• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ばつ丸21のブログ一覧

2024年02月25日 イイね!

おっさんB、約半世紀ぶりの母校訪問


私が同志社大学工学部を卒業して、半世紀近くになります。

特に理由もないのですが、卒業後母校を訪れた事が一度もありません。

同志社大学の今出川キャンパスは、ある意味公園の様に落ち着いて散策できる所です。

私は、終活の一つとして、ここへ行く事を決めていました。

そして、先日の日曜日、所用で京都に行く事になり、空いている午前中に大学を訪れる事にしました。


訪れた2月18日は、大学が英検の試験会場になっていて、色々な人が今出川キャンパスにいらしていました。

通常の日曜日なら、人通りは少なく、ゆっくりぶらつけるだろうと思っていましたが、当てが外れました。

でも、試験だから騒がしくなく良かったです。

久しぶりに訪れた同志社は記憶と違い、こじんまりしていました。

7年ほど前に、近畿大学で国際関係論の講義を受講した際、そのキャンパスの広さに驚いたものですが、考えてみれば比較的新しい大学と、来年建学150年を迎える大学の違いもあるのでしょう。

要するに、古くて狭いと言う事でしょう。

さて、私が通学していた頃には存在していなかった、地下鉄烏丸線で今出川駅を降りると、久しぶりの烏丸今出川の交差点に出ました。

そして、西門から今出川キャンパスに入ろうとしたら、入ってすぐの右側にあった大学図書館が建て替え工事をしていました。


烏丸通から見ています

私が入学した頃にできた綺麗で蔵書数も大学一(当時・うろ覚え・違うかも)だった図書館を、もう立て替えなんて。

さて、今出川キャンパスには、多くの重要文化財があります。

門を入って直ぐの左側にあるのが「彰栄館[重要文化財]」です。


彰栄館[重要文化財]

同志社大学の校舎には、○○館という名前がついています。

一般的な大学では、○○学部○号館というのが多いですが、同志社大学はそれぞれの校舎に名前があります。

さて、東に向かって進むと、左手に「チャペル[重要文化財]」があります。


チャペル[重要文化財]


チャペル[重要文化財]横から見た所


記憶にある通りの美しさです。

そして、昔はチャペルの北側にあった同志社小学校(中学校だったかも)が全てなくなり「良心館」なる校舎が建っていました。


何という名前を付けるのか、理解に苦しむ「良心館」でした。


良心館


気を取り直してもう少し東に進むと、左手に「ハリス理化学館[重要文化財]」が見えてきます。


ハリス理化学館[重要文化財] 全体像を撮ったものがありませんでした


例によって記憶が曖昧ですが、当時の工学部の学部事務室は、この中にあった記憶があります。

(蛇足ですが、同志社大学の工学部は、その後理工学部となり京田辺キャンパスに移転しています)。

ここを北に曲がり、「至誠館」と「扶桑館」の間を通り抜け、そのまま進むと、昔は工学部の実習棟である「工武館」があった所が、駐輪場に変身していました。


正面は通路で、右手の方が駐輪場です。


工武館跡地 今は駐輪場


工武館で、竹内研究室(燃焼・内燃機関)での、卒業研究をした事が、「忘れたくても思い出せません」。

まぁ、殆どバラックの様な校舎だったので、残っている筈もありません。

竹内先生が三菱自動車から貰ってきた、新品の1600cc4気筒エンジンがありました。

三菱自動車の社員の方で竹内研のOBの方が、博士号をとるために院生と共同研究をされていた事を思い出しました。


そして、その北側に見えるのが、当時は工学部の教授方の部屋があった「博遠館(はくえんかん)」です。


博遠館

今出川キャンパスの中では、少し感じの違う校舎です。(赤レンガ風の感じが少ない)

