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Cyber Xのブログ一覧

2015年08月29日 イイね!

日本100名城紀行 北陸編 <日本五大山岳城 七尾城>

日本100名城紀行 北陸編 <日本五大山岳城 七尾城>








北陸地方(富山、石川、福井)の100名城は、

日本最古の現存天守丸岡城




ソフトバンクのCMで、ひとが殺到した一乗谷城





利家とまつ 加賀百万石の名城 金沢城






富山県代表は
名所で利家とまつの子、利長の城跡
高岡城






そして、今回紹介するのは、石川県能登の日本五大山岳城 七尾城です。







標高およそ300m七尾城跡の駐車場から見える七尾湾と市街地です。能登半島のほぼ中央にある七尾市の由来は、七尾城のあった山(通称・城山)の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からついたものだそうです。右手が富山湾方面、左手奥の白い建物が和倉温泉になります。和倉温泉は全国人気NO.1クラスの温泉街です。





駐車場は私のを含めて4台駐車してありました。意外というか、子供連れのお父さんや女性の二人組も来ていました。看板の横にガイドさん(男2名、女1名)がいて、懇切丁寧に七尾城の説明をしてくれました。
麓から徒歩でも来ることもできましたが、なんせ猛暑の真っただ中、山頂付近まで乗用車で来れるので正直助かりました。





今回はひとり旅、デイバッグに下のコンビニで買ったペットボトルを詰めて、いざ本丸へ!





桜馬場という曲輪(くるわ)の石垣です。戦国時代後半、関東にはまだ石垣を積む工法がなかったと聞いていましたが、ここには野面積みの石垣がありました。









さらに進むと、本丸跡手前が遊佐(ゆさ)屋敷跡です。





七尾城は天正5年(1577)に上杉謙信軍2万に包囲されました。難攻不落といわれた七尾城には領民を含めた何万もが籠城をしましたが、上杉派重臣のひとり遊佐続光(ゆさ つぐみつ)は、謙信に内応、上杉軍に城を開城し、対立する信長派の重臣、長 続連(ちょう つぐつら)一族を抹殺しました(七尾城の戦い)。
ところが謙信死後、七尾城が織田軍に落ちると、遊佐は信長によって処刑されてしまいました。









本丸を支えている野面積み石垣がここにも残っていました。





『天宮』といわれた七尾城の本丸跡です。下界から見える城は権力の象徴だったと思います。





七尾城は能登国守護の畠山満慶(はたけやま みつのり)が正長年間(1428年~1429年)頃にこの地に築いたといわれています。以後150年もの間、能登・畠山家の居城でしたが、さきの重臣同士の権力争いから上杉謙信の介入、その後、織田信長の支配へと変わり、前田利家・利政が入城しましたが、天正17年(1589)に利便性の悪さから廃城となり、領国支配は金沢城へと移りました。




















北陸地方の日本100名城訪問結果
完走!

○ 33.高岡城 日本さくら名所百選
○ 34.七尾城 日本五大山岳城
○ 35.金沢城
○ 36.丸岡城 最古の現存天守
○ 37.一乗谷城
Posted at 2015/08/29 12:00:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2015年08月16日 イイね!

伊勢志摩紀行 <神の国・伊勢、信長・秀吉水軍の海城・鳥羽> 

伊勢志摩紀行 <神の国・伊勢、信長・秀吉水軍の海城・鳥羽> 









2013年、20年に一度の式年遷宮が行われた伊勢神宮の内宮(ないくう)の参道・宇治橋です。真夏のうだるような暑さにもかかわらず、想像以上の参拝客には驚きました。
このお伊勢さん、4㎞離れた場所に外宮(げくう)があって、外宮から先に参拝するのがならわしだそうです。このならわし通り、まず外宮で参拝してから内宮にやってきました。
参拝にあたっていろんなルールがあり、例えばひとつあげれば宇治橋は右側通行、外宮の火除橋は左側通行です。






15分くらいで内宮の正宮に到着です。ここより後方にはご祭神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、写真撮影はNGです。こっそり塀の脇から撮影でもすると、ガードマンがかっとんできます。
拝礼は、「二拝二拍手一拝」にて行います。内宮でも外宮でも、ご正宮は日頃のご加護に対する感謝を神様に伝える場所といわれています。個人的なお願いごとは控えるようにするのだそうです。
お金持ちになれますように・・・とか、カッコイイスポーツカーが買えますように・・・とかはNGということですね。






