茨城県北茨城市は、かつては炭鉱により栄えていました。
多くの炭鉱企業があり、その内で最も有名なのは常磐炭礦株式会社です。
福島県いわき市が本社である同社は、炭鉱業界が縮小してきた1965年(昭和43年)に、常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)を設立しました。
近いですが…私は行った事がありません。
炭鉱一筋の会社が、突然のエンターテインメントを始める事に、社員達からは相当の反発があったようです。
この経緯は、2006年にヒットした映画フラガールで一般に知られるようになりました。
6年後の1971年、神の山礦が閉山。1973年に北茨城市中郷町にある中郷礦が最新機器を導入したと同時に水没。常磐炭礦社の炭鉱は全て閉山となりました。
今回、神の山礦のあった場所にあるというトンネルを訪問します。
※国土地理院地図
GoogleMAPのストリートビュー機能で下見をしてみると、現場最寄りは住宅に近い様子。
この車は少しだけ目立つ上に地元のナンバーではないので…不審車にならないように停める場所探しに苦労する。
んー、ここはバス停に近いし…目立ちすぎる…。
高架下の誰も来なそうなところに捨てた。
今回の出番はこれで終わり…😥
田んぼの真ん中を歩いて、太陽光発電畑に向かう。
かつて、ここには神の山区の住宅があった。
更地になった後、今は全て太陽光発電システムの敷地となっている。
ええ?どういう事?
車種不明のセダンが気の毒。
この橋を渡ると、トンネルに近づく。
目の前は太陽光発電畑になっている。
第七八反橋。
78ではなく、第7八反橋という意味…と説明する必要はないか。
昭和54年、思ったよりも新しかった。
目の前になる太陽光発電畑は、かつて神の山鉱区の遺構が多く残っていた。
今はフェンスと防犯カメラ付きのセキュリティを敷いており、近づく事も難しい。
太陽光発電畑を後目にわき道を登っていくと、見えてきた。
右が太陽光発電畑入り口。左がトンネル。
八反トンネルというらしい。
正確な名前は銘板がなく、個人のトンネルベースサイトである
穴蔵様に、写真と全長が62mと記載されているくらいで情報がない。
上部を見ると山も土被りも無く、トンネルである必要性を感じない。
にもかかわらずトンネルとなっているのは、右側にあった太陽光発電畑は、この上を立体交差して通過する為である。
昭和48年版の国土地理院発行地図にはこのトンネルがなく、平成になってから表記されるようになった。
空中写真ではトンネルがあるようにも見える。この道は常磐道の建設時にも使われたようだ。
※国土地理院地図 1975年(S50)11月3日撮影
ちなみに…2019年は太陽光発電場となっているここは
1975年は更地で
1970年には、多くの住宅があった。
北茨城市なら何か知っていそう。
老朽化の為、危険であるというが、中は崩れた様子は見受けられない。
四輪車のタイヤ跡がある。
継いだように巻き立てている。
ひび割れ。
2.2mの高さ規制。
誰かがぶつけたのか、曲がっている。
トンネルを抜けた先は未舗装路となっており、水の流れがあるせいで路面が削られている。
トンネルが終わりならこの記事も終わり…。
の前に、もう1つ気になる事があってここに来ました。
下の地図は冒頭に乗せた国土地理院地図のものですが、赤〇の下の方、南の分岐点に施設を表す赤いマークがあります。
ここにはかつて、神の山鉱区に携わる多くの住宅がありました。
この辺りを中区、南区と呼んでいたようです。
赤い〇が、上の地図で小さく赤いマークをつけてある施設です。
※国土地理院地図 1966年(S41)10月29日撮影
2019年現在の空中写真と比較すると、その変わりように驚きます。この施設を見に行きます。
※国土地理院地図 2019年(H31)4月28日撮影
話を現地に戻す。
路面が削れている箇所を抜けると、開けた未舗装路に出る。
手入れもされているのは、ここが電信柱が通っている為だと思われる。
この先は常磐道の真下向かっており、それに関連した施設の為に送電しているのだろう。
地図にも出ていた通り、二股に分かれる箇所がある。
過去の空中写真を参考にすれば、どちらも住居だった南区内へのルート。
電信柱は右奥へ続いているが、気になる施設があるのは左側のルートなので、左へ。
このわずかな高低さに石垣があり、また何かに使われていただろうコンクリートの杭が散らばっている。
刻印はないようだった。
この先は南へ向かい、やや下り勾配となる。
現れたのは、里根川の支流とそこに架かる橋。
地図を見ておけば分かるが、川を跨いでいたのか。知らなかった。
この橋は、親柱が無い。
ガーダー橋だった。
北茨城市磯原町木皿にある、1945年(S20)から30年使われた
重内炭鉱の廃線跡を見ても似たような具合だった。
恐らく、ここから先の唯一のアクセスは今の橋。
あの具合だと、もう大分人が来ていないのではないかと思う。
ここに住居があった名残、木製電柱。
脇には、炭鉱の軌道レールと思われるものがいくつか刺さっていた。
南へ進みます。
左か右か、分岐した。
うーん、左!
長い事使っていなさそう、しかし立派な扉に遭遇しました。ご丁寧に施錠してある。
中には特に何もないようだった。
ここに火薬庫があったという話を聞いた事があるので、その名残だったのかもしれない。
引き返して、右側のルートへ。
ここは水の流れがあり、大分削れていた。
角度があり、登っていく。
先ほどの道はひたすら登って行ったが、少し逸れると見えた。
航空写真で見えた施設。
しかしこの施設、かなり不思議である。
蔵の様に見えるが、四方八方を8m程の急峻な斜面に囲まれていて、どこから近づけば良いか分からない。全てを囲まれている。
今いる道も、本当のルートじゃないと思う。
階段のようなものがあるかと思ったが、見つからなかった。
施設の屋根よりも高い場所にいるので、下まで降りるのは少し辛いし、近づいてもあまり魅力を感じなさそう。
施設の状態は良い様子で、今なお現役で使っているかのように見えた。
特に看板や表記があるわけではないので、誰が何の為に管理しているのか、それとも使用しているのかいないのか分からなかった。
少し前に登場した赤い門の中の敷地と隣り合わせにあるが、斜面で隔ており、アクセスは出来ない。
窓は無く、扉は施錠されており、中をうかがい知る事は出来ない。
斜面を伝うと、隣にもう1つ施設がある。
先ほどの施設を小さくしたような作りで、基本的には同じようだった。
ポリバケツが放置されているのも同じなので、本来はこの施設に必要な道具だったのだろう。
写真の通り、ここも斜面に囲まれている。
では、人が訪れないのかというとそういうワケではなく、10m以上はある避雷針のような新しい金属の棒が施工されていた。
施工はここ1~2年のように見える。
この金属棒の用途も分からないまま。
結局、分からない事だらけのまま退散です。
北茨城市に問い合わせてみようかな。
余談…
帰りに、トンネル前のついている錠前が、職場で使っている物と似てるなぁ…と思って試しにカギを差し込んだら…開いてしまいました(^-^;
…そっと元に戻しました。