〜2000年5月からの伴侶「小さな高級車」STORY ①〜
「瑞兆(ずいちょう)」という言葉がある。佳いことの起こる予兆、めでたいことのある前兆という意味らしい。わたしの場合、同じ数字がきちんと揃うと、それが何かの瑞兆と歓んでしまう……。
3並びの3月3日は桃の節句、朝から東京の空は見事に、明るく晴れ渡っていた。午前8時30分に最寄りの私鉄駅北口のロータリで、RJCメンバーの飯嶋洋治さんと待ち合わせている。11時から御殿場のホテルをベースにしたVOLVOの新世代フラグシップS90/V90の試乗会に、わがプログレで駆け付ける予定で、そのあとガンさんと久しぶりに懇談するつもりだった。
8時20分になったところで、NIKONのカメラバッグに300mmの望遠レンズを詰め込んで(これで富士山を狙うつもり)、駐車場に降りる。
前夜の雨で、プログレはしっとりと濡れたままで、朝の光を優しく受け止めている。くしゃみ一つでも、今にも雨滴がボンネットから滑り落ちそうだった。イグニッションKEYを優しくひねってやる。そしてODOメーターを確認する。
111075。あと36kmで「1」並びとなる。プログレに、よくここまで連れ添ってくれましたね、と頭をさげる。さて、これから環八で用賀に出て東名高速に入るつもり。どこでその記念すべき瞬間が訪れるのか。
飯嶋さんの柔らかい笑顔が待っていた。走り出してすぐに、ここから「111111」になる瞬間まで、ドライバーはわたしが務めることを伝えた。が、すぐに思い直す。
「恐らく、横浜・町田ICあたりだろうから……そうだ、その手前の港北SAで交代してもらって、カメラでその2度とない瞬間を、ぼくが撮ります」
いつも勝手なことを押しつけてしまうわたしの注文に、飯嶋さんはやっぱりいつものように笑顔で受け止めてくれる。
週末金曜日の環状八号線は、なかなか前へ進めない。こうなれば奥の手、かつて「FISCO通い」をしていた頃の抜け道ルートへ逃げこむしかない。
青梅街道の手前から西寄りの古い幹道に入ると、交通量は途端に少なくなった。問題は渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線の踏切と、その区間に限ってルートが午前9時までは、一方通行で進入できないことだった。ダメな場合は再び左折して渋滞している環八にもどるしかない。微妙な時間帯ではないか。
ジャスト9:00。大きな神社脇にある問題の一方通行の出口に差しかかった。ありがたや、制限時間は解除された直後で、京王井の頭線富士見ヶ丘駅脇を抜けるルートに、先頭で突入できた。そのお陰で、甲州街道にぶつかったところで左折、すぐに環八へ流入。そこからは順調に用賀ICを目指す。
プログレのメーターはまだ「1並び」までに、26kmほどの余裕を残している……。
東名高速に乗ると直ぐに、プログレが甘えてきた。久しぶりに高速へ入ったんだから、ちょっと踏み込んで、エンジンのカーボンを吹き飛ばしてくださいよ、と。
「よっしゃ!」
その声に、助手席の飯嶋さんが怪訝そうにこちらを見る。わたしの左手はすでに走行モードを変更できるスウィッチに伸びていた。ポンと左サイドに抑えてやると《ETC PWR》の青いランプがついて、プログレが変身する。3ℓ、ストレート6DOHCがクオーンと咆哮しはじめたのである。飯嶋さんもニヤリとしている。
「良い音、しますね」
「うん、プログレ・ミュージック!」
「嬉しそうですね」
飯嶋さんは、かなり年季の入ったM3のオーナー、そして『自動車エンジンの基礎知識』と『自動車メンテとチューニングの実用知識』(どちらも日刊工業新聞社刊)の著者である。わかってくれている。
多摩川を渡った。多摩丘陵南端の緩やかなアップダウンを東京料金所まで、プログレNC300 iRバージョンはODOメーターに「111100」の数字を刻みながら、いつもよりちょっとヤンチャに駆け抜けていった。
予定通りに、トイレタイムを兼ねて、港北SAに滑り込む。「111107」か。もうすぐだ。イグニッションKEYを飯嶋さんに託して、後部座席からNIKONでその瞬間を待つことにした。なんだか妙にはしゃいでいるおのれに苦笑した。と、不意に湧いてくる想いがあった。
あれは4年前、一旦は、このプログレを手放すつもりで
『プログレへの別れ話』(こちらからどうぞ)を「みんカラ」に記しながら、話はやがて開発者であったTOYOTAの重鎮・和田明広さんに及んでいったあの頃、そして新車価格460万円強でわたしのもとへやってきた2000年の頃をなぞりはじめていた。
*初めてのロングドライブは2000年10月、四国への「ルーツ探訪」のお供だった。
この機会に、いま一度、プログレとの関わりをおさらいしたくなってきた。
(以下、次回へ)
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Posted at
2017/03/08 15:16:12