60歳代後半になると、悲しいですが、お別れする事が増えてきます。
私に車の動かし方を教えて下さった水口利行さんが、7月25日に亡くなられました。
水口さんは、1970年代に私の属していた、「ラリーチーム ダッカスト大阪」のトップドライバーでした。
当時、近畿地方でラリーの実戦経験のある方は、絶対に知っている名前だと思います。
加入した頃、初めてサービス隊として参加した1978年(と思う)の「紀伊山岳ラリー」には、私のクラブからは4台参加しました。
当時は、ラリーの参加車両は60台に制限されていたため、紳士協定のようなものがあり、原則として1クラブ2台の参加とされていました。
そのラリーで私のクラブから4台参加して、いろいろ言われましたが、ゴール後の成績は1位、2位、4位、6位(1、2、6、8位だったかも)の全車入賞という快挙で、他チームから文句を言わせない強烈なものでした。
そして、この時1位だったのが、水口さんでした。
すごいクラブに入ったものだと思った事を、今でも明快に覚えています。
水口さんとは、同い年でしたが、クラブに入ったときは、水口さんは既に関西では有名なトップドライバーで、私は大学を出たばかりの新米社会人。
そのため、私は車の動かし方を水口さんに教えてもらいました。
でも、覚えているのは三つだけです。
1.基本は、離して、切って、踏む。
2.シフトアップの時には、アクセルは踏みっぱなし。
3.ヘアピンではサイドブレーキでなく、ダブルを踏まずに1速に叩き込んでコーナーリングのきっかけを作る。
の3点でした。
1.については、基本的な荷重移動の事で、普通の運転に絶対必要な事ですが、2.3.は完全に競技用です。
今ではネットの色々な動画でテクニックを勉強できますが、昔は横に乗せてもらって技術を教えてもらうのが普通でした。
特にダブルを踏まずに1速に叩き込んでスピン状態を作り、コーナーリングさせるテクニックは、リアブレーキがディスクになったTE71では、(サイドブレーキが効かないので)重宝しました。
というか、タイトコーナーでは必ず使っていました。
ラリーを辞められる直前には、ギリシャでの世界ラリー選手権のアクロポリスラリーに遠征されました。
個人で海外ラリーに参戦するのは今でも大変ですが、当時はもっと大変でした。
よくやったと思いました。
また、水口さんの関係で、チームエンケイの鈴木巌さんのサザンクロスラリー(オーストラリアの国際ラリー)で走って、帰って来たばかりの27レビンを、短時間町中で運転する事が出来ました。
(もう、時効なので書きました。)
この27レビンを走らせた経験が、その後の自分の車作りの基準になりました。
この車のスペックは、304°×288°のカムを組んだラリ-チューンの2TGエンジンとTRDのタイプAのクロスミッションを組んだ、オーソドックスなラリーカーだったと記憶しています。
軽量なボディに、レスポンスの良いトルクフルなエンジン。
3速でのアクセルのオンオフが、普通の車の1速の様なレスポンス!
ステアリングのレスポンスも、超クイック。
とどめは、このエンジンはこの時、4番のピストンリングが折れていた事。
本調子ならどんなパワーだったんだろう???
本物の競技車の迫力は、最近のストリートチューンの人がよく言う「フルチューン」とは一線を画すものでした。
そのカミソリの様なシャープな動きは、一生忘れられません。
そして、これこそが私の理想の車です。
私のMR2も、この様なシャープな動きが出来る車を目指して改良をしてきました。
数年前にお会いした時に、故郷に帰って民宿をするつもりだと、にこやかに言ってらっしゃった事が、最後の思い出です。
色々な事を教えて下さった水口さん、ありがとうございました。
穏やかな性格で、車の動きも大胆でしたが滑らか。
いつもにこやかに話されていたことが、今も思い出されます。
思い出がどんどん湧き出してきますが、この辺りで終わりにします。
今ほど簡単に写真が取れなかった時代ですから、余り写真がありません。
1979年頃、アキレス・ダートトライアルにて。
1979年、全日本選手権のツール・ド・四国にて。
ツール・ド・四国に出た27レビン・水口号
ツール・ド・四国に出た時の写真 みんな若い!
左のNガレージさんは既に故人、右のK板金のお二人は、その後の付き合いがありません。
ダッカストカラー(クラブカラー)に塗られたTE37レビン
(水口さんではありません)
因みに、我がクラブはクラブカラーがある数少ないチームでした。
白地にエンジ赤と紺色
79年頃の水口号は既にクラブカラーではありませんでしたが、多い時には4台のクラブカラーの車がありました。
但し、早いチーム員だけの特権だったように思います、と言うか遅い人では恥ずかしい。
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In memory of my friend
水口利行
1954-2022
Rally Team daxst Osaka
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水口さん、安らかに。
合掌
最後まで読んで頂き感謝します。
Posted at 2022/09/20 22:30:58 | |
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