その日は小雨でしたが、雨宿りをしながら少しの間、私の担当教官の故・竹内貴一郎先生の事を思い出していました。

25歳で博士号をとられた、俊英でした。

さて、気を取り直して、雨が止みかけたキャンパスをめぐります。

旧工学部のあたりから、同志社通りに戻ると、突き当りが「明徳館」。


明徳館

古い校舎で、1951年竣工、昔は地下に学生食堂があり、格安で美味しい定食が食べられました。

今はどうなっているのでしょうか。

閉まっていて入れません。

地下にコンビニはあるみたいです。

ここで、一旦烏丸通に出て、以前の学生会館を探しました。

すると今は、同志社法科大学院に代わっていました。


同志社法科大学院


学生会館は新町キャンパスにあるようなので、行ってみます。

新町キャンパスに行く道は、うろ覚えでしたが、何とかたどり着きました。


新町キャンパス


しかし、当日はどこかの入試会場になっていたため、入れませんでした。

気を取り直して再び西門に向かいます。

途中で、「良心館」を烏丸通側から見ます。


良心館


西門から入り東に向かうと、これがキャンパス内で一番有名だと思う「クラーク記念館[重要文化財]」が見えます。


クラーク記念館[重要文化財]

クラーク記念館は、昔の神学館です。


クラーク記念館[重要文化財] 西門の方から見る


今日も、英検の受験生がこの前で記念写真を撮っていました。(試験はうまくいきましたか?)

そのまま東南方向に進み、正門に向かいます。

途中の左手に「神学館」があります。


神学館


その先で右方向に振り替えると、「有終館[重要文化財]」があります。


有終館[重要文化財]


正門を入って、この有終館を見ると、何となく歴史の重さを感じた記憶があります。

まだ地下鉄が無かった私の学生時代は、市バスで同志社前まで来て正門から入るのが一般的でしたから、いつも有終館を見て、何となく大学の良さを感じていたように思います。

さて、正門を出て北(正面の方)を見れば相国寺(遠くて見えません)があり、東(右の方)を見れば同志社女子大学の西門があります。

当然、南(後ろ側)は京都御所です。


正面は相国寺、左に同志社大学正門、右が同志社女子大学西門

正門の写真の後ろ側は今出川御門(京都御所)


今出川御門


日曜日なので(?)、同志社女子大は閉まっていました。

女子大って、日曜日は閉まるのでしょうか???

学生時代は、何度か通った事はあるように思うのですが、あまり記憶にありません。

しょうがないので、同志社女子大の周りを一周しようと思い、相国寺の方面(北)に向かいます。

右手に「アーモスト館[登録有形文化財]」がありました。


アーモスト館[登録有形文化財]


アーモスト館が同志社女子大側のキャンパス内にある事を完全に忘れていました。

僕の記憶では、同志社大学のキャンパス内にあったように思っていました。

アーモスト館は、同志社大学の米国での兄弟校であるアマースト大学(同志社では、アーモスト大学と伝統的に呼んでいます)との記念館です。


同志社女子大の北側に回ると、「新心館」が見えます。


同志社女子大学・新心館(左)


そのままぐるっと回っていると、「湯川秀樹一家寓居跡」という石碑がありました。


「湯川秀樹一家寓居跡」という石碑


全く知りませんでした。(寓居→仮住まいの事)

今出川通りに出て、同志社女子大の方を見ると、屋上庭園がある「純正館」が見えます。


同志社女子大学・純正館


女子大らしく綺麗な校舎になっています。

そのまま今出川通を西に向かうと、同志社女子大学の正門が見えてきます。


同志社女子大学・正門


正門の所で、女子高生が覗いていました。

将来の受験生でしょうか。(頑張ってね!)

守衛さんに断って、正門の中に入らせて頂き、写真を撮らせてもらいました。

正面に見えるのは「栄光館[登録文化財]」、女子大学って、こんな感じの所が多いのでしょうか???


同志社女子大学・栄光館[登録文化財]


左は「ジェームズ館」。


同志社女子大学・ジェームズ館


もう少し西に移動すると「図書館」


同志社女子大学・図書館


これで大体、同志社大学と同志社女子大学をざっと見る事が出来ました。

私の学生時代は、工学部の機械系学科だったので、1年生のころから、4力学(熱力学・材料力学・水力学・機械力学)や、実験実習、製図実習(CADはまだほとんど無く、図板やドラフターを使っていました。米国では先進的なロッキード社のCADAMシステムがやっと動き出した頃です)、英語とドイツ語、数学と物理、それに一般教養などというものまであり、とにかく月曜から土曜までずっと大学に通っていました。

