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2024年01月20日 イイね!

2023年式C+pod感想文

2023年式C+pod感想文●超小型モビリティとは
豊田市で超小型モビリティの実証実験があり、C+pod(シーポッド)に試乗できる機会があった。

<豊田市プレスリリース抜粋>
豊田市は、脱炭素社会を目指し、豊田市つながる社会実証推進協議会の取組として、トヨタ自動車株式会社及びNTPグループ株式会社トヨタレンタリース名古屋とともに、超小型電気自動車「C+pod」を活用した、カーシェア実証を開始します。この実証では、トヨタ自動車が提供する会員制カーシェアサービス「TOYOTA SHARE」を活用し、同社の社用車のうちC+pod 20台をシェアリング車両として市民等にも貸出します。なおこの車両は、出発ステーションと違うステーションで返却できる「ワンウェイ利用」が可能です。実証を通して、カーシェアリングに関する利用実態やニーズを検証し、市民や来訪者の新たな移動手段として提案するとともに、電気自動車の普及促進につなげます。


C+podは「超小型モビリティ」である。超小型モビリティとは国土交通省の定義では「自動車よりコンパクトで小回りが利き、環境性能に優れ、地域の手軽な移動の足となる1人~2人乗り程度の車両」である。現代の自動車を取り巻く環境の中で、例えば高齢ドライバーの免許返納の一歩手前の受け皿、過疎地域のガソリンスタンドが閉店していく中での地域の足、物流のラストワンマイルの担い手、或いは観光地のゲタ代わりとしてこのような超小型モビリティが求められているという。

また国土交通省の調査によれば一般ドライバーの乗車人数は2名以下で10km以内が7割。更に5割が高速道路を走らないので、超小型モビリティの潜在的な需要があるとされ、超小型モビリティの普及によって運輸部門からのC02排出を削減できるのではないかという考えが背景にある。

その区分は下記の様になっており、今回取り上げるC+podは超小型モビリティ(型式指定)となる。



表を見ると分かる通り、C+podは原付扱いのミニカーと同じ寸法関係でありながら、ミニカーよりパワフルな原動機を搭載しても良い分、高速道路の走行はできず、最高速度は60km/h以下に絞られた軽自動車の一種である。最高速度を絞り、高速道路の走行を諦める代わりに衝突安全基準もフルラップ衝突が50km/h→40km/hに、オフセット衝突が56km/h→40km/hに緩和され、更にポール側突が免除される。

購入時にCEV補助金は貰えるが、免許は普通運転免許が必要で車検も軽自動車税も必要である。つまり、ユーザー目線では小型モビリティは不自由な軽自動車にしか映らない。上記を反映したのかC+podは個人で購入はできずリース契約のみの車種となっている。

現状でもコンビニエンスストアの配送車両や郵便配達車に超小型モビリティを使用している事例はあるが、これら車種はスクーターやスリーターより対候性が良く、コンパクトでちょっとした路上駐車は容易い点が営業車に向いているという。

●トヨタの超小型モビリティ
トヨタはかねてから、CO2削減のためにはHEV・PHEVが向いている。BEVは近距離コミューターに適しているという考えを発表してきた。

私が若い頃は、日産がハイパーミニ(2000年)、トヨタはe-com(1999年)を発表し限定的な用途で世の中に存在していた。特にハイパーミニは当時400万円という価格も普及には繋がらなかった。

2003年にはBEVでは無いもののスズキが軽自動車企画のツインを発売。かなり専用設計の部分が大きい車だったが、50万円を切るスタート価格で市販されるも、わずか2年で販売を終えている。

そんな中、C+podは新しい超小型モビリティの規格を活用し久々のコンパクトなBEVを世に出した。少量生産を前提とした小規模メーカーの製品とは一線を画したハイテンを活用したアンダーボディを奢っている。Frエンドは衝突安全のためのスペースとし、フロア下にインバータや薄型Liイオンバッテリーを搭載。モーターが後輪を駆動するレイアウトとした。昨今のBEVやPHEVはフロアが高いため手足を投げ出すような姿勢を強いられるがC+podでは自然なフロア位置と健全な着座レイアウトが心地よい。航続距離を150kmに焦点を当ててバッテリー容量を減らしたことと小径タイヤ(13インチ)が功を奏しているのだろうか。

