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ノイマイヤーのブログ一覧

2022年11月18日 イイね!

第8回 相手にされないミーティング愛知版参加

第8回 相手にされないミーティング愛知版参加






2023年2月 リンク修正


●ウイークエンドデストロイヤーとの戦いを経て―
埼玉で何回か開催されていた「相手にされないミーティング」が初の愛知遠征。由来はいわゆる旧車ミーティングでは年式が新しすぎて相手にして貰えない車が集まるイベントというニッチなものです。

そういう車ばかり所有している私としては、一度は参加してみたいイベントでした。愛知で開催されると聞いて、数ヶ月前から家族への周知徹底を開始。

息子の習い事が無い日にハマりいざ鎌倉!じゃなくて岡崎!だったのですが、10月に入ってから娘(2歳)が週末ごとに発熱を繰り返すウイークエンドデストロイヤーに変身・・・・。

金曜午後から発熱し、土曜は小児科を受診し日曜に熱が下がって月曜から保育園に行くという地獄のルーティーンに突入したのでした。

関東の友人の顔も知っている妻も配慮してくれて「娘が熱出ただけなら面倒見とくからいいよ。・・・でも息子(5歳)は連れてって」という特別対応を取って貰えることになったのでした。・・・でいよいよ週末が近づいてきた木曜日、あろうことか息子と妻が風邪症状を訴えまずい事態に。

木曜日は妻が会社を休んで対処し、午後は私も帰宅して在宅勤務でお風呂に入れるなど力仕事の育児対応。金曜日は妻は仕事が忙しいので出勤し私は在宅勤務で残業を5時間減らして午後から子供の療養に努めました。頑張りの甲斐があって息子は元気になったのですが、夕方何気なく無傷だったはずの娘が暖かい・・・・。「摂氏38.6℃」で予定通り?ウイークエンドデストロイヤー(2歳)が活動開始。私以外、全員が調子悪いという状況でもはや参加は絶望的・・・。

絶望的すぎて、思い余って深夜にデミオで会場(1時間弱)まで深夜ドライブしてしまったり未練タラタラ。

イベント開催当日の朝、娘を連れてかかりつけの小児科(プリウスPHVとレクサスLS500hを保有)を受診。血液検査などを経て「風邪ですね」との診断。「娘は毎週毎週熱出してるんですが大丈夫なんでしょうか・・・?」と尋ねたところ「あそこ(保育園)は風邪の宝庫です。血液検査の数値を見ても前回と違う結果が出てますし、解熱後数日経過しているので毎回新しい風邪をもらっていると言えますね。」とのこと。

抗生物質を処方され帰宅したところ、妻から何とか娘を見られそうだから出かけて良いとの許可を得て、念願のイベントに参加することが出来たのでした。

個人的には妻への参加の打診から自宅を出る前の紆余曲折の方が実際のイベントよりドラマがあったんですが、今回は本当に奇跡的に参加できました。

はやる気持ちを抑えてプログレに飛び乗り、軽ーく砂埃を洗車機で落とした後は、虫とぶつからないように左車線をトコトコ走らせて岡崎ICを目指しました。


会場に着いたときの嬉しさと言ったら、のどカラカラ状態で頂くキンキンのビールと同レベルでした。やっぱり私はイベントに飢えていたんだな・・・。

いつも会っているおなじみのメンバーから数年ぶりに会う方々まで皆さんお元気で何よりです。独身時代は年に何回も会って深夜まで飲まず食わずでクルマ談義していたような人たちなのでコロナ禍のブランクを感じさせない集まりになったことを嬉しく思います。

私が参加するイベントのお約束の試乗会もありました。初めて運転するクルマ、初めて運転する車が入り交じりましたが試乗コースがコーナーやアップダウンに恵まれていてハチミーの後の外周路のような楽しさでした。



さらに数年ぶりに2輪車も運転しちゃいました。7.2psもある2ストのマニュアル車はアドレナリンがドバドバに放出されました。私は中型2輪の免許を持っているのですが、中学時代から憧れていたホンダドリーム50のノーマル車が手に入ったときだけ2輪に乗りたいなと考えてます。(憧れのまま終わりそうですけどね。)

もちろん、4輪の方もお許しいただけたお車には息子と一緒に試乗させていただき、プログレも皆さんにお声かけして乗っていただきました。変わった見た目ながら攻めた設計の革新的古典派セダンを少しでも楽しんでいただけていれば良かったなと。

もう一点、私がとある筋から手に入れてきた廃棄カタログのばら撒き会も開催し皆さん「頑張って」持って帰って頂きました。レア物も含まれていたようで皆さんのマニアックな楽しみに寄与できればカタログ達も本望です。(ただ、訳あって転売だけは禁止です)

素敵な車達の写真は画質悪いですがアルバムをご覧下さい!

秋が深まって日が短くなってきているので段々暗くなってきて時間は妻と約束した午後五時過ぎ。あたかも12時を過ぎたシンデレラのように息子と退散。疲れた身体にプログレは優しいです。帰りの車では息子は爆睡。私も久々にはしゃいだので早めに就寝しましたとさ。

皆さんは20時頃まで車談義に花を咲かせて夕食まで行かれたようでいつか子供達から「相手にされなく」なった時はご一緒させて下さい。その時が寂しいような楽しみなような・・・。

本当はハチマルミーティングもギャラリー参加したかったのですが、さすがにウイークエンドデストロイヤーが心配なので自宅で大人しくしていました。これも色々問題もあったのですが改善されたと信じて久しぶりにエントリーしたいんですけども当分先の事になるでしょう。




以下は運転させていただいた皆様の愛車の試乗メモです。(年式順です)


●1999年式プレオRM


1998年秋の軽規格改訂タイミングに各社が申し合わせたように新型車を開発して発表した。この現象は何度も書いているが90年の規格改定時に他社に先駆けてダイハツだけがミラのFMCをぶつけてヒットしたために競合他社が脅威に感じた経験から空前の新型車ラッシュになったのである。