お伊勢さんの人気のヒミツ、この商店街です。母の同級生が営業するお店で冷やしぜんざいを注文し、ひと休み。吹き出る汗を拭いました。





東海地方や関西地方では有名な伊勢の名物『赤福餅』の老舗、赤福の本店です。名古屋駅や京都駅の売店、デパートでも売っています。ここに来ると不思議とあの甘いあんころもちを食べたくなります。不思議な魅力のある餅です。














ところ変わって鳥羽湾のある鳥羽市です。この辺りを一括して、伊勢志摩といいますが、来年の伊勢志摩サミット開催が決定してから、名古屋や関西方面からのお客さんがとても増えたそうです。これぞサミット効果というか、地元経済にとってはプラスですね。





近鉄鳥羽駅近くのミキモト真珠島といい、真珠の小売りの他、海女さんによる真珠取りの実演が見られます。東京・銀座のMIKIMOTOは、ここが発祥の地になります。















伊勢湾フェリーで、鳥羽と伊良湖(愛知県)を往復しています。





鳥羽水族館です。冷房がよく効いていて快適でした。ちょうど夏休み、子供の数がやたらと多かったです。





日本の水族館で唯一飼育されているジュゴンです。1987年にフィリピンのアキノ大統領(当時)から日比友好の印としてメスの「セレナ」がプレゼントされました。人魚伝説のモデルとなった絶滅危惧種です。






オーストラリアで棲息している体長40㎝のフトアゴヒゲトカゲです。何故か?威嚇のポーズ。むかし、車のCMで見たエリマキトカゲを思い出しました。

ヾ(`□´)ノ〃ウガー






石山合戦/第一次木津川口の戦い

天正4年(1576)、大坂湾木津川口で石山本願寺に兵糧を搬入しようとする毛利水軍と、それを阻止しようとした織田信長の鳥羽水軍が激突した戦いでした。鳥羽水軍の將は九鬼嘉隆(くき よしたか)。
しかし、熟練した毛利水軍の焙烙火矢(ほうろくひや)に船が焼かれ、この作戦は失敗に終わりました。
信長と石山本願寺の戦いは、この作戦の失敗により長期化することになりました。





第二次木津川口の戦い
第一次の教訓から、信長は九鬼嘉隆に命じて、大筒・大鉄砲を装備し、焙烙火矢が効かない鉄甲船6隻を伊勢国大湊で建造させました。
天正6年(1578)、この新型鉄甲船で大坂湾を封鎖した九鬼は、毛利水軍を引きつけて、大将が乗っていると思われる船を大砲・大鉄砲で集中攻撃するという戦術をとりました。
これを恐れた毛利水軍はそれ以上近づくことはできず、数百隻の船が退却していきました。
この2年後、法主・顕如(けんにょ)は遂に降伏し、石山本願寺は信長に明け渡されました。





鳥羽城
文禄3年(1594)、戦国大名となった九鬼嘉隆が築城した鳥羽城は、今の鳥羽水族館手前の丘陵地にありました。
典型的な海城で、大手門は今の伊勢湾フェリーの発着場付近にありました。
















九鬼嘉隆の墓がある答志島です。








遠くに見えるのは菅島です。









九鬼嘉隆

豊臣政権下で小田原征伐、朝鮮出兵と出撃した嘉隆は、慶長2年(1597)、子の守隆に家督を譲って隠居しました。
ところが関ヶ原の戦いが起こると、守隆は東軍、嘉隆は西軍に付き、東軍・津城の攻撃に参加しました。
西軍の敗戦が伝わると、嘉隆は鳥羽城を放棄して答志島へ身を隠しました。
守隆は父の助命嘆願を徳川家康に請い、了解されましたが、そのことを知らない嘉隆は自刃してしまいました。
九鬼家はその後、守隆の後継争いが起こり、幕府に摂津国三田藩(兵庫県)と丹波国綾部藩(京都府)に分家国替えを命じられました。
海のない内陸への国替えでした。
信長、秀吉の天下統一に貢献した九鬼水軍の終焉でした。




夏休みブログ、まだまだ続きます。またのご来場、お待ちしております。

Posted at 2015/08/19 23:00:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2015年08月10日 イイね!