P/Fは汎用性を考えて一般的なプレス成型品をスポット溶接して組み上がっているが、Aピラー~ルーフサイド、B-Cピラーなどの上屋はパイプフレームをリベット加工するなどして金型代をかけずに簡便に済ませているのが特徴的である。衝突エネルギの管理はプラットフォーム側に任せて衝突安全でトクした分を活用していると言うわけだ。美観に関わる外板は樹脂成形で作られておりカラーバリエーションやツートンカラーも容易に拡張しやすいことが特徴である。



諸元を見ていると第二次世界大戦後のバブルカーにも似たスペックを感じる。しかし、スバル360やミゼットIIよりも小さいサイズであり、相当に小さい。2名乗車だが、荷室はほぼ皆無でリュックサックくらいしか乗せられないだろう。衝突安全性能面で比較にならないがスバル360は実際に4人乗れるパッケージを実現しており、まだまだBEVはスペース効率が悪いと言うことを感じざるを得ない。

上にも書いたがC+Podは2024年夏を目処に生産中止となるという。これまでの生産台数は2000台程度と言われており、お世辞にも商業的に成功したとは言いがたい。クルマとしての粗さ、コンセプトの粗さなど実際に乗ってみても支持が得られる要素が何一つ無い点に寂寞感があった。

個人的には自動車を一台だけ持つとしたら、一切高速道路を走らない自信が無いので近距離専門だったとしても超小型モビリティには辿り着かない。フリートユースやカーシェアリングなど別にどうでも良い車の一つとしてこの手の超小型モビリティが求められるのかも知れないが、同じコストで衝突安全基準も高く、4人乗れて高速道路も走れる軽自動車があるのなら、わざわざこちらを選ばないといけない理由は何処にあるのだろうか。

唯一この手の超小型モビリティを選ぶ可能性があるとしたらとしたら、年老いて高速道路など存在しない公共交通機関の脆弱な地域に住んで、免許返納直前に仕方なく手を出す可能性があるが、それならもう少し自動運転のレベルを引き上げたい。

補助金無しで160万円を超える価格を考えれば、通勤の為だけに使いたいとも思えないし、通勤に使っても高速道路を使う社外出張にも転用できないのは不便である元々スクーターだったピザ屋さんの配達とか、レンタサイクルの代わりにC+Podだったらうれしいかもしれないが。

超小型モビリティ調査のために生まれてきたかの様なC+Podは結局2024年夏に生産を終えるという。町で殆ど見かけないまま役割を終えると言うことは、C+Podそのものの商品性の乏しさだけでは無く、まだ人々はBEVに夢を見たいと思っているし、本当に使っているシチュエーションの+αの機能が未だ必要であることを暗に物語っている。誕生の背景が違うと言えども、日産サクラと、C+Podを含んだBEV超小型モビリティ群の目撃頻度を比較すれば自明である。

何となくトヨタが作りたくて作った車という感じがしないし、だからなのか総合的な商品としての魅力にも乏しい。今後、超小型モビリティ自体も充分認知され、行政機関によって大量購入されるとか、特定の人たちに補助金を出して半額以下で供与するとか何か公的な目的のために存在するならば許容できるだろうが、そのためには価格競争力が必要だ。正直、この内容ならコムスの価格で売って欲しい。

下の写真は1970年の東京モーターショーに出品されたEVコミューター。結局、この時代からEVコミューターが提唱されているが、54年が経過しても、完全に実用化されることはない様だ。

Posted at 2024/01/20 23:42:23 | コメント(1) | クルマレビュー
2024年01月13日 イイね!

