2021年が終わろうとしていた師走、突如知らされた訃報に衝撃が走りました。
元マツダデザイナーである田中俊治さんが亡くなられたと。
田中さんが? 本当に???
この2年ほどお会い出来ておらず、元気なお姿しか知らなかった事もあり、あまりにも突然でしばし呆然としてしまった程でした。
悲しいお知らせはJ58G広島のS会長から即座にERFCの面々にも知らされたわけですが、“私設マネジャー”として親密な関係にあったS会長ですら、突然届いた喪中ハガキで訃報を知ったほどで、あまりにも突然の事だった事が伺い知れます。
伝え聞いたところによると、亡くなる直前まで仕事をされていたばかりか、先の会議の日程まで決まっていたくらいで、いかに急逝だったかと思われます。
私自身、公私含めて田中さんとはとても多く接する機会に恵まれていて、いくつも思い出があるので少し振り返りたいと思います。
初めてお見かけしたのはロードスターに乗り始めたばかりの頃で、1991年に開催された今となっては伝説のイベント“六甲ミーティング”へ行った時のことだったと思います。その後、J58G広島が開催したこれまた伝説のイベント“里帰りミーティング”だったと記憶しています。そう考えると思い起こせばかなり古くからお会いしていたんだと思います。
ただその頃はまだ学生でしたし単なるイベント参加者ではあったのですが、その後、メディアの世界に入って駆け始めだった頃だったか、3代目キャロルなどの複数のマツダ車の合同発表会が都内のホテルであって、そこには2代目のセンティア(HE)も含まれていて、その時からお話をする機会が増えていったように思います。
それ以後、東京モーターショーのプレスデーなどで毎回お会いしては広報が壇上に上げるのは控えてほしいという言葉を振り切って、ショーカーの側でとても親切に解説をしてくださった記憶があります。
そんな中でも最も記憶に残っている忘れられない出来事は、2001年のオートサロンへ出品した
NBロードスターのMPSの撮影のためにマツダの広島本社を訪ねた時の事でした。
主査(当時)の貴島さん、MS(当時)の立花さんを交えて雑談をしつつ本社前で撮影をしていた時の事です。貴島さんが廊下の遠くから“1枚の紙”を持って歩く田中さんの姿を見かけ、声をかけて呼んでくださいました。
聞けばこのMPSも田中さんがデザインを手掛けた事が分かり、“暇してるならお前がやってくれ” という趣旨で仕上げたと話されていました。いささか出来過ぎなくらいの偶然からこの貴重なスリーショットが実現しました。
さて、この撮影秘話にはまだ続きがあって思わぬ展開へとつながります。
貴島さんが“俊ちゃん(田中さんのこと)何してんのよ?” との問いかけに、田中さんは“いま総務に向かう途中で、これから退職届出しに行くとこなんよ”
一同、えーーーーーーーーーーーーっ!!!!!
そう、“1枚の紙”とは退職届だったのでした。
まさかの遭遇とまさかの展開。。。
この当時のマツダはフォード色がとても色濃くなった上に深刻な経営不信に陥っていた頃。希望退職者を募った結果、あらゆる部門を問わず優秀な社員が次々に流出する事態となっていました。その中の1人に田中さんまでも…。
こんなタイミングは後にも先にもない事ですから忘れられず、後々ご本人とも度々その時のお話をしていたほどでした。
さて、マツダを退社した後の田中さんは、しばらくしてからヘットハンティングされ、川崎重工(バイク)へと移り、その後の手腕は広くバイク乗りの間でも知られる事となりました。
マツダを退職されてカワサキで手腕を奮っていることは聞いていたものの、この間しばらくお会いする機会がありませんでした。が、突如として、私がスタッフとして活動しているロードスターのクラブ“ERFC”のイベント“清里ミーティング”のゲストとして突如田中さんが来られる事で話がまとまりました。
ところがイベントの直前、ほんと数日前に諸事情によりドタキャン!? という不測の事態にスタッフともども大慌てとなった事があったものの、これが却って後々に良い方向へと繋がる事へ。
数年後、メインゲストとしてリベンジされたわけですが、この時から清里のイベント自体をとても気に入ってくださり、言葉は悪いけど呼んでもいなくても、必ず毎年来られる…と言うよりも、最初から予定として入れていただけるほど楽しみにされるようになっていました。
画像は2016年の清里MTGでの様子で、歴代ロードスターのデザイナーが勢揃いした時のものです。
画像は右から…
NAロードスター当時のマツダデザイン本部長の福田 成徳さん、
NAロードスター チーフデザイナー 田中 俊治さん
NCロードスター チーフデザイナー 中牟田 泰さん
NB2ロードスター チーフデザイナー 赤穴 悟さん
NA〜ND 商品本部 山口 宗則さん
ただ歴代デザイナーが勢揃いのはずではあったのですが、残念ながら今度はNDのチーフデザイナーである中山さんがカゼで体調が悪く、近々の仕事にも差し支える事にもつながるため、土壇場でキャンセルとなってしまったのが心残りでした。
その翌年に行われた2017年の東京モーターショーのプレスデーのマツダブースでは、中山さんと雑談していた時、ちょうど田中さんが来られたタイミングで、ここでようやくNA(初代)とND(4代目)のチーフデザイナー揃っての2ショットを撮る事ができました。