日本100名城紀行 近畿(丹波・但馬)編 <篠山城、竹田城 >

日本100名城紀行 近畿(丹波・但馬)編 <篠山城、竹田城 >










篠山城
デカンショ祭り、丹波の黒豆で有名な兵庫県篠山市の遺構・篠山城は、慶長14年(1609)完成した城で、大坂と山陰街道を結ぶ土地にできた軍事上の拠点でした。
大坂城には秀吉の遺児・秀頼が健在であり、その豊臣家の家臣団が多い西国の睨みとして、15か国20の大名の助役による天下普請(徳川家康の命令)で築城されました。
普請総奉行は播磨姫路の池田輝政、縄張りは伊賀上野の藤堂高虎が担当しました。
早速、城内に入ってみました。





昭和19年(1944)失火により焼失したものを再建した大書院(おおしょいん)です。この日は、たまたま月曜日で休館日でした。






小規模ながら天守台が残っていました。ここからは丹波富士といわれる高城山(たかしろやま)が見えます。





猛暑のせいで霞んでいますが、篠山城が完成するまでは高城山の八上城(やかみじょう)が機能していました。
天正7年(1579)八上城城主・波多野秀治は丹波攻めの明智光秀と対峙、織田に激しい抵抗をしめしました。力攻めで八上城を落とせないと判断した光秀は信長に無許可で和睦を提示、城兵と土地を安堵する条件として、波多野秀治と信長の謁見を要求しました。
光秀は人質として母を八上城に差し出しましたが、これを聞いた信長は激怒。波多野秀治を殺害してしまいました。
結果、光秀の母は無残にも磔刑にされてしまったという悲劇の伝説があります。










竹田城
ツアー旅行でも大人気の竹田城に行ってみました。『天空の城』とか、『日本のマチュピチュ』といわれる標高353mの城跡です。
なかなかチャンスがなかったのですが、この夏休みを利用して行ってみました。





15世紀に始まった竹田城は、ここ但馬を制する山名氏と、播磨を制する赤松氏の最前線に築城された城でした。
以後、羽柴秀吉が登場するまで、山名氏の家臣・太田垣氏が城主を務めました。今の石垣群は16世紀後半、秀吉の支配になってから作られたものだそうです。









あらためて竹田城の人気に驚きました。ご婦人や中学生以下の子供がとても多かったことです。






そして、城見学に来ていつも感嘆させられること。それは、クレーン車もトラックも建設機械がなにもなかった時代に、よくぞまあ防御のためとはいえ、こんな高所にこんな大きな石垣を運び、そして積んだことです。
今のゼネコンに発注しても、どこも受けてくれないと思います。





城下に見える集落群です。JR竹田駅があります。当時は殿さまクラスは天守には居住せず、この辺りに居館を構えていたそうです。
上は見張り台であったようですが、このくらいの高さにななると、敵も味方も軍勢の動きがよく見えるのがこの竹田城の特徴です。





無料化時代の竹田城とは違い、今は高校生以上は1名500円の入城料が必要です。あとマイカー規制がされており、麓の山城の郷から上はマイカーでは登れません。山城の郷に駐車し徒歩で歩いて山頂まで登るか、山城の郷からバスがでているので、片道大人150円払って途中までバス、そこから徒歩で山頂まで登るかのいずれかになります。
ただ注意したいのは、平日は行きも帰りも毎時バスがでていません。タクシーも使えますが、一方通行のため料金は下山片道のみ山城の郷まで2,000円ほどかかります。
これから竹田城に登城される方は知っておくといいと思います。













近畿地方の日本100名城訪問結果 (○:済み、ー:未)
○ 49.小谷城    日本五大山城
○ 50.彦根城    国宝 現存天守
○ 51.安土城
ー 52.観音寺城   日本五大山城
○ 53.二条城    世界遺産 国宝
○ 54.大坂城    三名城
ー 55.千早城
○ 56.竹田城
○ 57.篠山城
ー 58.明石城
○ 59.姫路城    世界遺産 国宝 現存天守
ー 60.赤穂城
ー 61.高取城    三大山城
ー 62.和歌山城    
Posted at 2015/08/11 00:00:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2015年08月06日 イイね!

