どうしてもねじれ方向には弱いのでX字の骨格が役に立つのである。フードロックストライカーやオグジュアリレバーが着いている先端部は別体の閉じ断面、X字型骨格の根元にはフードヒンジが取り付けられている。X字型骨格はわざわざ立体交差までさせている。今の感覚なら一体で作りたくなるのだが、わざわざ2部品構成にしている理由は、歩留まり率ではないかと私は推測する。
最初からX字で作ってしまうと、フードの縦×横相当の面積のシート鋼板を使って打ち抜いて成型するので、ほとんどが製品にならないスクラップになる。素材のシート材と製品形状面積比を計算して歩留まり率と表現されるが、プレス部品の設計ではこの歩留まり率を意識することが重要だ。鋼板はコイル状態で購入されるが、このコイル幅によってコストが決まり、プレス機も大きなものが必要になるのだが、歩留まりが悪いと、たくさん鋼材を購入しても付加価値を生む部品は少量しか作れない。例えばクッキーを作る時、同じ大きさの生地から抜き型でたくさん取れる方が効率が良いということとよく似た話である。
実際のサニーの骨格は長方形をハット型に成型しており、展開しても長方形である。これなら、一枚のシート材から効率的に何個も部品が取れるため、歩留まりが良い。つまり、敢えて2部品構成にすることでスクラップを減らし、効率を上げる狙いがあったのではないか。一体化による部品点数削減は型費削減の意味では低コストだが、サニーのように大量生産を前提にした場合は型投資(量産効果でペイが早い)よりも歩留まり率向上が効いてくるのである。
このことからもサニーの質実剛健さが垣間見える。他にもバンパーを左右2部品構成にするなど様々なコスト削減策が散りばめられていることもサニーの企業努力だった。
次にカローラを見てみよう。「カローラは豹」という広告コピーは後に「子供がカローラという英単語は豹という意味であると誤解する」という抗議によって差し替えられてしまったが、カローラはサニーとは対照的に動物的な面で構成されたデザインである。スポーティ性をキーワードに開発されており、セミファストバックのプロポーションや特徴的なヘッドライトのリムなどシンプルというよりもデコラティブなデザインであり、やはりシンプルだったパブリカや平面的ながら格調高いコロナの間に位置する新コンセプト大衆車ということであえて端正なセダンから距離を取った事でサニーとキャラ被りせずに双方が良い立ち位置を取ることができた。
フードが開けられたカローラを見る。一般的なサポートロッド式のサニーと違い、カローラはヒンジに独特のロック機構が着いており、開けると自動で保持してくれる親切機能がある。これはフードを開けて作業することが多かった当時は重宝されたことだろう。(ただし、レバー比の影響で支持点の負荷は大きそう)
普通は20度傾けられて重心を下げ、整備性に配慮されたK型E/Gに目が行くのが普通だ。エプロン部分のシワ取り座面や防錆上不利すぎるカウル構造など書きたいことは山ほどあるが、フード裏面を観察する。
カローラのフードはカタログ中にストリームラインと銘打たれたフードバルジのような模様が入っているのが特徴だ。これは意匠のために設けられたもので、洗車の後で水が溜まらないようにという事も留意されたと、デザイン開発記で読んだ記憶がある。サニーとカローラを並べるとどっちが高そうに見える?と尋ねればカローラと答える人が圧倒的に多いだろなという、恐ろしいまでの大衆の心をくすぐる意匠を身にまとっている。自宅の車庫に小さなカローラがちょこんと佇んでいても、きらびやかで誇らしくなる優雅さは2026年に見ても充分伝わって来る。
そしてフード裏だ。サニーとの違いがお分かりだろうか。フードパネルの裏面にはサニー同様に前端のストライカーとオグジュアリレバーが着いた骨格がついているものの、後端のフードヒンジ取り付け部は後端を左右に繋ぐ閉じ断面BRKTが受け持ち、X字骨格に相当する部材はカローラの場合ハの字についている。恐らく手押し剛性も高いフード中央のバルジを追いかけず、平板な部分を支えることに専念したような配置になっている。
恐らく、インナー側骨格は先に溶接されてS/A状態にしてフードアウターと溶接されているのだろう。写真にはいくつもの穴が見られるが、カローラで初採用された電着塗装によってED液槽に車体をドブ漬けした後にED液がちゃんと抜けるように設定された穴で、完成後は水抜き穴として機能すると思われるが、インナー骨格系を早く、精度良く位置決めしてからスポット溶接できるように治具のピンが通る穴も兼ねているかも知れない。