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」









もう開催は終わっていますが、見学してきたので記録として残したいと思います。
結論から書くと相当濃い展示だと思いました。早くもPart2にも期待したいです。


公式紹介文です。
日本の自動車業界には549万人の人たちが従事し、利用部門の方々は約半分の271万人になります。

物流という概念が登場した戦後から、マイカーブーム前のモビリティとして日本を支えたのはトラックやバンであり、

以来現在にいたるまで自動車メーカーは耐久性や乗り心地などの改善を車両に施し続け、運び手が安心・安全に荷物を送り届け、

お客様の笑顔につなげたいという想いに応えようとしてきました。

そして輸送業界では今、環境対応や雇用対策など様々な課題を抱えながらも私たちの生活に欠かすことのできない

「お客様に確実に荷物を届ける」というサービスに日々尽力してくださっています。

本企画展では輸送車両にかけた自動車メーカーの想いと、いつも私たちの生活を支えてくださる輸送に関わる皆さまに”感謝”をお伝えします。



…というわけで生活の中では自家用車以上にお世話になってきた存在が物流のための車、貨物車にスポットを当てている。世界初の自動車には諸説あるのですが、私は重い大砲を引くために作られたフロントヘビーなあいつ…キュニョーの砲車(蒸気機関)が思い浮かびました。

動力を積んで自ら動き、運転手の意のままの方向に向かう自動車は貨物用途が先行していたという事ですね。しかし、私自身は物心ついたころから乗用車に興味があったので、貨物車に対しては同じ車でありながら電車や昆虫と同じくらい興味が無かったのです。

そんな私の人生で思い出のトラックと言えば祖母が農作物を運ぶのに使っていた初代ライトエース、伯父が乗っていたハイラックスSSR、同級生の白変が乗ってたハイゼットトラック(まゆげ)です。特にハイラックスはRVブームの中、都庁勤務の伯父は私を連れて利根川河川敷の道なき道を走破したり、ボートを引っ張ってアウトドア的な楽しみを私に教えてくれました。現在私がフルタイム4WD+モノコックながらクロカンスタイルのRAV4に乗っているのも恐らく伯父の影響が大きいのだと思います。

前置きが長くなりましたが、企画展会場に入ります。



まず目に入るのは貨物車達の雄姿と耳なし芳一のような当時の宣伝コピー達です。
一般的に貨物車は経費で購入される設備みたいなものなので酷使されて企業の利益に貢献し、減価償却が済んで壊れれば廃却されて代替される為、販売台数のわりに残存数が少ないのが普通です。だからこそ限定生産の希少なクラシックカーと比べて生産台数に対する生存率は低くなり、今となっては貴重な存在になっていると私は感じます。

そんなカタログを彩る宣伝コピーはイメージ先行だったり、来るべき訴訟を視野に入れたワードマネジメントで棘が抜かれたソフトな文言では無く、当時の右肩上がりの期待感・わくわく感をもダイレクトに感じさせてくれます。

私は商用車に何かを語れるほど詳しいわけでもないので、撮ってきた写真を並べてみます。トラックは荷台の鳥居根元、ロープフックは定点観察してみました。観察したものの、専門家じゃいないので何も語れないので是非コメントで私に色々教えてください。個人的な趣味ですがこの手の展示はどこか一カ所に着目してその変遷を楽しむのが好きです。

*何車種かは常設展示場・スズキ歴史館で撮影した車種も含みます。
*特別展と関係の無い車種が含まれることをご容赦ください。


①水野式自動三輪車(1937年)
農機具メーカー水野鉄工所が作った内燃機を前輪に搭載したFFの自動三輪車。展示車は昭和12年頃のピーク時に生産されたモデルとのこと。

荷台が広く確保できて機構部分が前輪にコンパクトにまとめられているが、自動車として見た場合、操舵が非常に重くなる点や後部に荷物を積んだ際のトラクションのかかり方には課題がありそうだ。

鳥居はZ軸方向にボルト平面締め。栓抜き方向の荷重の入り方を緩和するために後方に締結追加し、まるで入の字の如く。ロープフックは錆に強く豪華なクロームメッキ処理。側面方向からボルト締め。






番外編 ダイハツオート三輪 SA-6(1937年)
ダイハツ号はオート三輪という点で上記の水野式自動三輪車と同じだが、後輪駆動を採用して自動車らしい機構を取り入れた。前輪が軽くなることでオート3輪の魅力である機動性に磨きがかかっている。鳥居は正面4点締め。根元で折れそうな嫌な感じだなぁという感覚だ。ロープフックは水野式同様にクロームメッキされたフックをボルトで締結している。