今回取り上げたのはスバルプレオ。当時の富士重工がまだ独自の軽自動車を作っていた時代の後半戦を象徴する人気モデルだ。

それまで作っていたヴィヴィオはシンプルリッチを合い言葉に当時の本流だった2BOXスタイルに4気筒エンジン、4輪独立懸架を採用するだけでなくペダルレイアウト改善に始まるドラポジの適正化や安全性への配慮(D席エアバッグ採用)など
軽自動車だからと言うエクスキューズを極力廃した作りは正にシンプルリッチを体現していた。

プレオは過去に試乗経験があるが、今回の試乗車は初期モデルのRM。あの中田英寿が出演していたCMにも出ていたプリズムイエローMである。



基本的にはヴィヴィオの資産を活用しながら、ワゴンRとムーヴが牽引したトールワゴン市場を意識した6ライトのワゴンボディに進化した。それでも全高はルーフレールを除いて1575mmと当時のワゴンR(1640mm)より少し低め。

流行の軽ワゴン試乗にステーションワゴン文化を牽引してきた富士重工が参入したが、むやみにボディサイズを追わず技術オリエンテッドなクルマ作りがいかにもスバル車らしいとウケた時代である。デザイン的にはB-C-Dピラーをブラックアウトすることで長さ感を強調し、ハイトワゴンの高さより、長さを強調するデザイン効果を狙っている。レガシィとの関連を匂わせ、大人っぽくみせるデザインはプレオらしい。



プレオの技術的ポイントは主要グレードにマイルドチャージと呼ぶスーパーチャージャーを設定したことだ。規格改定の理由となった安全対策や流行に即したワゴンボディでどうしても重くなってしまうので燃費悪化代を最低限に抑えるべくSOHC8バルブエンジンの実用域の底上げを狙った過給機である。NAだと58ps/7.3kgmと900cc並の力を発揮(byプレスリリース)する。一方で今回取り上げたRMグレードは充実装備のスポーティグレードという位置づけで4気筒エンジンはもちろんSOHC16バルブを採用したスーパーチャージャーで64ps/9.1kgmを発揮する。更にスポーツ性に特化したRSではDOHC16バルブ(64ps/10.1kgm)が採用されて高回転までパワーが持続する。グレードによってこれほどまでE/G仕様が異なってくるのは当時ならではの真面目さというかサービス精神であろう。



組み合わせられる変速機はMTの他に当時はまだ珍しかったCVTであるが、ヴィヴィオが採用していたECVTではなく、i-CVTに切り替わった。これは発進時のクラッチを電磁パウダークラッチではなく一般的なATが採用するトルクコンバーターとしたもので信頼性が飛躍的に向上し、一気に弱点を克服することになった。プレオのバングレードもi-CVTが選択でき、先代ヴィヴィオではモデルライフ途中からスズキの3速ATを組み合わせていた事を考えると耐久性への自信の程が窺える。

RMはさらに7段変速モードを備えたスポーツシフトを採用している。当時、ポルシェのティプトロニックや国産では三菱のINVECS-IIなどMTの楽しさをATで再現しようとする試みが始まっていたが、スバルでは先代のヴィヴィオからCVTで有段変速ライクな変速比固定制御に挑戦していた。

早速乗り込んでE/Gを始動させた。ヴィヴィオからの進化は乗り込んだ瞬間に分かる。地上高600mmという乗降性が最適になるエリアにシート座面がある。運転席はヴィヴィオと同じハザードスイッチやミラースイッチなど懐かしくて涙が出そうになる部品もあるが先に挙げたヒップポイントが現代的でヘッドクリアランスもこぶし3個分とかなり余裕がある。



全高は低めだが必要十分以上の余裕がプレオには既に与えられている。優越感のために競合車より目線を高くしたいだけでよじ登るようなパッケージングが与えられたミニバンを知っているが、プレオからは当時の富士重工の朴訥とした真面目さを感じた。

アイドリングは軽自動車としては静かである。23年落ちと言えどもやはり4気筒エンジン、3気筒には無い落ち着きがある。ブレーキペダルを踏みながらコラムシフトでDレンジを選択。LMとRMのCVT車のみに設定された足踏みPKBの解除レバーを引くとバコンとペダルが上がる。当時既に二度踏みでリリースできる足踏み式PKBが存在(例:初代プリウス)していたが、当時のスバルは「踏み増しを可能とし、誤作動を防ぐ安全設計」と考えていた。



前置きが長くなったが走り始める。アクセルの踏みはじめから回転はそれなりに上がるがグッとトルク立ち上がる。電磁クラッチのECVTはほんの少ししか運転した経験が無いが、発進時のクラッチ操作が終わるとあとはプーリーによる変速に切り替わる。電磁パウダークラッチは、後の耐久性の無さを知っている私からするとダイレクトだがヒヤヒヤするフィーリングなのだが、トルコンにロックアップクラッチを組み合わせているのでATに慣れた我々も安心して走らせる事が出来る。実は高度な熱処理が加えられ沢山に金属コマをつなぎ合わせて作られており、ベルトの方が余程センシティブな部品なのだが、ベルトが切れたなんて話は余り聞かないのが興味深いところだ。

発進加速は軽自動車のハイトワゴンでCVT車と言うことを考えれば十分快活と言えるレベルだ。ターボ×4速ATが当時のスタンダードだったところにスーパーチャージャー×CVTなので乗り味はかなり異なる。ターボ車はアクセルを踏み始めてのターボラグを感じてしまうが、プレオは発進直後からトルクが立ち上がる。排ガスのエネルギーを再利用しているターボより非効率とされるスーパーチャージャーだが立ち上がりのフィーリングは鋭い。CVTが一定のE/G回転数で留めながら高い駆動力が持続する。今では当たり前のこの加速フィーリングも当時は「ジェット機のような切れ目のない加速」と称されて重宝されていた。当時は効率的な加速力重視のセッティングだとスクーターのような感覚になるのは当然と考えられていてCVTが普及した現代では敢えて追加される疑似ステップシフトなんて当時の人が知ったら「せっかくのCVTなのに何やってんだ」という感覚であろう。