文系の人は楽そうで羨ましかった事を覚えています。


東の慶應・早稲田、西の同志社と言われたのは、今は昔。

今は慶應の一強だと思っています。

それに、昔より東京偏重が進んでいる様に思います。

話がそれてしまいました。

これで私の終活の一環である、母校訪問を終わりにします。



同志社大学キャンパスツアーの様な内容になってしまいました。
近くに行かれた際には、同志社大学を覗いてみられるのも一興だと思います。
西門と正門はいつも開いている筈ですから。
最後まで読んで頂き感謝します。

詳しい方で、もし、写真と説明が違っていたら指摘してください。
よろしくお願いします。

Posted at 2024/02/25 21:59:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | おっさんB | 日記
2024年02月21日 イイね!

猛獣チャロポン 奮闘記 その21


----------------------------------------------------------------
はじめに
「猛獣チャロポン 奮闘記」としていますが、内容は闘病記です。
闘病の記録を残したくて始めました。
そういう話を好まない方は、お読みにならないようにお願い致します。

途中から読まれる方のための自己紹介
僕はチャロ君。
8才の男の子だ。
チャロポンと呼ぶ奴がいるが、許してやってる。
僕の事を猫だと言う奴もいるけれど、僕はあくまで猛獣!
漢なんだ!!(玉々は取られちゃったけれど、それは秘密だよ!)
----------------------------------------------------------------



第21回 チャロポン最終サイクルへ

9月28日、今日は4サイクル目の最初の日。

「オンコピン」と言う抗がん剤を点滴する日だ。

今日も下僕夫婦の自転車に乗せられ、朝一番にF獣医科病院に行く。

例によっって血液検査と体重測定を行う。

体重は少し減って4.0kgだった。

血液検査はOKだったので、点滴を始める。

担当のN先生が年内に退職され独立されるので、最近は第2診察室を使う事になったようだ。

それで、メインの第1診察室は、F院長が新しく入られた新卒のK先生を「鍛える」ために重点的に使われるようだ。

第2診察室は10畳間位の広さで、診察台が1台しかないが、エコー検査もできるので、僕には十分だ。

それに、コンパクトになったので、何時も木曜日に来診される患者(正確には患畜)さんたちとは顔見知りになる。

何時も同じ時に点滴を受けている患ワンは、心臓が悪いらしい。

もう2人の患ワン達も心臓らしい。

でも、9時15分から始まって、12時半まで点滴をしていたのは僕だけだ。

でも、他の子達は僕より元気がなかったな。

頑張ろうね、みんな。

それから、今日も超大型犬のジャイアント・シュナウザーも来たな。

この子は、メラノーマだと言う事らしいので大変だ。

前足に腫瘍が出来ているので、歩くのが辛そう。

頑張るんだよ。

さて、今日は何事もなく点滴が終了。

さあ、帰っておやつを貰おう。




次回に続く、かな。


最後まで読んで頂き感謝します。

ささやかな僕のニャン生(=^・^=)
明日がもっと良い日でありますように。

Posted at 2024/02/21 20:34:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ねこ | 日記
2024年02月10日 イイね!

タッカー・カールソンのプーチン大統領への単独インタビュー

メインストリームメディア(新聞やテレビ等のオールドメディア)では、殆ど取り上げられていない、私が世界最高のジャーナリストと考えている「タッカー・カールソン」氏のプーチン単独インタビューの内容が、やっと発表された。

日本だけでなく、俗にいう先進諸国(よーするに米英のいいなり国家)は、ゼレンスキーの「金くれ」報道しかしていない。

タッカーが言うように、たくさん税金を投入しているのに、ゼレンスキー(ウクライナ)側の話ばかりで、ロシア側の話が全く聞けない、と言う事で、タッカーがホワイトハウスの妨害を乗り越え、プーチンの単独インタビューを行った。

内容は僕がつべこべ言うよりも、まっとうな方の解説の方がいいかなと思い、宮崎正弘さんの無料メルマガから引用する。

宮崎正弘さんのメルマガ、「宮崎正弘の国際情勢解題」より引用(一部改行や解説を追加している)

ここから
--------------------------------------------------------------------------------
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和六年(2024)2月10日(土曜日)
        通巻第8125号  <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

