瀧本哲史(たきもと・てつふみ)さんが、亡くなられました。
私としては、普段余り考えない事を上手に解説される、興味深い方だと思っていました。
余りに早く逝ってしまわれました。
ここで、以前に「現代ビジネス」のWeb版にあった物を転載して、ご冥福を祈りたいと思います。
お時間のある方は、読んでみて下さい。
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引用するのは、2016年に書かれた
「なんで勉強しなきゃいけないの?」と子供に聞かれたら、こう答えよ」
です。
ここで元記事が読めます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49003?page=6
みなさんはじめまして。瀧本哲史です。
ぼくはふだん、京都大学で日本の将来を担う大学生たちに、あたらしい時代を生き抜くための考え方について講義しています。
今日の講義は、その14歳バージョン。
語り口はやさしくても、中身は超本格派です。
大学生はもちろんのこと、大人たちでさえ知らないような「未来をつくる5つの法則」をお話ししていきます。
きっと大人たちは、みなさんのことをうらやましく思うでしょう。
人生を変え、世界を変えるようなトップシークレットに、その若さで触れられるのですから。
そこで最初に質問をさせてください。
みなさん、勉強は好きですか?
毎日の授業や宿題が楽しくてたまらない、という人はどれくらいいますか?
むしろみなさんは、こんな疑問を抱えているのではないでしょうか。
中学生にもなれば、誰もが一度は突き当たる疑問です。
学校そのものが嫌いなわけじゃない。
学校で友だちと会うのは楽しいし、会えなくなったら寂しいと思う。
部活の練習は大変だけど、なんとかがんばっている。
ただ、問題なのは「勉強」だ。授業はつまらないし、毎日の宿題、中間テストに期末テスト。
考えただけでうんざりしてくる。
……当然の悩みだと思います。
それではなぜ、勉強はつまらないのか。
ここには簡単な理由が隠されています。
レンガを積み上げて建物をつくっている場面を想像してみてください。
このとき、あらかじめ「レンガを積み上げて、家をつくろう。
完成したらみんなで暮らそう」と言われていたら、それなりにやる気も出ます。
でも、なんのためにレンガを積み上げているのか、誰も教えてくれなかったとしたら、どうですか?
いつ終わるかもわからず、なぜ自分がやらなきゃいけないのかも教えてもらえない。
かなりつらい作業になりそうですよね。
勉強だって同じです。
みなさんは、勉強そのものが嫌いなのではありません。
勉強という、「やる意味がわからないもの」をやらされることが、嫌いなのです。
学校では「魔法」を学んでいる
もう少し具体的に考えてみましょう。
世のなかには、いろんな種類の「学校」があります。
サッカー選手になりたい人が通う、サッカースクール。
ダンサーになりたい人が通う、ダンススクール。
料理人になりたい人が通う、調理師学校。
自動車の運転免許をとるために通う、自動車学校。
本や映画でおなじみのハリー・ポッターは、「ホグワーツ魔法魔術学校」という魔法学校に通っていましたね。
こういう学校では、「なにを学ぶのか?」がはっきりしています。
きっとハリー・ポッターだって、「魔法使いになるためには、この勉強が必要なんだ」と思いながら、魔法学校の授業を受けていたはずです。
さあ、ここで大きな疑問が浮かんできます。
みなさんは学校に通いながら、なにを学んでいるのでしょう?
なんのために、勉強をしているのでしょう?
いい高校、いい大学に進むため? そしていい会社に就職するため?