スポーツシフトを早速試した。右I/PクラスターのメインスイッチをONにし、シフトレバー本体につくボタンスイッチを押す事で7段マニュアルモードとなる。ステアリングに着いているスイッチをカチカチと操作するとメーター内の表示が切り替わり今何速に入っているかを教えてくれる。レスポンスは現代の目で見ても良好でスパスパと変速していき、エンブレを利かせるときには操作しやすい。



試乗コースはアップタウンとコーナーのあるワインディングだった。軽自動車にとっては苦手なシチュエーションなのだが背の高さを感じさせないシャシー特性は流石スバルだと感じた。油圧PSのしっとりしたフィーリングと動力性能のマッチングも良い。コーナーを強めに曲がってもコケそうになる挙動も無く、それでいて強アンダーで曲がらん!と言う感じも無い。絶妙と言うほかないのがプレオの走りだ。

言い換えれば軽自動車のプレオは普通車が買えない人の代用品としてではなく、一台の真っ当な超小型車として作られている、と言えば理解されるだろうか。近所のお買い物カーに留めておくのは勿体なく、長距離ツーリングも十分可能なポテンシャルを感じた。前:L型ロアアーム式ストラット/後:パラレルリンク式ストラットというレガシィ譲りのサス形式も当時の軽自動車ではプレオだけが持っているメカニズムだった。普通車と比べて軽量な車体(870kg)ゆえ乗り心地がふんわり良い、という訳でもないがトーションビーム式サスペンション的なショックがドシーンと来る事は無かった。

プレオは市場で好評を博していたが、次世代のR2で商業的に失敗してしまった。慌てたスバルは当時のムーヴそっくりなステラを発売してお茶を濁そうとしたが、
もっと儲かる北米市場メインに舵を切り、国内向けも「ぶつからない車」を基軸とした売り方に大きく舵を切った・・・。

早いものでスバルが軽自動車開発から撤退してもう14年が経過した。2020年代の軽乗用車はせいぜいターボがあるかどうか程度で直3E/GにCVTを組み合わせ、前後サスはストラット/トーションビームと同じような車がほとんどである。それほど今の時代としての最適技術が成熟してきたと言うことだ。ただ、2022年になって遂にBEVという選択肢も見られるようになってきた。来年ごろにはシリーズ式HEVを採用する車もあるという噂だから再び技術的面白さで選ばれる軽自動車が増えてくるかも知れない。

プレオが擁していた技術の中でトルコン式CVTだけは普及したが4気筒E/Gやスーパーチャージャー、四輪独立懸架などは普通車を含んだコンパクトカーからも徐々に消え去ろうとしている。それらマニアックなテクノロジーにロマンを感じるユーザーは本当に少数派になった。それとも技術的ロマンを表現できる車が現れないからユーザー達のロマンがかき立てられないのか・・・非常に難しい問題だ。



P.S.せっかくのプレオなのにパノラマシートを試し忘れたのは心残りだった。





●2001年式コロナプレミオEリミテッド


親戚が乗っていて―という理由で購入されたコロナプレミオ。コロナプレミオは1996年1月にデビューした11代目となるコロナである。先代となる10代目(コロナ氏)は欧州車を意識して丸みを帯びたハイデッキスタイルを採用したが、日本市場の求めるコロナ像と、欧州市場で求められるカリーナεとのギャップに苦しんだ。そこで欧州市場は、欧州市場に特化したアベンシスを開発し、日本人のためのコロナを実現したのが今回取り上げたコロナプレミオなのだ。

プレミオとは「一番」を示すサブネームで、コロナ史上初めてサブネームがついたモデルとなった。カローラ「スプリンター」はスプリンターになり、コロナ「マークII」はマークIIになったしセリカ「カムリ」はカムリになった。案の定、次のモデルではプレミオになってしまったので最後の新型コロナと言えそうだ。(それを言うなら我が家のデミオもいつまでの最新型のデミオと言える)

過度に効率を追わず低いベルトラインと繊細なクオーターピラーを持った9代目(何よりもコロナ)の正常進化版とも言えるエクステリアデザインは1996年当時中学生だった私には少々トラディショナルに過ぎると映った。その反面、当時の8代目カローラの悲惨なコストダウンっぷりを目の当たりにしていた私にはコロナプレミオはグッと大人に見えたのも事実。現代の目で見ると全長4.5mクラスなのに伸びやかでセダンらしいスタイルでプロポーションの良さがウリだ。空力を意識しすぎた先代の反省でAピラーを立ててヘッドクリアランスを確保。ベルトラインやトランク高さを下げて視界確保にも配慮した。マルチリフレクターヘッドライトやタコメーター全車標準装備、ソフトパッドのインパネや木目調パネルの多用など
カムリやカローラの失敗を横目に最低限の配慮を入れつつ、デュアルエアバッグやABSを全車標準とした。



更に世界トップレベルの衝突安全性能を謳う「GOAボディ」をスターレットと同時に採用し世間から注目された。それまでも衝突安全ボディをCIAS(サイアス)という読んでカタログに記載していたが、TVCMまで流してアピールしたのは当時としては進んだ活動であった。

GOAは“Global Outstanding Assessment”の頭文字で直訳すると「世界的に並外れた評価」になるので、世界的な評価基準と照らし合わせても厳しい社内基準を設定し、それを満足した車がGOAと名乗れるようにしたという意味になる。

トヨタは80年代のLASRE&PEGASUSキャンペーンからも技術に名前をつけるのがうまい印象があったが、それの90年代バージョンのような印象を当時は持った。ちなみに軽量であることを最優先にしたオープンカーや異業種コラボ企画車はGOAを名乗っていない。

GOAキャンペーンが流行ったので競合他社も慌てて自社の衝突安全ボディに名前をつけた。ZONE_BODY、TAF、TECT、RISE、G-CON、MAGMA・・・どれがどのメーカーの名前か覚えている人は居るだろうか。

