私富士山が好きなんです♪
富士山の由来の一説に
「竹取物語」があります。
かぐや姫が天に帰る時、
帝に不老不死の薬を授けたのですが
帝はかぐや姫のいない世に
不老不死はいらぬといって
天に一番近い山で不老不死の薬を焼いたそうだ、
それ以来その山は不死山と呼ばれたという。
冬の東名高速道路や新東名を走っていると
目の前に白く冠雪した富士山が
現れるポイントがあるのですが
富士山が見えると感動しますね♪
また、冬の快晴時、静岡県浜松市浜名湖周辺までくると
富士山はどこからでもよく見えます。
富士山が好きで富嶽三十六景も好きなので
自宅には「凱風快晴」と「神奈川沖浪裏」の額(ポスター)
があります。
葛飾北斎の富嶽三十六景ですが
実は当時、好評を博して十景追加され
実際には全四十六景あるのですね。
そして全四十六景中愛知県内の風景が二景あります。
「尾州不二見原」(名古屋市中区不二見町付近)と
「東海道吉田」(豊橋市)です♪
「尾州不二見原」は
現在の不二見町で名古屋テレビ放送局&東別院付近!
富嶽三十六景中最西端、富士山から166kmも離れている。
145km離れた豊橋市富士見台でも富士山が実際に見えると聞くが
166kmという距離からすれば目視限界だろう。
不二見原という地名から富士山は見えていたと思われますが
富士山を望む方向に赤石山脈があり視界が阻まれるはず、
山脈の谷間からはたして本当に富士山が見えたのだろうか?
わからない、不思議だ~♪
「桶屋の富士」と言われておりますが
私見ですがこの桶は味噌樽だと思います♪
でも、味噌樽にしては底が浅い気もする、、
どうなのでしょう、、
尾張知多は味噌、たまり、酒、
酢など、醸造が盛んな地域。
ミツカン酢は有名ですね♪
ちなみに江戸前寿司が流行ったのも
知多で作った酢が尾州回船で江戸に大量に運ばれ、
発酵させてつくられた関西寿司の代わりに
酢を使用して短時間に作ることができる
江戸前寿司が考案された結果なのです♪
「東海道吉田」は現在の豊橋市。
豊橋市も赤石山脈で視界が阻まれ富士山はほぼ見えませんので
(東海道から外れた地域で富士見町あり)
吉田の東海道街道沿いで富士山が見えたとするなら
場所はかなり限定されます。
私の推測するところ、
この不二見茶屋の位置は赤石山脈南端、静岡県境付近、
現在の二川宿と白須賀宿の間の豊橋市細谷町一里山付近
(一里山には一里塚{現代のキロポスト}が残されている)と
思うのですが実際のところどうなのでしょう♪
でも富嶽三十六景は北斎の心象風景だと思います。
また、北斎は高齢のため、一説に実務は北斎の娘が描いたとも
言われていますね♪
謎は深まるばかり、
ロマンですね♪
で長い前説はこのあたりで本題に、、(笑)
先日は、近くで富士山が見たくて
朝霧高原と本栖湖に行って参りました。
天気の良い日でも雲や霧の影響で富士山は
刻々と表情をかえていきます♪
富士山を見ると不思議と癒されますね♪
朝霧高原から見る富士山って素晴らしいですね♪
まかいの牧場で富士山を見ながら食事してお土産を買い、
朝霧さわやかパーキングで撮影♪
良い瞬間を切り取ることができました♪
道の駅朝霧高原はいつ行っても賑やか、
特に日曜は朝霧フードパークでイベントをやっていて
多くの観光客で賑わっていました。
人の多い道の駅やイベント会場はスルーして
富士正酒造で純米吟醸原酒を買いました♪
本栖湖は富士五湖の一つ
貞観6年(864)の貞観大噴火により
湖畔に溶岩流が流れ込み、
現在の本栖湖の形になりました。
今でも溶岩が湖畔に流れ込んで固まった景色を見ることができます。
湖畔の小石は全て溶岩、
富士山の石と全く同じです。
ここで妻の好きなアイドルが撮影をしており、
溶岩を背にした景色にピンときたので、
行ってみたら大正解♪
妻は喜んでくれました♪
写真右側が溶岩が固まった箇所
本栖湖駐車場 すっかり秋色♪
帰りにもう一度富士山を撮影♪
辺り一面ススキ野原から富士山を望む。
ススキが光に当たってキラキラしている。
きれいだなー♪
富士山の雄大な自然に癒されました♪
おしまい。
Posted at 2020/11/03 10:08:49 | |
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