……そんなつまらないことのために勉強するなんて、あまりにも寂しい話ですよね。
正解はもっと別のところにあります。
みなさんが学んでいるものの正体、それは「魔法」です。
ハリー・ポッターと同じ、「魔法」を学んでいるのです。
いま、みなさんは「魔法」の力で未来を変えるために、学校に通い、勉強をしています。
まずはここから、講義をはじめましょう。
魔法はどこから生まれるか
いきなり「魔法」と言われても、なんのことだかよくわかりませんよね。
むしろ学校の勉強なんて、ハリー・ポッターの映画とはまったく逆の、退屈でつまらないことばかりでしょう。
辞書で「魔法」の欄を引いてみると、「魔力をはたらかせて不思議なことを行う術。魔術。妖術」(広辞苑・第六版)と説明されています。
そして実際、ハリー・ポッターやおとぎ話の魔法使いたちは、ほうきに乗って空を飛んだり、かぼちゃを馬車に変えてみせたり、「不思議なこと」をたくさんやってのけます。
でも、飛行機なんてもっと「不思議なこと」だと思いませんか?
日本とアメリカを結ぶ大型旅客機の重量は、150トン以上です。
そんな鉄のカタマリが空を飛ぶなんて、どう考えても「不思議なこと」ですよね?
かぼちゃの馬車にしても、自動車のほうが何倍もすごいミラクルです。
馬が引っぱっているわけでもないのに、鉄のカタマリに油(ガソリン)が積んであるだけなのに、馬よりもずっと速く走る。
しかも鉄は、石(鉄鉱石)からつくられている。
要するに自動車って、石と油で走っているんですよ?
たとえば、江戸時代の人を想像してみてください。
もしもちょんまげ姿のお侍さんがいまの日本にタイムスリップしたら、どうなるのか?
江戸時代の人から見て、いまの日本はどんな世界に映るのか?
馬の代わりに鉄のカタマリが走り回り、夜になっても煌々と明かりが灯り、テレビと呼ばれる薄っぺらい箱の向こうには異世界が広がっている。
そして人々はスマホという小さな板で、遠く離れた人たちとおしゃべりしている。
雲の上には人を乗せた鉄の鳥が飛んでいて、地面の奥深くにも地下鉄とかいう鉄の大箱が走っている。
きっと彼は、恐ろしい「妖術の国」に来てしまった、と腰を抜かすでしょう。
江戸時代の人たちにとって、みなさんは天狗や河童レベルの「バケモノ」なのです。
でも、みなさんは自分がバケモノでないことを知っています。
飛行機をつくったのはライト兄弟であること。
電球をつくったのはエジソンであること。
その他さまざまな「魔法」が、人間の手によって実現したことを知っています。
妖術や魔術ではなく、ごくふつうの人間たちが長年にわたって積み重ねてきた「技術」の力なのだと知っています。
あるいはもっと身近なところで、みなさんのお父さんやお母さんが若かったころと比べてみてもいいでしょう。
数十年前の中高生は、どんな部屋で、どんなものに囲まれながら青春時代を過ごしていたのでしょうか。
いまから数十年前、たいていの中高生は「ミニコンポ」と呼ばれるオーディオセットをもっていました。
ミニコンポとは、CDやレコードのプレーヤー、カセットデッキ、ラジオなどが組み合わされたオーディオセットのこと。
みなさんのお父さんやお母さんは、これを使って自分の好きな音楽を聴いていたわけです。
自分の部屋にテレビがある中高生はまだまだ少なく、情報源はもっぱら雑誌とラジオでした。
好きなアイドルやお笑い芸人、ミュージシャンなどの情報を、雑誌やラジオから仕入れていたわけです。
インターネットのない時代ですから、当然でしょう。
そうなると、部屋の本棚にはたくさんの雑誌が並んでいます。
アイドル雑誌、音楽雑誌、ファッション雑誌、ゲーム雑誌、スポーツの雑誌、ありとあらゆる雑誌です。
もちろんマンガも大好きなので、マンガや小説などもたくさんもっていたでしょう。
それからゲーム。
初代のファミコンが任天堂から発売されたのが1983年です。
お父さんやお母さんの部屋にも、ゲーム機が置いてあったかもしれません。
また、友だちが遊びに来たときには、トランプや将棋、ボードゲームなどで遊ぶことも一般的でした。
部屋のインテリアとしては、壁のどこかに時計がかかっていて、自分の好きなアイドルやスポーツ選手のポスターを飾っている中高生も多かったでしょう。
そして机の上には、国語辞典と英和辞典、和英辞典などの辞書が並んでいます。
勉強しながらわからない言葉や英単語に出会ったら、辞書を引いて調べるわけです。
……ここまでの話を聞いて、気づいたことはありませんか?
勘のいい人ならこう思ったはずです。
「そんなの、ぜんぶスマホでできるじゃん!」
そう。音楽を聴くこと、最新情報を仕入れること、本やマンガを読むこと、ゲームで遊ぶこと、時間を知り、写真を眺め、わからない単語を調べること。
これらすべてが、いまではスマホ1台でこなせるようになりました。
もちろんスマホがあれば電話もできるし、LINEやツイッターで友だちと連絡をとり合うことも、写真や動画を撮影することもできます。
わざわざ誰かの「部屋」に集まらなくても、みんなが「スマホのなか」に集まっている。
中高生時代のお父さんやお母さんにスマホを見せたらどれだけ驚くでしょう?
みなさんが学校でなにを学んでいるか、なぜ学校に通っているか、なんとなくわかってきましたか?
いま、みなさんがあたりまえに暮らしている21世紀は「魔法の国」だということ。
そしてみなさんは、学校という場所で「魔法の基礎」を学んでいること。
どんな大発見や大発明も、すべては学校で学ぶ知識をベースに成し遂げられてきました。
国語、数学、理科、社会、そして英語。これらはすべて、みなさんがあたらしい未来をつくっていくための「魔法の基礎」なのです。
勉強の目的は、いい高校や大学に合格することでも、いい会社に就職することでもありません。もっと大きな、もっと輝かしい未来をつくるために、勉強しているのです。
学校は、未来と希望の工場である。そんなふうにいってもいいでしょう。
世界を変えた数学者、ニュートン
「数学の方程式なんか勉強しても、社会に出てから使わないでしょ?」
中学生のみなさんがよく口にする言葉です。
そして大人たちの多くもまた、この問いに正面から反論することはできません。
実際のところ、会社で働きながら方程式を使うような場面なんてないからです。
では、数学はほんとうに役立たずの学問なのか?
理科や社会も、勉強しなくていいのか?
そんなことはありません。ここでひとり、人類の歴史を変えた数学者を紹介しましょう。
その人の名は、アイザック・ニュートン。
みなさんも名前は知っていますよね? たぶん「木から落ちるリンゴを見て、万有引力の法則を発見した」といったエピソードも聞いたことがあると思います。
でも、地球に引力があること(物体を引き寄せるような力が働いていること)くらい、ニュートンの時代の人たちはみんな知っていました。
ニュートンは、引力そのものを発見したわけではありません。
それでは、ニュートンはなにを発見したのか?
数学です。
もう少し詳しくいうと、ニュートンは微積分(微分と積分)学という「あたらしい数学」を発見したのです。
微積分の詳しい中身については、みなさんも高校や大学に進んでから学ぶはず。
とりあえず今日のところは、「そういうジャンルの数学がある」ということだけ覚えておいてください。
20世紀を代表する物理学者・アインシュタインは、ニュートンのことをこんなふうに評価しています。
「ニュートンにとっての自然とは、開かれた本であり、彼はそこに記された文字を苦もなく読むことができた」
木からリンゴが落ちること。地球は太陽のまわりを回っていること。
その地球のまわりを月が回っていること。
こうした自然界のありとあらゆる現象を、まるで一冊の本を読むように苦もなく読み解いていく。
なぜそんなことができたのか?
まだ誰も知らない、「あたらしい数学」を発見したからです。
この数学を使えば、自然界の現象をどんどん説明していくことができる。
ニュートンにとっての微積分学は、「あたらしい数学」というよりも、「世界を説明するためのあたらしい言葉」といったほうが的確なのかもしれません。
そんなニュートンの功績を挙げていけば、軽く一冊の本になるくらいたくさんあるのですが、ここでは「万有引力の法則」に絞ってお話ししましょう。
木から落ちるリンゴのエピソードには、続きがあります。
ニュートンがそこで考えたのは、「リンゴは木から落ちるのに、どうして月は落ちてこないのだろう?」という疑問でした。
地球に引力があるのなら、月だって落ちてこないと理屈が合わない。月が空(宇宙)に浮かんでいるのはおかしいじゃないか。
そんな疑問からたどり着いたのが、「万有引力の法則」です。
万有引力の「万有」とは、「すべてのものがもっている」ということ。
要するに万有引力とは、「この宇宙に存在するすべての物体は、引力をもっている」という意味なのです。
地球だけでなく、月にも、太陽にも、リンゴや人間にだって引力がある。
ニュートンは、それを数学によって証明しました。
そして月がリンゴのように落ちてこない理由にも、ニュートンは数学的な答えを出しました。
もともと月は、地球のまわりをぐるぐると回っています。
公転と呼ばれる運動です。
このとき月には、車で急カーブを曲がるときと同じような、外側へ飛び出そうとする力(遠心力)が働きます。
この遠心力と、地球と月の引力がぴったり釣り合っているから、月は落下することなく、ぐるぐると回り続けているのです。
もちろん、人工衛星が地球のまわりを回るのも同じ理屈です。
でも、万有引力の「リンゴや人間にだって引力がある」という話は、納得がいかないかもしれません。
だって、どんなに手を近づけたって、リンゴがくっつくようなことはありませんよね?
この理由は簡単です。
リンゴが人間にくっつかないのは、それよりもはるかに強い地球の引力が働いているから。
万有引力には「質量が大きければ大きいほど、引力も強くなる」という法則があります。
そして地球上でいちばん質量が大きいもの(重たいもの)といえば、当然ながら「地球」です。
しかもリンゴや人間、船や飛行機なんかよりも、圧倒的に重たい。圧倒的な引力で、すべてのものを引っぱっている。
地球上にいる限り、地球以外の引力を実感することはほとんど不可能です。
その唯一の例外が、月でしょう。
満潮や干潮といった潮の満ち引きは、遠く離れた月の引力が地球に作用して起こる現象です。
また、月に行くと重力が軽くなる、という話は聞いたことがありますよね?
これも地球と比べて月の質量が小さいから、そのぶん重力も小さくなっているわけです。
ニュートンは、こうした運動や力に関する法則を、微積分学という「あたらしい言葉」で説明してみせました。
もしも「万有引力の法則」がなければ、ロケットが月に行くことも、宇宙ステーションや人工衛星が地球のまわりを周回することもなかったでしょう。
そして人工衛星がなければ、衛星放送、天気予報、カーナビ、スマホの地図アプリ、国際電話など、みなさんの暮らしを支えるさまざまな「魔法」が消えてしまいます。
ニュートンは、数学によって世界を読み、数学によって世界を変えたのです。
続いて、彼がどんな人物だったのか、その半生を振り返ってみましょう。
「たったひとりの1年半」が成し遂げた偉業
いったいニュートンは、どこで生まれてどんなふうに育ったのか。
ニュートンがイギリスの小さな農村に生まれたのは、1642年のクリスマス。
日本でいうと江戸時代、三代将軍徳川家光の時代です。
意外にも生まれながらの大天才、というわけではありません。
中学に入ったころの成績は、学年で下から2番目。
しばらくすると勉強するようになるのですが、その理由も「ケンカした友だちを見返したかったから」。
いわゆる優等生とは違いますね。
こうして「友だちを見返すため」に猛勉強したニュートンは、ケンブリッジ大学のトリニティカレッジに進学します。
彼の才能が本格的に開花するのは、大学生になってからなのです。