プーチン大統領、沈黙を破ってかく語りき
アメリカを本当に動かしているのは誰か、プーチンは把握している
*************************************

 2024年2月6日に行われたタッカー・カールソンのプーチン大統領への独占インタビューにおける主要なプーチン発言は次の通り。


「ロシアはあなた方の敵ではありません。私たちは戦争を望んでいません。平和の準備はできています。」

と平和論から始めたインタビューで、プーチンはすぐさまバイデン批判に転じた。


「彼は国を運営していないと確信しています。

それを確認する有力な情報源はありますが、誰が見ても明らかです。

バイデン氏の選挙勝利を(私が)祝って以来、(ホワイトハウスの)誰からも電話がありません。

冷戦時代よりもコミュニケーションが冷たくなっているのは不可解です。

アメリカは今、暗黒の時代に突入しています。説明責任を果たせない指導者がいるのです。」


(何故ウクライナへ侵略したのかと問われて)

「侵略したのか、それとも侵略されたのか? 歴史を見てください。

そこに住んでいる人々を見てください。

歴史的に見れば、侵略されたのは我々であり、今は反撃しているだけです。

土地と人々はロシア人であり、私たちはもともと私たちのものだったものを再び手に入れるでしょう。」


(トランプへの期待は?)

「トランプ氏が大統領だった頃は良好な関係でした。

戦争はありませんでした。

私たちの関係は絶頂期にありました。

ロシアは(トランプ再登場に)準備をしています。

彼はウクライナでの戦闘を終わらせると約束しており、私たちはその考えを支持しています。

トランプ氏は決して我々を侮辱していないからです。

彼はロシアを尊敬しています。

私たちは友好と信頼の立場から始めるでしょう。

そうすれば、すべての問題は解決可能です。」


(ゼレンスキー氏についてどう思いますか?)

「彼がロシアでコメディアンだった頃、彼のジョークに笑ったことを覚えています。再び笑いに戻りましょう。」


(イーロン・マスク氏についてはどう思われますか?)

「マスク氏をビジネスマンとして見ています。

彼は巨万の富を築き、多くのファンを持っています。

彼はユニークな思想家であり、買収されることのない個性の持ち主です。

それを恐れる人もいます。

米国内に(マスクの)敵がいることは明らかです。

500億ドルの資産を剥奪されたことは、特別扱いのシグナルが出されたと言えます。」


(ロシアと中国が手を組んで米国に対抗するような事態を想定していますか?)

「経済的な意味ですか、それとも軍事的な意味ですか?

どちらも望んでいません。米国と衝突することは私たちの利益にはなりません」。


 当然と言えば当然すぎるほどに予測された回答が続いた。

だが、言葉は穏やかでもプーチンがバイデンとゼレンスキーをよく観察し、ジョークを含む余裕の批判なのである。

 放映直後、米国の左翼メディアは小さく報じるか、あるいは無視した。

一方、ロシア国内では大多数が見て、「タッカーは本物のジャーナリストね」「ロシアへの偏見を解いて呉れた」と評価する街頭インタビュー(「スプートニク」)、賞賛に満ちた『プラウダ』とは別にリベラル派の『モスクワタイムズ』は冷ややかな反応だった。

 さて筆者の印象と言えば、プーチンはアメリカを本当に動かしているのは誰々かを冷静に分析し認識していること。

その情報解析能力の高さ、しかも巧妙に穏健な語彙で、示唆に富む回答をしていることだった。

 バイデン大統領いかに大声上げて追加予算を呼号しても、ウクライナ支援予算は議会を通過しない。

おんな戦争屋(ビクトリア・ヌーランド)、廊下鳶の軽量級(ブリンケン国務長官)が走り回っても、アメリカの民意はバイデンの戦争政策から離れた。

議会を動かしているのはトランプである。まるで闇将軍のごとくに。


 世論をニューヨークタイムズがリードしてきた時代は終わり、左翼プロパガンダより、タッカー・カールソンが保守陣営の指標となった。

そしてこうした発言を支え、アメリカの言論の自由を守っているのはイーロン・マスクであるとう現実、その軽量化できない力関係をプーチンはふかく認識している。

--------------------------------------------------------------------------------
引用ここまで