日本100名城紀行 中国編 <鳥取城、月山富田城、松江城>

日本100名城紀行 中国編 <鳥取城、月山富田城、松江城>








午前8時、朝食を済ませ兵庫県北部の城崎温泉を出発。国道9号線の山陰海岸国立公園を走り、鳥取市を目指しました。







8月前半の平日、国道9号線の早いこと早いこと、ほとんど信号がない!道もスキスキ。
山陰地方と関東地方を比べても、せんないことですが、この違いに感激しました。
因幡の白兎で有名な白兎海岸でひと休みしました。






鳥取城
戦国時代後半、毛利軍と織田軍の最前線となった鳥取城です。播磨・三木城を攻め落とした羽柴秀吉、黒田官兵衛が、三木城と同じく兵糧攻めを敢行しました。
城内には20日分の兵糧しかなく、数か月も経つと、餓死者がでた城内は人肉まで食らう者が出たといわれています。
江戸時代も政庁として存続し、今は樹木で生い茂る山上には天守がそびえていました。天守は二度の落雷で焼失し再建されず、その後は正面の石垣上にあった御三階櫓が天守の代わりとなりました。




たまたま、品川ナンバーの大型バイクで来ていた男性と、鳥取城に詳しい地元のひとと一緒に登ってみました。
これは仁風閣(じんぷうかく)といい、旧藩主池田侯が大正天皇の宿泊先として提供した建物です。




この山を久松山(きゅうしょうざん)といいますが、鳥取市街を眺めても、ここより高いビルがありません。城下町をひと目で見渡せる城だったことがわかります。





天球丸(てんきゅうまる)という丸型の復元巻石垣です。この石垣のうえに初代藩主・池田長吉の妹で、天球丸という婦人の居所があったことからこう呼ばれています。丸型の石垣は全国的に見ても、ここしか存在しないそうです。どうやら補強のために造られた石垣であったようです。
昨年、この石垣を1個抜き取ってしまった高校生の事件がありました。




鳥取城跡は現在も鳥取市による発掘調査が行われています。






月山富田城
島根県安来市広瀬町富田の月山富田城(がっさんとだじょう)は、戦国時代山陰地方の覇者であった尼子(あまご)6代の山城でした。
尼子氏は出雲を拠点に一時最大勢力をもちましたが、永禄9年(1566)毛利軍によって攻め滅びました。
その後は、毛利領となりましたが、関ヶ原の戦いで毛利が敗れると、東軍に付いた堀尾吉晴の城となりました。



うだるような暑さのなか、標高197mの本丸を目指しました。



山中御殿平(さんちゅうごてんなり)という途中の曲輪(くるわ)です。




山中御殿平から15分くらいで、山頂の本丸跡です。建造物がなく灰皿のカンカンひとつ、山城らしいい光景です。




ここ広瀬で生まれた山中鹿介幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)は、尼子の家臣でした。尼子再興をかけ、生き残った当主・尼子義久とともに毛利攻めの羽柴軍に加わりましたが、天正6年(1578)上月城(こうずきじょう)の戦いで、羽柴軍に見放され孤立、義久は自害、鹿介も小早川隆景に捕えられ処刑されました。




1997年の大河ドラマ『毛利元就』の頃は、大型観光バスがひっきりなしに出入りしたようです。今はひとけもまばらですが、城跡は国の史跡にも指定されています。






松江城
7月8日、国宝指定を受けた現存天守・松江城です。日本の国宝天守は、姫路城、犬山城、松本城、そして彦根城の5か所目です。
元々江戸時代以前に築かれ、現存している天守は全国に12城しか残っていないので、とても貴重な文化遺産です。







ぐるっと松江 堀川めぐり
ちょうどひと月前、タモリさんも乗った堀川めぐりに乗ってきました(NHKブラタモリ8/1オンエア)。




この船頭さん、話がとても面白い。皆、大笑いの連続でした。もちろん、タモリさんの話も聞けました。
ちなみに後方のご夫婦は、北九州市から、手前の男性は千葉市から、国宝・松江城の注目度がわかります。




月山富田城に入城した堀尾吉晴は、当時湿地帯だった日本海の松江に着目し、城前の大掘削を敢行、湿地帯を土砂で埋め立て、出来上がったのが今の城下町と堀川です。





堀前の邸宅です。旧松江藩家老、現在の島根県知事の邸宅があるのがこのあたりです。
船頭さんによると、このあたりは自宅でも駐車場をもつことが禁止され、皆月極駐車場を借りているそうです。




小泉八雲が一時居住していた邸宅もありました。外国人では珍しく、旧武家の嫁を娶ったそうです。
小泉八雲は、『雪女』、『耳なし芳一』の作者で有名です。




船頭さん、この前方の橋上でたまたまロケ中の仲間由紀恵さんを見て、すっかり夢中になってしまったそうです。
気温は32度もありましたが、船中はとても涼しく快適でした。
松江に行った際は、堀川めぐりおススメです。







中国地方の日本100名城訪問結果 (○:済み、ー:未)
○ 63.鳥取城
○ 64.松江城     現存天守 国宝 三大湖城
○ 65.月山富田城  日本五大山岳城
ー 66.津和野城
○ 67.津山城     三大平山城
○ 68.備中松山城  現存天守 三大山城
○ 69.鬼ノ城
○ 70.岡山城
ー 71.福山城
○ 72.吉田郡山城
○ 73.広島城
ー 74.岩国城
○ 75.萩城

Posted at 2015/08/06 19:00:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2015年05月30日 イイね!