閑話休題

試乗車はコロナ名義が廃止されたプレミオが出る直前の最後のお買い得特別仕様車で貴重な5速MT車である。走行距離が17万kmを超えているものの、大きくやつれた印象も無く普通の中古車レベルの外観を維持しているのは良いコンディションと言えそうだ。

息子を後席に乗せてE/G始動。7A-FE型E/Gはトヨタが得意としていたリーンバーンE/Gである。通常の空燃比よりリーン(燃料が薄い)吸気をSCV(スワールコントロールバルブ)による横渦(スワール)でよくかき混ぜることで着火性を向上させている。

希薄燃焼E/G自体は昭和40年代から研究されており、ホンダのCVCCや三菱のMCA-JETなど実用化されているが、トヨタも12T型E/GでTGP(乱流生成ポッド)を用いた希薄燃焼を実現し、後処理装置に頼らずに排ガス性能を確保し、自然なフィーリングをウリにしていた。

昭和50年代の終わりになるとトヨタが1600cc4A-ELU型エンジンで「世界初のリーンミクスチャセンサによる希薄燃焼制御システムを採用したエンジン。1984年5月に発売されたトヨタカリーナFF4ドア・セダンに搭載。リーンミクスチャセンサは、排気系に装備し、理論空燃比よりも薄い側の空燃比を検出する。この検出信号で燃料噴射量をコンピュータが精密にコントロールする希薄状態での空燃比フィードバックを実現。最適な燃焼が得られるよう、各気筒単独で噴射量・噴射時期を精密に変化させるプログラム独立噴射、希薄混合気内での着火性を向上する白金プラグ、高性能イグナイタを採用。その他、スワールコントロールバルブなどエンジン本体の改良により、空燃比23以上の希薄混合気でも安定燃焼を可能にし、1600ccクラストップの低燃費17.0km/l(10モード)を実現」している。

それまでのリーンバーンを乱暴に言えば、濃い混合気に着火して薄い混合気まで巻き込んで全体的に燃焼させて運転していたが、トヨタのリーンバーンエンジンは最初から空燃比23の薄い混合気をスワール流で筒内をかき混ぜた上で着火させる点に新しさがあった。以後、カリーナは1993年にも4A-FE型エンジンで更にリーンバーンを進化させAT車との組み合わせを実現し、リーンバーンの実績を積み重ねている。

そしてミドルセダンの中心的車種だったコロナの中心的エンジンとして1.8LのリーンバーンE/G、7A-FE型が搭載されたのである。NOx吸蔵還元型触媒(リーンバーンの欠点はNOxを多く出すこと)、フレックスロックアップを新たに採用して
大胆に低燃費E/Gをメインに据えたのは当時としては大胆な施策である。そんな7A-FEの115ps/5400rpm、15.8kgm/2800rpmというスペックは1.8Lとしては当時の目線でも平凡で1991年デビューのカローラSE-G(1.6L)相当の実力にとどまっている。リーンバーンというのは元々トルクが出ないのが相場なのに加えて
当時のトヨタのE/Gは最高出力スペック偏重から脱却して低中速トルクの確保による扱いやすさと燃費の向上に力を入れていた結果だ。



オーナーから鍵を受け取り乗り込んだ。クラッチを踏んでE/G始動。ミドルセダンらしく静粛性は十分だ。RAV4とお揃いの塩ビ製シフトノブを操作してアイドル回転でクラッチを繋げばむずがることも無く動き出す。真っ直ぐでは無くて、PKBを避けて手のワークスペースを確保したシフトレバーの操作性は良好で当たり前の操作が当たり前に行える。

通りに出て加速させるが、明らかな低中速型特性に躾けられており実に運転しやすい。2速だけでも伸びるし、シフトアップしてもトルクフル。リーンバーンは希薄燃焼ゆえにパワーが出ない(燃やしてる燃料が少ない)が、踏み込んだ先では通常の空燃比で走っているので省燃費エンジンであることを忘れそうになるレベルだ。勿論、アイドル時や日常走行ではリーンバーン運転が可能でのんびり走らせても良い印象は変わらない。

操舵時に大きなロールを許すものの、安定感を保ちながら曲がろうと努力を続けるタイプでオーナーがサーキット走行に供したのもうなずける。サス面の内部に閉じ断面を通したりサスのアッパーサポートを液封タイプにするなど地道な施策も実を結んでいるようにも思う。ただひたすらに扱いやすく思いのまま。予想外のことが何も起こらない、遠山の金さんのようなセダンなのである。誰でも運転できて誰でも性能を引き出せるのだが、これはつまらないことなのだろうか。私は高度にバランスされた操縦安定性と評したい。

スペックだけなら最新のヤリス1.5L(直3)とほとんど変わらないが、その大人っぽさからヒエラルキーの差を感じさせる。コロナプレミオが売られていた時代は既にセダンよりもSUVやステーションワゴン、ミニバンにファミリーカーの主軸が移っているのでコロナプレミオは中高年が乗るつまんないセダンという扱いをされていた。(それはカローラもカリーナも同じだが)しかしコロナプレミオはその実力が高く、装備水準も高く更にリーズナブルな価格設定で売られていた。

5ナンバーの車がコンパクトカーだけになり、セダンと言えば大型の高級車に限られ、エモーショナルデザインを追い求めた極少数派のための車型になっている現代の私から見れば1990年代後半はこんな恐るべしセダンが作られていたんだな、と羨ましくなった。





●2002年式デュエット Vリトルパッケージ(4WD)


ダイハツをこよなく愛するオーナーがストーリア星人にキャトルミューティレーションされた結果である。デュエットとはカローラIIの実質的後継車でダイハツ工業のストーリア(1998年~)のOEMである。

90年代末期のトヨタはダイハツ工業から小型車の供給を受けるケースが増えていた。例えばトヨペット年向けのキャミ(あの気持ち悪い赤ちゃん・・・)の次に現れたのがカローラ店向けのデュエットである。