カローラはサニーと較べて車体が重い。カローラのカタログでは「カローラは無理な軽量化をしていないので」という若干イヤミな記載があるが、こう書かざるを得ないほどサニーの軽量化は徹底しており、その軽さが走行性能へ良い影響を及ぼしたのだろう。その小さくない重量差があれども、各部の豪華さはプラス100ccの余裕という分かり易いキャッチコピーの通りになっており、細部まで見てもカローラは見栄えの配慮や、自尊心をくすぐる巧みな仕様設定と作り込みが垣間見られた。
シビックはどうだろうか。シビックの特徴は前ヒンジ(後ロック)式のフードである。一般的な整備性を考えれば、前からフードが簡単に開けられて作業できる後ヒンジ(前ロック)の方が便利に思える。しかし、後ヒンジは走行中にフードロックが外れてしまうとフード裏面が風を受けて一気に全開になってしまい視界が遮られるという故障に対してヒンジを前に設定すれば走行風でフードが開くことは無いため、高速性能を重視する車で採用事例が多かった。
シビックの場合は、国際派コンパクトカーとして欧州市場も重視して作られている事が前ヒンジ採用の判断の一つになった可能性がある。さてフード裏はどうなっているだろうか。
結論だけ先に書くと、一気に現代の車の構造に近づいた。意匠面をベースに作られたフードアウターの裏側を骨で支える思想は変わらないのだが、複雑な骨がフードアウターとほぼ同じ大きさのフードインナーとして統合されている。
1966年デビュー組はフードアウターの端末を折曲げで単品剛性を保っているが、シビックでは「ヘミング」という技術だ。これは、2枚の薄板を接合する技術で、一方を大きめに作っておいて小さい方を包み込むように180度折曲げる加工技術である。既にドアではヘミングは行われており、これがフードにも適用された形である。メリットは180度包み込むため、端末が滑らかで危害性が小さい。また、骨組みによってねじれ方向の補強を行っていたが、全周をヘミングする事は、あたかも全周糊づけするようなもので、スポット溶接やマスチックシーラーのみの点接合よりも剛性が上がる。さらにヘミングにより周辺部が閉断面化され、フード全体の面剛性向上に寄与するのである。
意匠はフラットで中央にバルジ形状があるが稜線の無い平面部に効果的に骨が通されている。一体成型のフードインナーとのヘミング加工を採用したことで、フードサブASSYの面剛性は飛躍的にあがると、今度はフードアウターの板厚を下げることが可能になる。薄板を採用することは軽量化=コスト低減に役立ち、意匠の繊細なラインの再現度が上がるというメリットがあるが、手押し剛性や凹み(デント)に弱くなるのでそれをフードインナーからのマスチックで裏支えする。
サニーのX字骨格は「骨そのもの」が製品であり、複雑な形状を打ち抜けば大部分がスクラップになってしまう。一方シビックのフードインナーは元々フード全体に近い大きさの部品である。そのため補強リブを追加しても、材料を切り捨てるわけではなくプレス成形で凹凸を付けるだけで済む。
つまり1966年のサニーでは歩留まり向上を意識して骨を分割することが合理的だったが、1972年のシビックでは大きなフードインナーを一体成形し、その中で自由に骨格を構成する方が合理的になったのである。(ただし、むやみに増やすと質量増加を招く)
余談だが、カローラのFrサスペンションは当時珍しかったマクファーソン式ストラットであるが、E/Gルーム内のサスタワー(ストラットのボディ取り付け部)には大きな入力があるはずだ。その荷重を受け止めるためなのか斜め後方のカウルに向かってブレース(骨格)が接続されている。これは現代風にいえばストラットタワーバー的な考え方でサスタワーに入る前後力を堅いカウルに入れることで応答性を良くしようと試みたのかも知れない。
サスタワーバーのように後付けで取り付ける部品にしてしまうと組立て費用などで高くつくが、ボディシェルに最初から溶接してしまえば遙かに安くサスタワーバーのような効果が手に入る。CAEが発達していない時代、設計者は新しいサスペンション取り付け部にかかる入力をどのように受け止めれば良いかを頭の中で想像しながらこういった構造を決めていったのでは無いか。今のように可視化技術が発達していないあの時代に現代でも通用する骨格を生みだした設計者に尊敬の念を持った。