番外編トヨタ トラック KC型 (1950年)
戦時中の極度の資材不足の中で作られたトラック。末期にはヘッドライトが一つになりボディが木製になるなど極限状態の節約意識が窺える。トヨタが初めて作ったG1型トラックは般若のお面をモチーフに日本的な意匠開発が実施されていたのだがKC型は、戦時モデルとあって意匠よりも節約に主眼が置かれている。それでもドア後ろや室内に日本的な要素が織り込まれている点は面白い。アオリのヒンジも何となく日本風。2枚の階段状のベタ合わせは「担ぐ」ので御法度だと思うが現物合わせと熟練の手作りで対応しているのだろう。まだまだ量産とは相反するクラフトマンシップがあるようだ。ロープフックはアーク溶接で止められているが、オリジナル溶接かどうかは不明。失礼ながら、かなり雑というか拙いビード跡なので強度的に弱いかもしれない。







②トヨタ トラック BM型 (代用燃料改造車) (1950年)
戦中戦後の燃料事情の悪さから木炭ガスをつかった乗用車が創られた時代があった。薪や木炭を不完全燃焼させて水素や一酸化炭素を燃焼させるメカニズムで
バスやトラック、大型乗用車で改造例が多い。戦後、特に労働争議でストライキがあったトヨタ自動車も創業者の喜一郎氏が退任するなど新型車開発に充分な余力が無く、基本的には前述のKC型を改良した戦後型となっている。KC型の名残が残る和風モチーフも残された。ロープフックはリベット接合でアオリも量産を意識した形状にリファイン。






番外編 マツダ三輪トラック CTA型(1953年)
戦後、オート三輪には車両寸法規定がない事を逆手にとって大型化。展示車は2t積みというクラスを超えた積載量を半球型燃焼室を持ったV型2気筒エンジンで引っ張った。カラーリングを3輪トラック同士で統一しているのはまるで現在のファミリーフェイスのマツダのようである。スターターモーターや安全合わせガラスの採用など技術的チャレンジも多い。シフトゲートは一瞬70年代のフェラーリを連想してしまった(笑)ロープフックはボルト一本締め(ボルト上部に回り止め付き)






③トヨペット トラック SG型 (1953年)
トヨペットSAで開発されたコンパクトな1.0Lエンジンを利用した小型トラック。岐阜車体製造の銘板が取付けられている。この会社は現在もコースターの製造を行っている。鳥居は厚板鋼板を折曲げて側面締め+平面視リベット留め。ロープフック前後2点リベット留め。ボルトよりも緩みに対するリスクが減るので信頼性向上のために有利。






④トヨペット マスターライン ライトバン RR17型 (1956年)
トヨタが本格的乗用車を志して開発したクラウンの危機管理的モデルがマスターである。クラウンはタクシー用途にも耐えうる乗用車として開発され、特徴的な前輪ニーアクションサスペンション、摩擦を減らして乗り心地をよくした3枚リーフ式サスペンションなど挑戦的要素が多く、クラウンに拒否反応を示す顧客向けに作られたのが、ヨーロピアンスタイルと保守的なリーフサス(前後5枚リーフ)を採用したトヨペットマスターであった。マスターは役割を終えて1年10ヶ月で生産中止になり、ボディ部品の金型の減価償却のために仕立てられたのがマスターラインである。ピックアップトラックもあるが展示車はライトバン。関東自動車工業で製造され、後にトヨペットコロナにもマスターの部品が使い回されていた。




⑤スズキ スズライト SL型 (1957年)
スズキ初の軽自動車であるスズライトSSと共に発売されたファストバックスタイルの貨客兼用を意識した軽自動車であった。15%の物品税を免除させるために折りたたみ式の補助席を引き起こせば3人乗りとなりながらも200kg積みの荷台を持つ。アルト発売の22年前に既にこの様なコンセプトの車を出しているという点は驚異的である。2年後には大ヒットするスバル360が発売されるが、スズライトはバックボーンフレーム構造を採用し、FFを採用などキャビンを最大化するために攻めた技術を使用した。






