セーヌは流れておりました。気を揉ませた(?)かもしれませんが、無事パリに入りました。さすがにのんびり寝ているわけにはいかず、4時に目が覚めてネットで諸々の情報をかき集め、とにかくデルタのカウンターで談判だと6時半からのフリーブレックファストにも目もくれず6時過ぎにチェックアウト。投宿10時間はもったいないけれど背に腹は代えられない。
(ミラーに映る建物はルーブル美術館)
4ポンドのシャトルバスに乗ってT5(第5ターミナル)。そこから空港内循環バスに乗り換えてT4だ。シャトルバスに揺られて空港外縁を走ると、本当に大英帝国の威光いまだの感を禁じ得ない。ホテルから乗り継ぎを含めて30分、延々走ってやっと着いた感じ。LHR(ヒースロー空港)は、実は北海油田で再生したこの30年間の英国復活の象徴に見える。
羽田に成田に関空に中部国際。あちこちに国際空港を持つ日本だけど、国を代表する空の玄関がローカル空港みたいな成田という現実は、外国との付き合いなしには成立しないのにそれにきちんと対応しようとしないわが国の外交音痴、鎖国以来あいかわらずの島国根性の象徴ではないか。飛んで"戻った"CDG(シャルルドゴール空港)もそのスケールでは負けていない。中国に抜かれてもまだ世界第3位の経済大国といわれる日本が、この辺からも疑わしく感じられてしまうのは僕だけか。
早朝5時15分から開いているというデルタのカウンターに行って事情を述べると、「いいわよ」しばしキーボードを叩いた後で「152.80"ドル"になるわ、大丈夫?」イギリスでドルという言葉に違和感を覚えたので念を押すと、そうだという。こういうときに円高ドル安は嬉しいね。必要最小限で難局をクリアした安堵感で少し力が抜けた。ユーロスターやらロンドン~パリの往復航空券の算段やら、想定した最悪の事態を避けられたという達成感は諭吉先生3枚ぐらいなんのその……気を大きくしていい境遇ではないが、結果オーライなのだ。
CDGに着いて、さあクルマのピックアップ。サントゥアンのシトロエン本社は初めて訪れる地だ。これも初の試みとなる鉄道で行こうかと駅に向かうも、自動販売機に慣れない旅行者の列。ケチケチしないでとっととタクシーで行けよ……自分をどやしつけてシトロエンC3ピカソのタクシー。無事に着いて、広報車担当のルチアナ・バレッティさんからDS3を受け取ったらこっちのもんである。
ペリフェリク(パリ環状線)に乗って昨夜"明日の午前中には行くので"と予約取り消しにならないよう手を打ったポルト・ディタリーのホテルに向かう……も、しっかり途中てミスコース。分岐点で右に流れて環状線からどんどん離れるわ、降りるインターはないわの最悪パターン。おまけに、確認して装備に胸を撫で下ろしたGPSナビがフランス語表示で、操作もままならない。
危うく高速道路の有料ゲートに進入しそうになったところで、しばし腰を据えて路肩であれこれフランス語と格闘しているとパトカーが……。何してる? と問われた(フランス語)ので、道に迷った、ポルト・ディタリーのホテルに行きたい!英語で喚くと、にこやかについておいで。ラッキー。もう一度迷ったけれど、何とかなるもんです。チェックインは13時過ぎになっちゃって、レセプションで若干、ン?みたいな感じもあったけれど、約17時間遅れでオンタイムに乗せることに成功した。
こうなったら、もうパリを走るでしょう。ルマンは明日だと、市内に繰り出した。まずは明後日VWがレセプションを行なうアール・フレッシネ(Halle Freyssinet)のロケーションを確認。パリ市内を走り回るのは初めて渡欧した1980年以来なので、街のスケールが身体感覚で把握できるまでにけっこうな時間を要した。
過去のパリショー取材で徒歩で訪れ、多少土地勘のあるオペラ周辺に行き、まずはこういう時の情報収集には何かと便利なJCBのラウンジ(カルティエ本店の真ん前)に足を運び、さすがに空腹を覚えたので金太郎に向かうも、途中のサッポロ前で頭が味噌ラーメンになって店内に吸い込まれてしまった。パリで?……という人もあろうかと思いますが、海外でいろいろ食べてきているので、いまさらご当地にこだわることもなくなっている。
空腹が解消した後は、ルーブルにシャンゼリゼに凱旋門にエッフェル塔…いかにものパリを巡り、最後はスーパーで飲み物、食い物を調達。こんなに買ってたったの13.6ユーロ?不思議な思いで部屋にもどるとバタンキュー。ベッドの上で気絶していて、おっとぉ……という感じで起きて、これを書いている。いかん、早く寝治そう。旅はやっぱり楽しいな。
Posted at 2010/09/28 09:51:40 | |
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