さて、二ツ岩神社を訪問後、もう一度佐渡金山付近に行き、佐渡空港のCPをとってから佐渡を離れます。
昼過ぎ、カーフェリー発着場にて待機します。
初めてのカーフェリーによる離島巡りでしたが、佐渡は離島感全くありませんでした(笑)
行きと同じ、おけさ丸で帰りました。
2時間半の旅が終わり、本土に帰ってきました。
本土に戻ると、茨城に戻る前に、すぐさま次の目的地に向かいます。
新潟県西蒲区の角海浜です。
ここにある角海浜隧道と、その風景を収めるのが今回の目的です。
すぐ近くに、日本海間瀬サーキットがあります。
謎の4車線。
左から1,2番目は右左折用、3,4番目は国道402号線側からこちらに入ってくる為の車線ですが、進入禁止等の標識が何もない初見殺しとなっています。
これは、1974年(昭和49年)~1990年(平成2年)の間、国道402号線の一部が越後七浦シーサイドラインとして有料道路だったので、その名残ではないかと思います。
ここから角海浜に向かいます。
ゲートがありますが…脇に道が出来ており、越えられます。
コンクリートのボックスがあります。
上を国道460号線が走っています。
そうは見えないけど…。
と、ここで…右側に警備小屋があり…
警備員の方がいらっしゃいました。
後述しますが、ここから先の一部は東北電力の土地となっている為、管理の為に警備の方が詰めているようです。(道路は市道)
各所のブログでは、特に咎められる事は無く、二三のやり取りで素通り出来るとの事でしたが……、今日は働き者が詰めていたのか、道路崩落の危険を理由に進ませてもらえませんでした💦
2019年9月14日の時は、これで終わってしまいました。
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時は経ち、2020年9月22日。
リベンジを果たすべく、再び角海浜近くまでやってきました。
これが、新潟編を進められなかった理由でもあるんですねー(^-^;
今回は、少し離れた場所から浜辺を歩き、裏手から入る作戦です(緑のライン)。
では、行ってみましょうか。
しかし、この浜辺。
お世辞にもキレイではない。
漢字やハングルなどで書かれたアジア系のゴミが多く流れ着いているのは、太平洋では見かけない光景。
䀋典ってあれでしょ、ポカリっぽいって事でしょ。なんとなくわかるよ。
ちょくちょく見えるのが、こういった地形を大きく変えたであろう浜の斜面。
まっすぐ進むと、堤防があります。
上には、
ガードレールが崩落しているのが見えます。
この上が舗装道路となっている為です。警備詰所の先ですね。
堤防の上から振り返って。
日本海の荒々しい海が迫力あります。
堤防の上では、釣りをされている方が何人もいらっしゃいました。
堤防の先には、足跡はあるものの1人も居ません。
奥をよーーーーく見ると、トンネルが見えます。
ここも大きく崩落しています。
土質を見ると、素人目に見ても絶対道路に向いてなさそうな砂です。
昨年たどり着く事が出来なかった、角海浜隧道です。
ここ角海浜の砂は、かつては鳴き砂として風が吹いただけで音が聞こえる程の純度があったようです。
上がってみました。
隧道と反対側。ご丁寧に片側1車線で、センターラインがあります。
角海浜(かくみはま)隧道。扁額がかつてあったようです。
一応、車2台行けるでしょうが、すれ違うのに気を使う程度の広さです。
長さは、凡そ50m。高さは6~7m程。
この先は行き止まりとなっているのですが、やたら高規格な道路と隧道です。
これは後述しましょう。
封鎖されたゲートには、カギがいくつも付けられている。
よく見るとゲート破り対策に、後付けで2倍ほどの高さにかさ上げされている。
これらの縄梯子を使う主は、探検家というよりは釣り師でしょう。
中は素掘りで、コンクリート吹き付け。
ここを乗り越えると、3つの水路隧道(樋曽山隧道、新樋曽山隧道、新々樋曽山隧道)があるようですが、チキンなのでここだけでいいです。
また来る事があれば見てみましょう。
ここ角海浜は、かつて村がありました。
江戸時代には既に集落が形成されていましたが、この地特有の「マクリダシ」と言われる、海岸の土砂ごと波に持って行かれる現象が、数十年に一度のペースで起こります。
海底の地形の関係で起こる、かなり局地的で稀な現象のようです。
この為、たびたび家屋や土地が失われ、1600年代と比べると600m以上も土地が削られているそうです。
徐々に住民が減り、一桁代まで落ち込んだ1971年に、東北電力による巻原子力発電所建設計画が持ち上がります。
1974年に最後の住民が立ち退きましたが、地元の原発反対派の力が推進派を上回り、2003年に巻原子力発電所建設を断念しています。
ここ一帯が東北電力の土地であるのは、こうした経緯がある為です。
1962年 角海浜集落 現在地は、一番南の道路の辺り。
1975年 角海浜集落 廃村直後
2010年代 角海浜集落跡
この角海浜隧道は、原発建設以前からありました。
資料がありませんが、この先にある樋曽山隧道が1933年(昭和8年)に着手されており、歴史は長そうです。3本の隧道を作る途中で拡張されているかも知れません。
角海浜隧道の反対側は、こんな感じです。
末端には、新々樋曽山隧道の排水施設があります。
よくよく護岸の先を見ると、2名の釣り人が見えます。
画面中央の白い施設が、東北電力角海浜連絡所です。巻原子力発電所計画自体が消滅した今も残っています。
マクリダシとはどんなものなのか、浜の異様な削れ方を見ると推測がつきます。
角海浜は、かつて毒消し(食中毒、便秘、下痢に効能)の販売で有名でした。
マクリダシによって土地や耕作地を失った家庭は、女性を中心に毒消しを日本各地の都市部へ行商していた方も多かったようです。
1928年をピークに、終戦後の1948年に薬事法が施行されて取引に制限がかかり、新薬開発等で毒消し売りは衰退してしまいます。
あまり調子こんで働き者の警備員が来ても困りますので、そろそろやめておきましょう。
少し隧道から離れてみます。
市道が崩落しています。通行禁止!
という標識?があり、前を見ると「なるほど」と思いますが、よく見ると違う場所の崩落を警告しています。
この標識自体が道のド真ん中に埋め込まれており、車を二度と通す気が無さそうです。
途中で舗装路が山側へ分岐しています。
ここは七浦シーサイドラインを建設する際に作られた作業道路?
少なくとも角海浜集落が現役の時代にあったものではありません。
ここを登ると、山間部に唯一ある駐車場にアクセス出来ます。
(私が行った時は、カーオーディオコンテストに出ていそうな車両がオーディオ調整していた)
ふと見ると、藪の中に手すりが見えた。
階段になっていて、降りる事が出来た(見えない)。
藪の中を探ると、かつて通行塞いでいたものがありました。
もはや設置した管理者にも、どこにいったか分かるまい。
階段は、行きのアクセスで使った堤防に繋がっていました。
このまま帰るとしましょう。
9月の新潟の海。お世辞にも暖かいとは言えないが、水着で海岸に寝転んで読書を楽しむ姿もあった。
倫理的に、遠めの撮影です(^-^;
戻ってきました。
リップが剥がれかけていますが、よくある事なので気にしないようにしましょう。
今ではちょっと懐かしい、後期純正ホイール。
では、次の目的地へ行きましょう。
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