1998年にデビューしたストーリアは「5平米カー」として名を馳せたシャレードの精神を引き継いだリッターカーである。日産マーチやスバルジャスティに先駆けてダイハツが世に問うたジャンルである。当時のセダンを基本とした俗っぽい1.2Lクラスの大衆車より一つ小さい2BOXリッターカーはセダン並みの室内空間と実用的で新鮮な存在だったのである。

しかし、自動車産業でよくある「FMCを繰り返す度に立派になる」という例に漏れず、シャレードは技術的挑戦を取り入れながら他車の2BOXと大して変わらない立ち位置に甘んじてしまった。最初のシャレード(LWH:3460mm×1510mm×1360mm)と最後のシャレード(LWH:3750mm×1620mm×1385mm)を比較すると全長290mm大きくなっているが、実はキャビンの広さに関わる軸距は2300mm→2395mmと95mmしか大きくならず、他の寸法は衝突安全や荷室スペースに充てられていた。何だかんだで顧客に買い換えて貰うためにはユーザーと共に少しずつ成長せざるを得ないのが実情であった。

この現状に満足できなかったダイハツが世に出したのがストーリアである。ストーリアはLWH:3660mm×1600mm×1450mm 軸距2370mmと4代目シャレードより小さい。安全性向上を狙った新規格軽自動車向けのP/F技術を先出ししながら、小さくても安全、小さくても高級なコンパクトカーを作ろうとした。

エクステリアはダイハツらしい個性的なエクステリアデザインだ。今のエモーショナル顔に近いと言えば近いのだが、当時のコスト優先で大人しいマスクの競合が多い中でストーリアはキャラが立っていた。そして大胆なメッキを使った外装はダークカラーとよくマッチしていた。

1997年の東京モーターショーに出品されていたNCXを見て興奮したのは私も同じでオーナーだけでは無い。

試乗車はトヨタで販売されていたデュエットの後期型に当たるモデルだ。グレードは1.0V 4WD リトルパッケージである。販売の主流になっていたトヨタの意向が織り込まれたのかかなり派手な内外装になっている。しかも1.3LハイパワーE/Gや営業車需要に合わせて廉価グレードも追加されるなど最初の「ちょっと上質なリッターカー」というキャラクターから変質しつつあった。

試乗車は装備が厳選された営業車グレードなのだが、これもオーナーのめがねを通してみれば「わお!日本ストーリアには無い欧州シリオン相当の素グレードやん!ほぼシャレードやん!」と映るのだ。

オーナーなりのモディファイが加えられたデュエットに乗り込む。E/Gを始動してTRDの球形シフトを操作するとロッドを介して1速にギアが入る。ワイヤー式のクラッチペダルを戻すがコントロール性が高く非常に発進がし易い。

発進時の一瞬「ドスンドスン」と振動がフロアから入るので4WD車だとすぐに分かる。クラッチが繋がりE/Gがロールしてプロペラシャフトとデフの角度が変化して等速性が維持できない瞬間に発生する振動だ。

ただし、その後3気筒E/Gだと身構えていたのだがスムースに回転数が上がっていく。2代目シャレードのターボ車と1stギア以外同じ変速比を持つ5速MTはすぐにトップないしO/Dへ上がっていく。予想していた現代の3気筒で不快に感じていたE/G音も振動も感じないので肩透かしを食らってしまった。例えば私が過去に試乗したシャレードの1.0L直3E/Gはバランスシャフトを採用して振動を打ち消す機構が備わっており、4気筒から乗り換えても違和感なく3気筒を受け入れることが出来た。

ストーリア/デュエットが搭載するEJ-VE型E/Gはどうだろうか。実はバランスシャフトは採用していない。それはバランスシャフトはそれなりの精度が求められ、フリクションを増やし、コスト・質量・スペースを喰うバランスシャフトの存在はメーカーにとっては好ましくないからだ。



21世紀を目前にしたストーリア/デュエットではそもそも、クランクシャフトを大衆車的な鋳造では無く金属組織が強靱な鍛造製を採用した上でボアピッチを詰めてL方向のねじり剛性を高めている。その上でMT車にだけフレキシブルフライホイールという技術が採用されている。

フレキシブルフライホイールとはフライホイールとクランクシャフトの接続部を薄肉プレートにすることで3気筒特有のすりこぎ振動をキャンセルする新技術である。クランクシャフトという重要な部品をペラペラの鉄板なんかで支えられるのか?という疑問も沸くが、そもそもフライホイールはクランクシャフト軸中心に回転する。

薄いノートや下敷きを手に取ってみればすぐに分かるが、板厚方向に力を加えるとぐにゃぐにゃに曲がる。しかし、板厚から直角方向に圧縮や引っ張り、曲げの力を加えても剛性が高く簡単には座屈しない。(そもそもフライホイール外周と締結されているから座屈はしないが)

エンジンの燃焼圧変動でクランクシャフトに発生する曲げ変形をフライホイール側がペコペコといなすのでフライホイールと接触しているクラッチ、T/Mに振動が伝え無い働きがあるのだ。クラッチを切っているときの円周振れ公差は大きくなるが、通常走行でクラッチを繋いでいれば大きな問題にならない。当時の資料によると全域で1.3L直4E/G並みのノイズレベルまで落とすことに成功している模様。

また、E/Gマウントは当時のFF車で一般的だった3点支持だが前後ロール軸方向に当たる前後マウントに液封マウントを採用した。マウントの下部に液体(LLC)を封入しオリフィスを通過する際の抵抗を使って振動を効果的に吸収する部品だが贅沢に2個も使っている。(多くのメーカーでE/Gに近い側のRH側のみに設定されるのが定石だ)しかもサブフレームはロの字型の強固なタイプを選択しておりE/Gの動きをきっちり管理しようとした痕跡を感じる。

そもそものE/G放射音対策でフードサイレンサやダッシュアウタサイレンサなどの吸音材では無く、シリンダブロックにリブを追加する源流対策も行っており芸が細かい。軽自動車を知り尽くしたダイハツだからこそ軽自動車との差の付け方がうまいと言える事例だったのかも知れない。ガッカリするような3気筒を沢山見てきた私にとって試乗したデュエットのスムースさは目が覚める思いだった。