バイデンがもはや認知症が進んで、どうしようもない事は、周知の事実だが、プーチンがいう、バックにいる連中というのは、トランプ大統領が言う「ディープステート」であろう。

直接的には、オバマ大統領が目立つが、そのバックの、戦争屋(ネオコンとか多国籍企業・国際金融資本など)が今のアメリカを動かしている。

国境をズタズタにして、不法移民ウエルカムなどと言う事を行っているバイデン政権は、一体何を考えているのだろう。

国境が無ければ、国自体が存在できない。

バイデン政権が認めている、今まで入国した不法移民は、すでに1000万人を超えている。

実数はわらないが、その数倍規模の不法移民が流入していると指摘している人も多い。

嘆かわしい事だけれど、これが今の世界の現実。


最後まで読んで頂き感謝します。
信じて貰えるのかどうかは、あなたの考え方次第です。
陰謀論と切って捨てれば、何も考えずに気楽に過ごせるけれど。。。。
ウクライナ紛争は、ロシアの勝利で終わると思っているのは、俺だけ???

Posted at 2024/02/10 18:25:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事問題 | 日記
2024年02月07日 イイね!

猛獣チャロポン 奮闘記 その20



----------------------------------------------------------------
はじめに
「猛獣チャロポン 奮闘記」としていますが、内容は闘病記です。
闘病の記録を残したくて始めました。
そういう話を好まない方は、お読みにならないようにお願い致します。

途中から読まれる方のための自己紹介
僕はチャロ君。
8才の男の子だ。
チャロポンと呼ぶ奴がいるが、許してやってる。
僕の事を猫だと言う奴もいるけれど、僕はあくまで猛獣!
漢なんだ!!(玉々は取られちゃったけれど、それは秘密だよ!)
----------------------------------------------------------------



第20回 チャロポン検査の日

9月21日、今日は検査の日だ。

今日は検査だけなので、気が楽だ。

いつもの様に、下僕とその妻と共に、自転車に乗せられて、F獣医科病院に行く。

最近は、8時45分頃に行けば、そこそこ空いている。

以前はいっぱいだったのに、なぜかなぁ?

N先生に見て貰う順番は、二人目だった。

他の動物病院は行ったことが無いので解らないが、F獣医科病院では、見て貰う先生を指定できる。

指名料は取られないよ。<(`^´)>

さて、いつもの様に体重測定と血液検査だ。

N先生が「今日はエコー検査はやめておきましょう。」とおっしゃった。

先々週にやったばかりだからかな。

それとも、貧困生活を送っている下僕夫婦の経済状態を心配したのかも。

体重は先週と同じ4.1キロだった。

最近、食欲がなかったけれど、下僕達がおやつをいっぱいくれたので、何とか前回値を維持できた。

N先生が血液検査の結果を見ながら、「チャロ君は血液を作る力が弱いようですね。」だって。

だから、これからも鉄成分の入って薬を飲み続ける事が必要なんだって。

朝は抗がん剤の薬、夜は鉄分の入った血液の薬を飲んでいるが、暫くこのパターンが続くのかなぁ。

今日の検査は、F獣医科病院の第2診察室でやってもらったので、他のお友達にはほとんど会わなかった。

みんな元気にしてるかな?

今日は薬を貰って帰宅だ。

さあ、おやつを貰おう。


次回に続く、かな。


最後まで読んで頂き感謝します。

ささやかな僕のニャン生(=^・^=)
明日がもっと良い日でありますように。


Posted at 2024/02/07 17:51:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | ねこ | 日記

プロフィール

「春ワンダー2024 http://cvw.jp/b/1368450/47663402/
何シテル?   04/18 21:25
ばつ丸です。年寄りですがよろしくお願いします。 諸般の事情で59歳で早期定年退職してリタイヤ生活をしています。 古いMR2/AW11を新車時から少しずつ手を...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/2 >>

    123
456 789 10
11121314151617
181920 21222324
2526272829  

愛車一覧

トヨタ MR2 トヨタ MR2
トヨタ MR2 AW11に乗っています。 1986年に新車購入して、現在まで少しずつ手を ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation