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伏木悦郎のブログ一覧

2010年09月28日 イイね!

インディアナポリスコーナーに興奮する

インディアナポリスコーナーに興奮するルマンにクルマでやって来たのは30年ぶりのことだ。その時の昔話はここで書いたので、あらためて念を押すのは控えよう。行きのフライトでたまたま観たスティーブ・マックィーンの『栄光のルマン』に触発されて、"そうだ、ルマンに行こう"となった。

といっても、諸々不安も多い。予め準備をして行かないと、アドベンチャーの深みが極まってしまう。ということであれこれ下調べしているとどんどん時間が経っちゃった。ほな出発となっても無事ではない。カードキーで出入りする地下ガレージの出方が分らん。ちょっとしたトラブルをやらかして、なるほどそういうことだったのね。長引くので説明は問われた方だけに。


ホテルの部屋から見えるペリフェリクはご覧の状態。なんとなく勘を頼りにA6aがE50、A10となるオートルートに乗る(乗れた!)。あとはナビ画面を見ながら(まだ設定はできない)、ルマンに向かう。そんなに遠くはなかったような……30年前の記憶を頼る我が身がどうかとも思ったが、そのくらいの楽観は必要だ。結果的にパリ~ルマンは200㎞くらいあって(TGVで1時間だもんな)、往復ともに途中SAで食事や給油をしたので、所要時間は都合往復5時間ほどとなった。

なんとなくルマンの中心に辿り着き、まずはSFCN(フランス国鉄)のルマン駅を目指した。先述の最初のルマン訪問時に泊まったオテル・モデルン(HOTEL MODERNE)を探して、あちこち歩き回ったのだが、見つからない。潰れちゃったのかな。30年前だもんな。赤井先生、ご存じだったら消息を教えてください。


駅は記憶とはまったく異なるモダンな雰囲気に変わっていたが、駅前の風情はなんとなく既視感のある雰囲気があった。30年の時空はさすがに重いか。

市の中心から、さあサルテサーキットだと勘を頼りに走り出すと、ナビ画面がクルクル矢印の方向を変えて埒があかない。再びフランス語と格闘し、なんとか見覚えのあるブガッティサーキットを捜し当てた。距離は数㎞、思いのほか近かった。しかしサーキットの風貌は30年前とはまるで違っていた。あたりまえの話だが、90年代にプレスツアーで訪れた時の記憶より、あの時のほうが遥かに鮮烈で、印象深く残っている。それとは似ても似つかない。

グランドスタンド(たしかトリビューンと言った)の近くにエントランスがあって…そう、この写真。

トリビューンの背後の飛行場とサーキットの間にクルマ(エンジン縦置きのルノー5のレンタカー)を留めて、そこをベースにレース取材に取り組んだ。

あれから、2回ほど現在に近いこの地を踏んだはずだが、その記憶はほとんど残っていない。やはり初体験というのは鮮烈なイメージとして脳内に留まるようですね。それはともかく、71年にマックィーンの映画を観て以来、ずっと走りたいと思っていたサーキットの公道部分を走ろうじゃないか。今回の訪問のメインテーマだった。

現在のサーキットのメインゲートから時計回りに周辺の道を行くと、D338というミュルサンヌに至る県道(?)に突き当たり、おおっここがテルトル・ルージュかという普段はブロックされているサーキットとの合流点にやってきた。そこからがユノディエール、昔はミュルサンヌストレートと呼んでいたと記憶する。

30年前には存在しなかった2つのシケインをなるほど……と確認しながら行くと、かっくんと右に折れるミュルサンヌコーナー。しかし、D338は普通の生活道路で、制限速度90㎞/hのところをバスもトラックも乗用車もビュンビュン走り抜けて行く。

ミュルサンヌから先に大興奮のスポットが待ち受けていた。インディアナポリスコーナーからアルナージュに至る区間は、サーキットが日常に溶け込んでいる場所。ご覧のアウト側にグラベルベッド、イン側にゼブラゾーンを設えたここだけ見たら完全に気分はサーキットというところを、皆ふつうに走っている。観光バスもね。



他愛もない話ですが、いろんな記憶やら思いやらこれまで生きてきたあれこれやこれからの活力の源になりそうな予感から、本コースは13. 629㎞(栄光のルマンに登場するシーンでは13.469㎞)という外縁部をぐるぐる3周しちゃいました。伝説的なレーシングコースを日常的にあたりまえの感じで接している。かなわんなあ、これじゃ。率直な感想である。

しかし、30年前。海外旅行初体験の28歳の小僧が、新婚の嫁さんを伴ってフランス~スイス~イギリスを股にかけてクルマで5000㎞を走り倒した。本当に我がことながら偉いもんである。ナビもなく、語学力もなく、ただ勢いだけで未踏のシルバーストーンとサルテサーキットを訪れ、ちゃんと取材して記事も書いている(driver参照)。いま、こうして当時よりも技術が進んだ環境で走ってもほとほと手を焼くフランスの状況の中で、俺はいったいどのようにして難局を切り抜けたのだろう。

フランスの道路事情についてはまた折に触れて書きますが、寄る年波か本当にストレスが溜まることが多かったです。過去の自分にあらためて感心することしきりですが、まだこの旅の本題は始まってません(笑)。しかし、旅はつくづく楽しいなあ。



Posted at 2010/09/29 16:11:53 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
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