番外編ダイハツ ミゼット DKA型 (1959年)
トヨタ博物館開館当時から常設展に置いてあるミゼットである。戦後の間に合わせ的なオート3輪ではなく、機動力のある小口輸送の担い手として街のヘリコプターというコピーがついた。当時のスターを使ったTVコマーシャルもウケてヒット。

全くの余談だが、2005年ごろ働いていたアルバイト先ではもうすぐ定年というおばちゃんと話してて「ミゼット」といって両手をくるりと回したあのCMのモノマネをされていたのを思い出す。車に全く興味の無かったであろう大阪のおばちゃんが、当時で45年以上も昔のCMをサラッとやってのけるのはそれだけCMの効果が絶大だったと言うことなのだろう。

荷台はボディと一体構造でE/Gは前にあるので、生鮮食品を積んでも荷傷みリスクが小さいことがアピールポイントだった。鳥居は丸パイプにアーク溶接されたBRKTにボルト平面締め。BRKTは角を丸く落としたり、駄肉をカットしながらもフランジを丸く成型し強度と安全性に配慮。ロープフックはフック部を丸棒を平板に丁寧に溶接したフックASSYを2打点でスポット溶接。






⑥トヨペット スタウト RK35型 (1959年)
スタウトはマスターラインピックアップよりも積載量をアップし、強い、頑丈なという意味のスタウトに名称変更された。荷台は独立して各種架装が可能でキャブはマスターラインと変わらず、マスターセダン用金型の減価償却に貢献している。荷台には補助席がある。法律的には荷物の監視目的で荷台に人を乗せて走ることが出来るがこんなに見張りが必要なのだろか(笑)荷台は幌がかけられるようにU字型フレームが複数セットされ、アオリにも穴が開けられている。

ロープフックはスポット溶接でアオリに取付けられているが写真を見る限り平面視方向には打点がハッキリ確認できるが、側面視方向の接合はどうしているのだろうか。板厚も平面視方向と側面視方向では異なるような写真映りになっており謎が残る。展示車は岐阜県の車だったようだ










番外編 トヨエースSKB(1959年)
トラックの国民車トヨエースはオート3輪からの代替需要を意識した廉価な1tクラスのトラックを目指して開発された。3輪トラックは走行安定性が低かったものの、荷台が長い点でボンネットトラックよりも秀でていた。トヨエースは(セミ)キャブオーバレイアウトにより荷台を拡大。簡素な内外装でデビュー。当初62.5万円だった価格では目的を達成できなかったが、トヨエース拡販のためにトヨペット店を開業し、政策的な値下げを行い、最後は46万円で販売。悲願の3輪トラックから4輪トラックへ誘導することに成功した。ハンモックのようなシートはシトロエン2CVに影響を受けているようにも見える。鳥居の部分だけ別体で荷台から出ているL字チャンネルと正面+側面締め。ロープフックはレストアによって打痕が隠されている。構造がよく分からなかった。







⑦ダットサン 1000トラック G222型 (1960年)
乗用車とフレームや基本構造を共有する1t積みピックアップトラックである。日産初のOHVエンジンであるC型E/Gを搭載。ストーンE/Gという別名もあるが、ストーンとは日産が招聘していたドナルド・ストーン氏を指す。当時生産していた1.5L E/Gのストロークを減らして1000ccとしたもので小型タクシー企画上限を意識したショートストロークE/Gとなった。乗用車のメッキ装飾部は廉価なカラーペイントとなるも、油圧クラッチや吊り下げペダルを採用し機能面は乗用車同様に進化していた。このモデルから日産は本格的に(苦労はしたが)対米輸出に打って出ることとなった。フェンダーの1tonnerのエンブレムが誇らしい。レストアで交換されたとみられる新し過ぎるタイヤが少し残念。アオリはミゼットのように丸パイプとBRKTをアーク溶接し、BRKTを側面締めしているが、アオリの見えない面から締結しているのでスッキリしている。作業性が悪いが、アオリ形状と干渉するので締められなかったのだろう。ロープフックはアオリにアーク溶接。フックはカール形状部と厚板部をアーク溶接し、フックASSYをちょん付アークしている。結構手間がかかっていそう。その分、カール形状のフックが丸棒よりも量産性が良さそうではある。