初期モデルは60psE/Gだが試乗車は可変バルタイが組み込まれて64psに出力が向上している。この手の小排気量モデルにありがちなあと一歩、という痛痒感が無い点はクラスレスな魅力である。

コーナリングは4WDだが、クイックで応答遅れが無いと感じた。ベースは当時デビューを控えた軽P/Fだが、アセンブリラインで追加できる補強をFr周りに追加。
フードを開けて目に飛び込んでくるサスタワーとダッシュを繋ぐブレースが最も分かり易い。操舵時に更に舵を足してもぐんぐん鼻先が内側を向くのは痛快の一言。

これにターボとLSDが備わるX4はどんな走りなのだろうかと考えれば顔がニヤけてしまう。



当時の目線では例えば初代フィットやヴィッツのような全高が高めのコンパクトカーに新しさを感じており、ストーリア/デュエットは若干オールドファッションに映った。しかし2022年に改めて運転させて貰うとその旧さが走りの気持ちよさに繋がる部分もあった。どうしても新しいものに目が行きがちだがさすがダイハツのエース級エンジニアの力を結集させて開発しただけの事がある。(ちなみにエース級で無い人たちは関係会社に出向してNBCという小型車の開発に狩り出されていたとかいなかったとか)オーナーが惚れ込むのも納得の走りを堪能した。





●2013年式マーチ ボレロ


この試乗車だけは初年度登録が9年前にもかかわらず、最新型相当である。
今年、ひっそりとブランド廃止されたマーチのオーテックによるドレスアップバージョンのボレロだ。このボレロはマーチのヘビーユーザーだった参加者のお母さんの通勤用マシンである。



実は参加者のお母さんは初代から最終型まで全て乗り継いだ下手したら
初代のイメージキャラクターで後に金屏風会見を開いたあの人よりもマーチを熟知した人かも知れない。

初代はあるイベントで試乗させていただいた経験があるが、軽自動車ベースのリッターカーと逆のアプローチでダウンサイザーでも納得できるレベルのクオリティを持ったリッターカーだった。

10年モデルチェンジしない!という宣言の元で地道な改良が続けられてターボE/Gにスーパーチャージャーを組み合わせた「スーパーターボ」やキャンバストップを追加しただけで無く、Be-1やフィガロと言ったパイクカーの良質なベース車としても有名になった。

参加者のお母さんは1台目のマーチとしてモデル末期の1991年、5HBのi・z-fを購入している。



その翌年の1992年に2代目にバトンタッチする。90年代らしい丸みを帯びた優しいデザインとベーシックカーの本分をわきまえた内外装、全車新開発ツインカムE/Gを搭載し、新たに1.3Lの#系グレードを追加。自動変速機は1.0Lが4速AT、1.3Lが富士重工の技術供与を受けたNCVTを採用。当時、3速ATでも普通だったライバルからすればかなり先進的な内容を持っており、まさに10年先を読んだFMCだった。

このK11系マーチは私の子供時代とドンピシャでハマるクルマで同じマンションのK岡さんも同級生のS谷くんちもN川君のお母さんも乗っていた。高専時代は材料力学を教えていたS先生もMTの3ドアに乗っていた事がすぐに思い出される。そう言えば野球選手のイチローさんもK11マーチに乗っていた記憶がある。

日産の資料に拠れば1996年には過去最高の142389台という販売台数を記録。月当り11865台という売れ行きを見せていた。この頃は日産は苦しい時代に差し掛かっており出来映えの良いセフィーロとマーチでディーラが成り立っているとさえ言われていた。

そんな90年代の日産を代表するマーチゆえ、私が免許を取った後も運転する機会が多いクルマだった。特に知人のお母さんがパートに行くために乗っていたコレット4ATは1tを切る車体とは言え1.0Lの58psで2名乗車でもかなり高回転まで引っ張りながら走る車だった。動的性能は軽自動車よりは多少マシだが、普通車では真のエントリークラスという立ち位置だった。

すなわちオゾンセーフエアコンとパワステとパワーウィンドウにカセットデッキが着いていれば十分楽しめるそういうクルマだった。そこに多少の質を求める人のためにプラス300ccの余裕を誇る#系があったのだからその割り切りは決して間違いではない。ロッド式MTを駆使すればそこそこ楽しめたと思うのだが、中国道の名塩の上り坂でDレンジではロックアップ状態からのビジーシフトをこじらせて失速を晒し、2速全開で何とか流れに乗った記憶もあるくらいの動力レベルだった。

当時は解体屋さんにもK11が豊富でよりどりみどりの百花繚乱。防眩ミラーやタコメーターを装着したり、インパネトレイなど用品遊びもやりつくして派生車のZ10キューブの大径Frスタビライザーを移植したり、解体車のアウトストラーダ用ダブルラッセル生地のシート、ドアトリムなどの内装一式をゲットするなどクルマ遊びの原点ともなったのがK11マーチだった。

参加者のお母さんは1998年、2台目のマーチを購入する。Aichi-Colletという地域限定車。1997年のマイナーチェンジで安全装備が充実し、ヘッドライトが大きくなりカワイイ要素が加速した。



このマーチ(のカタログ)には思い出がある。マイナーチェンジ直前に訪れた長崎のハウステンボス園内を走る車は日産の車ばかりだった。シビリアンベースのレトロ風バスや、左ハンドルの240SXを見かけた。オランダが再現された美しい町並みが記憶に新しかった時期、改良されたマーチのカタログのロケ地がハウステンボスであり、見覚えのある風景ですぐに気づいた。あの橋、あのガソリンスタンド。
片田舎のカタログコレクターだった中学生ゆえ、行ったことのある場所がカタログに写っている!それだけでテンションが上がった。

