1986年はミラージュCUPに夢中になっていたのは事実だった。
それでも、前年の7月にFISCOのヘアピンで裏返しになった「愛しのEXA」が、やっと修復され、カラーリングもコバルト・ブルーに塗り替えられ、スポンサーも「FUJIカセット」から、渋谷でクルマ好き世代の人気スポット「フリーロード」に鞍替えして届けられたのである。当方としても、ターボパワーのじゃじゃ馬との格闘で少しはスキルアップしたことを、還ってきたEXAで実証したい欲もあって、実は、筑波のミラージュCUP第3戦の2週間前に、久しぶりにEXAレースに参戦していた。
ま、はっきりいって、レーステクニックを磨く環境に、ぼくは恵まれすぎている。その割にはちっとも速くならないね、といわれそうだが、口惜しいけど、その通りなんだ。で、8位に食い込んだ、5月18日のミラージュカップ第2戦のVTRができあがったところで、報告がてら、ガンさんに見てもらうことにした。少しは褒めてもらえるかな、という期待はみごとに裏切られる!
「なんだ、こりゃ! 1周目の1コーナーを失敗したのはいいとして、展開からいったら、3位、いや、局長の気のやさしさが災いしたとしても、4位になってなきゃ、おかしいよ。よし、今度、ぼくが講師をやってるBSのスクールに来なさい。徹底的に鍛え直してやるから!」
*講師はガンさんと中子修選手
こういう時の本物のプロは厳しい。もちろん、喜んで受講させていただくことにした。
ガンさんのスクールとは、ポテンザ・ドライビング・レッスンのことで、BSユーザーを対象にサーキット走行の基本を教えるイベントだった。
5月30日(金)、ぼくはいそいそと富士SWへ赴いた。参加72台、大盛況なのだ。マーチにサニーのエンジンを積みかえたのやら(これ、違法車かな?)、角目4灯のZやら、いろいろ珍種がそろっていた。
講師はガンさんと中子修さん。初心者対象とあって、ラリーアートのそれとは趣が異なる。それでもストレートでのフルブレーキング、パドックでのジムカーナーもどきのスラローム走行とメニューをこなしたあとで、待望のサーキット走行である。
ガンさん直伝の第1コーナーへのアプローチ、100Rの進入アングルを、ぼくなりに牙をむきながら、習得しようとしたのだが……。
わが「ベストカー/フリーロードEXA」は、実はフレッシュマン復帰に備えて、足回りすべてを洗い直している。フロントのディスクローター、リアのドラム、スタビからブッシュ類にいたるまで、そっくり新品にした。その陰には、名古屋のヤマちゃん一家と平塚のマツダ青年の献身的な作業があるのだが、そんな彼らに酬いるには、もはやぼくがお立ち台にあがるしかない。
■RS中春軍団サマ、よろしくお願いね
6月1日。この日もFISCOは快晴。明るい陽光を浴びてレイトンカラーより深い青みをもつ、わがEXAのボディはひときわ美しかった。その上、ボディを新調した証拠に、ちゃんとドアミラーを装着している。
予選は、手際よくRS中春軍団のなかに紛れこむ。④加藤隆弘、②小林里江と快適な周回を重ねた。足回りをリフレッシュしたせいだろう。コーナーでフロントが巻き込む挙動はすっかり消え、マシンは素直に立ち上がっていく。ピットから、2分6秒台をしらせてくる。チラッと先行する④加藤のピットサインを盗み見ると、彼は5秒台らしい。1秒差はどこからくるのかな、と首を傾げているうちに、15分間の予選は終了。
*RS中春軍団に適当に遊んでもらったのに「ついていけた!」と錯覚(100Rにて)
すっきり予選を走行できたときの結果待ちは愉しい。ヒトケタ台はいけたかな? 煙草が旨い(そのころはかなりのヘビースモーカー)。
午前11時25分。マツダ青年が嬉しそうに、予選順位をプリントした紙をヒラヒラさせながら、ドライバーズサロンに戻ってきた。なにしろ39台の出走だから、ちょっとでもミスをしたり、マシンが不調だと、簡単に予選落ちしてしまう。
「11位ですよ」
「まあまあ、か」
その瞬間から、ぼくの頭の中は、めまぐるしく回転する。まず顔身知りのマシンの順位をチェックし、スターティンググリッドのポジションをイメージしながら、第1コーナーへどう入っていくかを、組み立てるのである。
*1周目の第1コーナーでダートに押し出され、最後尾から追撃を開始!
午後2時44分20秒、10周のEXAレースがはじまった。
スルスルと左前にいる⑥鈴木淳の黄色いマシンをパスし、右前にいた⑫土方高弘の左サイドにマシンをすり寄せた。
絶妙のスタートであった。100メートルの看板を過ぎても、ぼくはブレーキを踏まない。そのとき、多分、ぼくは6、7番手に位置していたようだ。アウトいっぱい、赤と白のゼブラゾーンの真ん中あたりでインへマシンの鼻をむける。インから攻めてきた ⑫土方のマシンは身をよじる。オット、そばに寄るな! そう叫びながら、ぼくはアウト側の縁石をたよりにマシンをコントロールしようとする。が、もう遅かった。左へタイヤひとつダートにはみ出したぼくのEXAはド、ドッと土煙をあげ、ダートのなかを大回りする。
コースに復帰したとき、マーシャルカーがぼくを待っているだけだった。どん尻。はるか前方を29台のEXAが100Rへ消えようとしていたのである。
それでいい。無理にコースに戻るのは、ほかのマシンに接触する可能性が高い。ならば、ミスした己れのペナルティとして、すべてがコーナーを通過してから、レースに復帰するのがぼくのやり方である。
それから孤独なひとりぼつちの走行がはじまった。カラーリングが目立つだけに、いささか恥ずかしい。それでも、豆粒のようだった先行車がだんだん大きくなってくる。4周目、ついに#36山崎敏之を100R手前でパス。つぎは#78浅井健次だ。ところが予選30位のマシンなのに#78は頑張る。第1コーナーの突っ込みで、いったん抜いたはずなのに、抜き返された。が、シケインから最終コーナースピードが圧倒的に違うから、結局、突き放すのも時間の問題、と考えているうちに、100Rやらヘアピンで脱落するマシンが7台もあって、終わってみれば、20位までポジションを回復していたのである。
予選でベツタリ走行した 小林里江ちゃんが3位、 加藤が4位という結果をみると、かなりいけたのに、と口惜しがりながら、わが愛しのEXAが、入賞する日は、もう近いぞ、などと予感する50歳だった。
付け加えれば、このレースのウィナーは③田部靖彦(中春軍団)。後年、ぼくの片腕となって、ベスモを創りあげてくれた、あの田部クンである。
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サーキットに生きる | 日記
Posted at
2012/05/24 03:35:44