番外編スズライトキャリィ FB型 (1961年)
現在も販売されているキャリィの初代モデル。スズキは比較的後発で3輪トラックを販売していなかったので軽トラックも4輪からスタートしている。この車を生産するために豊川市に車両組み立て工場を建設した。鳥居は無くキャビンを守るガードが直接キャビンに取付けられている。ロープフックは荷台の穴からちょこんと出ているだけ。裏から覗くと、鍛造製と思われるフックは、パイプ形状のカラーと
アオリにちょん付けアーク溶接を駆使して取付けられている。






番外編スズライトキャリィ L20型 (1965年)
4年でフルモデルチェンジされたキャリィは吊り下げ式ペダルによって荷台を拡大するなど地道な改良を実施した。ロープフックもあの複雑な構造をやめてプレス板金製のフックをスポット溶接で留めている。




⑧ホンダ T360H AK250型 (1965年)
ホンダが初めて生産した軽トラック。冬にバイクの代わりに売れるものと言うことで作られたのだが、軽トラックなのに水冷直列4気筒DOHC(2バルブ)を積むという暴挙は「エーじゃないか、ヨタヨタしないトラックができるぞ!!」社長の一言で決まったという。

ただ、個人的にはこのトラックが大好きで、可愛らしい見た目と精密な機構をコンパクトに詰め込んだ感じがたまらないく惹かれるものがある。白いH字型の部分は剛性ビードを兼ねているらしいがデザイン上のアイコンにもなっているし、昔から、漫画に出てきそうないたずらっ子の鼻の絆創膏にも見えていた。

あまりに可愛らしいので荷台チェックを忘れた訳では無く、この荷台にはロープフックも鳥居も無かった。

旧車イベントで見かけると必ずじっくり見てしまうモデル。(子供の頃本気で欲しいと思ったことがあるが、いまは同系統のドリーム50に憧れている)



⑨マツダ T1500 TUB81型 (1965年)
オート3輪はトラックの実用性とオートバイの手軽さ・機動性を併せ持つ存在だが、1960年代になると4輪トラックに置き換わりつつあった。3輪陣営は林業など小回りが利く業種で選ばれてきたが軽自動車と大型化で乗り切ろうとした。wikipediaに拠れば、4輪トラックと較べて3輪は車体幅や車体長、排気量に関する制約が無く、更に戦後、4輪トラックの1t~2tクラスが4t~5t積みなど大型化したことで、最大積載量750kg以下のオート三輪から2tクラスまでのトラック市場が空白化したところに食い込もうとしたのである。4輪とは異なる特徴で活路を見いだしたものの、展示車と同じ1965年に3輪免許が廃止され、道路網の発達に伴ってトラックと言えども操縦安定性への要求が高まり、内外装のデラックス化によって4輪トラックとの価格差も縮んだことから3輪トラックの衰退期を迎えることになる。ロープフックは鍛造製フックをアーク溶接。フックのモーメントが最大になる点に
アークが設定してあり応力を圧縮で受けている。1974年まで受注生産で対応されていたというのは驚きである。3輪免許しか保有していないドライバーや3輪のメリットが生きる特殊な用途に向けて残されたのだろう。






⑩トヨタ ダイナ RK170型 (1967年)
ダイナはスタウトのフレームをベースにキャブオーバー化した2トンクラスのモデルだったが、展示車は専用フレームに1900ccエンジンを積んだ2代目。乗用車的な4灯式ヘッドランプも特徴。先代の2.88m(9.5尺)から3.1m(10.2尺)に拡大した。ラジオやホーンリングなどちょっとデラックスなイメージが感じられる。4灯式ヘッドランプで質実剛健と言うより、ちょっと乗用車的なムードも大切にしている。キャブと一体イメージの荷台。スッキリしている。トヨタ車体のマッドガードダイナのマッドガードと言えば私が子供の頃は劇画調のおっさんの絵が描いてあって怖かった記憶があるのだが、最近見かけない・・・・何処へ行ったのか。鳥居根元は鳥居とアオリにボルトにて側面締め三角BRKTがプレス成形品で生産性が良さそう。平面に座面をつけたり、切れやすい斜辺のフランジを曲げるなど板金加工のノウハウがこのBRKTに惜しみなく発揮されている。ロープフックはプレス加工品をスポット溶接(4点)でアオリに接合。フックは一枚の鉄板のプレス成型だけで形状が出来ているので従来の鍛造品やプレス品のアーク溶接、リベット接合より生産性が良い。