2002年になると公約通り3代目がデビューした。既にカルロスゴーンがトップの時代で、挑戦的なデザインを採用したマーチは欧州メークのBセグメントと互角に渡り合えると私は思った。全然マーチじゃないデザインなのに水平基調のベルトラインとその下のレリーフだけでマーチを感じさせる。齧歯類系の初代ヴィッツやフィットと比べると、ちょっととぼけた表情のマーチは今見てもかなりレベルが高いデザインだったと思う。ニュービートルやFIAT500とも肩を並べる力作だと思っていた。

惜しいのは1.0Lが廉価仕様専用のエンジンとなり、1.2Lと1.4Lがメインエンジンになってしまったことと、キュートなスタイリング故に後席のヘッドクリアランスが狭くなったことだ。当時既にトヨタがヴィッツ、ホンダがフィットをリリースする中でマーチはファッション性に富んだキャラクターを追求した。ユーティリティを求める向きには2代目となったキューブがあったのでマーチは前席優先のパーソナルカー方面に舵を切った。

1.2Lになったマーチは先代の1Lで経験した悲しいほどの非力さはなく出足も納得できるレベル。やはり1.2Lの余裕はパワーという結果(90ps)に表れていた。ステアリングを握るとウレタンながらかなりソフトな触感でまるで人の肌のような柔らかさ。

インパネのシボも幾何学的なパターンで印象的だった事を覚えている。着座姿勢も先代までの水平基調のフードでは無く、キャブフォワード時代的な車両感覚が掴みにくい鼻先の短さなどデザインコンシャスの弊害も見られた。(せめてもの罪滅ぼしにヘッドライトの上部にフェンダーマーカーのような突起をつけていたが・・・)

乗ってみて残念だったのは出始めのEPSの完成度がイマイチで何だかスッキリしないそうだフィールだった。直進に戻そうとするトルクが強く、直進安定性が良いと言うより段付き感のあるフィーリングだった。EPSが急速に普及し始めた当時、廉価なモデルでは一定のアシストしか出来なかった油圧パワステに変わってモード燃費計測に有利なEPSでは様々な制御を織り込むことが出来たことから、こう言うパワステが散見された。後々、代車でキューブキュービックを借りた際もパワステだけはどうしても慣れなかった。

参加者のお母さんは2004年、3台目のマーチ(12cVセレクション)を購入する。


このマーチは私も実際に見せて貰ったことがある。キウイグリーンというビビッドなグリーンで丸いマーチとよくマッチするカラーだった。乗るとパワステがどうしても気になる車だったが、カワイイデザインのおかげで何だか許しそうになる(許してない)魅力があった。

当初はカワイイ系一本足打法だったマーチも2003年にはヴィッツRSやデミオスポルトに対抗する形でスポーツグレードの12SRがデビューした。EVO感あふれる大型Rrスポイラーが特徴の12SRは、競合車がE/Gに手を入れず、シャシー系の最適合で操縦性をレベルアップさせたドレスアップ版に留まっていたことを考えると、CR12DEと型式はベースと同じながら圧縮比を上げるなどした専用チューンで108ps(後に110ps達成)を誇る専用E/Gが与えられるなど往年の日産らしいマニアックさが感じられる仕様になっていた。

当時、試乗させていただいた経験があるがE/Gは軽やかに高回転まで回り、シフトアップしてもつながりが良く気持ちよさが持続する良い印象を持っていた。EPSも若干改善方向にはあったが、まだ満足できないと感じた事は今も覚えている。(今は私の運転スタイルも変わったのでマーチに合わせられるかも知れないが)

マーチの法則に従えば当然2012年まで販売されるものと信じて疑わなかったが、2010年に事件が起きた。K12デビューからたった8年でFMCされてしまったのだ。

そんな新型の最大のトピックは生産国が日本では無くタイに移されたことだ。マーチはグローバル市場向けのコンパクトカーという立ち位置を変えずにカワイイ系のデザインを捨てて急速な合理化が行われている。

第一に人件費の高い日本での生産を辞め、エコカーを生産する自動車工場に対して税制面の優遇が与えられたタイで生産することは合理的だ。更に、タイで生産するためにボディの材料からハイテン(高張力鋼板)の中でも最も入手しやすい引っ張り強さ440MPa材以下の材料を使っている。一般的にハイテン(本来は引っ張り強さ270MPa以上のものを指していたが、近年の技術向上によって980MPa以上、とか590MPa以上と言った風に定義がインフレ気味である)は衝突安全のために衝突時に部材が切れない程度の強さにしておくのだが、ハイテンは切れにくいので同じ形状でも板厚を薄く(軽く)することが出来る。

一方でハイテンはプレス成型性が良くない。普通材(270MPa)よりもスプリングバックが大きく、金型に見込みを入れるなど高い生産技術が求められる。衝突安全と燃費性能を守るためにハイテンを最大限活用して補強材を張り巡らせて板厚を下げ、車重を軽くして燃費に効かせるのが当時のフツーの作り方だ。

ところが4代目マーチは骨格系も上限440MPa級ハイテンで成立させた。だからといって重くて事故でペシャンコになるようなボディ作りとは一線を画する。また、ハイテンのグレードが低いからと言ってボディ剛性が悪化することもない。そもそもボディ剛性が影響するのはヤング率なのだが、ハイテンのグレードでヤング率は変わらない。ボディ剛性はあくまでも接合技術とフレームワークで決まる。

4代目マーチは成型性に自由度がある440MPa材だけを使うが、部品の形状を工夫することでハイテンの使用を抑えている。衝突時に困るのは骨格が破断、潰れきってしまいエネルギを吸収しきれなくなることだ。そこで骨格の断面を大きく取る、稜線を綺麗に通す、或いは穴形状を極力減らして素性を磨いた。

また、一般的にハイテンは成型性が悪いし鋼板価格も高い。そこで必要な場所に絞って使われるが、非ハイテン部品の中で部分的に強度が欲しい場所にハイテンを組み合わせてパッチワークのような継ぎ接ぎの骨格構造になるのが普通だ。マーチの場合こういった接合部分が無いためそもそも衝突時の折れきっかけになりにくい。
ライバルの三菱ミラージュでは980MPa材や590MPa材を使用しているが日産はよく440MPaで耐えられたなと思う。

