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2011年11月23日

『接触3回』迫真の現場報告 ~事故から半年が経って~



「AUTO SPORT」編集部は大事故発生から半年の冷却期間を置いて、改めて全体像を伝えようとしていた。それが1975年3月25日号臨時増刊『AUTO SPORT YEAR’75』に掲載された「ドキュメント〈6月2日・富士〉GC事故はこうして起こった!」の6ページにわたる特集記事である。

事故発生から1カ月半後に御殿場警察署は、ガンさんを静岡地方検察所沼津支部に業務上過失致死傷罪容疑で、前代未聞の書類送検をしていた。当初は、より刑の重い「未必の故意」を念頭に捜査に入っていた。このため、任意とはいえ、ガンさんは徹底的に事情聴取を受けているし、出場したドライバーはもとより、関係者も証言を求められていた。そのあたりのいきさつについては、黒井尚志さんが『レーサーの死』のなかで、情熱を持って追求しているので、機会があれば一読していただきたい。

「――1974年6月2日、正午の気温25.7度C,湿度57%、気圧947Mb、南の風5m、天候・晴。
5万6000人の大観衆と1万6500台の車両を呑み込んだ富士スピードウェイは、’74富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦〈富士グラン300キロキロ・レース大会〉・第2ヒートのスタートを待っていた。スタート時間は、午後2時に予定されていた」

高ぶるものを押さえて、できるだけ客観的にリポートしようとする編集部の姿勢がうかがえる。事故の直後の数カ月は、取材する側も、証言する側も、捜査・検証への配慮もあって、すべてが控えめになる。その分、舞台裏では様々な憶測、思惑が黒々と渦巻いていた。が、やっと、いやある程度、オープンにできる状況がやってきた。というのも、書類送検から7ヶ月後の1975年2月27日に、静岡地検沼津支部はガンさんの不起訴を決定し、事件そのものは終結する。該当記事は3月初めに発売されているから、恐らく、そうした検察の動きを把握した上での取り組みであったろう。目利きの編集者ならそれくらいは読める。ぼくはそう思う。

ここで誤解のないようにしておきたい。不起訴になったからと言ってガンさんがすぐにレースに復帰できたわけではなかった。以後、JAFからの処分をめぐって、ガンさんはさらに窮地に追いやられる。ガンさんのライセンスを永久停止にしようとする動きも蠢(うごめ)いていた。

 この「蠢き」については、すでに元・報知新聞運動部記者、中島祥和さんとの面談のなかで、その舞台裏をうかがっているので、参照されたい。それによって、これまで視界不良だった部分の霧も晴れた想いで、検証作業に取り組むことができたのです。

https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/24222023/

*    *    *    *   *
 忠実に、スタートの様子を再現しているので、こちらもそれに倣うとするか。

「――午後2時ジャスト。安友義浩競技長の指示にしたがって、ペースカーがリードしはじめた。17台の出場マシンが、2列縦隊の隊形を保ちながらこれにしたがう。ローリングが開始されたのだ。


*GC第2戦第1ヒートのローリングスタートで、240Zに先導されてヘアピンを立ちあがる。(「レーシングオン」2008年2月号所載)
 篠原孝道があやつるペースカーは、ラップ・タイム2分をやや越える、かなり速いペースでリードしつづけた。1周め、最終コーナーを立ち上がった各マシンの隊形は、まったく整然としていた。1台の脱落もなかったし、完全にペースに乗っていた。
 ペースカーはエスケープ・ロードに逃げず、そのままのスピードでさらに2周めのローリングにはいった。安友競技長の配慮により、1周めはドライバーの緊張感が強いため、2周ローリングしてドライバーを落ち着けさせようという作戦だったのだ。
ローリング1周めで隊形を確認し合った各ドライバーは、一矢乱れないフォーメーションを組んだまま、第1コーナー、ヘアピン、300Rを通過し、再び右150Rの最終コーナーを抜けてストレートに姿を現した。だれもがローリング2周めのスタートを確信していた。そのため各車の車間距離は、やや詰まり気味の状態だった。
2列縦隊の隊列は、延長約150m。そのテール・エンド・グループが最終コーナーを立ち上がりかけたとき、先頭のペースカーが右に逃げてエスケープ・ロードにはいった。セイコー・タワーに立つ安友競技長のイエロー・フラッグがグリーン・フラッグに変わり、激しく打ち振られる。午後2時05分44秒、第2ヒートのスタートは切って落とされた。
17台のマシンは、スピードが上がっても隊形を乱すことなく、あたかも“平行移動”のようなカタチでコントロール・ラインを横切った。そろったタイミングで全力加速に移った各車は、完全に前車のスリップ・ストリーム圏内にあった」


*第2ヒートがスタートした。バンクに向かって疾走する17台。(「レーシングオン2008年7月号所載)

 前回、骨太の先輩編集者として紹介した久保正明さんの、やっと読んでくれましたか、と相好を崩す顔を思い浮かべながら、ぼくは読む。富士の長いストレート。各車が前車のスリップに潜り込もうとして、駆け引きするドライビングぶりを思い描く。