⑪トヨタ ブリスカ GY10型 (1968年)
ブリスカは日野自動車と業務提携し、トヨタが販売権を取得した1tクラスの小型トラックだ。トヨタで販売するにあたり過剰品質を改め、54項目370カ所の変更が加えられたとされる。E/Gはコンテッサと同じ1300ccE/Gを搭載、5ベアリング・ハイカムシャフト・クロスフロー吸排気など小型トラックとしては進んだ高級メカニズムが採用されていた。このブリスカは1967年にトヨタブランドとなり、1968年にはフルモデルチェンジに際してハイラックスに改称されたが、現在も続くハイラックスの基礎となる。トヨタブリスカはたった2年しか売られていなかったので非常にレアなモデルでよく見つけたな、と言うのヤレ感も「レストア済車両派」の私も感心する。鳥居根元は三角パッチの設定あり。パイプとはアーク溶接、アオリとは側面ボルト締め。斜辺は他社と同じようにヘミングしてある。同じ斜辺でも下部は完全にフランジを潰し、上部のパイプとの合わせはフランジを折曲げずにアーク溶接している。これを見ただけで高コストがうかがい知れる。







⑫トヨタ BUV タマラオ KF10型 (1977年)
1960年代から新興国向で現地生産を行うため、国情に即した簡便な実用車(BUV:Basic Utility Vehicle)がシトロエンやVWなどから平面で出来た多目的車として生み出されていた。展示車はトヨタがフィリピンとインドネシアの現地合弁先のエンジニアと共に開発し、作りやすい単純な造形かつ、強靱なフレーム構造、タフで信頼性の高いトヨタの流用コンポーネントを駆使したのがフィリピン名「タマラオ」である。インドネシアでは「キジャン」と呼ばれている。展示車は乗り合いバス仕様になっているが、フレーム構造ゆえにトラックにも変幻自在で後にはワゴンボディ、ミニバンにも進化した。今もインドネシアやフィリピンではトヨタの自動車工場があり、タイも重要な拠点になっている。これら車種は後にハイラックスファミリーに加わり「IMV」と呼ばれている。昨年11月末にはこのタマラオの精神を復活させた「ハイラックス・チャンプ」がデビューした。シンプルな構造、架装しやすく拡張性の高いフレーム構造を採用している。平板や単純曲げ成型だけで構成されているが、クラムシェル形状のフードやVWゴルフやアルファロメオジュリアの様に四角いグリルからはみ出した丸形2灯式ヘッドライトは可愛らしい表情を生みだしている。ピープルキャリアー仕様だが、マッドガードの旧ロゴがトヨタ車であることを示している以外は見るからに堅牢な作り。インパネは板金製。内装らしい無い層が無い質実剛健な空間だ。ボディの当て板も全て歩留まりの良い矩形の鉄板をスポット溶接している。(ちょっと散っているのがご愛敬)各部の継ぎ目はこの通り。シーラーも塗られていない。恐らく錆びると思われるが、板厚で勝負している可能性もある。ドアは無く、アームレスト代わりのパイプがあるだけ。その背後にはフィラーキャップとインレットホースが見える。燃料タンクは座席の下である。当然シートベルトなんて無い。