衝突性能を守れたのは徹底したME(軽量化)を行ったからだ。軽量化することで衝突部材の使用を減らすことが出来るからマーチに限らず軽いと言うことはほぼ全ての性能にとって都合が良いのである。

マーチの場合、軽くするためにルーフパネルにブーメラン型の模様を入れている。恐らくこの形状でルーフの振動モードを変えてこもり音を打ち消しているのだろう。従来構造ならルーフがツルンとする代わりにルーフの裏側に骨が入っている。
マーチはこれで2kgの質量削減に寄与したという。R/Fは断面高さが無いと効果が無いが、コイツがいなくなればヘッドクリアランスも稼げる。また、フロアに設定している制振材も廃止したという。

またE/Gも変わった。先代のCR系エンジンに変わりHR12DEとなった。1.6Lの4気筒を一つ削減した1.2L3気筒となった。これによりフリクションや構成部品のためのコストを下げることに成功した。ただ、3気筒には振動対策(例えばバランスシャフトやストーリアのフレキシブルフライホイールなどである)がつきものだが、
マーチの場合はクランクプーリーとドライブプレートにアンバランスマスをつけてすりこぎ振動を単純な左右振動に変換し、その振動を2点+トルクロッド式のE/Gマウントで吸収している。また、吸気ポートを縦渦(タンブル)促進形状とするなど燃焼そのものにもこだわったE/Gになっている。

変速機も先代の4速ATから副変速機付きでレシオカバレッジを拡大したCVTを採用。さらにアイドルストップを装備して当時のクラス最良燃費26.0km/Lを達成。
当時のエコブームで十分存在感のある性能を発揮していたにもかかわらず、当時の市場ではユーザーたちを戸惑わせた。

それもそのはずで、先代までのマーチ比べると明らかなコストダウンや作り手の都合による商品力低下が顕著になっていたからだ。合理的でユーザーメリット(スタート価格が99.8万円)も残されていたし燃費も良かったが、先代と比べると内外装のキュートさに欠け、それがカッチリしたイイモノ感にも繋がらない焦点の定まらない車になってしまった。

例えば本当はルーフを丸くしたいけど空力が悪くなるからルーフの長さが欲しい。Rrスポは金がかかるからボディシェルの後端を四角くして気流を後方に飛ばしつつ、ドアや窓だけ丸く円弧を描いていたり、左右ハンドル位置に関係なく共用化できるインパネなど、合理的で作り手へのメリットはあるものの各部品のクオリティもなんだか軽自動車をライバルにしたような質感に見えた。この原因をタイ製であることに結び付ける人もいたが、今どきタイで作っていようとも品質は保証されている。(PDIだって通過している)

マーチの変質に気づいた参加者のご家庭では買い替えサイクルの7年を経過しても購入に踏み切れずにいた。つまり、メーカーの目論見は見事に崩れ去ったのである。参加者のお母さんは初めて3代目マーチの3回目の車検を通した。メーカーの人たちは、自分が担当する車に詳しいと思いきや、仕事でその車を取り扱っているだけなのでそこには自分の部署を通した見方にしかなっていない。世界中の車をベンチマークしているから、自分が担当する車の最新のレベル感も知っているだろうし、提示された目標を最大効率でクリアしているのかもしれない。しかし、メーカーにとって一番大事なのはその車がオーナー予備軍に認められて買ってもらえることであり、開発目標を達成することではない。初代から一貫して自費でマーチを買い、365日マーチと暮らした人が何の心配もなしに買い替えたくなる車を作るべきだった。こういう失敗は日産に限らず各メーカーが最低一回は通った道なのである。

さて、オーナーのお母さんも恐らく悩んだことだろうが、2013年、通常モデルのマーチではなく、オーテック仕様の「ボレロ」を選んだ。見た目にチープな部分をリカバーするため、ユーザー側で内外装のクオリティアップを果たすことにしたのである。

そんなマーチボレロに試乗した。初期のマーチが持っていたチープ感はかなり軽減されている。特にメッキ仕様のラジエーターグリルが単なる平面的なメッキではなく、細かいパターンが入っている点も良い。先代のボレロよりトラディショナルな意匠になっているのも標準仕様に飽き足らない顧客の存在をオーテックが予見していたのかもしれない。

結論から言えば走らせるとこの車は意外と(失礼)まともである。アイドルストップからの復帰も自然だし、そもそもアイドルさせても振動は感じにくい。走り出しも力強くE/G回転数が先に上がる感じも無いから意外と静粛性が高い。ステアリングフィールも決して直進性を演出するようなものではなく普通に乗れるように躾けられているのに4代目マーチはその良さを生かし切っていないと感じた。元来セグメントの盟主としてヴィッツやフィットと対峙すべき車なのに全体のオーラからは軽、パッソやミラージュ、スプラッシュの下位セグメントに自ら降りて行った感すらあったのが惜しまれる。「エコマーチ」と称しながら、燃費記録はのちのヴィッツに0.5km/L破られ、その後の改良もされず、豊富なボディカラーのアピール程度しかされなかったのは何故なのだろうか。せっかくマーチから派生したキューブも廃止され、月販1000台以下のような寂しい状況が続いていた。



あんなに大切に育てられてきたマーチなのに派生車に過ぎなかったノートに完全に地位を譲り2022年8月、日本におけるマーチを終わらせてしまった。(同時に貴重なエントリースポーツモデルも無くなってしまった)

実はマーチは1982年デビューで実は私と同い年である。一緒に成長してきたような錯覚を覚えているのだがそんなマーチが改良もされず放置状態を経て廃止されてしまうことは同級生として非常に悲しく感じられる。それでも40周年を記念する2022年まで残されたことは日産に残る「分かっている人たち」の最後の意地だったのかも知れない。





当日、愉しいお話をさせていただいた参加者の皆さん、私に大切な愛車を運転させて下さった皆さん、有り難うございました。
Posted at 2022/11/18 01:13:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | イベント | クルマ

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