改めてフード裏の話に戻そう。サニーやカローラと較べるとシビックのフードは剛性が増え、部品点数もアウターとインナーの二部品で完結できる。質量は増えるが、それはフードアウターとインナーの板厚で調整することもできる。1966年当時は最初にフード単品があり、単品で賄えない場所を別部品追加で対処していたが、1972年のシビックでは、フード全体としての最適化が図られている点で
設計手法が進化したと考えられる。
最後に1973年式スプリンタートレノを確認したい。普通は誰しも2T-G型E/Gに注目が行くに決まっているわけであるが、ここでも敢えて見上げてフード裏に注目したい。
1966年式の初代カローラと較べると、同じトヨタの中でも随分と進化がある事が分かる。シビックで取上げたヘミング工法によるフードインナー・アウター一体構造を採用したことが最大の最大のトピックである。
この他、カローラでは、重心位置より支点に近い(不利)点で高い荷重を受けていたフード支持方法はサニーが採用していたサポートロッドを採用し、フードインナーの穴にロッドを差し込んで荷重を受ける方法に改められた。
シビックの際に触れていなかったがヘミング工法の注意点は防錆性能の確保である。フードアウター(意匠側)の端末を折曲げてフードインナー端末に巻き付けるように固定するため、その潰されたエリアに防錆塗料は入り込まない。そして雨天走行や洗車によって水がかかると、毛細管現象で隙間に水が浸入して発錆してしまう。これを防ぐには、ヘミング部に防錆シーラーを塗って隙間を塞いでしまう方法が考えられる。スプリンタートレノのフードを見ている限りはシーラー処理が確認でき、しっかり対策されている。
また、裏支えのための骨の通し方に主従関係が見られる点に注目した。フードインナー一体でX字の骨組みを考える時、普通はどちらも同じ高さにしてしまいがちだ。せっかく骨を通すなら、断面高さを稼いて曲がりにくい補強をしたくなるのが人情だ。ところがそのようすると、ある軸でフードを曲げようとすると、骨格の荷重伝達経路が切れてしまい、剛性確保が難しくなってしまうのである。せっかく剛性を与えようと骨格を増やしたのに、逆に弱部を作ってしまっている様なものだ。
そこでスプリンターは一方を低い骨として主骨格に接続することで、主骨格の連続性を損なわず、荷重伝達経路を確保しているのである。スプリンターの場合、前後方向を「主」と置いているらしいことが分かる。後方の斜め方向の骨は断面が低く、「主」の骨に刺さっている。その分、「従」の骨は3本ビードが入れてあり、断面二次係数を稼いで剛性を確保しているらしい。例えばフードを開けた時、ヒンジから前方はオーバーハングのような片持ち状態と両端支持梁の中間のような状態になっている。縦方向の骨がしっかり機能していれば、垂れ下がったりたわんだりする量を抑制することができるのである。
これはノウハウというより一般的にいわれていることで、私も高専時代、製図の時間に先生の余談という扱いで習った。
スプリンターのフード裏を見ていくと、この頃にフードとしての一定の完成形ができたようにも見える。既にE/Gを美しく覆うという命題を合理的に達成しているからだ。
ここから、軽量化したければ高張力鋼板で板厚を下げればいいし、静粛性を高めたければインシュレータを取り付ければ良い。
衝突時にフードが外れて車内に飛び込んでしまうことを避けるために、前ヒンジのフードは無くなり、後ろヒンジでしっかり支えた上で積極的にくの字に折るような構造になった。更にスプリンタートレノのおよそ30年後には歩行者との衝突時に、歩行者を守らねばならなくなる。今度はフードアウタとインナーの間にアブソーバーが仕込まれたりするのである。そして最近ではフードロックストライカーを左右にひとつずつ持って走行時のボディのねじれを防ぐ構造部材としての役割までが与えられているのだから面白い。
今回はたった7年分の進化しか見ていないが、その進化は随分と大きいと思った。
フォトアルバム
●あとがき
今回は走行披露見学会ということで、太陽の下を活き活きと走る大衆車達を見せてもらうことができた。博物館収蔵車といえども、車は走ってナンボなのである。さらに限られた時間ではあったが近くでねっとりと見学させて頂けたことで、気持ち悪いほど細部を観察することができた。今後もこの様な機会があれば参加して学ばせて頂きたいと思った所存。車が好きだったらどんな些細な事柄でも楽しめる。車好きで良かった。
2018年の記事
バッテリクランプ定点観察も久しぶりに更新することができた。
最後に初代カローラ・・・・いいなぁ。死ぬまでにいつか運転してみたい。