⑬トヨタ デリボーイ KXC10V型 (1991年)
1989年に発売したデリボーイは多様化する小口輸送ニーズに対応したボンネットを持ったウォークスルーバンである。このタイプは既にヤマト運輸からの要望で商品化された集配用のクイックデリバリーがあった。キャビンと荷室を立ったまま行き来でき、荷物を持ったまま乗り降りしやすいスライドドアを備えているという特徴を下方展開したのがデリボーイである。クイックデリバリーが1.25t~2tクラスだったところ、デリボーイは500~750kgというライトエースバン級の積載量に留まる代わりに4ナンバー枠に入る様なコンパクトなサイズであるところがデリボーイの新しさであった。ヤマト運輸が開発費の一部を負担し、完成させたウォークスルーバンの精神を更なる小口輸送ニーズに向けて提案した点では挑戦的な商用車であるとも言えたし、バブルらしい攻めた企画とも言えた。明確なニーズが存在したクイックデリバリーはヤマト運輸が運用を辞めるまで長きに亘り存在したが、デリボーイは1代限りでモデルライフを終えた。商用車としては指示されなかったが、ファッション性のある車、或いは遊び車として魅力に感じる人は一定数居た様で商用では無く自家用車としてデリボーイを所有していた人はたまに見かけた。免許取ったらデリボーイが欲しいと言っていた同級生(非カーマニア)がいたなと展示車を見て思い出した。個人的にはカタログに出てくる夢に出てきそうな「強烈なイラストの人物」が何者なのかが気になっている。





番外編 日産バネット(2005年)
日産名義ながらマツダから供給されるOEMモデルであり、実質的にはボンゴである。長らく、小型キャブオーバートラック/バンの名門として君臨してきたが1999年にデビューした本モデルは衝突安全規制に適合するため、フレームを新設計しつつ、既存コンポーネントを可能な限り1983年発売の先代モデルのものを流用し、対応している。噂によるとスカイアクティブE/Gの搭載計画があったらしいが、実現していたらホンダT360のようなオーバースペックなトラックになっていたかも知れない。面白いのは、競合としてしのぎを削ったバネットやデリカに対してもOEM供給を実施して絶大なシェアを誇っていた点である。この勢いに対抗していたのはトヨタのライトエース/タウンエース位であった。ロープフックはプレス成型のフックをスポット溶接していながら、アオリの下端部でアーク溶接も施されている。形状的にフックと近接しているので溶接を打たずにいるとバラツキで干渉したり栓抜き荷重がスポット部に入ることが考えられる。





番外編 トヨタライトエース(2015年)
ボンゴと共に1tクラスの小型トラックとして長らく市場に残ったライトエース/タウンエースだったが、2008年にフルモデルチェンジを受けてダイハツのインドネシア生産車「グランマックス」のOEMとなった。1966年の初代カローラ以来、長きに亘り存在したK型エンジンの末裔である7K-E型E/Gに代わり可変バルブタイミング、DOHC16バルブなど現代的なメカニズムを持つ1500ccE/Gが搭載された。積載量は800kgであり、1tが積めなくなってしまった。鳥居はキャビンにインテグレートされて荷台との接続はされていない。ロープフックはミゼットから続く鍛造製フックをプレス成型されたベース部と部分組立してアオリと2カ所でスポット溶接している。60年を超える実績のある構造となっている。





●あとがき
本特別展は既に会期が終わっているのですが、非常に興味深い展示だったので会期中は複数回足を運びました。それどころか、他の博物館や日常生活で見かけたトラックが気になる事この上なかったです。結局、ブログにする際には企画展以のトラックも載せてしまいました。

こうやってたくさんトラックを見て改めて私の子供時代を思い出すと、酒屋さんのポーターキャブやサニートラック(角目)、お米屋さんのライトエース、マンションによくやってきた移動青果店のチェリーバネットや、農協の黒煙だらけのエルフなどなど。あるいは母の友人の家具職人さんはボロボロの30系ハイラックス使ってたな・・・。など、伯父の赤いハイラックス以外にもたくさん居たんだよなと後から気づかされました。高専時代の同級生の祖父が7K-Eのライトエーストラックに乗ってて何回か運転さて貰ったっけ。(1→5シフトが出来ました)

最近だと、主治医が遊び様にキャリィを購入されたり、私も案外トラックに囲まれて生きてきてるんだなと。

先日、子供らと録画してたトトロ見てたら、「まつごう!?」もトラックでしたね。



次の企画展も楽しみです。
Posted at 2024/01/13 22:59:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | イベント | クルマ

プロフィール

「@たっくるVS さん 触媒のことかな?タダで直るの良かったですね!」
何シテル?   04/26 21:48
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
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