マークX G's納車から50日 “東関道ハイウエイ・クルーズ”

マークX G's納車から50日 “東関道ハイウエイ・クルーズ”











マークX G's納車から50日、成田街道を走って、ぶらり千葉県北部の香取市に走りました。
途中のランチはココ。昭和の時代を彷彿とさせてくれるセルフ式の食堂です。






平日、焼き肉やトンカツ、中華など比較的カロリーの高い食事が中心、休日はシンプルにサンマの塩焼きとトン汁で。お代は600円也。






国道を走ることおよそ2時間、香取神宮に到着です。茨城県鹿島神宮と並ぶ有名な神社です。この建物は楼門といい、重要文化財に指定されています。元禄13年(1700)の築です。






同じく元禄13年(1700)築の本殿です。あまりに豪華すぎて、何を拝んだか忘れてしまいました。祭神は1柱で、経津主大神 (ふつぬしのおおかみ) といいます。1200年前の神様です。
この本殿も重文指定されています。






帰りの50㎞は、東関東自動車道(とうかんどう)を走りました。この高速道路は比較的“走れる”高速道路です。






2GR-FSEエンジンです。マークXのオーナーは周知のエンジンです。60°のバンク角3.5L、V型6気筒DOHCです。
トヨタの大型乗用車に搭載されており、あまり目だたないですが、自動車評論家のレポートではかなり評価の高いエンジンです。
例えばあるレポートは、「トヨタのエンジンはどれも同じで、正直これいい、というエンジンはなかったが、2GR-FSEはホンダのVTECのような鋭い吹け上がりはないものの、BMWに近いエンジンフィールで、その回転フィールとトルク感は今までになかったものです」とか。
オーナーとしては、このようなレポートは正直嬉しいものです。






エンジン・カバーは、かぽっとはずれます。一昔前は赤字や青字で、TWINCAMとかTURBOとか派手にネーミングが刻印されていましたが、今はいたってシンプルです。
ちなみに世界初、ポート噴射と筒内直接噴射(直噴)を使い分けるメカニズムで、燃費は比較的このクラスではよいほうだと思います。
出足から非常にスムーズで、ひとたび踏み込めば“シュ~ン”と滑らかに加速します。はっきりいって速いです。






6速ATは100㎞/hなら2,000回転にも届きません。燃費は稼げますが、正直退屈です。パドルシフトを使ってシフトダウン&アップ。猛烈なダッシュ力を体感できます。
ただ、あまりにも排気音が静かで、ターボエンジンのような刺激は少ないです。オトナのスポーツセダンですね。






最高速は250㎞/hはイクと思います。スペックは318ps(232kw/6,400rpm)、38.7kg・m(377Nm)/4,800rpmです。






満タン給油で、一般道80㎞くらい走ったあとですが、高速を適当にとばして燃費はこれくらいです。実燃費はもう少し上がります。
コンパクト・カーやハイブリッド車のようにはもちろんいきませんが、このクラスのガソリン車ならよいほうだと思います。


















初期制動は、ブレンボのようなタッチはありませんが、そこそこ利くブレーキです。






G's比率はプリウス(α)、アクア、ヴィッツよりも高く、マークX販売台数の10%を維持しています。
ボディはスポット溶接打点とブレース追加で、ステアリング・レスポンスは非常にシャープです。
トヨタ車は80点主義と長らく言われていますが、ことマークX G'sについては過去のトヨタ車とは違う、納車から50日たっての感想です。






最近とみに土日が恋しいです^^ゞ
Posted at 2015/05/30 23:59:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ

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「大城 値千金ソロアーチ☆彡 日ハム北山(笑)」
何シテル?   06/19 20:47
オートビレッジ時代の2001年11月に登録しました。みんカラもメジャーになり、国産車から外国車まで、いろんなオーナーカーを見て楽しませてもらっています。2025...
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