「――トップに立ったのは、ポールポジションの高橋国光だった。コントロール・ラインから約35m地点のアウト・コース側にある、電気スタート信号機(通称クリスマス・ツリー)の横を、トップの高橋国光(⑧マーチ735BMW)が、アウト側1車線半の余裕を残して通過した。その背後を黒沢元治(⑤マーチ745BMW)と北野元(⑥マーチBMW)が、やや黒沢先行のかたちでつづき、黒沢のうしろに高原敬武(③マーチBMW)がつづいていた。
 クリスマス・ツリーを通過したあたりで、黒沢車はポジションをやや右に移した。が、すぐ元の位置に戻り、高橋車のスリップ・ストリームにはいった。黒沢選手も〈ボクは最初、高橋車を抜こうとして右にコースを変えたが、抜けないと見てすぐ高橋車に後ろについた〉と語っており、間違いないだろう」


*:スタート直後の各車の位置見取り図。「AUTO SPORT '75 YEAR」1975年3月25日臨時増刊号所載


*1974年『AUTO SPORT』誌8月10日号に掲載された。黒澤車と北野車の接触事故の瞬間を伝えた写真。
当日の観客であった稲田理人氏、健二氏より提供された貴重な写真であったという。(「レーシングオン」2008年4月号所載)


 このあたりの記述の丁寧さは、内容に自信がある証拠である。だから、シーンに応じて、それぞれのドライバーのコメントを挟むという手法を用いはじめる。
「――黒沢車が高橋車のうしろについたことにより、黒沢/北野の両車は再び並走状態となった。スタート・ラインから520mの地点・アウト側グリーンにある7番ポストに近づいたトップ・グループは、4速から5速にシフト・アップ。その直後、黒沢車と北野車の第1回目の接触が起こったようだ。
最初の接触が、4速から5速にシフト・アップのちに発生していることは、黒沢、北野両選手の証言で明らかになっている。
黒沢選手:〈コースのどの辺だったかは分からなかったが、横にドンッという音とショックを感じた。白いマシンが見えた。このときギアは5速にはいっていた。時速に換算すると230~250㎞/hの間だと思う〉
北野選手:〈ギアを5速に入れてから、いくらか時間がたっていた。スピードは220~230㎞/hと思う〉」

 両車の接触は合計3回あり、3回目の接触によって北野車がグリーンにはみ出してしまうのだが、それを目撃したドライバ―たちの証言がこのあと手短かに紹介されていた。次のアップはそこからはじめよう。


ブログ一覧 | 実録・汚された英雄 | 日記
Posted at 2011/11/23 01:25:52

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清瀬 裕之さん

この記事へのコメント

2011年11月23日 15:05
息を呑むような臨場感溢れる記事の数々です。久保正明さんがいかに腕利きの編集者であったのかがよくよく伝わって来ます。

これは別の話なのですが。

局長のブログ内で使用されている画像について、もっと拡大して見てみたいです。今回だとトップのペースカーを含めた隊列の図、画像をクリックしても、同じサイズの画像しか別ウィンドウに表示されなくて詳細が読み取れないことがあるもので……なんてことを時々思ってます、はい。
コメントへの返答
2011年11月23日 15:13
そうなんです。画像のキャパシティを圧縮しないと、アップロードしてくれないし、さてどうすれば、大きくできますか。教授されたし。
2011年11月23日 22:49
なるほど、黒沢選手は一旦イン側から高橋選手を抜こうとした、ですが抜ききれなかった、その後高橋選手のスプリットに入った。 高原敬武選手がキーパーソンですね。 やはり映像があれば。

第1図を右クリック→リンクを開く(一番上)左クリック→第1図だけ拡大出来ます。 私は更に右クリックでA4印刷しリポートを読んでいます。第2~4図はまとめてリンクを開く事が出来ます、これも印刷しました。 まだ見にくい時には、印刷時に拡大するか、ルーペででも見てください ( 爆 )
コメントへの返答
2011年11月23日 23:09
高原選手は終世、黒沢クロ説にこだわるでしょう。そんな関係だと思われる。

第1図から第4図まで、クリックで拡大して見れるようになっています。お陰さまで、その方法を習得しましたので、今後はご安心を。
2011年11月25日 7:06
わたくしの周りでは、黒説は変わって居ません。
しかし、わたくし自身はその時子供で興味を失って居る時期でしたので存じ上げませんが、当時の当事者間では黒説は変わって居ない様です。
しかし話題としてタブーなので確認は素人のわたくしに不可能です。

ただ、事実を知りたいです。
しかし、黒氏は当時業界にもその回りにも敵が多すぎたとは感じます。
キャラ的な部分も有るでしょうが、それだけでしょうか?
コメントへの返答
2011年11月25日 9:06
今、ぼくが興味を持って、検証しようとしているのは、当時のレース界のビジネス構造です。率直にいって、ある種の世界の人たちのやりたい放題でした。黒さんのキャラクターとかは、それだけのことで、もっと別の問題が影響し合っていた、と思われます。いずれ、光があてられるとおもいます。

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