ニュートンが入学した当時、ケンブリッジ大学では、哲学を中心に授業が組まれていました。
古代ギリシャのプラトンやアリストテレスなど、ニュートンの時代から200年近く前に生まれた、古典哲学を学ぶわけです。
きっと最初のうちはおもしろかったのでしょう。
当時ニュートンがとっていたノートを見ると、哲学に関するメモが、びっしりと書き残されています。
しかし、その哲学ノートは途中でとぎれてしまいます。
ニュートンは大きな悩みを抱えていました。
自分が取り組む学問は、これでいいのだろうか。
ほんとうに哲学だけで、世界を知ることができるのだろうか。
そして哲学ノートに数十ページ分の空白をあけて、ニュートンは突如こんな言葉を書き記すのです。
「わたしはプラトンの友であり、アリストテレスの友である。しかし『真理』は、もっとすばらしい友なのだ」
ここからニュートンは、哲学ノートにこれから自分が研究するべきテーマを列挙していきます。
「地球」「物質」「時間と永遠」「空気」など、そこに挙げられたテーマは哲学というより、現代でいう科学に近いものばかりでした。
もし、ニュートンがそのまま哲学の勉強にふけっていたら、万有引力の法則も、微積分学というあたらしい数学も、その他「ニュートン力学」と呼ばれる力学体系も、成立していなかったでしょう。
哲学のすばらしさは認めるけれど、哲学だけでは「真理」にたどり着けない。
悩みに悩んだニュートンは、ここで数学という「あたらしい真理」に大きく舵を切ったのです。
そんな矢先、ニュートンに大きな試練が降りかかります。
1665年、イギリスの都市ではペストという伝染病が大流行し、それはニュートンがいたケンブリッジ大学も例外ではありませんでした。
「黒死病」とも呼ばれるペストは、14世紀にヨーロッパじゅうで大流行し、当時全ヨーロッパの3分の1にあたる人々が亡くなった恐ろしい病気です。
このときも大学は閉鎖(休校)に追い込まれ、ニュートンは故郷の田舎町に戻ることになりました。
そしてペストの猛威がおさまるまでの約1年半、彼はなにもない田舎町で過ごすことになったのです。
先生もいなければ、仲間もいない。図書館も研究施設もない。
たとえるなら、練習場所を奪われたスポーツ選手のような状態です。
もっと研究したい、真理にたどり着きたい、と思っていたニュートンにとっては、絶体絶命のピンチだったことでしょう。
ところが彼は、これをチャンスに変えます。
ニュートンの「微積分学」や「万有引力の法則」など、人類史をひっくり返すような研究の大半は、田舎町での「たったひとりの1年半」のあいだに成し遂げられたのです。
のちにニュートンは、当時のことを振り返ってこんなふうに書いています。
「あの日々は、わたしの発明の才能の最盛期で、あれ以来、あのころ以上に数学と哲学に打ち込んだことはありません」(ピエール・デ・メゾーへの手紙)
現代のわたしたちがニュートンから学ぶべきことは、たくさんあります。
まず、中学時代の成績なんて、ほとんど関係ないということ。
そして、たとえ(ケンカ相手を見返したい、というような)不純な動機であっても、本気で勉強すれば成績は伸びるということ。
さらに、数学は哲学とは別の角度から真理を探究する学問である、ということ。
それから最後に、どんなに苦しい環境に追い込まれても、たったひとりになっても、世界をひっくり返すことはできるということ。
実際の話、ニュートンは「数学という魔法」によって世界を変えました。
しかも「たったひとりの1年半」で、世界を変えてみせました。
もしも彼が、みなさんの「数学なんて、なんの役にも立たない」という声を聞いたら、どう答えるでしょう?
ちょっと想像してみると、おもしろいかもしれません。
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ここまで
改行の位置などを変更しています。
若くて、博学な方を亡くしました。
心からお悔やみを申し上げます。

(写真はjcast newsから引用しました。)
瀧本 哲史
京都大学客員准教授
2019年8月10日没
享年47歳
合掌
最後まで読んで頂き感謝します。