この2人の対談もいずれ企画していただけに、叶わぬ夢となってしまいました。
清里で接する機会が増えるにつれてより親密になっていき、そんな雑談の中、私の夢と言ったら大袈裟かもしれませんが、一度でいいから“デザイナーズナイト”に行ってみたいと懇願したことがありました。
ご存じの方もいるかもしれませんが、このデザイナーズナイトとは、東京モーターショーのプレスデーの晩に世界中の名だたるカーデザイナーなどが集まる晩餐会があって、長らくその存在は知っていたものの、とてもとても敷居が高過ぎて恐れ多くて行けず終いでいました。そんな話を田中さんにしたところ、“いいよ、案内してあげる”と、快諾していただき、お供することで参加する事ができました。
田中さんの案内で初めて参加することができたデザイナーズナイトは本当に有意義でした。多くの有名デザイナーの方々をはじめ、いろいろな業界の面々とお話することができ、この上ない喜びでした。
話は少々逸れますが、ユーノス500やRX-01などのデザイナーとしても知られる小泉さんとも10数年ぶりくらいにゆっくりお話して近況報告ができ、“またユーノス500のイベントやりましょうよ!”と、小泉さんの方からお話をいただけたのが嬉しかったです(個人的にはゼヒやりたいけど、かつてのオーナーズクラブは空中分解してしまい、残念ながら数が集まらないので厳しい旨も伝えておきましたが…。いずれ実現できたらなとは思ってるんですけどね。。。)。
閑話休題。
楽しそうに談笑しているのはカーデザイン界の巨匠ジャーナリスト千葉 匠さん(右)。ほかにも初めてお会いできた何人もの重鎮に私も緊張の連続でした。会場ではずっとお供していたわけですが、田中さんを見つけるや否や、多くの方が来られてはひっきりなしにお話をされていて、そんな姿を見て、
いつも酔っ払ったオヤジではなく本当にこの方は素晴らしい人なんだなと改めて思いました。
2019年の清里MTGはロードスター、そしてERFC自体も30周年という記念すべき年だっただけに、ひときわ華やかだった年。イベントのフリータイムで談笑する豪華な面々。
田中さんの左隣はマツダの副社長の藤原さん、右奥はモータージャーナリストでありERFCの記念すべき会員番号1番の岡崎五郎さん、右隣は某Mさん。ご覧のように田中さんを中心として周りは常に笑顔で溢れています。こんな状況がイベント前日の準備段階からずっと続いていて、その中心には必ず田中さんがいました。
歴代センティアのチーフデザイナーとしても知られる田中さんではありますが、やはりプロダクトデザインを手掛けたNAロードスターはご自身にとって特別な存在だったことは確かなようです。一時期ナンバーを切っていた事もあったようですが、某主査とは違ってマツダ退社後もずっと手元にロードスターを置いていて、生涯大事に乗られていました。
私の3rdの隣のNAがまさにそれで、一見してブリリアントブラックのNAに見えますが、ボディカラーは市販とは微妙に異なり、紫が入った特別カラーで内装色も紫に仕立てられています。こういった入魂のデザイナースペシャルが出来たのも、今とは違い良き時代だったのかもしれません。
これは言い訳になってしまうかもしれないけれど、コロナ禍の影響ではありますが、2020年、2021年の2年の間に清里ミーティングが開催できなかった事がとても大きかったと気づきました。たらればになってしまうけれども、もし開催できていたら、きっとメインゲストとして改めて田中さんにお話していただいたと思うし、何よりお元気な姿でお会いできていたはずでした。
実は以前メインゲストとしてお話ししていただいた時には、何を話すかキチンと項目を立ててレジュメを作られていたものの、トータル3時間弱程度では、そのほとんどの項目がお話しできず、時間の関係で中途半端なままで終了してしまいました。
ご本人ももう終わり!? というくらい途中のところだったので、この事が物凄く心残りであり、悔しさもあります。そもそもコロナ禍になるもっと前にお話ししていただいてたら…と、悔やんでも悔やみきれません。これは私を含めてスタッフもいけないと言うか、あまりにも当たり前の存在に甘え過ぎていた事を反省しなければいけません。
30数年、それこそ色々と語られ語り尽くされ続けたロードスターではありますが、実はまだまだ本当の話はいくつもあり、中には広く信じ込まれていた話がひっくり返るような事まであったりします。
画像はその一つで、ごく近年になって清里MTGで判明したのが、田中さん入魂の幻のロードスターいやいや、J58G(開発コード)の本当のエンブレムはこれだったのでした。
ユーノスブランドが決まるよりもずっと前にJ58Gをイメージして描かれた物で、近年になって田中さんご自身が改めて私費で形にされた物がこのエンブレムであり、それだけJ58Gへの強い想いの現れでないかと思います。
たくさんの伝えきれなかった事、きっと無念だったと思います。今年の清里MTGは開催自体まだ不透明ではありますが、これからはより一層1年1年、1回1回をもっと大事にしなければならないと痛感しているところです。
長い間とてもお世話になり、たくさんの笑顔ありがとうございました。
田中さんのご冥福、心よりお祈りいたします。